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紅の空の下で  作者: 高橋もみぢ
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四章① 紅色の罪

 四章 紅色の罪



 ルイーサがいなくなり、研究室の空気は重くなった。

 学生は研究室に入れないので、広い研究室を三人だけで使っている。陽気でいつも騒がしかった彼女がいなくなると、一気に寂れた空気が流れていた。


 幸い、ニナはマヤと仲良くなったおかげか笑顔が増えてきた。ルイーサの裏切りと突き付けられた現実はニナを苦しめたが、心の支えもあってか立ち直ってくれている。


(強いんだな、本当に)


 実のところ、クルトはニナが来る前から人伝えでイマジナリーフレンドついて知っていた。前の研究室ではそのせいで腫物扱いだったらしく、新しい研究室でのニナの立場を案じた教授が事前に連絡をくれたのである。だから初対面のセクハラでクルトに対する遠慮をなくさせ、研究室に打ち解けてもらおうと計画していたのだ。


 それほど重症だったニナなのに、今はある程度立ち直って笑っている。今までは逃げてきたかもしれないが、根っこのところでは強さを持っているのだろう。その輝きがクルトにはまぶしく見えた。


(おれもそろそろ真実と向き合う時なのかもな)


 その強さをクルトも見習わなければならない。幸い、魔術と魔法の融合実験はかなり進んでいる。もちろんまだ始まって二か月もたっておらず、基礎の基礎すらほとんど確立していない状態だ。だが、それでもクルトの本来の目的を果たすには十分なほどの成果だった。なにしろこの実験で新たな技術を作り出そうとはしていない。ただ少し、既存の魔術にアレンジを加えられれば十分なのだから。





