五章②
× × ×
「見つけたぞ、フィン・ハイデガー」
燃え盛る研究室の中央に首謀者は立っていた。クルトが戻ってくるとは思わなかったのだろう。驚いたような視線を向けてきた。
「……なぜ戻ってきた」
「あいにくおれはクローンでね。死んでも予備の体があるんだ」
フィンは知っていたのだろうか。炎を映して揺らめく瞳からは感情が読み取れない。
「違う。なぜ私の邪魔をするんだと訊いている。生き延びたのならばそのままこそこそと隠れていれば良かったものを」
「このまま反乱を続けてもすぐに帝国の兵器で鎮圧される。その前にお前を倒せば反乱は収まり、この町が火の海になるのを避けられるんだ。この町でまたマヤと暮らすために、おれはお前を止める」
「私たちの両親を奪ったのはお前なのに、マヤと暮らすためか……。本当に、冗談が上手くなったな」
皮肉っぽく正論を突き付けてくる。
だが、クルトはだんだんと胸に怒りがわいてきた。
「フィン、おれはね、裏切り者とか親殺しとか言われるのに腹が立つんだ」
「何を言っている。当然の報いだろう」
「おれは帝国の捕虜になってから、いかに帝国の軍事力が王国を上回っているかを見せつけられた。そして、このまま戦争をダラダラ続けても王国民の死者が増える一方だということも。しかしそれを言葉で王国政府に伝える手段はない。だからノアを放つことで戦争を終わらせようとしただけだ」
「方法が極端すぎる。ほかにもっとやり方はあったはずだ」
「かもしれない。が、おれが何もしなかったときよりはマシな未来のはずだ。王国民はプライドが高い。絶対的な力の差を見せつけなければいつまでも勝てない戦争を続けていただろう。……ちょうど、この反乱のように」
「…………」
フィンだって最前線で戦ったことのある戦士だ。帝国の兵器がいかに優れているかは理解しているはず。今回の反乱が無意味に終わることもわかっているのだろう。
「なあ、フィン。なぜお前はこんなことをしたんだ。こんな方法では現状を変えられない。なのに首謀者のお前は確実に死刑になる。それもわかっているだろう。なのになぜ……」
その問いに、フィンは悲しそうな表情を浮かべた。なにか大事な想いを胸の奥にしまい込んでいるような。
「お前の言う通り、たしかにこの反乱は意味をなさないだろう。おれは無駄死にが確定している」
「ならなぜ……」
「それでも、誰かがやらなくてはいけないからだ。ああ、そうだな。それはお前がノアを放ったことに似ている」
フィンの声のトーンが一段低くなる。
今までに感じていた余裕が消え去ったのだ。
「私はね、実はお前の言い分にある程度納得しているんだ。王国にとって、ノアを放たれたのは戦争において最善手だったと考えている。結果的に色々なものを失ったが、占領後の帝国の政策にお前が口を出してくれたおかげで最後の一線を守れた」
「それでもおれを憎むと?」
「ああ。理性と感情は別物だ。理論的に考えてお前が最善手をとったのはわかっている。だがそれならば、私たちの両親が死んでいった悲しみをどこにぶつければいい。大切なものを失った王国民は苦しみの責任をどこに求めればいい。オスカー・ハイデガーという悪者がいなければ、人々の心は壊れてしまう」
それは帝国の狙いでもあった。王国民の恨みが帝国へと向かうのを防ぐため、オスカーという悪者がいるとの情報を流して憎しみをそらさせてきた。だからこそ、王国での反乱がこれまで一度もなかったのだろう。
「だがそうやって責任をオスカーに押し付けてもなお、王国民の不満は爆発寸前だったのはお前も知っているだろう」
クルトの脳裏には「テロリストを応援してしまう」と言っていた若夫婦の顔が浮かんだ。
「だから爆発する前に、私がこうやって怒りを代弁することで、彼らが無意味な反抗を起こさないようにガス抜きをしているのだ」
それでクルトは理解した。フィンは最初から死ぬ気なのだ。彼はその死をもって王国民の不満を帝国へとぶつける気なのだ。
なるほど、その在り方はクルトに似ている。
クルトは戦争を終わらせるために王国にとどめを刺した。しかしそれは遅かれ早かれ誰かがやらなくてはいけないことだ。
