三章③
時計塔とは二百年前に作られた王国の重要文化財だ。
当時の国王が国民にアートのすばらしさを説くために作ったこともあり、世界的にも芸術的だとの評価も高い。王国民のアートへの誇りを象徴する建物だ。日中ならだれでも中に入れるので観光客が毎日押し寄せてくるらしい。
それだけでなく、この時計塔には歴史的価値もある。
なんでも当時は実権を握った国王補佐が腐敗政治を行っており、それを見かねた王子が武装蜂起を起こして国を正しい在り方に戻したとのことらしい。その時、国王補佐を処刑した場所にこの時計塔が建てられた。だから今でも時計塔の前にはギロチンが残っているのだ。
そんな場所を犯人が潜伏場所に選ぶのは何か理由があるのだろうか。
警察が包囲しようと時計塔に近づくと、予想通り窓から光が漏れていた。通常、この時間は営業を終えて誰もいないはず。やはり犯人はあそこにいるのだ。
そうして包囲が終わりクルトたちが突入の準備をしていると、また犯人から電話がかかってきた。研究室の電話と携帯用電話をつなげているのでここからでも通話できる。学園長は緊張した面持ちで受話器をとった。
『なんだ、二時間待てって言ったくせに、もう遊びに来てくれたのか。よほど焦っているらしいな』
「見ればわかると思うが、君は包囲されている。おとなしく出てくれば危害は加えない」
『おいおい、こっちには人質がいるのを忘れていないか? 少しでも変な動きをすれば命の保証はできないぞ』
「ああ、そのことなんだけどね。どうやら君に話がある人がいるそうなんだ」
『話? 交渉役か』
学園長は黙ってルイーサに受話器を渡す。
ルイーサは緊張しているようだったが、深呼吸をしてから覚悟を決めた顔でそれを受け取った。
「もしもし、マリー」
『――⁉』
犯人の驚きがここまで伝わってくる。どうやらルイーサの推理は当たりだったようだ。
『誰だ、お前は』
「ルイーサよ。覚えてる?」
ルイーサは優しく語り掛ける。いつもの適当さは微塵も感じられない。憐れむような、慈しむような。全てを包み込むような温かさを持った言葉だった。
『ルイーサ……か……。お前がそこにいるとはな』
「知らないふりしないで。私があの研究室にいるって知ってたから、脅迫電話をかけてきたんでしょう? 本当は私に止めてほしかったんじゃないの?」
『……』
「もうこんなことはやめて。優しかったマリーに戻ってよ。お願い」
緊張からかその言葉は棒読みだった。慣れない言葉遣いをするからだ。ルイーサはそんな言葉をかける奴じゃないだろう。もっと明るくて、陽気で、適当で。周囲を笑顔にするような奴だったはずだ。
『お前には関係ない。電話を学園長に返せ』
「そんなことない! ねえ、また一緒に時計台の絵を描きましょ? 今ならやり直せるよ」
『そう言えってやつらから吹き込まれたのか? 感情に訴えかければ降参すると思ったのか? もしそうなら奴らに浅はかだって伝えてくれ』
「マリー‼ 本当はこんなことしちゃいけないってわかってるんでしょう! せめて人質の安全だけでも確保して。人質に危害を加えるのと加えないのとでは罪の重さが全然違うの」
『はっ、本気で言ってるのか? これはただの誘拐事件じゃない。明確に国家転覆を狙ったものだと帝国は思ってるだろうさ。いまさら人質を返したところで死刑は免れん』
ルイーサはそこで言葉に詰まった。心なしか足も肩も震えているように見える。友人の悲惨な末路を想像してしまったのだろうか。
「じゃあ、なんでこんなことしたの?」
『言っただろう。帝国が真実を隠しているからだ。オスカー・ハイデガーの存在を隠蔽しているのだ。だから、それを知ってしまった私は、真実を白日の下にさらけ出す義務がある!』
そんなことで、とは返答できない。王国民ならだれもがその重要性を心の底から理解している。
「でも……でも……」
『もういい。お前じゃ交渉役には実力不足だ。学園長と変われ』
途端にルイーサは膝をついてうなだれる。
「わ、わかりました――」
「いや、その必要はない」
ルイーサの渡そうとする受話器を学園長は拒否した。
「すでに突入準備は完了した。ルイーサ君、時間稼ぎご苦労」
そう、学園長はもとより交渉をする気などなかったのだ。
