三章④
× × ×
警察はルイーサを止められなかったが、クルトたちが追い付くまで足止めはしてくれたらしい。おかげで見失うことなく塔の下まで降りられた。
ルイーサはわき目も降らず一目散に逃げていく。
「待て! ルイーサ!」
もちろん待つはずがなく夜の街を駆けていく。身体能力がほぼ同じせいで距離はなかなか縮まらない。
魔術弾で牽制しても、防がれたら反動で距離を開けてしまうだけだ。おとなしく普通に追いかけるしかない。ハンナを抱えている分、ルイーサの体力の減りは早いはずだ。
だがそれを危惧したのか、ルイーサは何かを思いついたように進路を変える。そうして追いかけて行くと――
「美術館……?」
ルイーサは学園の中の美術館に逃げていく。そこは今度マヤの展覧会がある場所でもあった。
「あいつ……どこまでも卑怯な……」
時計塔といい、美術館といい、王国民が全力で戦いにくい場所を意図的に選んでいる。彼女もまた王国民だからこそ、クルトたちの気持ちが分かるのだ。
しかしそれは王国民としてのプライドを捨てていることになる。
なにが彼女を突き動かしているのだろうか。クルトは強く唇をかみしめる。
「《三面展開。総攻撃》」
その時、ルイーサが背面に魔術陣を展開して攻撃してきた。
「《四面展開。総防御》ッ!」
急いでクルトが防御陣を展開して防ぐ。だがその衝撃で後ずさってしまった。
その隙をついてルイーサは美術館の中に駆けこんでいく。恐らく攻撃陣を展開して待ち構えていることだろう。うかつに入ることも、牽制攻撃を仕掛けることもできなくなってしまった。
しかしそんなことより、クルトはルイーサから攻撃されたのが衝撃だった。今日のために演技を続けていたと言っていたが、それでも二年以上同じ研究室で時間を共にした仲である。まさか防がなければ死ぬ攻撃を本当に食らうとは思っていなかった。
「本当に変わってしまったんだな」
今まで研究を共にしたことも、体育祭を乗り越えたことも、すべて彼女は演技だったと言ったのだ。思い出はすべて虚構だったのだ。もう昔のような明るくふざけたルイーサの姿は見られない。それを改めて実感したクルトは胸の奥が酷く痛んだ。
(まあ、おれも人のことは言えないんだけどな)
クルトもまた偽りの仮面をかぶって生活している。その罰が下ったのだろう。
一体、クルトはいつまで苦しめばいいのだろうか。
「クルト、状況は」
二人が美術館の前で立ち尽くしていると、学園長たちも追い付いてきた。懲りずにまた美術館を包囲しようとリーダー格の男が指示を飛ばしていた。
「ルイーサは中に引きこもっています。恐らく攻撃陣を展開済み。近づけば撃たれるでしょう」
「警察では難しいと」
「はい。彼女にどの程度魔力が残っているかはわかりませんが、突入部隊が総攻撃を食らえばひとたまりもないかと」
学園長は美術館をにらみつけて考え込む。やがて覚悟を決めたように口を開いた。
「ならばお前たちが突入してくれないか。二人なら取り押さえられるはずだ」
戦闘力なら二人の方がずっと上だ。しかし――
「美術館は王国民の誇りです。うかつに戦闘をすれば作品を破壊してしまうかもしれません」
「構わん。責任は私がとる」
クルトは歯ぎしりをした。帝国人である学園長は美術館を破壊する意味を分かっていないのだ。
それに、もうすぐこの美術館でマヤの作品を含めた展覧会がある。中止にして悲しい顔をさせるわけにはいかない。
「クルト、冷静に考えろ。オスカーの生死の情報が漏れるのと、美術館の多少の破壊。国民が暴動を起こす可能性が高いのはどちらだ」
「しかしすでに時計塔も少し破壊しています。これ以上国民の帝国に対する不満をためては、いつ爆発するかわかりません」
今日の昼にあった若夫婦は「テロリストを応援してしまう」と言っていた。戦争から三年。王国民の帝国に対する不満は溜まりっぱなしだ。クルトにもその気持ちは痛いほどわかる。だが反乱を起こしてはならない。どれだけ不満を叫んだところで、帝国は無情に武力鎮圧を行うだけなのだから……。