同じように、いつか王国民の不満や怒りは爆発すると分かり切っていた。だからフィンはそれを発散するために立ち上がったのだ。その死に意味がないものだと知りながら……。
「兄さんはまさしく悪『役』か……」
ここにきてクルトは目の前にいるのが実の兄なのだと実感した。隣で戦っていたころに比べて随分雰囲気が変わったので戸惑っていたが、国を想う優しさと自己犠牲はまさに兄のそれだった。
「……勘違いしているようだが、私の目標はお前を殺すことだ。帝国への不満を叫んだのは王国民の怒りを代弁するためだが、お前を殺したいと思うのは個人的な恨みだ。私はお前が大嫌いなんでな」
しかしフィンの声はどこか迷いがあるように感じられた。いよいよ炎が研究室にも入り込んできて見えにくいが、うつむいた顔に先ほどまでの厳しさはない。
「そう言うわりに体育祭のときはおれを殺さなかったよな」
「迷っていたのだ。人を裁くのは司法であり、人ではない。しかし今の司法では正しく裁かれないだろう。ならば私がお前に私刑を下すのは正しいのか。当時はわからなかった」
フィンの言い分は正しい。人は人を裁いてはならない。だが、どこか実感がこもっていないように感じる。教科書通りの文句を並べて言い訳をしているようだ。
「でも今の王国の在り方やお前の生き方を見て気づいた。正義だけでは世界は回らないと。誰かが手を汚さなくては、最善の未来は勝ち取れないと」
フィンは顔をあげてクルトを見据えた。その瞳に覚悟の炎を宿らせて。
「――だから、私はお前を殺す」
そう宣言した。
クルトもその覚悟に応えねばなるまい。
「兄さんの言いたいことはわかるけど、おれがこんなに手を汚してまで最善の未来を勝ち取ったというのに、なぜここまで責められなければならないのか。理不尽だ。腹が立つ」
クルトも顔をあげてフィンを見据えた。もう迷いはない。
「――だから、おれは兄さんを殺す」
そう宣言した。
二人はにらみ合う。互いの王国を思う気持ちは変わらないはずなのに、立場の違いから憎しみ合う。
「《四面展開。総攻撃》――‼」
先手必勝とばかりにクルトが総攻撃を仕掛けて戦いは始まった。
「《四面展開。半攻撃》」
対してフィンは冷静に防御陣と攻撃陣を二面ずつ展開する。バランスがよく、戦場では基本戦術だが――
「甘い」
クルトは飛んできた魔術弾をすべて撃ち落とし、あっさりとフィンの防御陣を破壊する。当然だ。だってクルトが放った魔術弾は、文字通り必殺の『ブラックホール弾』なのだから。
世界でクルトしか扱えないこれは、膨大な魔力消費の代わりに相手の魔力そのものを消滅させられる。どんな攻撃であろうと防御であろうと等しく無に還す究極魔術だ。
「対策しているに決まっているだろう」
しかし直後、フィンが防御陣を張りなおすとクルトの攻撃は瞬く間に防がれてしまった。
普通の魔術陣であればクルトの攻撃は防げない。つまりあれは、ブラックホール魔術に対するピンポイントの対策。『アンチ魔術陣』をもとに作られた防御陣だ。
フィンはクルトと父の研究を横で眺めていただけだ。この三年間、クルトを殺すために死ぬ気で勉強したのだろう。
「ちくしょう!」
カウンターの魔術弾が飛んでくるも、防御陣を展開していないので防ぐ手段がない。
右に飛ぶことで何とか回避したが、大きく体勢を崩してしまった。
「《四面展開。総攻撃》」
その隙を逃さずフィンは総攻撃を仕掛けてくる。炎も回ってきてただでさえ狭い研究室だ。避ける術はない。
「《四面展開。総防御》!」
ギリギリ防御陣の展開が間に合って直撃は免れたが、フィンの全力攻撃をすべて受けたのだ。その余波はすさまじく、研究室のあらゆるものが爆風で破壊される。クルトも余波に押され、炎の中に飲み込まれないよう踏ん張るので精いっぱいだ。
優位に立ったフィンは攻撃の手を止めず、魔術弾の雨が降り注がれる。二人の魔力量はそうかわらない。このままでは防御陣が壊れてしまう。
死ぬ――。
そう確信した。自分はフィンに敵わない。
すると不意にマヤとの約束が脳裏に浮かんだ。
(また約束を破るのか――?)
今度こそ帰らぬ人になってしまう。マヤの望んだ幸せを、また奪ってしまうのか。
そんなこと絶対にあってはならない。これ以上、マヤを悲しませるなどありえない!
