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紅の空の下で  作者: 高橋もみぢ
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エピローグ②

 それからマヤが「いちばんにあおぞらかくの!」と言ったので日が暮れるまでそれに付き合い、こそこそと寮の部屋まで戻ってきた。顔を完全に隠していたので怪しまれたかもしれないが、オスカーの顔は割れているので仕方ない。


「あれ……?」


 だが、部屋に入ろうとすると鍵が開いていた。締め忘れたつもりはないが……。

 不思議に思いつつドアを開けると、すぐにその理由が分かった。


「やっと帰ってきたか、クルト」

「な――⁉」


 明かりのついた部屋の奥にはフィンが魔術陣を展開して立っていたのだ。


「生きていたのか……?」


 フィンは無表情のままこちらに歩いてくる。


「ああ、ルイーサ君が私を瓦礫からかばってくれてね。警察の目を盗んで逃げだしてきたのさ」

「どうやって入ったんだ」

「寮の管理人に鍵を失くしたと言ったら予備をくれたよ。金は請求されたがね」

「部外者がもらえるはずないだろ……?」


 フィンは攻撃陣を構えている。その気になれば、クルトが防御陣を展開する前に三人を殺せるだろう。逃げられるかもわからない。緊張が高まっていく。


「簡単だよ。こういうことだ。『You shall not bear false witness against your neighbor.』」

フィンが詠唱をするとたちまち彼の顔が歪み、クルトとそっくりの顔つきになった。

「視覚操作系の変装魔法か……」


 一般人に比べれば、フィンは魔法もそこそこ優秀だ。かなりの高等魔法だが、これくらいはできるだろう。


 この寮の管理人がクルトの正体を知っていたのがあだとなった。


「何をしに来た。おれを殺すのか?」

「そうだ。オスカーを殺す理由ができた」

「《四面展開――‼」

「《一面展開。総攻撃》」


 クルトが防御陣を展開するよりも早くフィンの魔術弾が放たれた。回避もできない至近距離。死を覚悟したが、幸い攻撃はクルトの頬をかすめただけで誰にも当たらなかった。


 すぐに追撃が来るはずなので急いで防御陣を展開する。

 ――が、フィンはそこで魔術陣を閉じてこちらに近づいてきた。殺気もなく魂が抜けたように歩く彼に戸惑って三人は立ち尽くす。


「な、なにを――」

「これでオスカー・ハイデガーは死んだ」


 そう言うとフィンは横をすり抜けて出ていく。本当ならここで取り押さえるべきなんだろうが、誰一人として動けなかった。


「じゃあな、クルト、マヤ」


 手を振って一階へと降りて行った。


「い、一体なんなのよ……」


 クルトもよくわからない。何がしたかったのだろうか……。


「あれ?」


 と、そこでクルトはリビングのテーブルに手紙が置いてあるのを発見した。フィンが残していったのだろうか。いつしかの予告と同じ白封筒だ。


「また宣戦布告でもしに来たのかしら。もうこれ以上は勘弁してほしいわ」


 ニナとマヤも覗き込んでくる。不思議に思いつつ、クルトは封を切った。



 × × ×



 フィンは晴れやかな気持ちで夜道を歩いていた。

 もう見られないと思っていた昼の青空を最後の最後に見ることができたのだ。気分も上がる。


「やっぱ、あいつは天才だ」


 こんなことをできるのはクルトくらいだ。フィンはそうであると確信している。

 許されるならば、弟のすごさを町の人に自慢してまわりたいほどだ。

 しかしそれでは弟の人生を台無しにしてしまうので余計なことをせずに歩く。向かう先はつい数日前に襲撃した警察署だ。それなりに警察官を殺したが、もうそこそこ機能は復活しているらしい。