人質の命など最初からどうでもいい。真実を知ってしまった犯人さえ抹消できればあとはいくらでももみ消せる。
これが帝国のやり方だ。戦勝国の圧政なのだ。
しかしこうでもして反乱の芽を摘まねば治安は維持できない。
それをわかっていても、クルトは納得できなかった。
学園長は電話を切ると後ろを向いて鋭い声を放つ。
「これより時計塔に侵入する。貴重な文化財だが、ある程度の破壊までは認めよう。作戦は変更なしだ。突入せよ!」
治安維持のためなら王国民の誇りの象徴さえ踏みにじっても構わないというのか。
号令で武装した二十名近い警察隊が流れ込んでいく。クルトとニナも戦力としてその最後尾をついて行った。
扉を開け、長いらせん階段を上っていく。警察が三列に並んでも余裕をもって登れるほどの広さだ。渋い木材を重装備の景観が踏みしめていく。時計塔の放つ古典的な雰囲気にそぐわない光景だった。
最上階には観光客のための展示スペースがある。明かりもそこから漏れていたので犯人がいると確信していたのだが――
「誰もいない……?」
そこはもぬけの殻になっていた。明かりは点いているのに人の気配が全くしない。寂しげな雰囲気を纏っている。
急いで時計塔のあちこちを探してみるも人はどこにもいなかった。
「なんで? じゃあ電話はどこから……? ハンナちゃんはどこにいるの……?」
となりのニナがぽつりとつぶやいた。
確かにおかしい。この包囲の中で逃げ切れるはずがない。どこかに秘密の通路でもあったのか?
警察のリーダーも困惑しているらしく、一度学園長の判断を仰ぎに階下へ降りた。
何か手掛かりはないかとクルトは辺りを見回す。するとそこには備え付けの電話があった。
「犯人はこれから電話をしてきてたのよね。何か手掛かりはないかしら」
警察の逆探知を信じればそういうことになる。ニナと二人で電話を見ていると、見覚えのない魔術具がとりつけられているのを発見した。
「なにこれ。蓄音機かしら」
しかし分解して中の魔術陣を見てみないことにはわからない。うかつに触るわけにはいかないので、警察に報告をするだけにとどめておいた。
「あれが蓄音機なら、犯人は最初からこの部屋にいなかったってことよね? ずっと録音で会話してたってこと? そんなこと可能かしら」
普通に考えて不可能だ。あの会話の自然さは録音でできるものではない。ならばこの魔術具はなんなのか。
(……何かがおかしい)
強烈な違和感がクルトの中を駆け巡っていく。
思えば今回の事件は最初からおかしかった。
なぜ脅迫電話がクルトの研究室にかかってきたのか。なぜ犯人は一般人を誘拐してオスカー・ハイデガーの存在を認めさせ、国中を巻き込むという無謀な策に出たのか。なぜ犯人はあっさりと逆探知を許したのか。犯人はこの包囲網をどうやって突破したのか。それとも最初からいなかったのか。
犯人がキレ者なのか間抜けなのかわからなくなってくる。
と、そのようにクルトが思考を巡らせていると、誰かがカツカツと階段を上ってきた。
「どうやら犯人には逃げられたそうだな」
学園長とルイーサだった。
「ええ。おそらく最初からいなかったのだと思います。電話には何か細工がしてありました」
「我々はまんまと踊らされたわけか。最初から捜査のやり直しだ」
学園長の言う通りだ。これだけ人をあつめて何も収穫がなかったことになる。ハンナがどこにいるのか今度はノーヒントで探さなければならない。
――だが、クルトは学園長の言葉で最後のピースが埋まった。
「……いえ、その必要はありません」
「なぜだ?」
「……」
クルトは言葉を切り出せない。切り出したくない。
だが、それでもマヤとの約束のために、真実を暴かなくてはならないのだ。一つ一つ確認することにする。
「まず、犯人はなぜ今回の事件を起こしたんでしょう」
「オスカーの存在を認めさせるためだと言っていただろう?」
「いえ、それを達成するには犯人の計画はあまりにお粗末です。現に学園長は犯人の要求を何一つ呑む気がなかった。犯人の目的を達成するには、人質のランクが低すぎるんです」
「ならば他に目的があると?」