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお‼」
炎に飲み込まれる直前、クルトは雄たけびを上げて踏みとどまった。
なにがあっても死んではならない! あの部屋に帰るまでは死んでも死にきれない!
徐々に体勢を立て直し、反撃のための攻撃陣を展開しようと前を向く。
――その時だった。
「なっ!」
攻撃陣を展開したままフィンは一瞬にして距離を詰め、振り上げられた拳は眼前にまで迫っていたのだ。
あえて自分から優位を捨て距離を詰めるというあまりに常識外れの一手。予想だにしていなかったクルトは避けられず頬に拳が突き刺さった。
なすすべなく倒れこむ。そのまま流れるようにフィンが馬乗りになり、絶対的優位をとられてしまう。
「この――」
脱出しようと暴れるも、追撃のパンチを左右の頬に一発ずつ食らい、意識が飛びかける。
「お前の負けだ、クルト」
そう言うとフィンは拳を高く振り上げる。彼の力であればクルトの頭部を骨ごと砕くのもたやすいだろう。
「兄さん……」
フィンの眉がピクリと動く。そこから連鎖するように顔がぐにゃりと歪んだ。
もうこの状況から反撃する手立てはない。クルトは諦めたように脱力して目をつむる。
(兄さんに殺されるなら悔いはない、か)
刹那、走馬灯のように脳裏に浮かんだのはマヤとの約束ではなく、幼き頃の兄との日々だった。あの平和な日々への未練が断ち切れていない自分に苦笑しつつ死の時を受け入れる。
だが待てども待てども拳は振り下ろされない。不思議に思って目を開けると、フィンは震える拳を下ろしてがっくりとうなだれていた。
「何をしているんだ。早く殺してくれ」
早くしないとフィンも炎に飲み込まれて死ぬ。それに、死の恐怖を早く断ち切りたかった。
「………………かよ」
「何言ってんだ? 早くしてくれ」
「…………せるかよ」
「兄さん……?」
フィンが何かを呟いているのが聞こえ、思わず目を見つめる。
「バカ野郎……兄が、弟を殺せるわけがないだろうが!」
そう叫んだフィンの目には雫が貯まっていた。
クルトは彼が何を言っているのか理解できなかった。
フィンはクルトを殺したくてこの反乱を起こしたのだ。先ほども、彼はクルトを殺すと宣言していた。それに、実際クルトを一度はギロチンで殺したではないか。
(いや、待てよ――)
そこでクルトは思い出した。
なぜ体育祭で犯人はクルトを殺さなかったのか。なぜ生き返るとわかっていてクルトを処刑したのか。
答えは単純。フィンは最初からクルトを殺す気はなかったのではないか?
「何言ってんだよ。おれが憎いんだろ? おれは死んだ方が国のためになるんだろ? じゃあ殺せよ。焦らされるのは好きじゃない」
「そんなことはわかっている!」
フィンは叫んだ。そのくしゃくしゃになった顔を見て、初めて彼の本心に触れられたような気がした。
「でもわからないんだ。私はお前が大嫌いだ。両親を殺したお前が憎くて仕方がない。それでも……それでも私には殺せないんだ……」
「さっきは殺すって宣言したくせに」
「お前は私の邪魔をするのだろう? ならば私の立場上、殺すしかない。そうしなければ、王国は間違った方向に進んでしまうのだから……。国のためにお前を殺すべきだと思っていた……」
でも、とフィンは涙を流しながら続ける。零れ落ちた涙は周囲の炎で瞬く間に蒸発してしまった。
「最初から私はお前を殺す気などなかったのだ……。ただ、この研究室を破壊できればそれでよかった……」
「な、なぜ? なんでこの研究室に執着する……?」
「この研究室は……お前を、軍事研究に縛っているから……。私は、お前を開放したかったのだ……」
そこでやっと理解できた。なぜ最初の爆弾をこの部屋に設置したのか。体育祭の時、なぜ犯人はクルトを殺さなかったのか。
フィンの心には、クルトへの愛と憎しみが同じくらいぎっしりと詰まっていたのだ。
「なぜお前はここに戻ってきてしまったんだ……。戻ってこなければ、私が悩む必要などなかったというのに……」
先ほどクルトが反撃に出ようとした際、優位を捨てて距離を詰めたのはクルトの裏をかいたのではなく、あのままではクルトを殺してしまうと悟ったからではないだろうか。