「ならばどうしろというのだ。案があるなら言ってみろ」
「時間をかけて説得しましょう。幸いルイーサは何も食料を持っていません。このまま包囲し続けていればこちらが有利になっていきます」
「ダメだ。この事件は夜明けまでに片付けねばならん。でなければ隠蔽処理が格段に難しくなる」
「く……」
学園長は正しい。人質が死のうが、美術館を破壊しようが、オスカーのうわさが広まるよりはずっとマシだ。
それでもクルトが憤るのは、彼のやり方は極端すぎるからだ。常に二択のどちらかを即決して、折衷案をまるで考えていない。
もう少し王国民に寄り添って考えてくれればこんな無茶な命令は出さないだろう。
それも仕方のないことだ。王国の価値観を学園長が理解できるはずはないし、理解できたとしても敗戦国の言うことを聞く義理はない。
だがそれをわかっていてもなお、クルトは学園長を許せなかった。王国民のプライドを踏みにじる傲慢な態度に。物事を二択でしか考えない安易さに。
……その姿は、過去の自分を見ているようだったから。
「クルト、お前はピーピーうるさい。王国民の誇りがなんだというのだ。そんな形の無い物にこだわっているから王国は戦争に負けたんだよ。この世を支配するのはいつだって武力という明快なものだ。わかったら武力をもってルイーサ君を拘束してこい。それとも、オスカーの情報が洩れる方がいいのかな?」
感情論をぶつけても正論で返される。
もはやクルトに選択権はなかった。
「……わかりましたよ。ニナもそれでいいか?」
すぐ後ろにいるニナに声をかける。
「……大丈夫よ」
そうは言うがとても平気そうには見えない。ルイーサに指摘されたときからずっとこの調子だ。話を聞いているのか聞いていないのかわからない態度で、その目はどこか遠くを見ている。
「本当に大丈夫か? これからルイーサを拘束しに突入する。お前の力が必要だ」
「わかったわ……」
ニナは淡々と返事を返す。
気持ちはわかるが、この調子で戦闘なんかできるのか?
「ニナ君はもういい。クルト一人で行った方がいいだろう」
学園長は呆れたようにため息をつく。
「一人では厳しいです。単純な魔力量ではこちらが上ですが、勝利条件が違いすぎるので」
こちらは美術館を破壊せずにルイーサを拘束。むこうはこちらを殺せば勝利だ。難易度に差がありすぎる。
「別にルイーサ君を殺しても構わん。上から文句を言われることもないだろう」
「……」
この人には同僚を殺したくないなどと言っても無駄なのだろうな。
「ルイーサさんを……殺す……?」
感情に流されては失敗する。どんな時も冷静に判断することが大切だ。
クルトはぐっと右手を握り締めて言い返すのを諦める。
「ダメです……」
しかしその時、ニナが顔をゆがませて反論した。
絞り出すような声だが、しっかりとした強さを乗せて学園長に言い放つ。
「ルイーサさんを殺したらダメです。ダメなんです……」
静かに呟くニナ。
「そう思う根拠は? 論理的に説明してみろ」
「……わかりません。強いて理由をつけるなら、あたしが殺したくないからです」
学園長は鼻で笑った。
「ならばお前が突入して殺さないように拘束すればいい。どの道ルイーサ君のその後は死刑だろうがな」
「…………」
ニナはうつむいたまま動かない。その横顔からは生気を感じられなかった。
「ニナ、あまり無茶をするな。調子が悪いなら休んでおけ」
「……嫌よ」
「これは殺し合いだ。僅かな油断や集中の乱れが死につながる。今の状態で行けるとは思えない」
「それでも、嫌なのよ……」
ニナは顔をあげる。その表情は陰り弱々しい。
「ルイーサさんが悪い人のわけがないのよ……。きっと誰かに騙されてるの。だから、話し合えばきっとわかるはず……。そうよ。そうに決まってるわ」
