三章②
その日の夜、マヤは家に帰ってからもテンションが上がりっぱなしだった。
「クルトクルト! これみて!」
「うむ、最高のうまいの」
「えへへ~」
ソファでくつろぐクルトにマヤが今日の絵を持ってくる。このやり取りも帰ってきてから十回は超えていた。今日、三人で遊びに行けたのがそれほど嬉しかったのだろう。
「クルト、らいしゅーもこうえんいける?」
だからか、今日という休日が終わるのが耐えられないらしい。寝る時間になっても寝室に行くのを嫌がってそんな質問ばかりをしてきた。
「うーむ、まだわからないが、多分行けると思うのじゃ」
「ほんと! ぜったい、ぜったいだからね!」
「約束じゃ。だから今日はもう寝るのじゃぞ」
「はーい!」
そう言ってマヤは笑顔で寝室に入る。
――その時だった。
プルルルル。
部屋に備え付けてある通信用魔術具――いわゆる電話が鳴った。せっかくの団欒を邪魔されたような気がして渋々とクルトが受話器をとると、鬼気迫る声が聞こえてきた。
『クルト教授っ! 大変なことになったのよ!』
かけてきたのは研究室にいるルイーサだった。昼間は公園で見かけたのに、どうして研究室にいるのだろうか。
「どうしたのじゃ。そんなに慌てて」
『いま研究室に脅迫電話がかかってきたのよ。初等部の子がテロリストに誘拐されちゃったみたい!』
「なに?」
クルトの剣呑な声にマヤとニナが不思議そうに見てきた。
「誘拐って、どういうことなんじゃ?」
『そのままの意味よ。さっき犯人と思わしき人から誘拐したっていう電話が研究室にかかってきたの。それで保護者に確認したら、帰宅途中にはぐれたって言ってるのよ』
「なるほど。それで、誘拐された子の名前は何というんだ」
『ハンナちゃん。初等部の一年生だって』
クルトの横で会話を聞いていた二人の顔が一気にこわばった。つい数時間前に別れたばかりだというのに、まさかそんなことになっていたとは。
「……わかった。とりあえず研究室に行く。ルイーサは学園長とハンナの保護者にも来てもらえるように連絡してくれ」
『了解よ』
ルイーサが短く答えるとすぐに電話は切れた。クルトもすぐに出かけなければ。
「クルト……? ハンナちゃん、どうしたの?」
誘拐と言われても理解できないだろうが、雰囲気で悪いことだとは察したみたいだ。不安そうにマヤが見つめてくる。
「ハンナちゃんがピンチらしいんだ。だからおれとニナが助けに行く」
「ぴんちなの?」
「ああ。でも必ず助けて帰ってくるから。マヤはちゃんと寝てるんだぞ」
「うん……」
本当は自分も行きたいのかもしれないが、駄々をこねたらクルトが困ることが分かっているのだろう。とぼとぼと一人寝室へと向かって行く。
しかし、ふと足を止めて振り向いた。
「ハンナちゃんをたすけて。やくそく……」
切なそうな顔で訴えてくる。誘拐事件の難しさはクルトもわかっていたが、そう縋るような目をされては断れない。
「ああ、約束だ」
力強くうなずき、クルトとマヤは研究室へと向かった。
研究室にはルイーサと学園長、それに警察までもが来ていた。なにやら見たことない魔術具を次々に運び込んでいる。
「思った以上に大ごとになってるんじゃな」
誘拐事件なので彼らが出動するのはわかるが、よりにもよってなぜクルトの研究室に集合しているのか。知らない人に囲まれてニナは委縮している。
「クルトも来たか。説明は私からしよう」
困惑していると学園長がやってきた。
「現在、犯人からは二度の電話がこの研究室にかかってきているらしい。一度目は初等部のハンナを誘拐したとの脅迫。二度目は返してほしければこの学園を取り壊せというものだ。私たちは間に合わなかったので、どちらもルイーサ君が応答した」
「学園の取り壊しですか。犯人はやはり前回と同じテロリストでしょうか」
