元従業員
宿の方も開店してから、新しい従業員1名と調理師2名を雇った事で、4人の仕事は軽減された。
新しい従業員はルルというミルと同じくらいの年の女性と、ボルゲとドンパという調理人だ。
クレッシェンドも直に調理人に伝手はないということで、彼の知り合いからの紹介になった。
ボルゲは以前別の食堂で調理人見習いを5年以上やっており、経験者と言える。
筋肉隆々で、ごんさんやみぃ君よりも背も高く、彼が調理場にいるだけで圧迫感がすごい。
ドンパは調理人として働いた事はないが、以前この店に食べに来た事があり、美味しかったので、将来自分の店を構えるためにも調理人になりたいと思ったとのこと。元はパッとしない冒険者だったらしく、主に街中の雑用中心の仕事をしていた様だった。彼はお調子者で、軽口は多いが、手は動かしているので一応は良しとし、採用に至った。
まあ、他に伝手もなく、新たに人を雇うのは信用できる人物かどうか判断しづらいので、紹介してもらったのだからというのも採用の決め手となった。
彼ら2人だけで調理場を回すのはまだまだ先の事になるかと思うが、まずは育てなければならない。
そうでなければ4人の仕事量はこの先減る事はないからだ。
宿の方は掃除の手が一人増えた事で、ミルもスーラも楽になり、スーラが帰宅した後の給仕も、ルルがいることで大分助かっている。
ルルは金髪の大人しめの女性だが、何よりスタイルが抜群だ。所謂、ボンキュッパなのだ。
顔はそこそこなのだが体の線が出てしまう服だと、男性客に誤解を与えてしまうかもしれないところだが、りんご亭の制服は胸まで覆うエプロンなので、その辺は大丈夫だろう。
宿屋の方も営業を始めて、一見順調に滑り出した様に見えたが、客間のトラブルで男性の方の大部屋のベッドが2台壊されたり、客の荷物の盗難騒ぎや、朝食のカットフルーツの大きさが隣の客と大きく違うなどのクレームなど、大小さまざまな問題は起こったが、何とか乗り越えている。
今のところ、起こった中で一番大きな問題は、猿酒を飲み過ぎて、夜中に急性アルコール中毒の様になった冒険者が出たことだ。
真夜中の事なのでチッチが対応したのだが、水を飲ませるくらいしかできなくて、医者を呼ぶという頭は無かった様だ。
症状が比較的軽めだったので、大量の水を飲ませて毛布で包んでやると、朝には大分マシになっていたのが不幸中の幸いだった。
これを教訓として、緊急事態の時の軽い医療活動、例えば毛布で体を温める、水を飲ませる、嘔吐で息を詰まらせない様にうつむきにさせる事や、近くの医者のリストの作成し、何かあった時は医者を呼ぶなど、全従業員が対応できる様に教育をした。
もちろん、医者や薬屋などには、万が一の時は夜中でも声を掛ける事もあるかもしれないのでよろしくと、猿酒1本を手土産に挨拶をして回ったりと、しばらくは対応に追われた。
その甲斐あってか、重症なアルコール中毒と軽症の場合の見分け方が徹底されたし、それによってどう対処すれば良いか、4人も含め全従業員が準備万端となり、とても良い宿になってきた。
近くの別の食堂や、薬局、医者、冒険者ギルド、商店などの位置を簡単に記した周辺地図を板に描いて掲示し、お客にいろんな情報を提供できる様にもした。
女性客が多い事もあり、アメニティの一環として、宿泊客にだけに有料ではあるが、小さく切った石鹸の販売なども始めた。
食堂の方は、新たに雇った調理人たちにかなりの部分を任せてある。
ボルゲは、こちらの料理は作れるが、この宿で作っている料理は経験がないので、一から教えなければならなかった。
特に、ポテトフライなどの揚げ物は、こちらには概念そのものがない調理法だったので、4人が付きっ切りで教えなくてはならなかった。
