第十六歩
デイヴのレオン殺害及びフィルの誘拐が未遂に終わりそれが人に知られる事なく始末されてから一か月の時間が経過した。ようやく体に刻まれた剣の跡と両足と右手が完治したフィルは鈍った身体を動かしながら二週間程前に自分を煽りながら病室を出て行ってから毎日見舞いに来る暇人の相棒を待っていた。
ようやっと動くようになった身体は一か月前と比べるとまるで全身に重りが付いたかのように自由に動いてくれなかった。恐らく今の状態では奥義、朱雀失墜は勿論の事その他の三つの奥義を使うことすら出来ない。試しに身体を壊さない程度に朱雀失墜を空振りしたら二段ジャンプが出来なかった。
恐らく鍛えなおすのに少なくとも入院していた時間と同じだけの時間が必要だろう。もしかしたらそれ以上の時間が必要かもしれない。それにダンジョンアタックの際に着ていた動きやすい服も一着がカスミの剣でダメになった。軽くお気に入りだったのだがそのまま着たら胸がポロリどころかモロで見えてしまうレベルで斬れてしまっているので捨てることになった。ちなみにここに担ぎ込まれた時は自分の体内から出た血のせいで上半身が染まっていたため何処から何処が胸なのか判別出来ない体になっていた。まな板故に。
今度喧嘩吹っ掛けられたらカスミのあの胸をもいでやろうかなんて思いながら演武でもして待っていようかと思っていた矢先、レオンがこっちへ走ってきているのを見た。
「や、フィル。遅れてごめん」
「だいじょぶ。そこまで暇してなかったから」
レオンは先にロハス家から口封じに譲渡された家に行ってレオンとフィルの二人が快適に暮らせるように掃除をしたり足りない物を買ったりと様々な事をしていた。そして時々ダンジョンにも行って体を動かしていたからかレオンの体つきは入院前とは大して変わっていない。
「一か月前と比べると大分痩せたね」
「筋肉落ちたし病院食だけだし。おかげで鍛えなおし」
対してフィルはただでさえ小柄な体が更に小さくなった。元々目に見えて筋肉がついている、という感じではなく同身長の子と比べたらほんの少し体つきがいいかな? と思える程度だったが、今はそれすら無くなってむしろ同身長の子と比べて痩せていると言えてしまう。代わりに髪の毛が多少伸びたのでより女の子らしくなったとも言えるが。
女の子らしくなったが戦闘力がガタ落ち。これはフィルとしてはあまり喜べない事だった。
沢山食べて沢山鍛えて沢山寝なければ。今までは大して重く感じなかった私物をちょっと重いと感じながらフィルは改めて決心する。タレント持ちの傭兵を倒した事を師匠に言えば褒められるかもしれないがそのせいでこんな事になりましたなんて言ったらまたあの地獄の特訓が待っている。
レオンとフィルが適当に談笑しながら適当殴って殴られてとじゃれあい歩くこと十数分。レオンはとある豪邸の前で足を止めた。フィルはどうして足を止めるのか理解できなかったが次にレオンが口にした言葉で少し目を見開いた。
「ここ、僕達の家」
そう言って指をさす家はフィルの実家なんかよりも倍近くは大きい家なんかではなく豪邸の類の一軒家だった。
屋敷とは言い難いが限りなく屋敷に近い豪邸。下手な貴族の家なんかよりも遥かに豪邸だ。しかも外観もちゃんと掃除されていたのか綺麗だ。
玄関には門があって、そこを抜ければ広い庭がある。しかも観葉目的らしい植物も生えている。これレオンが整理しているのかと聞くとレオンは頷いた。昔嫌がらせで屋敷の木々の葉を切っていたから簡単だったと言っているが明らかにその道の仕事をしている人間でないと出来ないと思える程度には完成度が高かった。
門があって、塀があって、庭があって。フィルが自分の両親や自分を弄ってきた人間にこんな事言ったら絶対に羨ましがられる。そんな自信があるレベルの豪邸だった。
「……すっご」
「まぁ仮にもウチの贅沢に塗れた家族の避難地だし……ちなみにお値段こんだけ」
と言ってレオンがそっと渡してきた紙には目が飛び出るレベルの金額が書かれていた。
普通の人が買う一軒家が数件は軽く変える値段が書かれていたとだけ言おう。そんな豪邸を、デイヴが何かしてきたという事を言い触らさないだけで貰える。
明らかに価値が釣り合っていなくてフィルがちょっと壊れて小さく変な笑いが出る。いつか一軒家建てれたらいいなぁとか思っていたら豪邸を手に入れられたのだ。理想を飛び級した現実が目の前にあって理解が追い付いていない。そしてこれを簡単に受け入れている……というかこの現実を簡単に受け入れているレオンもなんやかんやで名家出身なんだなぁと改めて理解した。
「ちなみにこの家、四階建てで庭の端に物置あり。で車庫があって地下室もある。ついでに地下室にはプールもあってお風呂は十人同時に入れるレベルで大きいよ」
「ちょっと何言ってるか分かりませんねぇ……」