「わからんが、その可能性は高いと踏んでいる。君の報告によると、体育祭の日も犯人はこの研究室を爆破しようとしていたそうじゃないか。この研究室に対して何か執着があるのかもしれない」
学園長の言う通り、犯人がこの研究室に電話をかけてくるのは不自然だ。それぞれの研究室に配置されている電話には録音機能がないので証拠になりにくいというメリットはあるが、そもそもなぜ電話番号を知っているのかという話になる。
「執着、ですか」
犯人はクルトの命に興味はなかった。ならばこの研究室だけに執着する理由とはなんだろうか。
「……いや、やっぱり今回の犯人は前回とは別だと思います」
「そう思う根拠は?」
「ハンナは王国人なのでしょう? 王国人を誘拐して脅迫するなんてやり方が卑怯です。美しくない。それは犯人の美意識に背いているのではと思います」
クルトの推理を聞いて学園長は苦笑した。
「なるほど。やはり私にその感覚はわからないな。だが君には実績がある以上、大いに参考にさせてもらうよ。今回も力を貸してくれたまえ」
「……はい」
学園長はそう言い残して警察の偉い人のところへ向かった。
有無を言わせぬ迫力だ。マヤとの約束があるので逆らう気はなかっが、今の会話だけでクルトは逃げられなくなってしまった。
残された二人は進展を待っていても仕方がないので、部屋の隅でぽつんと座っているルイーサに話しかけることにした。
「ルイーサ、お主も災難なことに巻き込まれたのう」
「お疲れ様です、ルイーサさん」
「二人ともお疲れー。ほんとに、なんで私がこんなことしなくちゃいけない……って言いたいところなんだけどね」
ふと、ルイーサの雰囲気が引き締まる。身だしなみもきちんとしており、顔つきも真剣だ。
「私、犯人の正体が分かっちゃったかもなのよね」
声量をグンと落としてルイーサは言った。クルトもそれに倣って声を落とす。
「なに? それは本当かの?」
「うん。あんまり言いたくはないんだけど……」
言い淀んで目を泳がせている。いつもの元気さはかけらも感じられなかった。
「もしかして知り合い……とかですか?」
ニナの質問に、ルイーサはこくりとうなずいた。
「電話で声を聞いた時に友達の声に似てるなーって思ったんだけど……多分、マリーって子よ」
気づいているならすぐにでも警察に言うべきだ。ルイーサもそれをわかっていてなお出来ないのだろう。
誰だって大切な友人が犯人とは信じたくないし、警察に捕まってほしいとも思わない。
「そのマリーさんは今どこに住んでるんじゃ?」
「住所が変わってなければ時計台の近くよ。電話からも時計塔の時報が聞こえてきたから間違いないと思う」
小さくため息をつくルイーサ。
現在、王国の警察のトップは帝国人が牛耳っている。犯人の要求は学園の取り壊しなので、帝国のプライドにかけて全力で捜査をさせるだろう。逃げ切るのはあまりに困難だ。
「ならば素直に言った方がいい。一刻でも早く彼女を捕まえればそれだけ罪も軽くなるはずじゃ」
ルイーサは悔しそうに唇をかむ。心なしか、瞳がうるんでいるような気がした。
「ルイーサさん……」
ニナも心配そうに声を漏らす。
そんなニナを見て、ルイーサは優しく微笑んだ。
「へーきよニナちゃん。きっと何かの間違いなんだから」
そう言って立ち上がると学園長のもとへ歩いて行く。警察に話す覚悟を決めたのだろう。
「ルイーサさん大丈夫かしら……」
「あいつにシリアスな雰囲気は似合わないの」
普段の行動からルイーサは陽気なイメージがある。今のように真剣に思い悩む姿は想像したことがなかった。
と、そこで研究室に備え付けてある電話がジリリとなった。
「――ッ」
その場の全員に緊張が走る。間違いなく犯人からの電話だ。
「私が出よう」
学園長が代表して受話器を取る。その時、警察が電話に取り付けた魔術具をいじっていた。録音や逆探知でもするのだろう。
