選択
私はいまトンネルの中にいる。
私が何者なのかはわからない。
しかしそれはどうでもいい。
前には道が二本ある。
明るい道と暗い道だ。
よくある話だ。あなたはどちらに向かうかという質問だろう。
しかしおかしい
問いがない。
普通この質問をするときには問がある。たとえば天国か地獄か、正義か悪かなど問がある。
しかし明るいかくらいかの二本道だ。
後ろを見ても真っ暗だ。
私は後ろに向かおうとするが、体が動かなくなる。
本能的に、野生の勘なのか、心も体も動かなくなる。
私は再び二本の道に向き直る。
右の道は真っ白で何も見えない。
左の道は真っ暗で何も見えない。
私はどちらに行こうか迷っている。
どちらに行ってどうなるかがまるでわからない。
情報がないのがこんなにもどかしいとは思わなかった。
どちらに行っても正解、不正解がないのはこんなにも怖いのか。
私はどちらに行こうか決められなかった。
ただ前に二本の道がある。
その分かれ道に私はいる。
正解が決められている中で迷うというのはとても幸せなことだ。結果がわかるからだ。
迷うことが許されずに強制的に決められるのもまだ幸せだ。結果があるからだ。
しかし一番困るのは結果がわからないことだ。
そもそも生活の中は選択だらけだ。
選択をしていく中で選択をしていないと思ってもじつはしている。
この物語を読むという選択、この物語を読まない選択、この物語を読んでいて閉じない選択。
この物語を読んでいるということはわかると思うが、小説のなかっでは何でもできる。
そして異世界転生者では大概選択が成功している。
例えば怪物に対する攻撃方法、ヒロインに対する口説き方、裏切り者は誰かなどだ。
別にそれが間違いとは一切思わない。失敗して狼狽するより、都合よく成功するほうが読者は見ていて気持ちがいいし、売れるからだ。
しかし何か一歩間違えればその物語は崩壊することも少なくない。もしその買うぶつの弱点が違えば、もしヒロインが襲われなかったら、もし自分の不得手が一個多かったら。
選択というのは選択をしないという選択もある。時間という概念がある以上、私達は常に何かを選択をしている。それは行動していなくても行動しないという選択をしている。
さて...私はどちらの道に進もうか...それとも進まずにここで立ち止まろうか...