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紅の空の下で  作者: 高橋もみぢ
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一章① 研究と同棲と爆弾魔

 今日から配属になる研究室の扉を開けると、中には上半身裸の少年がいた。


 部屋を間違ったかと思いプレートを確認すると「数学理論研究室」と書いてある。ニナが呼ばれたのはここで間違いないはずだ。


 部屋の壁には「魔術具」や「魔術陣」がずらりとならび、近寄りがたい雰囲気を放っている。物々しいその部屋に、少年の格好は場違いだった。


 呆けていると奥からスキンヘッドのいかつい男が現れた。男は少年を見るなりため息をつく。


「クルト、やっぱり服を着ましょうよ? こんな姿を見られたら怯えさせてしまいます」


 困ったような声で少年をいさめている。明らかに男の方が年上なのに、どうして敬語を使っているのだろうか。


「だーいじょうぶじゃ! これで完璧なはず。ワシを信じろ」

「そうしたいのはやまやまなのですが……」


 二人の不可解な会話は続いていく。あっけにとられて入るタイミングを失ってしまった。


「……ん? おお、なんだ来ておったのか!」


 立ち尽くしていると、少年がこちらに気づいたらしい。半裸のまま笑顔を浮かべてやってくる。


「え、あ、はい」


 初対面の緊張でどもった声が出てしまった。


「魔法学部のニナじゃな。ささ、入った入った」


 少年に手を引かれて研究室に入っていく。直後に魔術石の独特な匂いが鼻を通り抜けた。研究者の性なのか、それだけでニナの好奇心は大いにそそられる。


 だが今それを楽しめるほどニナの心に余裕はなかった。なにしろ初対面の人、初めての場所である。人見知りなこともあり、頭の中は真っ白だ。


「まずは自己紹介じゃな。ワシはこの研究室の長をやっている、教授のクルトじゃ。これからよろしくな」


 少年が手を差し出してきたので握手をする。その手は少し硬かった。

 こちらも自己紹介をしなければ。


「こ、こここここの度はお誘いいただきありがとうございましゅ! 魔法学部現代スペル科准教授、ニナでございます! よ、よろしくお願いします!」


 ――終わった。


 人間関係において第一印象は非常に重要と言われている。にもかかわらず、大事な初めのあいさつでやらかしてしまった。来る前に鏡の前で何度も練習した自己紹介だったのに、想定外の事態が重なってパニックになってしまったのだ。自分のコミュニケーション能力の低さが恨めしい。


 しかし意外なことに気まずい空気にはならなかった。


「噂は聞いておるぞ。なんワシと同じ十七歳だとか。ワシの研究室に来てくれてありがとうな」

「クルトさん……」


 最悪の自己紹介だったのに、普通の笑顔で対応してくれた。なぜ半裸なのかは疑問だが、もしかしたらいい人なのかもしれない。


 ――そう思っていたのに。


「ふむ……ふむふむ」


 あいさつを終えたクルトはおもむろにニナの体を観察しはじめた。目の前をうろちょろして何かを考えこむようにじっと視線を向けてくる。


「あの、なんですか……?」


 突然の行動に困惑してしまう。緊張も相まって頭が上手く回らない。


「六十五点ってところじゃな」

「……? 何がですか?」


 謎に採点されてしまった。


「決まっておろう。お前さんの胸じゃよ」

「は?」


 聞き間違いかと思った。が、ニナの胸に注がれるクルトの視線がそうではないことを証明している。


「貧しいのは間違いないんじゃが、かといって中途半端にあるから貧乳好きのポイントも稼げない。こう、絶妙に需要のない大きさなんじゃな。もちろん大きさが全てではないが――」