「クルト、今日は早く帰っていいかしら」


 夕刻、研究を進めていると唐突にニナが言ってきた。


「ん? 別に問題はないが……何か用事でもあるのかの? まだマヤも帰ってこない時間じゃが」

「ちょっと色々あるのよ。んじゃ、お疲れ様でしたー」


 ニナはそそくさと研究室から去っていった。去り際に見せた含み笑いが気になる。


「喧嘩でもしたのですか?」


 近くで見ていたルークが心配そうな声で言った。ルークはクルトの昔からの知り合いであり、ニナを受け入れるときも相談に乗ってもらったので気になるのだろう。


「心当たりはないんじゃが……何か怒らせるようなことでもしたのかの?」

「女性の心は難しいですからね。知らず知らずのうちに激怒しているかもしれません」

「う……油断はできないんじゃな」

「帰ったら荷物もマヤさんもいなくなって置き手紙が一つなんてことも……」

「いやぁ! 考えるだけで恐ろしいんじゃ!」


 ニナに限ってそんなことはないだろうが、女性経験が皆無のクルトは嫌な想像ばかりをしてしまう。


「そ、そんなことより実験の続きをやるぞ。もう少しで完成なんじゃ」

「そうですね」


 ルークは優しい笑みを浮かべる。唯一、クルトの目的も実験の意味も理解している旧友だ。三年以上も保護者のようにずっとそばで支え続けてくれた。


 だからなんとしも、この魔術を完成させなければならない。

 それから二時間ほど実験を続け、遅くなりすぎない程度にまで実験を続けてからクルトは帰宅した。

 日が落ちたのに帰り道は蒸し暑い。そろそろ夏が到来しようとしている。

 それにしても、結局ニナの態度は何だったのだろうか。心配になりつつも、杞憂だろうと思い込む。

 しかし、家に帰ってもニナはどこかよそよそしかった。


「ニナ、お前さんはワシに隠していることはないかの?」


 夕食の時も会話が弾まなかったので、我慢できずに直接訊いてしまった。


「え? 隠していること? あ、あるわけないじゃない! ねー、あるわけないわよねーマヤちゃん」

「うん! なんにもかくしてないよ!」

「うーむ」


 マヤにまでそう言われるとは。二人が仲良くなるのはうれしいが、どこか疎外感を覚えてしまう。


「それより今日はマヤちゃんから重大発表があるのよね」

「重大発表?」


 ふと、ルークの言葉が頭をよぎる。まさか実家に帰らせていただきますなんて……いや二人に帰る実家なんてないけれど。


 心配になりつつマヤを見ると、胸をそらして言った。


「あのね、てんらんかいでいちばんになったの!」

「なに!」


 公園で描いていた絵のことだろう。いい出来だと思ったが、一番をとってくるとは。


「さすがマヤじゃ! マヤの絵は最高だったからのう」


 褒めるとマヤはえへへーと満面の笑みを浮かべた。


「びじゅつかんにもおいてもらえるって。またみにいこー」

「もちろんじゃ。今度の休日に一緒にいこうな」

「うん!」


 マヤが笑うとクルトも嬉しくなる。そんな二人を見てニナも微笑んでいる。

 不安が残りつつも、それだけで心が満たされるようだった。





 その後、二人が寝静まるとクルトはキッチンをあさっていた。別に腹が減ったわけではなく、帰ってきてから二人の視線が妙にここに集中していたからだ。何かを隠しているのではないかと思ったが――


「あった……」


 棚の中から本当に怪しい箱が出ていた。白色のシンプルな紙箱なので中身は全くわからない。罪悪感を感じつつもふたを開ける。


「……ケーキ?」


 白いホールケーキが入っていた。その意図が分からず首をかしげていると、横に挟まれている手紙を見つけた。


『クルトへ。おたんじょうびおめでとう!』


 初等部の学生らしい拙い字だったが、クルトの心には温かいものが広がっていく。そういえば明日はクルトの誕生日ということになっていた。


「なんだよ……」


 心配した自分がバカみたいだ。丁寧に箱を閉じて元通りに戻す。見なかったことにしよう。


「おれは幸せだな」


 心の底からそう思う。それなのに、隠し事をしている自分が後ろめたくて仕方がない。

 ちゃんとすべてを話そう。クルトはそう覚悟を決めた。

 受け入れられるとは思っていない。知らない方が幸せなのかもしれない。今の幸せを壊すだけなのも理解している。


 でも、償うためにもいつかは言わなきゃいけないことだから。





 翌日、日が落ちる頃まで研究をしていると、突然ルークが研究室を出てどこかに行った。


「あれ? ルークはどこに行ったのじゃ?」

「さーどこだろーねー」


 ニナの口ぶりは明らかに何かを知っている。まさかルークも一枚かんでいるのか?

 昨日のケーキのことだろうかと悶々と悩んでいると、代わりに帰ってきたのは紙箱を持ったマヤだった。


「マヤ? どうしてここにいるんじゃ?」


 クルトが近寄ると「むふー」と息を鳴らして。


「クルト、たんじょーびおめでとー‼」


 と、ケーキを渡してきた。

 昨日の夜に見てしまったので予想はついていたが、実際にこうして渡されると胸にこみあげてくるものがある。


「もしかしてマヤが用意してくれたのかの?」

「うん! きょうはクルトをおめでとーするひなんだよね?」

「ああ。ありがとう、マヤ! 大好きじゃぞ!」


 だから自然とそんな言葉が出ていた。すぐに我に返ってマヤの方を見ると、変わらずそこには笑顔が咲いていた。


「えへへー、マヤもね、クルトすきだよ?」


 身もだえそうになるほど恥ずかしく、そして嬉しかった。思わず涙がこぼれてしまうと錯覚するほどに。このままでは赤くなった顔をニナにからかわれそうなので話題をそらすことにした。


「そ、それにしてもよくワシの誕生日を知っていたの?」


 クルトの誕生日は祝うべきものではない。去年もその前も何もしなかったのだが。


「ニナがおしえてくれたの。きょうはクルトのうまれたひなんだよーって」

「ニナが?」


 ニナを見ると、気まずそうに目を泳がせていた。


「あ、あははー、あんたの誕生日ってここに書いてあったじゃない。でも多分、あんたはその日が好きじゃないんだろうなって思って。だから今年くらいはいい思い出を作ってあげたいなって思ったのよ」

