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紅の空の下で  作者: 高橋もみぢ
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一章③

 × × ×


「やらかしたのう……」


 紅い空が覆う翌朝の出勤中、クルトは昨日の行いを激しく悔いた。

 本当はセクハラなんてするつもりじゃなかったのだ。ただニナの内気な性格とその理由を事前に聞いていたので、研究室の長として、緊張をほぐして馴染んでもらえればと思っただけで。


 まして嫌われて家を出て行かれでもしたら、せっかく見つけたマヤの母親代わりがいなくなってしまう。マヤもニナが家に来るのを楽しみにしていたし、それだけは何としてでも避けなければ。


 なんだけど……。


「のう、なぜワシからそんなに離れて歩くんじゃ?」


 今朝から露骨に避けられている。大学への道を先にすたすた歩くニナは振り返らずに言った。


「あんたと一緒に歩いているのを見られたくないのよ。仲良しって思われるじゃない」

「同じ研究室だから普通と思うのじゃが」


 思考が思春期の中学生だ。それは女子に対する接し方がわからずセクハラをしたクルトにも言えることなのだが。


 そんな気まずい出勤を終えて研究室へ。早くも同居生活に暗雲が立ち込めていた。


「む?」


 研究室の前に設置されているポストを確かめると、一つの白封筒が入っていた。普通、手紙や通知書は茶封筒に入っているので珍しい。宛名も書かれていないしいたずらだろうか。


 特に気にすることなくクルトは研究室の扉を開ける。


「諸君、お疲れ様なのじゃ!」

「お、お疲れ様です……」


 ニナはまだ緊張しているのか、おどおどして中に入っていく。家の中でなんども声を張り上げていた人と同じとは思えない。


 ルークとルイーサはすでに来ており、資料の整理で忙しそうだ。今日から春休みが明けて講義が始まるのでその準備だろう。


「ニナちゃんとクルト教授ー、お疲れ様でーす」

「お、今日のルイーサの身だしなみはちゃんとしておる」

「失礼ねー、私だって講義がある日はそこまでひどくないよぅ……って、クルト教授その手紙なーにー?」


 クルトが持っていた白封筒を指さしている。


「わからん。いたずらじゃろうな」

「うーん……あ、お姉さんわかっちゃったー。それクルト教授に向けたラブレターだよー。きっと教授に惚れた学生が投函していったんだよ」

「なに⁉ ついにみんながワシの魅力に気づいたのか」

「あんた、学生に手を出したら普通に犯罪だからね」


 ニナがジト目でにらんできた。一応、学生もクルトも成人しているので法律上は問題ないのだが。


「開けてみてよー。そしたらわかるじゃん」

「だ、ダメじゃ。これは家に持ち帰ってじっくり読むんじゃ!」

「えーいいじゃんいいじゃーん」


 よほど浮いた話が好きなのか、上司であるクルトの肩をつかんでゆっさゆっさと揺らしてくる。ルイーサの距離が近いのもあるが、教授にしては威厳のないクルトだった。


「わかったわかった。ただ、一応ワシが内容を見てからじゃぞ」

「おっけー。ラブレターをもらった教授の反応を見れるなら私は満足ー」


 ため息をついてみせるも、内心ウキウキでクルトは手紙を取り出す。


 しかし、そこにあったのは奇妙な一文だけだった。


『ブンリシツノヒキダシヲミテミルガイイ』


 と、汚い字で。


「なんじゃこれ……? 分離室の引き出し?」


 いたずらにしては意味深だ。よくわからないままニナとルイーサにも見せる。


「んー? なにこれー。ラブレターじゃないじゃーん」

「いたずらね。あんた、よかったわねー。一瞬でも夢を見れて」


 鼻で笑うように言い放つニナに不満の視線を向ける。

 クルトたちが話しているのを見てルークもやってきた。


「どうしたのですか?」

「ああルーク。これを見てくれ。いたずらだと思うのじゃが……」


 手紙を見たルークは難しそうな顔をした。


「分離室の引き出しですか……。これはルイーサがいつも酒を飲んでる机の引き出しってことですよね?」

「他に引き出しなんてないし、そうじゃろうな。一応見てみるか」

「ですね」


 すでに興味をなくした女性二人を置いて、鍵を開けてルークと分離室に入る。染みついた酒臭さはまだとれていなかった。


「引き出し……ってこれですよね」


 ルークが引き出しを開ける。そこには魔術陣が描かれた一枚の強化ガラスが入っていた。かなり大きく、クルトが両手を広げてやっと抱えきれるくらいだ。


「なんじゃこれ。こんなものうちの研究所にあったかの?」

「帝国ではあまり使わない素材ですね。王国立の研究所にならあるかもしれませんが」

「そしてこの魔術陣は……あれ、起動しておらんか、これ」


 見ると魔術陣は青白い光を放っている。誰かが魔力を流し込んで起動させたのだ。

 魔術陣がどこから来たのか不思議に思いつつも、刻まれた数式を解読をしていくクルト。研究者なのでほとんど無意識にやっていただけだが、数秒後、クルトの顔は急速に青ざめていった。


