第一話 奇妙な隣人との邂逅
「まもなく、曙。お出口は左側です」
高校の最寄り駅を知らせるアナウンスが電車内に響く。
通勤ラッシュの時間帯だが、比較的空いている車内でわたしは降車の準備をする。スマホを制服のポケットにしまい、わたしを学校での普段のわたしに切り替えて、降りるドアの付近でドアが開くのを待つ。
ドアが開くと、まだ少し肌寒い空気がわたしを迎える。まだ少し早い時間のため、降りる人の中に同じ制服を着る人はほとんど見当たらない。
改札を出て、階段を降りると、残念なことに太陽が雲で覆われている。
「今日から新学年なのになぁ」
ついついそんな愚痴をこぼしてしまう。
せっかくの節目の日なのだから、雲一つない快晴が良かったな、なんてことを考えながら高校へと歩き始める。
最寄り駅とはいっても、高校までは十五分程かかるから、ちょっとだけ不便だ。出来る事なら高校の目の前に駅が欲しい。
駅の周りはビルが立ち並んでいたり、ロータリーがあったりと栄えているが、高校の近くに行けば田んぼや畑があって田舎って感じがする。
そんな街を歩いていくほど、高校との距離が近づくほど、わたしの緊張は大きくなってくる。
今日から新学年ということは、クラスが変わるということ。クラスが変わるということは、新しく友達を作るということ。わたしは別に人見知りではないけど、どうしても不安になってしまう。
うちの高校は一学年に八クラスあって、一クラスが大体四十人だから、クラス替えをしたらおおよそ五人くらいが同じクラスだった人になる。同じ中学の人がほとんどいない高校を選んだから、ほかのクラスに知り合いもいない。
そんな状況だから、登校中から緊張しているし、朝もいつもより早く家を出てしまった。
とりあえず、隣の席の人と仲良くなろう。隣の席の人が登校してきたときに挨拶をして、そのまま流れで話を続けて始業式までには仲良くなっている。完璧な作戦だ。でも相手が怖そうな人だったり、挨拶を返してもらえなかったり、話が弾まなくて仲良くなれなかったり、そんなことがあったらどうしよう・・・。
いや!きっと大丈夫だ。なんていったてわたしは人見知りじゃないし、去年だってすぐ友達出来たし、今年も大丈夫。いやでも・・・。
そんな思考を何周もしているうちに、いつの間にか周りは田んぼや畑があって、目の前には正門が見えている。
とにかく、まずはクラスを確認して教室に向かおう。隣の席の人が知り合いかもしれないし。
正門を通り抜けて、下駄箱のほうへ向かう。下駄箱の近くにある掲示板に、クラス分けが書いてある。
「今年は二組かぁ」
まあ別に何組であっても関係ない。大事なのはクラスのメンバーだ。
新しいクラスの出席番号順に名前が書かれている紙を、上から順番に確認する。鼓動が速く、大きくなる。
うちの高校は二年生から三年生に上がるときにはクラス替えがない。したがってこのクラスはこれから二年間を共にするメンバーであり、友達ができるかどうかは死活問題といっても過言ではない。
だからこそ最初から友達がいると、だいぶ気が楽になる。
そんなことを考え、祈りながら確認していると、
――竹林文音
「――っ!」
わたしは思わず声にならない喜びを口から漏らし、両手でガッツポーズをしてしまった。
ハッとして周りを見渡したが、朝早いからか、運よく誰にも見られていなかった。別に見られて困るわけではないけど、見られていたら恥ずかしくて一目散にこの場所から逃げていただろう。
ひとまず落ち着いて、上履きに履き替えて教室に向かおう。
「まさか、また文音ちゃんと同じクラスになれるなんてなぁ」
彼女は唯一同じ中学からの友達で、去年も同じクラスで、一番仲良くしてくれた。
そんな彼女と同じクラスなら、今まで緊張していろいろ考えていたのがバカみたいだ。
「幸先良いスタートが切れたし、クラスにもきっとすぐになじめるよね!」
そんなことをつぶやきながら、誰もいない廊下を教室に向かって進む。
二年二組の教室につくまでに、ほかの教室の様子を見てみるけど、どの教室もまだ誰一人登校していない。うちの高校は登校時間が八時三十分で、今が七時五十分を過ぎたくらいだから、当然のことではある。