「ニナ……」


 その優しさに胸がじんと暖まる。


「ニナもありがとう。大好きじゃぞ」

「なっ……‼」


 みるみるうちに顔を赤らめてゆでダコのようになってしまった。


「な、なななななななに言ってんのよバカ! 別にあたしはあんたのことを……‼」

「ははは、わかっておる。でもお礼は言っておきたくての」

「もっと他に言い方があるでしょ!」


 ニナは一通りツッコむと大きくため息をつき、「まあ、あんたはそういうやつよね」と一人で納得した。


「機嫌を悪くしたなら謝るが……」

「もういいわよ。ほら、さっさとろうそくを立てましょ。せっかくルークさんに頼んで研究室を一日貸し切りにしてもらったんだから。今日は騒ぐわよー‼」

「クルト、はやくけーきたべよ?」

「うむ、そうじゃの」


 一応、今日はクルトの十八歳の誕生日であるが、ろうそくは何本立てるべきだろうか。わからなかったのでとりあえず三本だけにした。


 明かりを消して、炎魔術でろうそくに火をつけて。三人はテーブルを囲んで歌を歌う。

 ハッピバースデートゥーユー。ハッピバースデートゥーユー。

 クルトはこれ以上ない幸せに包まれていた。


 孤独で歩むとばかり思っていた人生だったのに、隣では大切なマヤが笑っていて、親愛なるニナが祝福してくれている。


 この関係を家族の代わりとするのは少し薄っぺらいかもしれないけれど、それでも、ここがクルトの帰るべき場所なのだと。クルトが望んだ風景なのだと。そう、確信した。


 この幸せがずっと続けばいいのに。

 心の底からそう思うと同時に、それを自らの手で壊す覚悟も固まっていった。

 もう十分だ。もうこれで悔いはない。


 ――償いの道を独り歩く覚悟はできた。


 ハッピバースデートゥーユー。

 歌い終わるとクルトはろうそくを吹き消した。直後にニナが照明をつける。


「じゃあ、食べましょっか」


 ニナが包丁を持ってきてケーキを切り分けた。手つきは危なかったが、なんとか三等分して食べ始める。


「おいしー」


 二人とも幸せそうに平らげている。クルトも名残惜しみつつ、一口一口を噛みしめるように咀嚼した。

 そして食べ終わってからクルトは切り出した。


「マヤ、ニナ。お前たちに言わなきゃいけないことがある」


 もう口調を取り繕う必要はない。真剣な顔つきで二人を見据える。


「なーにー?」


 ニナ不思議そうに首をかしげる。事の重大さをわかっていないのだろう。平和な明日を信じて疑わない無邪気さに心が痛んだが、それでも目をそらさずにゆっくりと告げる。


「大事な話だ。聞いてくれるか」


 ニナは雰囲気を察したのか表情を固くした。

 クルトはできるだけ安心させてやるために微笑んでから口を開く。


「おれの正体についてだ。おれは胸にこんなバッジをつけているが、実は――」


 ――その時だった。


 突如明かりが消えて研究室が暗闇に包まれる。


「な、なんだ?」


 照明は魔術具だ。研究室に供給されていた魔力が途絶えたのだろうか。


 ジリリリリリリリリリリリリ!


 そんな心配をしていると、前触れなく警報が鳴った。何かあったのだろうか。


「二人とも避難の準備をしておけ。おれは少し様子を見てくる」

「わ、わかったわ」


 三年間この研究室にいるがこんなことは初めてだ。不安になりつつクルトは部屋の出口へ向かう。


 ――しかし、それよりも先にドアが開き、男たちがなだれ込んできた。


「手をあげろ。降伏の意志を示さなければ即座に殺す」


 三人の男は全員魔術陣を展開して照準をこちらへ向けてくる。


「えっ……」


 マヤとニナはいきなりのことに言葉が出ない。完全に固まってしまった。


「手をあげろと言っている。そこの男もだ。少しでもおかしなことをしたら撃ち殺す」


 テロリストだ。テロリストが何の前触れもなく学校に乗り込んできたのだ。

 あまりに予想外な事態にクルトでさえ困惑する。初動で後れを取ってしまったので、今から防御陣を展開しても遅いだろう。


「わかった。変なことはしない」


 おとなしくテロリストの言う通りに手をあげて三人は部屋の隅に移る。幸い、マヤは何が起こっているのか理解できないらしく、ぽかんと口を開けて泣き出す様子はない。


「な、なんでテロリストがいるのよ……? しかもこんな日に限って……」


 ニナがぽつりとつぶやく。それはクルトも同じ感想だった。あれだけ犯行の美しさにこだわっていたテロリストが予告もなしに乗り込んでくるのは予想外だったのだ。まさかまた別人なのだろうか。