 あの反乱の後、ほとんどの同志は逮捕を免れたが、幹部だけはそうもいかない。今は留置所にいるはずだ。


 だがもちろん彼らを武力で開放するわけではない。これ以上、フィンが罪を重ねる理由はないのだから。


「すみません、ここで一番偉い人はいますか?」


 警察署にたどり着くと受付の人は目を見開いた。なにせフィンはまだクルトの顔に変装したままだったのだ。


「は、はい! 所長を呼んできます!」


 しばらく待っていると、きっちりとした制服に身を包んだ恰幅のいい中年の男性が奥から出てきた。


「君が噂のクルトさんですか?」

「ああ。出来れば奥の部屋で話したい」

「わかりました。私の部屋に案内しましょう」


 そうして男に連れられた部屋には「所長室」と書かれている。今の警察でこれほどの権力を持っているということは、間違いなくこの男は帝国人だ。


 所長室はやはり帝国風の簡素な作りになっていた。小さなソファに座って所長と対面する。


「それで、君がここに来た理由は?」

「自首しに来た」

「は……?」


 所長は意味が分からないといった風に眉をひそめた。


「クルトさんが自首をする理由はないと思いますが? むしろ我々帝国と敵対しないように気を遣えと上からお達しが来ているほどです」


 クルトだけが使える大魔術ノアは唯一帝国に歯向かえる力だ。本気で反抗されれば帝国を潰されかねないからご機嫌をうかがっているのだろう。もちろん、ノアの悲劇を知っているクルトは敵国であろうが自ら放つはずがないのだが。


「ああ、言い忘れていた。私はオスカーではないんだ」


 フィンは魔法を解除して素顔をさらす。


「君は……」

「私はフィン・ハイデガー。オスカー・ハイデガーの兄にして、今回の反乱の首謀者だ」

「なるほど。観念して自首しに来たのですね?」

「少し違う。私は今からでも魔術を起動すれば、この警察署をすべて破壊して脱出できる。そのことは忘れないでくれよ」

「貴様……我々を脅す気か……‼」


 一瞬にして所長の顔が憤怒に染まる。反乱の際、フィンたちがこの警察署を襲って何人も殺したのを根に持っているのだろう。


 だからフィンは笑って答えた。


「それも違う。この交渉はそちらに利益があるはずだ」

「……聞きましょう」


 まだ怒りは収まっていないようだが、ぐっとこらえたように言った。


「私が捕まれば国家反逆罪で死刑になるのだろう?」

「間違いなくそうでしょうね。そうでなくても殺人罪が積み重なりすぎている。死刑は免れないでしょう」

「ならば、その死刑で殺されたのはオスカー・ハイデガーということにしないか?」

「……どういうことです?」

「いま、王国の間ではオスカー・ハイデガーは生きているといううわさが流れているのは知っているか?」

「ええ。そのせいで我々警察もピリピリしています」

「ならばオスカー・ハイデガーは警察によってとらえられ、死んだことにすればいいのだ。そうすれば王国民の溜飲も下がるだろう」


 オスカーの死亡が確認されれば、今回のようにオスカーへの恨みを原動力に反乱が起こることもなくなる。オスカーの機嫌を損ねずに死んだことにするのは、帝国にとってメリットしかないはずだ。


「なるほど、君はもともと罪を犯しているので司法をだます必要もないですからね。ただ報道陣に伝える名前だけを別にすればいい」


 フィンはそれを聞いて苦笑した。三権分立など、とうの昔に破綻しているくせにまだそんなことを言っているのか。


「そういうことだ。私という犯罪者を捕らえられ、王国民の不満は下がる。お前たちにはメリットしかないだろう」

「ふむ……」


 訝しむような視線を向けてくる。交渉において利点しか提示されないのは怪しすぎるのだろう。


「それで、そうすることによるあなたのメリットはなんです? 確かに君はいずれ捕まって死刑になるでしょう。だが、名前を変えなければ王国民の英雄として死ねるはずです。オスカーの名を名乗った場合、我々としても公開処刑をするのが望ましい。その時、国民に石を投げられ、罵声を浴びながら死ぬことになりますよ」

「そのくらい構わない。むしろ私が私のまま捕まる方が問題だ」

「というと?」

「私は死んだと思われている。生きているのに警察に捕まったり、自首をしたなんて知られれば恥ずかしいだろう」


 所長はさらに不可解そうな顔をした。


「……意味が分かりません。それはオスカーとして石を投げられることより大事なのですか?」

「帝国人にはわからんだろうな。私が私のまま捕まるのは生き恥だ。そんなもの美しくない」

「うーむ」


 理解できない所長は真意を探ろうとこちらを見据えてくる。

 所長の予測通り、フィンの言葉は嘘だった。しかし他に言い訳が思いつかない。

 だって、言葉にするのは照れくさいじゃないか……。





 その後、フィンは勾留所に閉じ込められた。所長から長時間の取り調べを受けたが、フィンは真の目的を話さないと固く誓っていたのでそれは無駄に終わった。


 体に仕込んでいた魔術陣はもちろん没収され、魔法で逃げられないよう牢屋の中にいるときは口に詰め物をされた。これがなかなかに辛い。それ以外は食事も悪くないし快適だったのだが。