それは自分に言い聞かせているようだった。
ニナが前の研究室で浮いていたのは知っている。だからきっと、信じていた人に裏切られたという現実を受け入れられないのだろう。
このままではニナが壊れてしまう。連れて行かなければ一生引きずるかもしれない。
「分かった。一緒に突入するぞ」
「ええ」
苦渋の選択だったが、他に方法がなかった。
× × ×
ルイーサは暗闇に包まれた美術館をハンナを担いで歩いていた。
高い天井に自分の足音がコツコツと響く。中に入れる日中はいつも学生で溢れているので、美術館を独占するという長年の夢がかなったようで少しうれしくなった。
この美術館は王国民の誇り。最後の戦いにこの場所を選ぶのは気が引けたが、もはや手段を選べる余裕はなかった。せめてもの償いとして、美術館に謝るようにゆっくりと歩いて行く。
ふと、一つの絵画がルイーサの目に入った。
そこは歴代展覧会の受賞作が並ぶ場所。当時初等部だったルイーサの作品も隅のスペースにひっそりと置いてあった。
「まだ残ってたんだ」
思えばこれを描いた時がルイーサの絶頂期だった。誰もがルイーサの才能を認め、将来は立派な芸術家になるとはやし立てる。しかしそれをすべて足蹴にして研究者としての道を選ぶ自分をかっこいいと酔いしれていた。
今思えば痛々しい少女だが、当時はかなり幸せだったのだと思う。
だがそんな幸せも「ノア」ですべて壊された。当時、研究者になりたてのルイーサは出張で首都から離れていたので助かったが、同僚も友人も家族までもが一夜にしてすべて消し飛んだ。たった一瞬でルイーサは絶望の淵に叩き落されたのだ。
そんなルイーサに黒衣の男が話しかけてきた。男は言った。
「オスカー・ハイデガーは生きている。真実を知りたければ、私に協力しろ」
その言葉がルイーサの復讐心を滾らせるのに時間はかからなかった。来る日も来る日もオスカー・ハイデガーへの恨みを思い出し、その執念が三年間の演技を強固なものにした。
そして今、ルイーサは真実を目前にしている。
あと少し、ここから逃げきれば、事件の記録を彼に渡せる。
だから――邪魔者は容赦しない。
× × ×
照明のついていない美術館をクルトとニナは歩いて行く。
不意を打たれれば即死という状況だが、この手の修羅場は何度もくぐってきた。うるさい心臓の音を沈め、神経を研ぎ澄ましていく。
だが隣のニナはそうはいかないらしい。へっぴり腰で膝をガクガクさせながら歩いている。それは戦闘への恐怖というより、手に入れたものを失う恐ろしさからだろう。
と、その時、正面から蒼の魔術弾が飛んできた。
「《四面展開。総防御》――‼」
警戒していたのでなんとか間に合った。防いだ時の爆発音が館内に反響する。
「やっぱりあんたたちは来るのね」
追撃を警戒しているとルイーサが前から歩いてきた。暗くて表情はわからないが、その声は凍てつくような鋭さを持っている。
「でもニナちゃんも来るのは意外だったな。てっきりあれで壊れちゃうものかと」
挑発されるも、おどおどしているニナは目を合わせようとしない。
「あたしが行かないと誤解が解けないと思ったので……。ルイーサさんはそそのかされたんですよね? だってあの優しいルイーサさんがこんなことするはずないですもの。なにか事情があるんですよね?」
「あはは! まだそんなこと言ってるの? どんだけ頭の中お花畑なのよ」
甲高い笑い声が館内に反響する。
「そんなんだからイマジナリーフレンドなんて作って妄想の世界に逃げ込んじゃうのよ。自分で惨めだとは思わないの?」
「……」
ニナは言い返せずに下を向く。
それでルイーサは何かを察したように手を叩いた。
「ああ、なるほど。ジョアンナの存在について反論しないってことは、あんたもこれが妄想だって薄々気づいてたのね。それなのにそんな妄想を続けていたと」