 クルトは訊いてもいないのに語り続ける。その勢いに言葉を失ってしまった。


 コンプレックスである胸のサイズをバカにされた。そのことを数秒かけてじっくりと理解したニナは一瞬にして緊張が霧散し、代わりにふつふつと怒りがわいてくる。


 クルトはニナの地雷を完璧に踏みぬいたのだ。加減をしらないセクハラに対する怒りで全身が小さく震えだす。


「……ね」

「ん? どうしたんじゃ――」

「死ねぇ! このセクハラ野郎!」


 ニナはありったけの力を込めて殴り飛ばした。



 一章 研究と同棲と爆弾魔



「はっはっは、そう怒るな。どんな価値観も否定されるべきではないように、お前さんの胸を好む者も絶対現れる。お前さんはそのままでいいのじゃぞ」


 全力で殴ったはずなのに、クルトはさもダメージがないかのように起き上がる。

 とんでもない修羅場だが、セクハラをされた怒りでニナの頭からはすっかり遠慮が消えていた。


「うるさいっ、人が気にしてることを……‼ ていうか、思いっきり殴ったのになんでピンピンしてるのよ!」

「ワシの身体は特別製じゃからな。普通の人間とは違って痛みには強いのじゃよ」


 そう言って固い肉体を見せつけてくる。胸には見慣れないバッジがついていた。


「くっ、数学理論研究室の教授は人間じゃないって噂は本当だったのね」

「そんな嫌そうな顔をしても、お前さんがワシの身体に興味深々だというのはわかっているのじゃよ。触りたくなったらいつでもいいぞ」

「変態の身体なんて触らないわよ!」


 ニナは羞恥と怒りで顔を真っ赤にする。久しぶりに見る同年代の異性だったので、友達になれるかと期待していたが、その希望はあっさりと打ち砕かれてしまった。


 この先こいつと一緒に研究を進めなければならないと考えると頭が痛くなってくる。

 だが次の瞬間、へらへらしているクルトに鉄拳が下った。


 ゴン!


 およそ人を殴ったとは思えない鈍い音が響く。


「か……痛ったぁ! 何するんじゃルーク!」


 ルークと呼ばれたスキンヘッドの男が全力の拳骨をクルトの頭にお見舞いしたのだ。


「それはこちらのセリフです。せっかく来てくださったのに、すぐに怒らせてどうするんですか。ほら、頭を下げてください」

「ちょ、何するんじゃ!」


 抵抗しているが、ルークが無理やり頭を押さえつけて地面にこすりつける。


「ニナさん、うちの教授が本当に失礼を。クルトは研究一筋でほとんど同年代の女の子と話したことがなく、ニナさんへの接し方がわからないだけなのです。二度とこんなことをしないようよーく言い聞かせておきますので、どうかご容赦を。ほら、クルトも謝ってください」

「いや、ワシは……」

「謝ってください」


 有無を言わせぬ響きがある。優しそうな物腰だが、謎の迫力があった。


「す、すまぬ……」


 クルトは十七歳にして教授まで上り詰めるほどの天才であり、業界の中ではそこそこ有名人だ。なのにまさか初対面で土下座をされるとは……。


「あー、か、顔をあげてください。ルークさんでしたっけ。ルークさんは悪くないので……」

「うむ、これでニナも許してくれたな」

「あんたは許してないわよ。そこでずっと頭を下げていなさい」

「クルト、調子に乗ってると今度は拳骨百連打ですよ。きちんと反省してください」


 二人で責めるとまたすぐに頭を地面にこすりつける。


「すまなかったのじゃ」


 仮にもクルトは研究室の長なのに、低い身長と子供のような振る舞いには威厳などかけらもなかった。


「クルト教授ー、なにしてんのー?」


 と、そこで奥の部屋につながる扉が開き、一人の女性が現れた。


 年は二十代後半くらいだろうが、ウェーブのかかった長い金髪はぼさぼさで、化粧をしている様子もなく、ほのかに酒の香りが漂ってくる。ぱっと見は美人なのに、すごく残念な印象を受けた。


(でも、胸はすごく大きい……)