「はい。これはあくまで予想ですが、犯人は我々を踊らせることが目的だったのではないかと。オスカーを知っていると脅迫すれば、学園側は全力でつぶしに来た。その事実は暗にオスカーの存在を認めているようなものです」
「…………」
学園長の顔が険しくなった。己のミスを悟ったのだろう。
「今回の事件の記録を新聞社に送り付ければ、立派な証拠としてオスカーのタレコミを掲載できます。犯人の目的はきっとそこにある。あっさり逆探知が成功したのも、人質のランクが低かったのも、そもそもの目的が違ったからです」
「……なるほど。犯人の手のひらの上だったのか」
「ええ。しかし今回の流れを実践するのはかなり困難です。逆探知を利用して警察をひっかけようにも、普通の蓄音機では難しい。それこそ、ルイーサの研究している腹話術型蓄音機でもなければ」
そこにいる全員がルイーサの顔を見た。
「そういえばルイーサ君とマリーは前の研究室の同僚だと言っていたね。ルイーサの研究成果を知っていてもおかしくはない、か」
「そう……です……ね……」ルイーサはたどたどしく答える。
「しかしそれでは不可解なことがあります。ルイーサの道具では音声を送ることができても、電話の向こうの声を聞くことはできません。これでは会話が成り立たない」
クルトは深く息を吐き出して高鳴る心臓を沈めていく。
そしてゆっくりとルイーサを見据えた。
「思い出してください。なぜ犯人はおれの研究室に電話をかけてきたのでしょうか。なぜ犯人は研究室の電話番号を知っていたのでしょうか」
学園長はそこで察したのか表情を固くした。
「犯人が最初から学園長に電話をすることを嫌がったのだと推測できる。それはなぜか。犯人と学園長が対話をする際、学園長が何を言っているかを知る必要があったからです。通常、誘拐事件の交渉となればチームで情報を共有するために音声を大きくする。その状況を作り出す前は電話ができない。――つまり、自作自演が必要になる」
もはやそこにいる全員が確信しているようだった。
そんなことをできるのは一人しかいないのだから。
「犯人はお前だな、ルイーサ」
ルイーサは答えない。ただうつむくまま沈黙を保っていた。
「最初に犯人からの電話を受けたのはお前だ。記録をとらなければ電話で何を話したかは当人にしかわからない。お前の言う一回目と二回目の電話など、実際には存在しなかったんだろう」
「……………………」
「ルイーサ……さん……?」
ニナが縋るようにルイーサを見つめる。それでも彼女は口を開かない。
「証拠をお望みなら、観光客に紛れてここを訪れたルイーサの名前が帳簿に乗っているはずだ。たとえ偽名だとしても、警察の筆跡鑑定を甘く見ない方が良い」
おそらく今日の昼にでもここを訪れていたはずだ。今朝、国立公園でルイーサを見かけたので、この周辺にいたことは間違いない。
訪れる静寂。しかしそれはすぐに笑い声で破られた。
「アッハッハッハ! あんたはやっぱり天才なのね! こんなに早く見破られるとは思わなかったわ」
ぐらり、ルイーサの雰囲気が一変した。
歪んだ口端に鋭い眼差し。狂気をはらんだ笑い声は、完全に別人としか思えなかった。
「なんで……? ルイーサさん、なんで……? ルイーサさんみたいな人が……」
わけがわからないとでも言いたげにニナが呟く。
そんな表情を見て、ルイーサはさらに愉しそうに笑う。
「なに? あんた私が良い人だとでも思ってたの? 年下の連中が上司になっているのにいつもヘラヘラしてるような人だと思ってんの? あんたたちが先に帰ってんのに、夜遅くまで仕事が終わらずにヒーヒー言ってる生活で満足しているとでも思ってたの?」
「そ、それは……」
研究室での仕事量は四人平等だ。それでもルイーサが残っているのは仕事が終わっていないのと、自分の研究をするため。
だからこそ彼女は自分が許せなかったのだろう。頑張って研究を進めているのに年下に敵わない。苦労しているのに報われない。
そもそも王国において研究者を目指そうとする人など少数だ。幼少より周りに天才だともてはやされてきたのだろう。だからこそ、三十年近くで積み重なったプライドが今の境遇を許せなかったのだ。
「全部演技よ。三年前のあの日から全部。すべては今日、この日のために」