「だって……途中で認めてしまったら、あまりに惨めじゃないですか……」
現実に目を向けられず、やめるにやめられなくなってしまったのだろう。
「でも……この研究室に来て、みなさんすごく優しくて。だからもう妄想なんてやめようと思ってたんですけど……」
「そうねえ。妄想癖に限らず、現実から逃げる癖はすぐには直らないものね。その結果が今の惨めさよ。ねえ、あんた今どんな気分なの? 他人に妄想を暴かれるなんてどんな気分? 私だったら恥ずかしくてこの場所からすぐにでも逃げ出すかな」
「逃げ出したい……です……」
ニナの声は震えている。地に向けられている虚ろな目からは感情が読み取れない。
もう限界だ。やはりここに連れてきたのは間違いだったのか。
「ニナ、お前はよく頑張った。下がってて――」
「――でも」
クルトが制止しようと声をかけるが、ニナはそれを振り切って一歩前に踏み出した。
「逃げ出したいですけど……怖いですけど……いま逃げたらルイーサさんが誤解されてしまうので……。ルイーサさんは本当は優しいのに……」
期待通りの反応が帰ってこなくていら立ってきたのか、ルイーサは大げさに舌打ちをした。
「……あんた、やっぱり腹立つ。そろそろ時間も無くなってきたのよね。悪いけど、そろそろ消えてくれないかしら。《三面展開。総攻撃》」
「《四面展開。総防御》ッ!」
何とか防御陣の展開が間に合って攻撃を防ぎきる。攻撃の余波で周囲の展示品が吹き飛んでいった。
そのまま追撃を食らうかと思ったが、二対一ではうかつに仕掛けられないのかルイーサは魔術陣を閉じてこちらをにらみつけてきた。
「もうやめてください……。今なら降参すれば……」
懇願するようにニナは言う。その痛々しい顔を見るだけで、クルトは胸が締め付けられた。
ルイーサの機嫌は一層悪くなる。
「簡単に言ってくれるじゃない。私の苦労も知らないくせに……。私の恨みも知らないくせに……」
怨念を込めた眼光でにらみつけてくる。
「分かります。あたしだってずっと――」
「あんたに何が分かるって言うのよ!」
ルイーサの絶叫が響いた。その勢いに押されたニナは押し黙り、館内にわずかな静寂が舞い降りる。
「あんたにわかるの? 恋人は徴兵され、家族も友人もノアで消し去られ、生まれた家さえ失った私の虚無が! 帝国の天才たちが入ってきて研究者としての立場が追いやられていく惨めさが! あんたたちみたいな年下の上司の下で働かされる私の壊れたプライドが! 挙句の果てに、私からすべてを奪ったオスカー・ハイデガーが今ものうのうと生きているという屈辱が!」
それはまさしく魂の絶叫だった。
三年間、たまりにたまったどす黒い感情を吐き出すようである。
「友達がいないやつは気楽でいいじゃない。失うものが何にもないんだから……‼」
「そんなことありません。あたしだって、家族を失って――」
「じゃあ私の味方をしてくれるよねえ? オスカー・ハイデガーが生きてるなら、なんとしてでも見つけ出してぶち殺さなきゃ気が済まないじゃない」
「それは……」
ニナは答えに詰まる。
「クルトはどうなの? あんただってこの学園に来たくらいなんだから、ノアで家族を失ったのでしょう? オスカー・ハイデガーをぶち殺したいとは思わないの? あんたのその醜い体だって、戦争でやられたんでしょう?」
醜い、とは。価値観否定もいいところだ。クルトは久しぶりに向けられた嫌悪感を含む視線に苦笑する。
「確かにノアで両親が死んだな。兄と妹とも別れることになった。でも、もう諦めたよ」
感情を悟られぬよう、淡々と返した。
「つまんない男」
クルト自身もそう思う。
だからこそ、隣で必死に足掻き続けるニナをまぶしく思うわけで。
「あたしは、確かにオスカー・ハイデガーを許せません……」
迷い続けていたニナは絞り出すように言った。
「ならもちろん私に協力するよね?」