 それだけで女として負けた気がするから不思議なものだ。


「そこにいたのですか。今日はニナさんが来るから起きるように言っておいたのに……」


 ルークが咎めるように言う。その雰囲気から彼の苦労が伝わってきた。


「泊まり込みだったのよー。それで、なんでクルト教授は土下座をしてるのー?」

「セクハラ罪ですよ。こともあろうかニナさんに対してですよ」

「あはは! それは極刑ものだねー」


 女はケタケタと面白そうに笑って近づいてきた。


「この子がニナちゃんかー。うん! 写真で見るよりかわいいねー」

「え、あ、ありがとうございましゅ……」


 圧倒的に陽気なオーラを振りまく彼女に対して、ニナは目線をそらしてぼそぼそと返事をする。女として、生物として本能的に負けを認めてしまった。


「やめなさいルイーサ。ニナさんが困っているでしょう。あなたは酒臭いんですからまずはシャワーでも浴びてきなさい」

「そうだねー、急いで行ってくるー」


 ルイーサと呼ばれた女は機嫌よさそうに奥へと消えていった。あの人も仲間なのだろうか。


「すみませんニナさん。騒がしい人ばかりで……」

「い、いえ。すごく楽しそうな人ですね」

「そう言ってくださるとうれしいです」


 ルークはバツが悪そうに苦笑する。

 正直なところ、陽気な人は苦手なので今のところルークだけがこの研究室の救いだ。


「ああ、そういえば僕の自己紹介がまだでしたね。助教のルークです。年は三十ですが、この中だと最年長になりますね」


 三十で最年長というのは大学の研究室としては異常だが、この大学は三年前の終戦直後に設立されたものだ。才能があればどんどん飛び級させる帝国流のシステムも若年化を助長しているのだろう。