「でも……ルイーサさんはこんなあたしにも優しくしてくれて……」
ルイーサは鼻で笑った。
「あんなんで優しくされたとか、あんた騙されやすすぎでしょ。将来絶対悪い男にひっかるって」
「で、でも……」
ここ最近でやっとニナはルイーサに心を開いてきたのだ。ここにきての裏切りはきついかもしれない。
「今だから言うけどねぇ。あんたのこと、最高に気持ち悪いと思ってたのよ? しゃべり方もどこかおかしい。人見知りですぐにしゃべれなくなる。私の嫌いな人種よ」
「ルイーサ!」
ルイーサのやっていることは価値観否定のオンパレードだ。クルトがやめさせようと大声を出すもルイーサは止まらない。
「なにより、いっちばん気持ち悪かったのは――」
「やめろ!」
クルトの制止を振り切り、嗜虐心に満ちた顔でルイーサは告げた。
「誰よジョアンナって。そんな人、いないのに。あんた友達いなさ過ぎてイマジナリーフレンドも作っちゃったのね。ほんと、憐れね」
「……え?」
「あんたの言うジョアンナってのを調べてみたのよ。でもそんな人、あんたの前の研究室にはいなかった。体育祭の時だって赤毛の人がいれば目立つはずなのに、誰もそんな人いなかったって言ってる。だから気づいたのよ。あんたは幻を見てるって」
クルトは飛びかかった。
「ふざけるな! 言っていいことと悪いことが――」
「あんたは見て見ぬふりを続けることが正しいと思ってるの?」
「――ッ」
「価値観を否定してはいけないなんて風習、なくすべきなのよ。そうじゃないとあいつみたいな勘違い野郎を生む羽目になる。どんなに寂しいからって架空の友達を作って、周りの人が全員その妄想を肯定する? 馬鹿馬鹿しいにもほどがあるじゃない」
クルトは反論できなかった。ルイーサの言い分は正しいのだ。
「そんな……あた、あたし……」
真実を告げられたニナは茫然としている。現実を受け入れられないのだ。
クルトだってずっとわかっていた。でも妄想をするかどうかはニナの自由だし、本人が決めたことに周りは口を出してはいけない。だからずっと指摘できなかったのだ。
「あーすっきりした。いい気分よ」
クルトが葛藤からルイーサを抑える力を弱めてしまい、その隙にするりと逃げられてしまった。
「だがルイーサ。ここでお前は終わりだ。おとなしく司法の裁きを受けろ。お前の罪はこれだけじゃないだろう。研究室に爆弾を仕掛けたのも、体育祭で犯人が監視カメラに映らなかったのもお前の仕業だな」
「司法ねえ……。クルトもそんなことを言うのね。今の司法に裁かれて、適切な判決が出ると思う?」
ルイーサの言う通りだ。現在、王国の司法も行政も警察なんかも帝国に掌握されている。王国の司法ならば普通の誘拐犯として扱われるだろうが、帝国の司法では国家転覆罪と判断されかねない。それははたして正しいのだろうか。
「だから私はまだ捕まるわけにはいかない」
ルイーサはコツコツと部屋の奥に歩いて行く。
「逃げられるとでも?」
「逃げられるよ。だってまだ、私は切り札を切っていないんだから」
そこで不意にルイーサは近くの展示棚の引き出しを開けた。棚の上には昔の掛け時計が飾られているのでそこそこの大きさがある。
ルイーサが取り出したのは人間だった。
「ハンナちゃん――⁉」
そこには眠らされているハンナが入っていたのだ。この部屋はそれなりに捜索したが、まさか棚の中に人がいるとは思わず見落としていた。
「私を攻撃すればこの子が死ぬよ。それでもいいの?」
クルトとニナは黙り込む。
だが学園長と警察はその限りではない。ルイーサを消すためならハンナごと打ち抜くだろう。
「私たちには関係ない。全員、魔術陣を展開せよ!」
「「《一面展開》ッ!」」
警察が一斉に魔術陣を展開して照準を突き付ける。軍隊や警察の武力手段には基本的に魔術が採用されている。
「《三面展開》」
だが同じようにルイーサも展開した。互いにノーガードの構え。もし一斉に魔術陣が火を噴けば、時計塔も双方の命もあっという間に吹き飛ぶだろう。
「言っておくけど、警察ごときが何人集まっても私にはかなわない。学園長も同じ。私にとって警戒すべきはそこの子供二人よ。だからわざわざこの子を人質にとったの。あんたたちは撃てないでしょ? 知ってるのよ」