さすがに早すぎたかなぁ。なんてことを考えているうちに教室についたので、扉を開けると、
窓際の席に一人、外を眺めている男子がいた。
その男子は扉を開けた音に反応してこちらを見たが、私を見るなりすぐに、また外を眺め始めた。
こんな時間に来ているなんて随分と変わった人だなぁ。なんて思いつつ、黒板に貼ってある席を見に行く。
わたしの席は窓際からニ列目、前から五番目の席か。あれ?この場所ってもしかして・・・。
そう思い、振り返って席を一つづつ丁寧に数えていく。
間違い無い。何度数えてもわたしの席はあそこになる。
この、まだ掲示物などが一つもなく寥寥とした教室で、ただ一人外を眺めている彼。彼は今、窓際の列の、前から五番目の席に座っている。
(マジか!まさか隣の席の人がわたしよりも早く来ているとは思わなかった。)
当然のように私が先に居る前提で考えていたから、これは想定外。それに、よりにもよってめちゃくちゃ話しかけづらそうな人が相手だなんて。
異性であるというのもあるが、何より彼は何もしていないのだ。勉強をしたり、読書をしたり、スマホをいじったり。多くの人がするであろうことを何もしないで、ただただ外を眺めているだけ。ここは二階だから、特別景色が良いわけではないと思う。
何を考えているのかわからない、多分わたしの苦手な人だ。
(えーっと、名前は・・・)
再び黒板に貼ってある座席表を見て、彼の名前を確認する。
――横山直斗
横山君か。とにかく話しかけてみよう。友達は多いほうが良いし、話してみたら全然想像と違うかもしれない。そう自分に言い聞かせて、自分の席に向かう。
自分の席でカバンを下ろし、着席する。
「横山君、で合ってる?」
誰もいない静かな教室に、わたしの声が響く。
鬼が出るか蛇が出るか。相手の反応を待つ一瞬が、とても長く感じる。
「・・・ええ、私が横山ですが」
ゆっくりとこちらに振り向いた彼、横山君が答える。
なんだか高校生とは思えない話し方だけど、とりあえず無視とかでなくてよかった。
ただ、わたしよりも一回り以上大きく、制服越しでもわかる筋肉質な身体、そして一切の感情を感じない無表情の影響で、わたしは完全に蛇に睨まれた蛙のようになってしまった。
「どうかしましたか?」
凍ったように固まった私を見て、横山君が聞いてくる。
「あ、えっと、わたしは早坂椎菜って言います。これから二年間、よろしくね!」
精一杯の笑顔を浮かべて伝える。
「――ああ、こちらこそ、宜しくお願いします・・・」
少し困惑しような声色で、深々と頭を下げてくる。
「いやいや、そんなかしこまらなくてもいいって」
「――別に、かしこまっているわけではないんですけども」
二人の間に気まずい沈黙が流れる。
なんだか開始一歩目にしていきなりつまづいてしまった感覚だ。
「そういえば横山君、学校くるのだいぶ早いね」
「――いや、もう遅いんですよ・・・」
「・・・」
「・・・」
「きょ、今日からせっかく新学期なのに、曇りとかツイてないよねー」
「――ん、ああ。そういえば今日は曇りなんですね」
「・・・」
「・・・」
(どうしよう!この人と仲良くなれる気がしない!)
誰もいない学校に一番乗りできているのに遅いとか言うし、ずっと外を見ていたのにまるで今曇りだと気づいたような反応だし。それにこっちは常に笑顔でいるのに相手は眉一つ動かさないし、返答までに少しラグがあるし、話すのも割とゆっくりで何を考えているのか全く分からない。早くも心が折れそう。
そうやって一人で落ち込んでいると、隣でずっと見ていた横山君が口を開いた。
「――あの、あまり無理しないほうがいいですよ」
「・・・・・・?」
無理をしている?もしかして、私とあなたは相性が悪いから友達にはなれない、みたいなこと?
横山君の言っている意味が分からず呆けていると、横山君は続ける。
「――人の心っていうのは、脆いものですから。自分でも驚くぐらい、一瞬で壊れてしまうものなんですよ」
そう言って、横山君はまた外を眺め始めた。
言っていることの意味は、全く理解ができない。
それなのになぜか、わたしの心がその言葉を掴んで離さない。
そんな風に感じてしまう。