 そうして一夜が明け、フィンが朝の支度をしていると所長が牢屋にやってきた。


「朝刊です」


 檻の隙間から新聞を渡される。一面を見るとやはり『オスカー・ハイデガー自首。その罪は?』と書かれていた。約束通り、新聞社にはオスカーを捕らえたと言ってくれたのだろう。


 フィンは許可をとって詰め物を外し、口を開く。


「ありがとう。大変だっただろう」

「ええ。新聞のせいでこの建物の周りには野次馬が押し寄せています。彼らの声が聞こえるでしょう?」


 窓から外に耳を傾けると、「出頭すれば許されるとでも思っているのか!」「この裏切り者が!」「この空の説明をしろ!」といった怒号が飛び交っている。オスカーへの怒りが爆発しているのだろう。


 フィンが処刑されるときはあれ以上の罵倒を浴びせられるのだろう。そのことに少し恐怖もする。


「それとあなたに面会を希望する人もいます」

「面会? 悪いが断ってくれ。それとも変装魔法を使って会えと?」


 顔や声は隠せても、ちょっとした仕草や記憶の違いで嘘がバレるかもしれない。面会なんてリスクしかないはずだ。


「いえ、それが……」


 所長は言葉に詰まったが、やがて意を決したように言った。


「クルトことオスカー・ハイデガーさん本人が来ているのです」

「なに……?」


 なぜ来たのだろうか。フィンはオスカーの大切な人を傷つけた。もう顔も見たくないと思っていてもおかしくないのだが……。


「追い返せないのか」

「我々としてはクルトさんの機嫌を損ねたくないので……」

「チッ」


 仕方ない。フィンは所長が監視する中、渋々と面会所へと向かう。

 面会者とは強化ガラスで完全に仕切られているので、無視を続ければ諦めて帰ってくれるだろう。

 そうしてイスに座って待っていると、クルトとニナがやってきた。

 その姿を見て、フィンは少し安心した。

 クルトは大切な女性を見つけたのだ。クルトとニナとマヤ。この三人がいれば、弟は幸せな人生を送れるだろう。


「兄さん……」


 面談室に入ってくるなりクルトは責めるような、打ちひしがれるような顔でつぶやいた。

 一度は殺そうとしたフィンを心配しているのだ。胸の奥が締め付けられるような痛みに襲われる。


(お前は……優しすぎる……)


 クルトに罪はない。新しい人生を歩むべきなのだ。だから、ここは突き放さなければならない。


「誰だ、お前は」


 だからフィンはとぼける。クルトが自分に罪悪感を持たないように。過去にとらわれず、幸せな人生を歩めるように。


「な、何言ってんだ。おれだ、オスカーだ」

「知らん、帰れ」


 さも興味がないように言い放つ。

 本当は弟と再会できた喜びを味わいたかったが、そんなことをしては外に未練ができてしまう。覚悟を揺るがせないためにも一刻も早く会話を打ち切りたかった。


 それでもクルトは引かずに食い下がる。


「なんでこんなことになってるんだよ! 警察署の周りは人でいっぱいだぞ! 全員が兄さんに向けて罵声を浴びせているんだ」

「だろうな。大罪人が逮捕されたのだから」

「兄さん、自分がどうなるのかわかっているのか!」

「わかるさ。時計台のギロチンで拘束され、大衆の怒声を浴びながら首を落とされるのだろうな。大罪人にふさわしい末路だ」

「ならなぜ――」


 フィンは答えない。答えられるはずがなかった。

 だって言えるはずがないだろう。弟をオスカー・ハイデガーという呪縛から解放するために、自分が身代わりになっただなんて……。


 このままオスカーが生きているといううわさが流れ続ければ、いつかクルトの正体もバレ、再び処刑に追い込まれるかもしれない。それを防ぐためにフィンはオスカーとして死ぬ道を選んだのだ。