「いえ、それは……」
「なに? あんたもオスカーにやられた口なんでしょ? ならなんでそんなにヘラヘラしてられるのよ。どんな手段を使っても殺してやりたいとは思わないの?」
「……確かに殺してやりたいとは思います。もし目の前にいたら、何としてでも殺そうとするかもしれません。でも復讐のためにルイーサさんが捕まるのは、すごく嫌です。今の生活を犠牲にはしたくないです……」
「だからあんたは頭がお花畑なのよ。何かを捨てなきゃ何も得られない。死ぬ覚悟がなけりゃこんなことしない」
二人の違いは覚悟の差だ。ニナも帝国への復讐を計画していたが、命をなげうってでも遂行する気はなかったのだろう。
「あたしはただ、ルイーサさんと一緒に楽しく過ごしたかっただけなんです……」
ルイーサの機嫌は一層悪くなっていく。
「……やっぱあんた、私の嫌いな人種ね。やられっぱなしだってのに、何かを捨てる勇気もない。何の覚悟もない口だけの奴が一番嫌いなのよ」
「あたしは……」
「もういい。あんたを見てると腹が立つ。《三面展開》」
ルイーサの前に三つの攻撃陣が出現する。彼女自身からも溢れんばかりの殺気を放っており、本気度は一目瞭然だった。
「《四面展開》。……お前には照準を向けたくなかったんだがな」
クルトも対抗して魔術陣を展開する。
「これも運命よ。じゃあ、死んで。《総攻撃》」
「《総防御》――‼。ニナ、頼んだぞ」
防御陣でルイーサの攻撃を防ぐ。ここに来るまでに立てた作戦では、いまの隙にニナが攻撃する予定だったのだが――。
「で、でも……」
ニナはためらいの声を上げる。ルイーサに攻撃する覚悟が固まっていないのだ。
「ほんとニナは甘ちゃんね。それならこれでどうかしら」
「なっ!」
しかもルイーサは用意周到だった。展示棚の後ろに隠していた眠るハンナを肉壁にしたのだ。非殺傷性の閃光弾であっても六歳の子に直撃すればひどく危険だ。頭に当たれば失明する可能性もある。
「卑怯な! お前はそれでも王国人か」
「犯罪者に卑怯だとは笑わせるのね、クルト。武力の場において正々堂々なんてないの。だから帝国はノアなんて非人道的な魔術を平気な顔をしてぶち込めたのよ」
雨のように降り注いでくるルイーサの魔術弾。
いくら魔力差があるとはいえ、攻撃をずっと受け続けてはクルトの防御陣も決壊する。それに防いだ余波で周囲の美術品にも傷が入ってしまうかもしれない。このままでは不利な一方だ。
クルトは必至に頭を回して絞り出した苦肉の策を小声でニナに伝える。
「ニナ、このまま打ち合っていたら負ける。おれが防御陣を構えて正面から突撃するから、お前は横から回り込んでくれ」
「で、でもまだ話し合いの余地が……」
ニナのメンタルはボロボロだ。詠唱者の精神状態に影響される魔法を放っても、今のニナがルイーサに勝てるとは思えない。
一度引いて援軍を呼ぶべきか。いや、今のルイーサが撤退の隙を与えてくれるとは思えない。多少強引にでも二人で勝負するしかないのだ。
「ニナ、今のルイーサに話し合いを求めても無駄だ。命をかける覚悟を持った者に、今更引き返せなんて言うのはその覚悟への冒涜だ。おれらは正面からねじ伏せるしかないんだよ」
「そんな……」
「お前の力があれば殺さずに済むかもしれない。だから頼む、力を貸してくれ――」
ニナに従軍経験はなく、人殺しは未体験だろう。そんな彼女に知り合いと戦えと言うのは酷なお願いだ。だが、今はそれしか方法がない。
「頼む。それがルイーサにとっても最善の道のはずだ。このままでは後ろからやってくる警察に問答無用で殺されてしまう」
クルトの説得が通じたのか、ニナは悔しそうにこぶしを握り。
「……わかったわ。あたしは左から仕掛ける」
そうとだけ言い残して左側へ大きく跳躍した。それと同時にクルトは防御陣を展開したまま突撃する。
「舐めないで――‼」
