第二話 新たなクラスメイト
「椎菜ちゃん、おはようさん」
横山君に言われた言葉が頭の中をぐるぐる回って、周りが一切見えていなかったわたしを、聞き馴染みのある声が現実に引き戻す。顔を上げると、声の主はいつも通りのにこやかな笑顔でわたしを迎える。
「文音ちゃん!おはよう」
「今年も椎菜ちゃんとおんなじクラスになれて、ウチは嬉しいで」
「わたしもだよ!席も近いし、当たりのクラスだね」
文音ちゃん――竹林文音は、わたしが中学時代に知り合い、ここ曙高校に唯一同じ中学から進学した友達だ。私より少しだけ身長が高く、セミロングの髪に大きめのリボンの髪飾りが特徴的。
「にしても文音ちゃんが寝坊なんて珍しいね。何かあったの?」
今日の朝、彼女から「寝坊してもうたさかいに、先に行っとって!」という連絡が来たときは思わず声が漏れてしまった。彼女はクラスでも頼られるしっかり者だから。
まあ、それでも五分前に間に合っているあたりは彼女らしい。
「恥ずかしいんやけど、クラス替えのこと考えとったらあんまり寝付けんで・・・」
そう言って下を向きながら髪をいじっている彼女は、世界中の人が見惚れてしまう可愛さを持っている。
「そや!忘れるとこやった」
突然、思い出したように顔を上げると、わたしの隣の席――横山君の席に向かっていき、声をかける。
「君、直斗くんやんな。うちのこと覚えてへん?」
その話し方から、彼女たちが知り合い、おそらく小学校か幼稚園の頃の友達なのだろうと察する。
名前だけなら同姓同名の可能性もあるが、その声に迷いはなく、自分の知り合いであると確信を持った声だ。
彼はわたしの時と同じようにゆっくりと振り向くと、相変わらずの無表情で少しの間彼女を見つめた後、自信なさげに答える。
「――もしかして、竹林・・・?」
「せやせや、久しぶりやなぁ。まさか高校で再会できるなんて思わへんかったで」
「小学校以来か、懐かしいな」
小学校以来だという再会を喜んでいる二人。
その会話を横で聞いているわたしは、ある違和感を感じる。
「横山君、文音ちゃんと仲良かったんだね」
「そうですね、同じ小学校でしたし、よく一緒にいましたからね」
「それにしても、直斗くん結構変わったなぁ。昔はもっとヒョロヒョロやったのに、今ではこないに逞しなってもうて」
「ああ・・・。それは、まあ成長期だしさ」
私と話すときと、彼女と話している時とで話し方が全く違う。
もちろん今日初対面の人と、小学校の時の友達とでは話し方が変わるのは理解できる。でも、それ以上に違うというか、まるで目の前に二人いて、わたしと彼女でそれぞれ別の人と会話をしているような感覚だ。
とはいえ話し方以外に明確に違いがあるわけではない。未だに表情は一つしかわからないし、少しゆっくりな話し方も変わらない。
「そういえば、竹林はなんで私がこの学校にいるって知ってたの?」
わたしが言葉にならない違和感に悩んでいると、彼はふとそんな疑問を口にする。
そういえば、なんで知っていたんだろう。苗字も名前も珍しいわけではないし、クラスの名簿を見ただけであんなに自信満々に話しかけたわけではないと思うけど。
「だって、直斗くん合唱コンで指揮者やっとったやん。その時に気づいたんやで」
合唱コンとは、うちの高校では毎年三月に行われている学校行事の一つだ。内容はいたって普通の合唱コンクールで、クラスごとに課題曲と自由曲を歌うものだ。
ほかの学校と違うのは時期ぐらい。三年生は進路の事もあって参加はするけど、メインとなるのは一、二年生になる。
「確かに指揮者やったけど・・・。よくそれだけで気付いたね」
「直斗くんのクラス、優秀賞もろうとったやん。目立っとったし、一発で分かったで」
「横山君、あのクラスだったんだ!すごい覚えてるよ!指揮者なんてすごいね!」
正直他のクラスはどこも似たような感じだったけど、優秀賞をとったあのクラスだけは違った。特別歌が上手かったわけではないと思うけど、一人残らず真剣に取り組んでいるんだろうと感じさせるあの雰囲気は鬼気迫るものがあった。
あのクラスで指揮者をやっていたということは、クラスを一つにまとめ上げたのも彼なんだろう。
「いや、私は大したことはしていないですよ」
思考を読んだかのような返答をした後、一泊置いて彼は続ける。
「あの合唱を作ったのは私ではないですよ。もう一人の実行委員の方がクラスを纏めてくれまして。他にも伴奏をやってくれた健吾とか・・・」
「お、俺を呼んだか」
彼の話を遮って、見るからに遊んでいそうな明るい茶髪の男子が嬉々として会話に混ざってきた。
「ようナオ。今年も同じクラスだな」
「そうだな。あと一応言っておくと、別に呼んだわけではない」
横山君の肩に手を置くが、すぐに払われている。
文音ちゃんの方をちらっと見るが、彼女も新しくやってきた彼のことは知らないみたいだ。
そんな空気を察したのか、肩に置かれた手を払った後、わたしたちに紹介を始める。
「こいつは鈴村健吾。さっきちょっと言った合唱コンで伴奏をしてくれたやつで、中学の時からの私の親友」