「クソ――‼」
そこでようやく人質にハンナが選ばれた理由が分かった。
もとより茫然と座り込んでいるニナはともかく、クルトもただ立ち尽くすのみだ。マヤとの約束を破るわけにはいかない。だがこのままではルイーサを逃がしてしまう。
「クルト、何をしている。早く我々に加勢しろ。職務怠慢で上に報告するぞ!」
学園長の怒号が飛んでくる。
「今更幼子を一人殺すくらいで躊躇するのか?」
「……わかりました。《二面展開》」
クルトは言われるがままに魔術陣を展開する。
「クルト、あんた……」
すぐ横からはニナの失意を含んだ声。
クルトは身を焼き切るほどの後悔に襲われたが、もう引き返せなかった。マヤへの罪悪感から目を泳がせる。
ルイーサはその隙を見逃さなかった。
「《三面展開。総攻撃》」
瞬間、部屋にまぶしすぎる光がほとばしり、思わず目を閉じてしまった。
ルイーサの魔術陣が火を噴いたのだ。
直後に聞こえるガラスの割れる音。まぶしさが消えて視界が戻るころ、ルイーサの姿はなくなっていた。
「逃げたか……」
ルイーサは閃光弾を地面と壁にたたきつけることで空間全体に光を放ったのだ。それでは自分の視界も遮られてしまうが、逃げる方向に予めアタリをつけておけば関係ない。ハンナを抱えて窓ガラスを突き破り脱出したのだ。事前に魔術で対策をしておけば、三階から落ちてもたいして痛くない。
「奴は南西方向に逃げた! 包囲している舞台に伝えて速やかに捕らえよ!」
学園長の焦りを含んだ叫びが響く。迅速に対応しているが、魔術を極めんと研鑽をしているルイーサとただの警察では勝負になるまい。
「ニナ、急いで追うぞ」
「え、ええ」
まだ打ちひしがれているニナを連れて二人は階段を駆け下りた。
× × ×
小さいころからニナは天才だと言われ続けてきた。
研究者の両親を持ち、溢れんばかりの才能と愛情を受け、例え芸術以外の道が邪道である王国であったとしても、何一つ自分の将来を疑うことなく突き進んできた。根拠もなく、自分はヒーローになるのだと思い込んでいた。
だがその姿はあまりに異端。いかに個性を尊重する王国と言えど、人は普通ではない者を排斥するし、天才には嫉妬するものである。
たったそれだけの理由でニナはいじめの標的にされ、どんどん友人を失くしていった。
唯一できた友達も、ニナの巻き添えになりいじめられてしまう。そのことを知れ渡るとさらに孤独が深まっていく。一度始まった負のループはなかなか止められない。
しかしニナの心には強さがあった。孤独に負けず、逆境に負けず、たった一人で自分の道を歩いて行けるような。そんな強さが。
おかげで飛び級に飛び級を重ね、十四歳にして大学の卒業が間近まで迫っていた。
だがそこで戦争が勃発してしまう。愛国心の強さから兵士に志願したが女性だからという理由で不採用になり、ふてくされるまま大学を卒業して研究者となった。
しかし、悲劇はそこからだった。
戦争が終わりかける頃、オスカー・ハイデガーの放つ「ノア」によって首都一帯が消し飛んだのだ。
地方の大学に移籍していたニナは助かったが、敬愛する両親を失った。友人のいないニナにとって生活の中で会話をするのは両親くらいだ。配属された研究室でも若さゆえに浮いていたニナはさらに唯一の心の支えを失い、壊れていった。
そうしてジョアンナというイマジナリーフレンドは作り出された。ニナのすべてを肯定し、優しくしてくれる親友の存在。そんなものに縋らねばならないほど追い込まれていたのだ。
自分でもこれが妄想だと薄々気づいていた。みじめだともわかっていた。持っていた自分の強さが零れ落ちていく実感もあった。
だからルイーサに真実を告げられた時、自分で思うよりずっと落ち着いていた。心の奥底ではこのままじゃだめだと分かっていたからだろう。
もはやニナの心に強さはなかった。いつの間にか孤独は耐え難いものになり、人に嫌われることを恐れ、初対面の人間にはことごとく人見知りを発動してしまう。
こんな姿、五年前の自分に見られたら笑われてしまう。
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