それに合わせてルイーサもハンナを置いて大きく右に跳躍した。人質を抱えるメリットよりも、機動力を優先したのだろう。
クルトのことを完全に無視してニナへと近づき、攻撃弾を放つ。
「『Let there be light』」
しかしニナはそれを完璧に見切り閃光弾で迎撃して見せた。盾魔法の研究はあまり進んでいないのでニナが単身で突っ込むのは肝を冷やしたが、天才的な戦闘センスが備わっていたのだ。今の精神状態でこれほど高度な魔法を使いこなすとは。
辺りに光がほとばしり視界を奪われる。だがニナは足を止めない。視界が明けるころ、目の前にはルイーサが――
「残念ね」
しかし、次の瞬間には回し蹴りがニナの横腹に炸裂していた。
そのまま壁にたたきつけられてしまう。
おそらくルイーサは自身の研究の一つである「脳に接続したカメラ」を美術館のどこかに仕掛けておいたのだ。それなら光で視界が遮られてもカメラから送られてきた情報で敵の場所を把握できる。
年の功か、彼女の方が一枚上手だ。極限状態にあっては経験の差が出やすい。
――だが、時間稼ぎはそれで十分だった。
「《四面展開。半攻撃》」
次の瞬間、クルトの魔術弾がルイーサの横腹を貫いた。
「がはっ」
ルイーサは膝をつく。殺さないように二面攻撃だったが、それでも直撃すれば致命傷のはずだ。すぐにどくどくと流れる鮮血が床を汚していく。
「ふふ……二対一なんて卑怯ね……」
「許せ」
「あら、もう勝った気? 《三面展開。総攻撃》」
「……《四面展開。総防御》」
ルイーサの攻撃をなんなく防ぐ。彼女の傷ではそうなんども魔術を行使できまい。
それに、クルトに攻撃をすればそれだけ背後に隙ができる。
壁に叩きつけられていたニナがすぐさま復帰してルイーサの後ろに忍び寄っていた。
直前に気付いたがもう遅い。ニナはなんなく羽交い絞めにしてしまった。
「く……放しなさい!」
「ルイーサさん……お願いですから降伏してください……」
だがルイーサは必死の形相で暴れまわる。その目には狂気が宿っていた。
「放しなさい! 私はまだやられるわけにはいかないの! 絶対に、絶対にオスカー・ハイデガーを殺すの! なにがあってもそれだけは! 死んでも殺してやる!」
一人では拘束が難しいので、クルトも押さえつけようと駆け寄っていく。
「来るな! 《一面展開。総攻撃》ッ!」
「うおっ」
まさかルイーサにまだ魔術陣を展開する力が残っているとは思わず、防御陣をしまっていたのでとっさに回避してしまった。
――それが悪手だった。クルトの横をすり抜けた弾丸はそのまま吸い込まれるように寝ているハンナの元へと吸い込まれ。
鮮血が、まき散らされた。
「あ……」
魔術弾は無防備なハンナの頭に直撃したのだ。一面展開だが必殺の威力。貫かれた脳天からは見ただけで即死と分かるほどの血が噴き出した。
「嘘だろ……」
脳裏をよぎったのはマヤの顔。クルトは約束を裏切ってしまったのだ。
「死ね! 死ね!」
遠くでルイーサの叫び声が聞こえる。だが、その後に警察が突入して彼女を拘束するまで、クルトは何もできずにただ立ち尽くしていた。
「お疲れ。君たちが望んだ最良の結果じゃないか」
美術館から二人が出ると、学園長は皮肉な笑みを浮かべてそう言ってきた。
「ルイーサ君を殺すことなく拘束し、美術品の破壊も最小限。いやはや素晴らしい。君たちに任せて正解だったね」
「…………」
クルトは何も言えなかった。性格の悪い学園長に対して文句を言う気力すらない。
喚きながら警察に拘束され、連行されていくルイーサをぼーっと見るのみだ。
「とにかく、今日はこれで解散だ。君たちには特別報奨金が振り込まれるだろうよ。それじゃお疲れ様。私は忙しいので失礼するよ」
「はい、お疲れ様でした……」
そう呟くので精いっぱいだった。