 三人が部屋の隅で座り込んで震えていると、一人の仮面をかぶった男が魔術陣を閉じずにコツコツと近づいてきた。


「ごきげんよう、帝国の犬ども……と、言いたいところだが、マヤも一緒にいるとはな。これは予想外だった」

「え、なんでマヤちゃんの名前を……」


 それでクルトは確信した。なにしろその男は前回と違って変声魔術を使っていなかったのだ。ならばその声を聞き間違えるはずがない。


 同時に恐怖した。この男は、クルトに復讐をしに舞い戻ってきたのかと。


「だが都合がいい。今日は最高の夜になりそうだ」


 男の声からは揺らめく狂気が伝わってきた。当然かもしれない。この男を狂気に走らせたのは、自分なのだから。


「あ、あんたたちは、なんなのよ。あたしたちに何の恨みがあってこんなことをしてるのよ……」

「ふむ、君の名前は?」

「ニナよ。あんたは?」

「ニナか。気の強い女は嫌いではない。だが私の名前は後でのお楽しみだ。それよりもっと重要な話があるのでな」

「はあ?」


 ニナは首を傾げた。


「先に言っておくが、助けは来ない。この学園の制圧はすでに終えている。我々は同時に警察署と刑務所も襲撃し、こちらもすでに占拠を終えているだろう。いま、この街は我々の手の中にあるのだ」


 そんな大事件が起こっているのにまったく気づかなかった。さすがの手際だ。この男は本当に革命を起こす気なのだろう。


「あんた、そんなことして無事で済むと思ってるの? 帝国の司法にかかればもれなく全員死刑よ」

「だろうな。だが我々はそんな体制を壊すために立ち上がったのだ。それに、我々の目的を聞けばきっと君も仲間になってくれると信じている」


 ニナはその言葉でルイーサのことを思いだしたのか、苦々しい顔になった。


「あたしは、あんたらとは違うやり方でこの国を変えてみせる」


 男は苦笑した。


「その情熱は素晴らしい。君こそ我々の仲間になるにふさわしい人物だ」

「だから、仲間にならないっての。そもそも何が目的なのかもわからないってのに」

「フフ、そうだな。それは失礼した。まずは私の素性を明かすところからだな」


 男は不気味に笑うと、ゆっくりと仮面を外した。


「――ッ」


 予想通りの顔がそこにはあった。クルトは思わず息を漏らす。


「初めまして、ニナ。私の名前はフィン。以後、お見知りおきを」

「……あんた、体育祭のときにいた」

「一度だけすれ違ったかな。一瞬のことだったのに覚えているとは」

「あの爆弾もあんたの仕業だったのね」

「いかにも。ついでに言うなら、ルイーサ君に色々仕込んだのも私だ。最終的に強引な手段になったが、彼女は無事に目的を達成してくれた」

「あんた――‼」


 ニナの目が怒りに燃える。殴り掛かりそうな勢いで立ち上がったので、慌てて制止した。いま反抗すれば命の危機だ。


「元気なことだ。若い証拠だな。お前もそう思うだろう? クルト」


 男はクルトに目を向ける。しかし何も返せなかった。


「クルト……?」不思議そうにニナが視線を向けてくる。

「ははは、陰気なお前らしいな。女の前ではカッコつけたいか?」

「……」

「フフ、まあいい」


 男の眼光は再びニナを貫く。


「私の名前をまだ言っていなかったな」

「……? さっき言ってたじゃない。フィンでしょ」

「それは名前だけだ。まだ苗字を言っていない」


 男はふっと自嘲的な笑みを浮かべた。


「私は『フィン・ハイデガー』だ」

「は……?」


 ハイデガー。あの忌まわしきオスカー・ハイデガーと同じ苗字。元々王国では珍しい苗字だ。


「もうこれで君は察したかな。私はあの『オスカー・ハイデガー』の兄だよ。そう、あの史上最悪の裏切り者の、ね」


 ニナは震えて言葉も出ないようだ。


「そんな私の望みはオスカー・ハイデガーの始末とこの国の革命さ。私の故郷と、私の友人と、私の親と、私の将来を壊した彼、そして帝国への復讐だ」

「あ、あんた……」

「だからニナも私の仲間になってくれると思うんだ。なあ、お前もそう思うだろう? クルト。いや――我が弟、『オスカー・ハイデガー』。そして我が妹、『マヤ・ハイデガー』」