「お?親友だなんて恥ずかしいこと言ってくれるじゃねぇか」
「別に嫌ならただの友達でもいいよ」
「いーや。親友の称号はありがたくもらっとくぜ」
三十分程前、彼に初めて会った時に抱いた第一印象とは、大きくかけ離れた彼が目の前にいる。
親友との会話でさえ一ミリも表情が変わらないのはやはり変に感じるけど。
「というわけで、俺はナオの親友の鈴村健吾だ。よろしく」
親指を立て、自慢げな笑顔を浮かべた鈴村君が改めて自己紹介をする。
「ウチは竹林文音。よろしゅうね、親友さん」
「わたしは早坂椎菜。みんなで仲良くできるといいね」
二人で簡単に挨拶をすると、鈴村君はまるで何かを確認するかのように真剣な表情で二人の顔を交互に見たあと、一瞬目線を外してから元の笑顔に戻り、さっきまでの真剣な表情が嘘のように明るく横山君に話しかける。
「朝からこんなに可愛い女子二人と居るなんて、モテ期でも来たか?」
「・・・そんなんじゃないよ。あまりそういう冗談は言わないでくれ」
・・・気のせいかもしれないが、今一瞬、ほんの少しだけ表情が険しくなったような気がする。表情だけでなく、今の台詞や話し方にも少しばかりの不快感が含まれている。
何故なのか、今のわたしには全く見当がつかないけど。
「そうは言うけどよ、あながち冗談じゃないかもしれないぜ」
「へーっ、直斗くんってモテてるんや」
ニヤッと笑いながら話す彼に、文音ちゃんが横から食いつく。
否定するのも嫌になったのか、二人からの視線には取り合わずに再び外を眺め始めた。
「そんな機嫌悪くすんなって。実際、青木にはモテてるだろ?」
「その青木っちゅう人はどないな人なん?」
知らない名前が出てきて横山君に聞いているが、相変わらず無視をしている彼に変わって鈴村君が答える。
「去年の合唱コンでナオと一緒に実行委員をやってた女子だ。それまでは話したことも無かったんだが、合唱コンの後からすげー仲良くなってな。クラスの中じゃ、実質的に二人は付き合ってるってことになってたくらいだ」
横山君が誰かと付き合っているっていうのはあまり想像が出来ない。クラスで噂になるようなことを横山君がする雰囲気は無いし、青木さんってどんな人なんだろう。
「確か青木もニ組だった筈だし、そろそろ来るんじゃないか?」
「直斗ー!おはよー!!」
鈴村君が言い終わるのと同時に、クラスの大半が登校してきて騒がしい教室中にも響き渡る大きな声と共に、金髪のポニーテールが目を引く女子がわたしの視界に飛び込んできた。
文字通り飛び込んできた彼女は、勢いそのままに横山君に抱き付く。突然のことに理解が追い付かないわたしとは違い、鈴村君や彼女と一緒に登校してきた友達は驚くこともせずに微笑ましく眺めている。
「青木さん、おはようございます。取り敢えず、離して下さい。」
両肩を持たれて引き剥がされる彼女は名残惜しそうにしているが、抵抗する力は弱い。どうやらこの一連の流れはよくあることのようだ。
「激しいスキンシップは止めてほしいと何度も言っているではないですか」
「えー、久々に会えたんだし今日ぐらいいいじゃん」
「頻度の問題ではないのですが」
お互いに不満そうではあるものの、本気の不満ではない、二人の通常の距離感だと初めて見たわたしでもわかる。
「はいはい二人共、同じクラスになれて嬉しいのはわかるが、朝からイチャつくなよな。こっちの二人が固まっちゃっただろ」
手を叩いて二人の世界から引き戻した鈴村君は、そのまま二人の視線をわたしと文音ちゃんに向かわせる。
「え⁉ どしたん直斗。こんなに可愛い女子二人と朝から話してたなんて、モテ期でも来たん?」
「フフッ・・・」
ついさっき聞いたばかりの台詞を言われ、ついつい可笑しくて少しだけ笑いが漏れてしまう。
それは二人も同じだったようで、文音ちゃんは肩をぷるぷると震わせていて、鈴村君は下を向いて右手で口を抑えている。
「え?エナ何か面白いこと言った?三人共どうしたの?」
一人だけ状況を理解できない彼女は、わたしたち三人をきょろきょろと見ながら困惑した表情を浮かべている。
「いや、ついさっき俺が言ったようなことを青木が言うから、ちょっと面白くてな」
「それってそんなに面白い?」
鈴村君の回答に対し、純粋な疑問を口にして首を傾ける青木さん。
実際、冷静になってみると別にそんなに面白いわけではないけど・・・。
(青木さんってすごいはっきりものをいう人なんだなぁ)
「まあそう言うなよ。そんなことより、やっぱりモテ期来てるじゃねぇか、ナオ」
「・・・別にそういうことでもいいけど・・・」
「えーっ、浮気は良くないよ、直斗」
「浮気も何も私は誰とも付き合ってないんですけど・・・」
「よーし、お前ら席に着け―。ホームルーム始めるぞー」
勢いよく教室に入ってきた担任の渡辺先生の一言で、この場はひとまず解散となった。
新しいクラスでの最初の朝。
こんなにも刺激的になるとは想像もしていなかったけど、これからの日々はどんなものになるのだろう。