グリュッガー領での出張舞台 その1
りんご亭の前に乗りつけられた豪奢な馬車から降りて来たのは、グリュッグの領主、グリュッガー伯爵の執事だった。
彼とは、水車小屋事件の時、グリュッグから馬車で順調に行けば2泊3日のところにある湖のある避暑地で療養していたグリュッガー伯爵に会いに行った時、見知った顔だった。
本来執事は伯爵と一緒に動く事なく、領地の館に控えていて、領地運営を手伝っているものだと思ったが、顔見知りが行った方が良いだろうという伯爵の考えで、わざわざグリュッグから王都まで出て来てくれた様だった。
この時間は所謂アイドルタイムと言われる昼食と夕食の間で、調理場は休憩時間なので、食堂の方は人気がなかった。
「ももさん、グリュッガー伯爵の執事が、お話があるとかで、食堂のところでお待ちです」と、チッチがももちゃんが作業していた裏庭で声を掛けた。
伯爵の代理として来た人を食堂で持て成したとなると外聞が悪いので、普段自分たちが居間として使っている狭目の部屋へ通すべく、「スーラさんに言って、すぐに居間へお客を通せる様にしてもらって。準備が終わったら直ぐに知らせて欲しいのと、お客が居間へ入ったらお菓子とお茶を出す様に言って下さい」とチッチに指示を出しながら、自分はスーラが仕度できる様に若干ゆっくり目の歩調で食堂に向かった。
「お久ぶりです。水車小屋の時は、大変お世話になりました。常々よりアルフォン・フォン・グリュッガー伯爵様にはお世話になっております。劇場を借りる際にも、ご尽力いただいたり、大変助かっております。さて、お話があるとの事ですが、こちらの食堂では何ですので、今、お話しできるお部屋をご用意致しましたので、こちらへ」と言いつつチッチの合図を横目で確認し、用意が整った事を知った上で執事を居間へと誘った。
居間は自分たちの部屋や客室よりは若干狭いが、それでもチッチが普段寝泊まりしている部屋と同じ大きさなので、大き目のテーブルと8脚の椅子を置いていても十分身動きができる大きさはあるのだ。
窓際の席、日本で言う上座へ執事を案内し、座ってもらった。
タイミングを見計らっていたスーラが扉をノックして、茶菓子とお茶を持って入って来て、座ったばっかりの使者とももちゃんの前に並べ、一礼をして居間から出て行った。
チッチは扉の横に立ったまま、別の指示が出るまで待機してもらっている。
他の3人を呼ばなければならない可能性もあるからだ。
「まずはお茶菓子をどうぞ」と言いつつ、毒など入っていない事を示すためにももちゃんが茶菓子とお茶に少しづつ口を付けた。
執事もそれに倣い茶菓子を食べた。
お茶を飲んで一息ついたところで。「実は伯爵が劇場をお貸しする時に尽力した事に対してお約束して頂いていた通りに、グリュッグの町でもこちらのビアガーデンでやっている様な余興をやってもらえないかとおっしゃっております」と今回の訪問について説明を始めた。
ここでチッチに頼んでみぃ君を呼んでもらい、ももちゃんとみぃ君の二人で執事の説明を聞き始めた。
ももちゃんが使者に確認したのは以下の4点。
公演は建物の中で行うのか、野外ステージなのか。
不可抗力の事態が起こり、結果的に公演が開けない場合、どこまでを伯爵が持ってくれ、どこまでがこちらの免責となるのか。
出演者の数に上限があるのか。
出演者はこちらで選んでよいのか。
使者にとってはというよりも、伯爵にとっては想定されていた設問であるらしく、使者は淀みなく答えた。
公演は室内1回と野外1回の計2回。どちらも1時間くらいの公演で良い。
1回は伯爵邸内で、伯爵が招いた貴族たちの前で行い、野外は伯爵が中央広場に設ける舞台の上で、領民に向けてとのこと。
伯爵邸内と中央広場の野外の公演は3日以内で行うので、芸人たちの移動は一度で済む事。
費用は宿泊・飲食・移動等、全て伯爵の方で用意するので、実質伯爵持ちとなること。
それ以外にも費用が発生すれば伯爵が持つとのこと。
もちろん、芸人にもそれを手配するももちゃんたちにも報酬は払うこと。
今回はアイドルも連れて来てほしいので、一行に警備や手配関係の人員が混じっても良いし、その費用・日当は伯爵側で持つ事。
野外の公演では警備の手が足りなくなるので、グリュッガー伯爵の方で、かなりの数の警備を追加手配してもらう事。
芸人が病気や死亡し、公演が出来ない場合でも、それまでに係った経費は持つ。但し、公演そのものが実施されなければ報酬は発生しないことなどを告げて来た。
ももちゃんとしては、移動が開始されてからの拘束料として、芸人の誰かが不慮の事態で公演ができなくても、移動と滞在に係る日数については報酬よりは少ないが日当を払ってもらう事を追加で条件に加えてもらい良しとした。
また、衣装や楽器等は普段使っている物を王都から持参する様にするので、移動中に破損した場合は伯爵がそれ等についても補償してくれるという条件を更に付けくわえた。
後は、期待される演目と参加させる芸人たちを何人までとするか等の細かな打ち合わせになった。
伯爵からの要望として、タップダンスと剣舞、歌手は2組までは必ず演目の中に入れて欲しいと執事から伝えられた。
そして、伯爵のバカ息子からは、ガールズグループのチョコミントを出演させる様に依頼があった。
まずは芸人たち本人の了承が必要となるが、芸人が拒まなければという条件を飲んでもらい、最優先でこれらの芸人は今回の遠征に入れる事にし、その他にも寸劇等も組み入れ、これで良ければ芸人たちと交渉を行う事で一旦は打ち合わせを終わらせた。
ビアガーデンが閉まっている時期なので、基本的には芸人の手配は難しくない。
ただ、芸人たちへの報酬はしっかり弾んでもらうつもりだ。
王都からグリュッグまでの移動に係る往復の日数プラス、グリュッグでの滞在日数分、派遣する芸人は王都では活動できないのだから。
ただ、伯爵に乞われて、わざわざ演技する為に王都からグリュッグまで出張公演するとなれば、芸人自身の名声にもなるのだ。
遠征を打診して断る芸人はそうそういないはずだ。
一つ懸案事項があるとすれば、マイクや音響設備のないこの世界で、野外ステージをする場合、どこまで音声が届くかという事だ。
それも考えて、ももちゃんが最近結成させた太鼓隊も同行させる事にした。
この太鼓隊は、4人が最初にビアガーデンで演奏した様な演目を本物の太鼓を使って演奏する為にももちゃんが募集し、練習させたグループなのだ。