「クルト?」


 ルークが不思議そうにのぞき込んでくる。

 だがそれに答える暇もなく、クルトは元の部屋に戻って叫んだ。


「誰か魔石ペンを持ってこい! これは時限爆弾だ!」


 その一言で研究室の中は戦闘モードに切り替わった。

 ただ一人、ニナを除いて。


「え? え? な、なに?」


 ニナは困惑してあたふたしているが、彼女にかまっている暇はない。

 この魔術陣を読み解いたところ、起動から五時間後――つまりあと十分ほどで大爆発を起こす魔術だったのだ。それを止めるにはガラス盤を破壊するか、魔術陣を停止させるかだけ。しかし特殊加工されたガラス盤を破壊する手段をすぐには用意できない。魔術陣を停止させるため、「アンチ魔術陣」を急いで用意しなければならないのだ。


 クルトの一言でそれを察した二人は直ちにアンチ魔術陣を描く準備に取り掛かる。大学の創立以来、何度もやった緊急時対応訓練のおかげだ。


「素材はどうしますか」

「ユーゴ石だ。ストックをありったけもってこい。ルイーサは台座となる強化石版の用意、ニナは万が一のために他の学生を避難させろ」

「了解よ」


 ルイーサもすぐにおふざけモードから切り替える。


「え、わ、わかった。けどあんたは逃げないの?」

「逃げるわけにはいかない」


 クルトは淡々と言いきった。その瞳には覚悟が宿っている。


「わ、わかったわ」


 ニナが出ていくと同時に魔術陣を描く準備が整った。

 あと八分。いけるか……?


「おれは第二、三、四陣を担当する。ルークとルイーサはそれぞれ一陣と五陣をやってくれ」

「「了解」」


 魔術陣の基本形は五芒星だ。その各頂点をそれぞれ第一陣~第五陣と呼ぶ。

 アンチ魔術陣とは、魔術陣に刻まれた理論を逆から証明することで、効果を無効化できるというもの。いわば必要条件の証明だ。


 幸い、今回仕掛けられた魔術陣は数学理論をベースとしたものである。数学を専門とする研究室に数学を用いた時限爆弾を仕掛けてきたのだ。明らかに犯人に挑発されている。


 お前たちはこの問題を解けるのか、と。


「舐めるな」


 頭の中の辞書からデータベースに接続し、類似問題を検索する。……あった、つい先日学生に教えたばかりの数式だった。


 用意された魔術石の塗料を使って石版に理論を書いていく。素早く、しかし整然と。美しき世界の真理を紡いでいく。


 普通の学生であれば解くのに二時間はかかるであろう代物だ。公式を組み合わせるだけなら楽なのだが、ところどころ不可解なアレンジをしてあるせいでその都度修正を強いられる。ミスなく進むのは至難の業だ。


 部屋の中には塗料の音だけが響く。あと二分。視界の端に映る二人の顔にも緊張の汗が浮かんでいた。


「――っ!」


 ふと、ルイーサの手が止まった。極限状態において緊張してしまい、式の続きが分からなくなったのだろう。青ざめた顔をしている。


 あと三十秒。クルトの担当部分も終盤に差し掛かっていたが、ルイーサの分までする余裕はない。ならば……。


「ルイーサ、スイッチだ。おれのところは基本形を当てはめるだけで終わる」

「う、うん」


 急いで場所を交代して理論の続きを書いていく。冷静にやれば簡単に対処できるアレンジだったので何とか書き終えられた。他の二人もギリギリ間に合ったみたいだ。


 あと五秒。急いで二つの台座を重ねてその上に手のひらをかざす。


「《一面展開。総攻撃》」


 ありったけの魔力を流すと、二つの魔術陣が共鳴して青い光が部屋を包んだ。あまりのまぶしさに目を閉じる。


 五秒後。部屋の中は静寂に包まれていた。解除に成功したのだろう。


「はあ、はあ……」


 緊張感から解放されて浅い呼吸を繰り返す。本当に死ぬかと思った。


「な、なんだったんですか……」


 冷静に状況を分析すると、いつの間にかクルトの研究室、それもさらに奥の部屋に爆弾が仕掛けられていたのだ。下手すれば何人死んでいたかわからない。


 三人とも今の数分で疲労困憊であった。


「一種のテロよねー、これ……」

「まあ、なんにしろ無事でよか――」


 ドガン!


 その時、グラウンドの方角から轟音が聞こえた。


「……は?」


 窓の外を見ると、グランドからもくもくと火の手が上がっている。すぐに警報が鳴り響き、鎮火用の水を放出する魔術具が作動した。


 幸いこの時間にグラウンドにいる人はほぼいない。誰も被害を受けていなければいいのだが。


「……」


 三人とも唖然として口をきけない。こういうとき、他の爆弾に備えて避難しなければならないのだが、誰もその場を動けなかった。


「あれ、文字が……」


 ルイーサがつぶやいたので重ねられた魔術陣を見ると、打ち消しあって何も書かれていないはずのガラス盤に何か文字が浮かんでいた。


「アア、キミタチハイマ、ドンナカオヲシテイルンダイ?」


 それは間違いなく、犯人からのメッセージだった。

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