 そんな理由を本人に知られれば怒られてしまう。


「たしかに兄さんは悪いことをしたかもしれないけど、そんな最期になる必要はどこにもないだろう! 裁かれるべきはおれだ!」


 だがフィンの意図を知ってか知らずかクルトは叫び続ける。気持ちはありがたいが、フィンは弟の最期をそんな悲惨なものにしたくなかったのだ。


 クルトは天才だ。その努力も、自己犠牲も認められるべきなのだ。

 だからフィンは嘘をつく。この天才に、そして家族に幸せな人生を送ってもらうために。


「うるさい」


 クルトの叫びを一言で両断する。


「他人にどうこう言われる筋合いはない。帰れ」

「た、他人って……」


 心が痛かった。

 弟を他人と呼ぶのは胸が苦しかった。

 それでも、ここで引くわけにはいかない。


「兄さんは国のために反乱を起こしただけだろう! 死刑になるにしても、その最後は誇り高きものであるはずだ! このままでは王国民に石を投げられる最後になってしまう!」

「知らん。面談はこれで終わりだ。所長、私は戻る」


 これ以上は心が揺らいでしまうので、一方的に話を打ち切って立ち上がる。


「いいのですか?」


 隣で監視していた所長が訊ねてくるが、黙ってうなずいてクルトに背を向ける。


「兄さん! 話はまだ終わってない!」


 悲痛な叫びを背中に受けつつも、フィンは牢屋へスタスタと歩いて行った。



 × × ×



 そうして面会室にはクルトとニナだけが取り残された。

 二人だけの部屋で何もできず立ち尽くす。


「兄さんが……なんで……」


 クルトは失意のあまりに膝をつく。

 フィンの目的はわかっていた。クルトの身代わりとなって死ぬ気なのだろう。

 だが、なぜあの兄がそんなことをするのか。一度はクルトを殺そうとするほどには憎んでいたはずなのに。それとも、愛憎とはこのような人間の不可解な行動を説明するためにあるのだろうか。まったくわからない。


 そしてそれ以上に理不尽さを感じてしまう。なぜあれほど国を思って悪役を演じていたフィンが悲惨な最期を遂げなければならないのか。絶対におかしい。道理になっていない。罰を受けるべきはクルトのはずだ。


 かといってクルトが本人だと名乗り出ることもできない。マヤの隣で生きていくと誓ったのだ。もう約束を破るわけにはいかない。


 どうしようもない現実を前にして、クルトは一歩も動けずにいた。


「おれは……どうすれば……」


 肩が震える。膝が震える。心が叫んでいる。

 これでもかと無力さを痛感していた。


「クルト……もう、いいよ」


 ふと、隣のニナがつぶやいた。見るとすべてを諦めたような茫然とした顔をしている。


「ニナ……?」

「これが、最善の未来なんだよ」

「そんな……バカなことが……」


 いや、ニナの言い分は正しい。この結果であれば死ぬのはフィン一人で済むのだ。もし彼が犠牲にならなければ、将来的に反乱が起きて何万人も死ぬかもしれない。


 だから、最善の未来。冷徹なほどの合理性を持った未来だ。


「これが、最善……」


 クルトもそれを理解していた。だから動けない。自分が幸せになるにはこの方法しかない。

 でも、そんなの、あんまりじゃないか……。

 永遠の別れに涙は出てこない。ただ、とてつもなく大きな喪失感だけが胸に残った。



 ■



 フィンの手紙にはこう書かれていた。


『私は罪を償う。二度と外の世界には出てこないだろう。だが心配する必要はない。私は犯した罪を正しく裁かれるだけなのだから。


 しかし気がかりなのはマヤのことだ。幼いマヤを育てるのは大変だろう。この三年間、私は何一つマヤのためにしてやれなかった。だから少しでも罪滅ぼしがしたい。私が拠点としていた場所にはそこそこの金が残っている。地図とパスワードを書いておくから、金庫にある金をすべてお前に託そう。私からのささいな誕生日プレゼントだ。それと、展覧会に飾ってあったマヤの絵も見た。美しい作品だったと伝えておいてくれ。


 報告はそれくらいかな。あとは……ああ、そうだ。一つだけ言い忘れていたことがあった。最後だから書いておく。



 クルト、マヤ。私は、お前たちを、愛している』

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