「すっごい豪邸だよ」
「把握した」
もうフィルのキャパを軽く超えていた。それもう豪邸じゃなくて屋敷じゃんとすら思ったがレオンが言うにはロハスの屋敷はこれより数段階グレードが高いらしいのでもうフィルでは想像がつかない。確かにロハスの家は数ある魔法使いの名家の中でもトップクラスの家なのでこちらの常識では計り知れないとは分かっていたがここまでとは思いもしなかった。
アルフの家が普通の一軒家に住んでいるのはこういう豪邸暮らしじゃなくて普通の暮らしを求めていたからなんだろうと変な推測まで立てた所でようやくフィルがこの現実を飲み込んだ。
これなら庭で全力で鍛えても恐らく何の迷惑にもならないしプールがあるのならきっと水中で体を動かしてもっと負荷の高い特訓だってできる。
「ちなみにトレーニングルームもあるよ」
「もう最高」
しかも筋トレ可能。なんとトレーニング器具もほぼ新品の状態であるらしいのでフィルはここが自分の終着点なのだと理解した。恐らくこれを超える家をフィルはこれから先、一生得ることはないだろう。
だがレオンが言うにはここの家具には弱点があり、基本的に殆どが自前の魔力を使って動かす家具らしく、魔力がなくても大気中の魔力を使って動かす家具はあまり多くはないらしい。それこそキッチンや照明程度でそれ以外は魔力がなければ動かない。
が、実はフィルは家事の類が一切できない。五歳の頃に家を飛び出して十年間も特訓していたのだ。家事なんて練習する時間、一切なかった。なので問題なしと言うとレオンはちょっとずつ魔力がなくても動かせる家電を買ってくるねと笑顔で言った。どうやらこの家でニート状態は許されないらしい。
「取り敢えずトレーニング器具とかは全部フィルに任せるね。それと洗濯は僕がやるけどそれ以外の家事は当番制」
「プールとかの掃除はしなくていいの?」
「トレーニング器具をフィルに任せちゃってるからそれは僕がやるよ。機械に魔力流してちょちょいのちょいだし」
「これだから魔力持ちは……!!」
「まぁ魔力は持っているだけ得だよねぇ。色々と安上がりに済むときあるし」
フィルはぐぬぬ、と歯を食いしばりながら先を歩き始めたレオンの後をついていく。
レオンは先に豪邸の周りをグルッと一周して案内してくれたが動くには十分すぎる庭。揺り椅子とテーブルが置いてある優雅な一日を暮らせそうなベランダ。生えている木の間に作られたハンモック。もう普通に住めそうな物置。というか物置小屋。そういったザ・豪邸と言った定番とも言える物がそこらかしこにあった。ちなみにフィルの実家は物置小屋をもうちょっと大きくした程度の大きさ。いきなりのインフレに笑ってしまう。
そして玄関を開けるとそこには豪邸の定番とも言える広い玄関。入ってすぐに左右と前方に扉があり、そして階段が二つ。上へ昇るための階段と下るための階段。
「じゃあまずは一階からかな」
「あ、うん……すっご……」
自分の家になるのにヤケに他人行儀でフィルはレオンの後をついていく。
そして一階の二人じゃ大きなテーブルと椅子。そしてキッチンは新品同様綺麗であり、レオンが自炊した後が少しあるだけ。そして後は洗濯するための部屋や空き部屋多数。
フィルはよくフィクションで見るヤケに長いテーブルを想像していたがあったのは五人くらいで使うのであろうテーブルと椅子であり、そこと同じ部屋内にソファやら何やらがありベランダへ行くための窓もあったので屋敷よりは家に近い感じだと思った。レオンに聞いてみたところ本来は兄二人と両親、それからメイドと執事が一人ずつここで住む予定だったため普通の家を意識して作ったらしい、との事。そこに自分が混ざっていない事をサラッと言う辺り彼も両親からハブられるのに慣れきってしまったのであろう。
一階にはその他にも洗濯機がある部屋やお風呂。車庫直通の道とフィル待望のトレーニングルームがあった。種類が揃っていて質もよかったのでフィルの目が輝いていた。
そして二階、三階は殆どが空き部屋。中にはピアノ等が置いてある音楽ルームもあったが恐らく使わない。そして二階には書庫もあり本も大量にあったので暫くは暇しなくても済みそうだった。
「で、四階は殆ど屋上。まぁ洗濯物干したり何か栽培したりする時に使うかな」
四階に上がると一室二室部屋がありその奥の扉を開けるとそこには屋上が広がっていた。そこに物干し竿もあるため恐らくレオンがもう洗濯物を干すために使っているのだろう。よく見れば鉢も幾つか並んでいる。
ここで昼寝もまた一興かもしれない。
「で、四階から地下一階まで往復するときは大変だからということで」
屋上から室内に戻ったレオンはとある部屋を開けた。そこは今までの部屋と比べるとかなり狭かった。
「エレベーターが付いております」
「もう滅茶苦茶だねこの家」