ドンパには、野菜の皮の剥き方から教えねばならず、めりるどんが付きっ切りで教える事も多かった。
食堂の方は薄利多売で、他の店と同じくらいの値段設定の定食と、少し高めの猿酒や肴で、かなりの客が連日入っていて、その分お金が入って来ている。
ポテトフライはもともとの芋がとっても安いので、注文が出れば出るだけ経営側としてはウハウハなのだ。
宿の方はもっとウハウハだ。
掃除して、ベッドの干し草を干すだけで、かなりの金額が懐に入ってくる。
一度この宿に宿泊すると、連泊を希望するお客も多く、安定収入に繋がっている。
そしてその掃除や干し草を干すのは従業員がやってくれるのだ。
ただ、まだ宿の方は満員になったことはない。
3階の一部は常に空室だ。
やはり強気な値段設定が響いているのかもしれない。
りんご亭の客は半分以上が女性客で、大部屋をもう一つ増やして欲しいとの要望があるが、男性用の大部屋を潰す訳にもいかず、今のところは開店した時のままだ。
そして女性冒険者の数は、男性冒険者に比べて人数が少ないこともあり、りんご亭の部屋が全て埋まる程ではないと4人は分析していた。
「大将・・・ポテトフライを売ってる店があるっす。」
「え?」買い出しに出ていたチッチが戻って来るなり、ごんさんに低い声で耳打ちした。
「そうかぁ、難しい調理方法じゃないから、とうとう後続が出たかぁ。」
「いえ、ドンパの奴でさぁ。」
「え?あのドンパ?」
「へい。列が出来るくらい繁盛してたっす。小銅貨4枚で売ってたっす。」
ドンパは1か月くらい務めたと思ったら、突然来なくなってしまった。
クレッシェンドさんの知人の紹介なので安心していたのだが、ここでの調理法を覚えたら、速、りんご亭には出社して来なくなり、自分の店を出した様だ。
それも一番手軽なポテトフライでだ。
わざわざ小銅貨5枚で売っているこちらより1枚少ない小銅貨4枚で売っているらしい。
ごんさんは早速スーラさんに頼んで、スーラさんの末っ子にお金を渡してドンパのポテトフライを三人前買って来てもらった。
一人前は、お手伝いをしてくれた末っ子君にお駄賃としてあげた。
早速、残りの3人に召集を掛け、居間に集まった。
「ドンパが、ポテトフライの屋台を出してるらしい。そこで売っているのがこれだ。」と、テーブルの上に買ってきてもらったポテトフライ3人前を広げた。
4人は無言で試食した。
「塩がすっくな~。」とは、めりるどん。
「油も何かおかしくない?おいしくないよ?」とももちゃん。
「う~ん。私たちが使ってるのとは別の種類の油だと思うんだけど、それよりも酸化しかけてるんじゃない?」とめりるどんがポテトフライをもう一本口に含んで感想を言った。
「あれ程頻繁に油は継ぎ足せとか、古くなったら捨てろって言うたのに、守ってへんな。酸化が進むと下痢や嘔吐を誘引したり、下手をすると死人が出ることもあるんやで。」
「食育の講師してたみぃ君が言うなら、そうなってもおかしくないな。」とごんさん。
「でも、家を飛び出していった今やライバル?のドンパに、私たちが何か助言を与えても聞かないでしょうねぇ。」とめりるどんが思案顔になった。
「でも、この味なら、一度でもりんご亭のポテトフライを食べた事がある人は、家のポテトフライを好むはずだから、ライバルにならないんじゃない?」とももちゃん。
「でも、最初にあっちのを食べたら、小銅貨1枚高い家では買わないんじゃない?」とめりるどんが心配そうに言った。
しかし、問題はそこではなかったのである。
4人はドンパの屋台とは客層も違うし、放置しても大丈夫だろうと気にしなかったのだが、ある日突然それは起こった。