「これから紹介するルイーサと同じで魔術具の開発なんかをやっています」

「開発ですか……」


 本来、魔術具の開発は企業の領分だ。それを大学の研究所でやるというのは、改めてこの学園の異質性を実感する。


「次はそのルイーサを紹介しようと思ったのですが……」


 さっき行ったばかりなのでまだ帰って来ないだろう。


「それまでどうしましょうか」

「なあルークよ。いつまでワシは土下座を続ければいいんじゃ? そろそろ許してくれてもいいと思うんじゃが」


 しびれを切らしたクルトが土下座のまま言った。あれからずっと頭をこすりつけているので邪魔に感じていたところだ。


「と言っていますが、ニナさんどうします?」

「……はあ、もういいわよ。こんどセクハラしたら殺すわよ」


 怒りはまだ静まっていなかったが、これ以上言い続けると場の空気が悪くなりかねないので許すことにした。


「恩に着るのじゃ」


 クルトはほっとため息をついて立ち上がる。

 そうして三人で待っていると、すぐにルイーサは戻ってきた。この短時間で髪はばっちり整えられている。


「おまたせー、今なんの話してるのー?」

「お前さんを待っていたところじゃ。自己紹介してくれ」

「はーい、永遠の十五歳ことルイーサでーす」


 元気いっぱいの笑顔を浮かべピースをしているが、どう見ても十代には見えない。


「お酒は十六歳からじゃぞ」


 そう言えば酒の香りもしていた。


「じゃあ永遠の十六歳のルイーサでーす」

「……………………」


 ルークが三十で最年長と言っていたし、見立て通り二十代後半くらいだろう。


「あれ? ニナちゃん呆れてる?」

「え、あ、いや、そんなことないですよ?」


 とっさに否定するも、人見知りが発動してどもってしまった。


 陽気な人は苦手だ。研究者――特に数学科の人間は基本的に根暗な人が集まるので、かなり珍しい人種のはずなのだが……。


「あ、あたしはニナでしゅ。魔法学部現代スペル科所属でした」また噛んでしまった。

「これからよろしくねー。と言っても、助教の私の方が部下なんだけど」


 年齢にかかわらず、准教授であるニナの方が立場は上だ。他の大学は違うのかもしれないが、少なくとも帝国の運営するこの大学ではそうなっている。


「普段はそこのルークっていうハゲと魔術具いじりをやってまーす」


 ルークの「誰がハゲですか」という苦情は聞こえないふりをしておこう。初対面でデリケートな部分に踏み込んで藪蛇をつつきたくない。


「やっぱりこの学園は開発がメインなんですか?」

「うん。なにしろ帝国が運営してるからねー。軍事系ばっかりってわけじゃないんだけど」

「そうなんですか?」


 この学園が設立された経緯を考えると、少し意外だった。


「実際に開発したのを見せてやったらどうじゃ?」

「そうだね。例えばこんなやつとかー」


 ルイーサは近くの引き出しを開けて手のひらサイズの白い立方体を出す。


「蓄音機ですか?」

「惜しいけどはずれー」


 白い物体を机に置いてスイッチを押すと。


『大丈夫だよニナちゃん。緊張しなくても、このかっこいいハゲが色々教えてくれるからー』


 予想通り魔術具からは音声が流れる。しかし、その内容は録音とは思えない。ニナの緊張など事前に知りようがないはずだ。


「これ、録音じゃない……?」

「すごいでしょー。これ私の脳とリンクして腹話術をさせられるんだよー。録音じゃないの」

「そんな技術が⁉」


 さすがこの学園にいるだけはある。これだけの成果を出してまだ助教なのか。


『いま、しゃべらせたい言葉を私が考えるだけで流せるの』

「すご……」


 ニナの専門は魔法なので、魔術具についてはよくわからない。だがここまで技術が進んでいるとは思わなかった。


 研究者としての血がざわざわと騒ぎだす。最先端の技術を前にしてテンションが上がった。


「それだけじゃないぞ。ルイーサは映像を人間の脳に送れるカメラも開発してるんじゃ。この学園の監視カメラはすべてルイーサが作ったものなんじゃぞ」


 横にいたクルトは自慢げに言う。


 ルイーサはどや顔で「むふん」と鼻を鳴らした。


「す、凄い……」

「ふふふー、ほかにもこんなことができるよー」


 ルイーサは近くにあったノートを手に取って。


『Even though I walk through the valley of the shadow of death, I will fear no evil, for you are with me.』


 白の立方体からは聖書の言葉が流れてきた。


「えっ聖書⁉ まさか魔法を⁉」


 聖書の文言は魔法詠唱の基礎だ。ニナは一字一句完璧に覚えていた。


「ふふふーびっくりした? でも私は魔法がまったくできないからねー。ニナちゃんをこの研究室に呼んだ理由はこれなんだよー」

「なるほど……こうやってするんですね」


 なぜ魔法を専攻するニナが魔術を扱う研究室に異動したのか。その理由はここにある。


 ニナが呼ばれたのは「魔術と魔法の融合実験」を進めるためだ。今まではそんなこと不可能と思われていたが、この立方体があれば「魔術具」を通して「魔法」の詠唱ができるので、定説が覆される。


 しかし魔法は唱える者の意志が重要だ。ただ蓄音機から言葉を流すだけでは意味がないし、ルイーサのような素人がただ唱えるだけでも効果がない。そこでニナの出番というわけだ。


「ニナちゃん、ちょっとやってみてくれない? 専門家の魔法を見てみたいなー」

「えっ今からですか? いいですけど……」


 全く準備をしてこなかったので自信はない。

 魔法は唱える者の意志、つまり精神状態がかなり影響する。うまくいくだろうか。


「だいじょーぶだいじょーぶ。お遊びでちょっとやるだけだから。このボタンを押してる間は勝手に思考を拾ってくれるよー」


 ルイーサは安心させるような微笑みを浮かべてボタンを渡してくれる。


 その励ましで少しだけ肩の荷が下りた。


「……わかりました」


 ニナは目を閉じて精神を集中させる。

 魔術具を通して魔法を唱えるなんて初めてだ。恐らく、世界でもニナ一人だろう。

 前人未踏。その言葉は研究者の大好物だ。少しの期待に心臓が早鐘を打つ。


『The beginning of the gospel of Jesus Christ, the Son of God.』


 立方体からニナの詠唱が流れる。口を開かずに詠唱できるのは不思議な気分だ。


『As it is written in the Prophets: "Behold, I send My messenger before Your face, Who will prepare Your way before You."』


 詠唱をしているからか、立方体は青い光を帯びる。小さく、優しい光だ。


 未知の反応に胸が高鳴っていく。


『"The voice of one crying in the wilderness: 'Prepare the way of the Lord; Make His paths straight.' "――‼』


 ニナは力強い詠唱を終える。

 しかし直後に立方体からガリッという異音が聞こえ。


 瞬間、辺りは閃光に包まれた。

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