「殺したいほど憎い。しかし弟を殺せるはずがない。ならば、私はいったいどうすればよかったのだ……‼ 私は……私は……兄なのだ‼」
フィンは完全に力が抜けて座り込む。おかげでクルトは馬乗りから脱出して立ち上がった。
「兄さん……」
その時、隣でガラガラと壁が崩れる音が聞こえた。本格的に火が部屋を覆いつくし始めている。
兄の想いに触れて、クルトもフィンを殺そうとは思えなくなってしまった。確かにこの反乱はフィンを殺さねば止まらないかもしれないが、だからと言って実の兄を殺すことができるのか。改めてその事実を突きつけられていた。
「おれが……兄さんを殺す……」
国のために両親すら殺すことを決断したクルトだ。しかしそれでも、どうすればいいのかわからなくなってしまった。
そうこう迷っている間にも部屋は火で埋め尽くされていく。
結局、クルトは無防備なフィンに攻撃できなかった。
「と、とにかく脱出しないと……」
そう言ってクルトは魔術陣を展開して脱出の準備をする。普通なら絶望的な状況だが、ブラックホール魔術を使えば魔術によって放たれた炎を消し去れるので問題ないはずだ。
だがクルトが準備を進めるかたわらでフィンは座り込んでしまった。
「兄さん……?」
不可思議な行動に声をかけると、表情を変えないままフィンは言った。
「私はここに残る」
「なっ⁉」
何を言っているんだ。ここにいては死を待つだけだ。
「私は一人では脱出できない。でもお前と一緒に脱出してはおかしいだろう。なぜ憎き相手を目の前にして私は何もしていないのだ」
クルトの顔はすでに知れ渡っている。生き返ったと分かれば隣のフィンを含めてただでは済まないだろう。
「それに、どうせ脱出しても私は死ぬ。ここまでの反乱で何人も殺しているのだ。死刑は免れまい」
「それでも――‼」
「オス……いや、クルト」
兄は優しく名前を呼んだ。その顔は穏やかで、昔のフィンに戻ったようだ。
「マヤを頼んだぞ」
直後、天井がミシミシと悲鳴を上げる。もうまもなくこの建物は倒壊するのだ。
決断をしなければならない。あの時と同じように、何かを手に入れるため、何かを捨てる決断を――
「わかった」
クルトは小さくうなずいて背を向けた。フィンの言い分がどうしようもなく正しいことを理解してしまったから。
「わかったよ……兄さん……」
クルトは火を消し去りつつ脱出する。
外に出た直後、炎で基盤が崩れた建物は派手に崩れ去った。
× × ×
クルトが去っていった後、フィンは一人研究室に取り残された。
天井も壁もミシミシと今にも崩れそうな音を立て、炎はすでに目の前まで迫っている。間違いなく、もうすぐ死ぬ。
しかし不思議なほど心は落ち着いていた。恐怖はなく、来るべき時が来たような気分である。
多分、やるべきことをすべてやりきったからだろう。弟をとらえていた研究所を破壊し、王国民の怒りを政府にぶつけることもできた。これであと五年は王国で反乱は起きないだろう。彼らが無駄に命を落とすことはなくなった。フィンが死ねば自然とこの反乱も収まるはずだ。
贅沢を望んでいいのなら、この国を帝国の支配から逃れさせてあげたかった。また戦争前のような王国の日々に戻りたいと願わなかった日はない。誰の支配も受けずに自由に過ごしたかった。
でもそれは不可能だ。王国は戦争に負けたのだから、今後しばらくは負債を払わなければならない。そんな大それた夢を見るのはあまりに惨めである。
だからせめて、家族の幸せを願った。オスカーを一度大衆の前で殺し、改めてクルトという名で人生をやり直して欲しかった。
たとえどれだけ憎しんでいても、弟だから……。
「フィンさん」
と、そこで研究室の入り口から声が聞こえた。まだ人がいるのかと思い視線を向ける。
「ルイーサ君か……君も負けたのか?」
見ると彼女は血まみれで足を引きずっている。歩けるのが奇跡と思えるほどのケガだ。
「はい……小娘にしてやられました。火事から逃げたのでとどめは刺されませんでしたが、年下にここまで完敗すると怒りすらわきませんね」
「ははは、そうか。悪いな、私の魔術では君を逃がせない」
「構いませんよ。どうせ私は死にます。だから……最後の仕事をしに来たんです」
「最後の仕事?」
ルイーサはゆっくりと歩いてくる。
だが、そこで天井は崩れ、二人は炎の瓦礫に飲み込まれた。
× × ×