「うん。僕も間取りは知ってたけどこの目で見たらビックリしたよ」
ちなみにこのエレベーター、魔力を大気から吸うのでフィルでも使える。これがあれば洗濯物を一階からここまで運ぶのにそう労力を使わないだろう。
そして一階に戻ってきた二人はそのまま地下へ。
「地下はご想像通りプールと部屋が幾つか」
「家の形関係ないからってやりたい放題かよぉ」
若干キャラ崩壊をしかけているフィルであったが二十五メートルのプールと幾つかの空き部屋を見てもう開いた口が塞がらなかった。もうこれ屋敷でいいんじゃないかなと思うくらいにはこの豪邸、フィルの常識を超えていた。
「これが今日から僕達の家です」
「先生、持て余しそうです」
「大丈夫です。先生も二週間前からそう思っています」
ですよねーとくだらない小芝居をしながら一階に戻り二人は同じソファに腰かけた。名家が使っているものだからか今までに使ったことがないレベルで座り心地がよくこのまま寝てしまいそうだった。というかベッド代わりになる。
フィルは隣に座るレオンに体重を預けながらソファに崩れていく。いきなり自分にかかったフィルの体重と、女の子特有の男とは違う鼻腔を擽る匂いに少しだけ顔を赤くするレオン。それに対してレオンが出来るのは彼女の体がこのまま自分と一緒に横へ落ちていかないように最低限の力を入れて彼女を支えるだけだった。
レオンにも性欲と呼べるものはあるのだ。それ故に同年代の少女の。それも美少女の無防備な姿など思春期真っ盛りのレオンにとっては毒とも言える物だった。
「なんだかレオンの傍だと落ち着く」
「そ、そう?」
少し上擦っている声を聞かれてしまったが果たしてその声はいつも通りの声に聞かれてくれただろうか。その答えはフィルの小さな笑い声で強制的に理解させられた。
熱を帯びていく顔。高鳴る心臓。思えばフィルと組んでから一か月半以上経過しているがここまで密着したことなんてムードも何もない時だけだった。一回目はフィルが酔っ払い、二回目はフィルが気絶している。どちらも緊張して顔が赤くなり心臓が高鳴ったのは事実だが、こうして何もない時に密着する時ほどではなかった。
小さく動く羽が自身の背中を擽る。いつの間に背中に羽が潜り込んでいたのか。そう思って顔を動かすと、同じように顔が赤いフィルが目に入った。
「……恥ずかしいなら離れればいいのに」
「なんか落ち着くからやだ」
こんな事言ってるけど彼女は自分よりも一歳年上なんだとなぁ、と思う。
自分よりも子供っぽくて、小さくて。だけど強い少女。有翼メスゴリラなんて何時も煽っているけどこうして密着するとより女の子っぽくて、ゴリラなんて言葉は似合わないと思う。
「……レオン。一か月前、かっこよかったよ」
「……ちょっと勢い任せに恥ずかしい事言ったって事だけは覚えてるよ」
「大丈夫。あれで負けたら恥ずかしいけど、勝ったならカッコいいから」
守ると叫んだあの時。フィルの心に再び闘志を。そして、負けるわけにはいかない。負けてやらないと誓わせたあの言葉。確かにそのままレオンが負ければ恥ずかしい言葉となってしまうがフィルにとってはあの後にロハスの魔法使いを下した事は十分にカッコいいと言える所業と言葉になっていた。
きっと、十五年の人生の中で見た男の中では、一番カッコいいと思えるくらいには。
惚れた張ったはよく分からない。十五年を捨てて生きてきたフィルにとっては自分の中の気持ちがどうなっているのか、理解できない。が、どちらにしろ分かるのは『レオンは好き』という気持ちだけ。
それが友愛なのかそれとも恋愛なのか。それが分からないが――
「ねぇレオン。ちょっとこっち向いて」
「え? 何か――」
こうして唇を合わせる事が別に嫌じゃないと思ってしまうあたりこの気持ちはきっと恋愛に近い友愛なのだろう。
十秒以上なのか。それとも一瞬なのか。影が合わさってから暫く経ってからフィルは少し無理して伸ばしていた背筋を戻して顔を見せないようにソファから立った。
「お礼。守ってくれてありがと」
離れた唇を抑えながらレオンはその言葉を聞いた。
若干脳が理解しきれていないのか生返事となってしまった返事だったがフィルはその返事を聞くことすら恥ずかしかったのかすぐに話の流れを切り替えるように言葉を口にした。
「じゃ、適当に自分の部屋決めてくるね」
呆然とするレオンに囁くような声で伝えたフィルは荷物を拾うとそのまま居間を出て行った。
レオンはそれを見送ってから赤くなった顔を改めて抑え、呟いた。
「恥ずかしいならしなきゃいいのに」
背中を向けて歩くまでの一瞬に見えたフィルの顔はきっと、今の自分と同じくらいに赤かった。その表情は今まで見たフィルの表情の中で一番女の子を感じさせる顔だった。
メスゴリラがヒロインやったところでひとまず終了。