「初めまして、私は帝国立マルナ学園の学園長だ。君は誘拐犯で間違いないな?」
『ああ。話は聞いているな? お前のところの生徒を預かった。返してほしければすぐに学園を取り壊せ』
魔術具を通して犯人の声が部屋中に流れる。
「わかっている。だが建物をすべて壊すというのは時間がかかるんだ。先に生徒を返してもらえないと困る」
『そんなのは知ったことじゃない。学園の権利書でも、学園を爆破できるほど威力のある魔術盤でもいい』
「無茶を言わないでくれ。この学園は国立だ。壊すにしても政府のお偉いさんを通さねばならないし、誰のものでもないので権利書など発行していない」
『そうか……クク』
誘拐犯のねばつくような笑い声が部屋に響く。その声から狂気を感して思わず背筋が寒くなった。
犯人の要求はどれもこれも非現実的だ。正直なところ、少女一人を誘拐したところで今の政府がその要求を呑むとは思えない。表面上は奪還しようと奮闘するだろうが、人質の価値があまりにも低すぎる。国を動かすほどの脅迫をしたければ、相当なお偉いさんが人質でなければ話し合いの土俵にすら立てないのだ。
だが犯人がそんなこともわからないほど頭が悪いかと言われると、そうは感じない。明確な根拠があるわけではないが、ただのアホではないと思う。
『ならばもう一つだけ代替案を出してやろう。大サービスだ』
そうは言っているが、この要求が本命のはずだ。犯人はある程度の交渉術を身につけているらしい。
『学園は隠ぺいした事実を公にせよ』
「……? どういうことだ。学園はなにも隠ぺいなどしていない」
学園長が首をかしげる。
『クク、とぼけるのが上手いな。学園長、お前は知っているのだろう。オスカー・ハイデガーが生きているということを』
「……」
一瞬にして部屋が静寂に包まれる。そこにいる誰もが口を開けない。
犯人の言葉をうまく理解できなかったのだ。
「知らないな。オスカーは死んだのだろう?」
『いいや生きている。我々の生活を滅茶苦茶にしたくせに、罪を償わず今ものうのうと暮らしているのだ。そして学園はそのことを知っていながら隠している。それを認め、オスカーを王国の司法にかけるのだ』
「死んだ人間を司法にかけられるわけないだろう。いい加減にしろ」
学園長の声のトーンがわずかに上がる。
『ならば学園をすべて取り壊せ。どちらか選ぶのだ』
「……少し待ってくれ。私の一存で決めることはできない」
学園長は学園内だけで決着をつけるつもりだったのだろう。だが犯人の一言で問題が一気に国家レベルになってしまった。
オスカー・ハイデガーはすべての王国民の憎しみの対象であり、もし生きていると判明すれば国中が大騒ぎになるかもしれない。それほど影響力のある人物なのだ。
ここまで話が大きくなっては政府の判断を仰ぐ必要がある。
『おや、迷う余地があるのかな? それではオスカー・ハイデガーが生きていることを認めることになるな』
「貴様……」
『ククク、そう心配するな。オスカー・ハイデガーの存在は貴様の失態で露見するわけじゃない。すでに我らは新聞社にこの事実を送り付けている。明日の朝刊で王国民のほとんどに知れ渡ることになるだろうよ』
学園長の顔が凍り付いた。
この国の新聞社は政府とのつながりが薄いことで有名だ。こうなっては帝国がいくら圧力をかけてももみ消せない。
裏付けはとれないはずなので大々的に報じられることはないだろうが、王国民の間でうわさになるのは避けられない。
「とにかく、私だけでは判断しかねることだ。二時間後、政府の決定を伝える」
『逃げたか。まあいい。二時間後、再び電話をかけるぞ』
そう言うと犯人は電話を切った。
受話器を置くとしばらく無言の時間が流れる。それくらい、王国民にとってオスカー・ハイデガーという存在は大きいものなのだ。
やがて学園長が振り返って口を開く。
「逆探知はできたか」