 瞬間、空気が凍り付いた。


「な、なにを……言って……」

「…………」

「おにーちゃん……?」

「戦争のあと、名前を変え、口調を変え、性格を変え、顔を変えて。別人のふりをしてマヤに近づき、今の今まで真実を語らずのほほんと過ごしていた大犯罪者。それがお前だ」

「…………」

「クルト……? 嘘よね……?」

「クルトもおにーちゃんなの……?」


 フィンの向けてくる視線から目をそらしてうつむくことしかできない。


「先の事件ですでにオスカー・ハイデガーが生きているという都市伝説は広まっている。その場でお前が本人だと言えば何が起きるかくらいわかるよな。悪人には報いを。犯罪者には裁きを。罪人には罰を。私は王国人の代表として、オスカー・ハイデガーを公開処刑し、反乱を起こして今の腐った体制を変えるためにここに来た」

「…………」


 クルトは黙ってうなずく。それ以外なにもできない


「ねえ、あんたも何か言いなさいよ。それじゃまるで、ほんとにあんたがオスカーみたいじゃないの」


 縋るように言ってくる。しかし、真実から目をそらすわけにはいかなかった。


「間違っていない。おれはオスカー・ハイデガーだ。いや正確に言えば、オスカー・ハイデガーの記憶と人格をコピーしたクローンだ」

「ああ、そうだな。お前はオスカーの形をしたまがい物。人未満の存在だ」


 どうやらフィンもクローンについては知っていたらしい。マヤは何のことかわからないだろうが、ニナも初対面の時から知っている。というより、遠回しにクルトが伝えたのだ。


 なにしろ、初対面の時にニナが見たバッジはクローンの登録番号が書かれたものだ。今日の誕生日会だって、そこに書いてある製造年月日をもとに開催したのだから。


 しかしクローンというのはデリケートな話題だ。最先端技術の結晶なのでまだ倫理観も定着しておらず、話題に出せばすぐに価値観の否定と受け取られてしまう可能性がある。だから誰もクルトがクローンであることを知りながら、それを指摘できなかったのだ。


「そうだ。おれは死ぬ間際に帝国に脳のコピーをとられ、このクローンの器に入れられた」


 しかし、そのせいで脳が通常のクローンとは違い、記憶を保存する魔術具によって作られている。それは水に弱いので万が一に備えて風呂に入れず、また生理機能の一部を再現できないので野菜を消化できなかったり涙を流せなかったりと様々な弊害がある。精神操作系の魔法が効かないのもそのせいだ。


「無様な姿だ。帝国の力を借りてまで生き延びたかったというのか」


 そんなクルトを真っ向から侮辱した。王国ではハラスメントとなりありえないこと。しかしそのラインを軽く飛び越えるほど、オスカーは許しがたいものなのだ。


「うそ……よ……」


 隣のニナがぽつりとつぶやく。


「嘘よ! そんなわけないもの! クルトが、クルトが嘘をつくはずないじゃない! そんな、だって……」

「はっはっは、愉快な反応だな、ニナ。そいつは君をずっと騙していたんだ。これほどのことをしておきながら、ずっとのほほんと幸せを享受していたんだ」

「嘘よ……そんなわけないじゃない……。だって……だって……」


 ニナの顔を見られない。ただ彼女の悲痛な声にさらされる。


「だって……クルトまであたしを騙していたら……もう、何を信じればいいのかわからないじゃない……」


 しぼりだすような声だった。

 クルトはニナの心を裏切り、安心できる居場所を奪ったのだ。


「もうあたしから何も奪わないでよ……」


 フィンは嗜虐的に笑った。


「それがこの男の罪だ。さあ、処刑台に行こうか」


 クルトは男二人に無理やり立ち上がらされた。

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