3話 幸せになりたい
どれくらい経ったのかはわからない。
盲目聾者の私には今が朝なのか夜なのか時間がわからないのだ。
寝る回数と腹時計で自分なりに計算しようとしたけど何を基準にしたらいいのかさっぱりで随分早い段階で諦めてしまった。
でもこんな身体でも分かる事は幾つもある。
私が今いる場所は日本じゃないって事もその一つだ。
先ず今私に掛かってる毛布だ。
目が見えなくても手で端を辿るとどんな形なのか分かる。歪んだ楕円の形をしてて、下は滑らかで上は毛皮で縫い目の感触はどこにもなかった。そして微かに獣臭がする。資本主義国特有の何でも商品に札を付ける傾向は毛布やシーツの全体を触れてる限り何処にも見当たらなかった。
それと私が使ってるベッド。赤ん坊の繊細な肌には危なく紙やすりなどで滑らかにしたベッドのフレームではない。このベッドフレームは少し左右に動くだけでガクッと丸ごと動いてしまう代物だ。
私が付けてるオムツも布製で変えてもらう度縫い目や布の質も全部一緒ではない。もしかしたらこれは手作りなのかもしれない。そこまで考えて、今私がいる場所は田舎...発展途上国でもない可能性が高い。それならどこの国にいるのか...湿気が高くもなければ乾燥してるわけでもないから南アメリカ、北アフリカ周辺とかでもない。そこでも発展が進んでるはずだし気候も違う
(痛っ)
考え事に浸ってったら無意識に手をシーツの下に伸ばしまった。そのせいで処理されてないベッドフレームからの木の棘が指先に刺さった。針と違って地味に痛いし、痛みが続くのが木の棘。一度刺さったら中々取れないのも厄介だ。目の見えない私には何処に刺さったのか分からないし、赤ん坊の不器用な手で棘を取り出すなんてほぼ不可能だ。ましてや赤ん坊の繊細な肌のせいでいつにも増して痛い気がする。
痛さに耐えきれなくて泣いてしまった。
この世界に転生してから分かる事がもう一つ、自分が赤ん坊になると精神的にも赤ん坊になってしまう。
どういう意味かって?
涙もろくなったてことだ。
そしたらやっぱりお花の香りが近づいてきた
私が泣く度近付いてきて抱っこしてくれる人。泣き止むためにご飯を食べさせたりあやしてくれる。でも今回はお腹が空いてるわけでもオムツを変えてほしいわけでもないから赤ん坊の私、ましてやこの人の顔も声も知らないのにどうやって教えるのか分からない。
取り合えず痛い指を振り回そう
気付くまでやり続ける、粘るぞ作戦だ
暫く手を精一杯振ると気付いたのかお花の香りの人が私を降ろして痛い方の手を開かせた。棘が刺さった指先から何か不思議な感覚がした。暖かい空気とは違うなにかエネルギーみたいな感じる。お花の香りの人は棘の刺さった指先には一度も触れず、ましてや塗り薬など使わずにして痛みがどんどん和らいでいく。痛みが完全に和らいだ時には刺さった棘も無くなってていつものスベスベな指に元通り
こんな技術地球に住んでた時は聞いたことがない
さっきのは前言撤回。私が生まれ変わった場所はきっと地球じゃない
異世界だ
*****
私はまだ自力で起き上がることも出来ない赤ん坊だからずっとベッドの上にいるけど鼻が異常に利いて物の位置とかはなんとなく分かる
まさに犬だ
だから抱っこしてくれたお花の香りがする人の位置は特定できた
お花の香りがする人、
その人は私にご飯をくれて、温めて、寝る時には優しく背中を撫でてくれる。この人の香りはベットと同じでずっとこんなに良い香りなら香水でも付けてるのだろう
香水の種類とか私にはよく分からない。施設の保育士も何度か香水を付けてたけどその香りより優しくて落ち着く
そのお花の香水を付けてる人は優しい人だと盲目聾者の私でも分かる。前世の事件を思い出したり悪夢にうなされて泣いてた時、お花の香りの人が優しく抱き上げて背中を摩りゆっくり左右に揺らしてくれた。泣き止むまでずっと抱っこして、歌ってた...のかな?
頭を胸に載せてたから、どこか気持ち良く、丁度いい振動を感じた。これは人が喋る時に出る振動なんだと思う。歌声だと思ったのは私がいつも泣いた時同じテンポで振動するパターンも一緒だった。音そのものは聴こえなかったけど優しさは十分に感じ取れた。
なによりも...
誰かが私を構ってくれた
生まれて初めての感覚...ずっと憧れてて、欲しかったものが転生して直ぐ感じられて、手に入る事が出来た。
こんな私にも...
(凄く嬉しい...)
私を無能とめんどくさがることもなく、愛情たっぷり与えてくれた
私の事を大切にしてるのが声に出さなくても、表現しなくても十分伝わる
なんて暖かいのだろう
この時、お花の香りが一番好きな香りとなった。
*****
前世で私は産まれて直ぐ、赤ちゃんポストに入れられた
赤ちゃんポストは面倒を見られなくなった親が匿名で赤ん坊を託すことが出来る窓口のことだけど『託す』なんて綺麗事だ、要するに捨てられたのだ
匿名で捨てられる...
そのせいで私は両親どころか親戚も分からなかった
親は生きてるのかもしれない。だけど捨てられた私は絶対に迎えに来ることはないのだと幼い頃に悟った。だからこそより孤独に感じるようになった。小学校に通い始めた時、母親と手を繋いで登校してるクラスメイトを見ると悲しくて、虚しくて、自分には絶対にはこんな状況になれないんだなって思い知らされた
お花の香りの人...いや、今世の母親は私の事を大切にしてくれてる
当たり前の事かもしれないけど私にとっては初めての経験。ずっと欲しかった親からの愛情と温もり。それが生まれてすぐ手に入れる事が出来たなんて
今世では、こんな私でも幸せになれるのかもしれない...いや、幸せになりたい
たとえ盲目聾者でも、この人生は幸せになりたい。
それが私の目標だ