「は、はい。ダメもとでしてみましたが、時計塔の中の電話からでした」
「なに? 本当に成功したのか?」
誘拐事件において、脅迫電話の逆探知は最も犯人が警戒するべきところだ。
まさかこれほど重大犯罪を犯す相手が対策をしていないとは学園長も思っていなかったのだろう。罠を疑うほどだが、探知の結果がそうなっている以上、主犯にしろ共犯者にしろ誰かがいるはずだ。
しばらく学園長は考え込んでいたが、三十秒も経たないうちに決断を下した。
「全員、即刻準備を始めろ。時計台を包囲する」
「政府に連絡はしなくていいんですか?」クルトは恐る恐る尋ねた。
「問題ない。こんなバカげた犯人にお偉いさんを付き合わせてはかわいそうだ」
その態度はどこか焦っているようだ。こんな強引なやり方では何かを隠そうとしているのかと疑ってしまう。
だが、誰も訊けなかった。空気を読んでというよりは、真実を確かめるのが怖ろしかったからだ。
究極魔術「ノア」を放たれて家族や友人を失った人は多い。しかし王国民はオスカー・ハイデガーが地獄に落ちたと思い込むことで、なんとか心のバランスを保ってきたのだ。今更生きていると言われてもどこに感情を吐き出せばいいのかわからない。
「夜明けまでに決着をつける。犯人に悟られないよう慎重に、しかし迅速に進めろ」
「はっ!」
学園長の指示で警察が一斉に動き出した。予想はしていたが、やはり彼らは学園長の統制下にあるのだろう。
「ねえクルト。学園長って何者なのかしら。あんた何か知ってる?」
「……さあな」
クルトは誤魔化した。
向こうでは学園長とルイーサが話している。どうやらマリーについて報告しているらしい。
やがて話が終わると二人はこちらにやってきた。
「ルイーサ君は犯人と知り合いの可能性があるらしいな。だからとりあえず彼女を交渉役として抜擢することにした」
「ずいぶん思い切った配役ですね」
クルトが皮肉交じりに言うと、学園長は意味ありげにほほ笑んだ。
「クルトも準備しろ。犯人の居場所に突入する際にはお前の力が必要だ」
「わかりました」
了承すると二人は足早に去っていく。
学園長の後ろ姿にいつもの余裕はない。平静を装っているだけで、内心相当焦っているのだろう。
「ルイーサさん、大丈夫かしら。交渉役って難しいと思うのだけれど」
「おそらく学園長はもう真面目に交渉する気はないんだろう。武力ごり押しで早期決着をする気だ」
「え? で、でもそんなことしたら人質が……」
「これは国家を揺るがす危機だ。国民一人の命よりも犯人の口を塞ぐ方が重要度が高い」
「なによそれ……そんなのって……」
「お前さんも王国民ならわかるだろう。オスカー・ハイデガーが生きてるなんて分かればどんなことが起こるかわからない。最悪、オスカーを差し出せと言って暴動にまで発展するかもしれない」
「そ、そんなの大げさよ。そんなことをすれば帝国軍と衝突するかもしれないじゃない」
「本当に起きないと言い切れるか?」
「そ、それは……」
ニナはそれきり押し黙る。答えられないのだ。
いつだったか、ニナがここで研究をするのは帝国への復讐だと言った。そんな彼女だからこそ、安易に答えを出せるはずがない。
「……あんたはこれでいいと思ってるの? ハンナちゃんを助けるって約束したじゃない」
「それは……」
もちろんいいはずがない。マヤの頼みは何よりも優先すべきことだ。
だが帝国は王国民の不満をそらすため、オスカー・ハイデガーこそが王国の敗因だと喧伝していたのだ。おかげでこの国のオスカーへの憎しみは底知れない。彼が生きていると知られればどうなるのか。少なくともクルトには想像すらできない。
「急ごう。一刻も早いハンナちゃんの救出だけが、おれたちにできることだ」
「そうね……」
うつむくニナを連れて警察と一緒に時計台へと向かった。
結局、クルトは答えを出せないまま。