学園長と警察が去っていくと、二人取り残される。本来なら報告書のために長い事情聴取を受けるのだが、どうせ学園長は事件をもみ消すので必要ないと判断したのだろう。
「家に帰ろう」
もう夜も明けて日が昇ってくるころだ。長い夜は明けた。これから急いで出勤の準備をしなければならないので、もたもたしている暇はない。二人はとぼとぼと帰路をたどり始めた。
疲れ果てた二人の間に沈黙が降りる。静けさを先に破ったのはクルトだった。
「すまんかった」
「……なんであんたが謝るのよ」
「おれが避けなければ……。いや、それ以前に、おれがルイーサのことをちゃんと見ていれば……」
「あれは事故よ。どうしても責任の所在を求めるなら、悪いのはあたし。あんな有利状況で魔術陣を展開させたのが悪かったのよ」
「おれが油断せずに魔術陣を展開していたらこんなことにはならなかった。防げた事故だ」
「……違う」
ニナは小さく、しかし力強く否定した。
「ルイーサさんが事件を起こしたのも、テロリストが出没したのも、ハンナちゃんが死んだのも。全部元をたどればノアのせいよ。全部、戦争が発端になってるのよ……」
「……」
「あたし、ちょっと疲れちゃった」
ニナ自身、ルイーサの裏切りとジョアンナの真実を突き付けられて心の整理がついていない状態なのだ。彼女の精神はボロボロだろう。クルトだけ謝罪してすっきりしようとするのは卑怯だ。
ニナはうつむいてとぼとぼとクルトの横を歩く。
ふと、彼女の行く末が心配になった。両親を失い、信用できる人は誰一人いなかったニナだ。さらにルイーサに心を開きかけていたところで裏切られ、厳しい現実を突き付けられた。これから彼女は人を信用できるのだろうか。
だがクルトは気の利いた言葉を言えなかった。クルトだって十七歳。自分のことで精一杯だったのだ。
重苦しい空気のまま寮に帰ってくる。中に入りづらかったが、震えながらも重い扉を開ける。
寝ているマヤを起こさないよう静かに部屋に入る。日は昇りかけているが、まだ起きるには早い時間のはず。
――そう思っていた。
「ま、マヤ……⁉」
しかしリビングには机に突っ伏すマヤの姿があった。いつからそこにいたのか。クルトたちが帰ってきた音で目を覚まして顔をあげる。
「クルト……? かえってきた?」
「あ、ああ。帰ってきた。マヤはずっとここにいたのか?」
「うん。まってたの」
その一言でクルトは胸が苦しくなった。
ハンナの無事が気になって眠れなかったのだろう。マヤにとって、それだけ大切な人だったのだ。
思わず目線をそらしてしまう。クルトの後ろに立つニナもバツの悪そうな雰囲気だった。
そのせいでマヤは察してしまったのだろう。段々と顔を歪め、瞳には涙をにじませていた。
「…………ごめんなさい」
先に言ったのはニナだった。その一言で確信したのかペタンと座り込んで泣き出した。
「あ……あ……あ……」
ノアで両親を失ったマヤだ。誰かが死ぬこと。死ぬと二度と会えないことを嫌というほど知っている。
「うあ……あああああ……あああああああ」
「ごめんなさい……本当にごめんなさい……」
ニナも絞り出すように言葉を続ける。
「許されないことをしたの。全部あたしのせいなの……」
「ば、バカ言うな。あれはおれの油断だ」
「違う。あたしのせいなの。あたしがもっとしっかりしていればよかったの。マヤちゃんには謝っても謝り切れない。……だからあたし、もう、この家を――」
言い終わる前に、マヤがニナに抱き着いた。
「マヤちゃん……?」
身長差があるので腰にしがみついているようだ。小さな体だが、腹に顔をうずめ力の限り抱きしめて。
「やだ、すっといっしょがいい……。どこにもいかないで……」
ただ、一緒にいてほしい。
大切な人を失い続けたマヤの小さな願いだった。
ニナは小さな体を強く抱きしめる。
「うん……うん……うん……ずっと一緒にいる。マヤちゃんと一緒にいる。あたしの帰る家はここなんだから。約束、だよ」




