世界の外からの小包
SANチェックいるかもしれない?
人にとって世界とはその知覚できる範囲のことである。
知覚できず、想像も及ばないところは世界の外側や書き割りの裏側のようなものに過ぎない。
彼にとって世界とはすなわちその街のことだった。
だから彼の知らない土地から届いたそれは、彼にとって世界の外側から来た異物も同然だった。
心当たりのないそれを、彼は最初、すわ詐欺かと思ったが、宛名も異なっていることから、住所を書き間違えたのだろうという結論に至った。
ならば送り主に送り返すか、本来の届け先に送ってやるべきだろう。
しかし、送り主の住所は18次元座標で指定された第278世界のものと思われ、四次元座標すら持て余す彼にはコンタクトさえ困難なものだった。
宛先の名にも当然覚えはない。
知覚世界の外に移り住んでいった人たちのことを、彼は死んだものとして扱っている。
三次元座標ですらややこしいのに、座標指定軸を三つも四つも増やそうなんて正気の沙汰ではないと思っている。
だって拡張次元に旅立たなくても彼は困らないし用は足りているのだ。
今時拡張次元に向かわないなんて損しているなんていう者もいたが、余計なお世話である。
そういうわけで小包は黄泉から黄泉へ向かう途中でうっかり彼のところに落ちてきたかのように思われた。
確かに拡張次元は便利かもしれないが、下位次元から見れば厄介極まりない。
上位次元から下位次元に移動する時には情報が削ぎ落されて変質してしまうことがある。
その変質は不可逆である。
下位次元から上位次元に向かっても情報の記述は詳しくなるが増えるわけではない。
それまで切り捨てていたものが生えてきたりはしないのだ。
低品質の情報は商品価値を著しく下げる。
実像と虚像の境界はいとも容易く崩れ去る。
小包は軽かった。
放っておいてダメになる類ではないだろう。
どうにもできないのであれば放っておくしかない。
いかにも極楽の新天地のように語られがちだが、拡張次元は別に楽園ではない。
拡張次元にも拡張次元特有の危険などもある。
困難もある。
苦労も多い。
人間は元々拡張次元に適応して生まれた生物ではないのである。
逆に言えば、拡張次元に適応してきた生物群もいる。
人間の視点から言えば怪物とする方が適当かもしれないが。
その怪物は己の発生した次元と同一階層ならともかく、下位次元にわざわざ出てくることはまずない。
だからこそ、人々はその次元にアクセスするまで怪物の存在を知らず気付くこともなかった。
気付いても怪物の仕業だと認めたくなかった。
そこは何もない未開の地であってほしかったのだ。
人間が知覚していないだけで怪物は何処かしこにいたというのに。
彼は勿論そんなことは知らない。
彼は拡張次元へ向かおうとしたことすらないからだ。
怪物が逆に下位次元を侵略するということは今のところない。
下位次元にわざわざ降りる理由がない。
デメリットも多い。
存在の変化は誰だって避けたいものである。
退化は必要な場合もあるが、必要ないから起こるのである。
特化という意味では進化かもしれない。
リソースの再分配だ。
リソース自体が減ってはいけない。
彼の知覚できる世界に怪物はいない。
そんな前時代の遺物は存在しない。
怪物など迷信だと思っている。
しかし、迷信だからといって馬鹿にはできない。
迷信が生まれたのなら、生まれるに足る何かはあったのだから。
その原因の推測が間違っていただけで、そう勘違いする原因たる何かはあったのだ。
何もなければ迷信も生まれない。
人間たちは長い時間をかけて怪物たちの足跡を追っていたのだ。
怪物たちにとって拡張次元は新天地だった。
世界に未知は乏しく、怪物の住まう隙間は失われていった。
ならば生き続けるためには新たな住処を見つける必要がある。
人間の世界の外側へ怪物たちは進出していった。
平和になるはずだった。
人間たちが世界の外側へ目を向けなければ。
恨むことは許されるだろう。
その悪辣さほど罪深いものはない。
世には知らない方がいいこともあるのだ。
そういう意味では彼は賢明である。
己の領分を守っている。
しかし賢明なものが報われるとも限らないのが世の常だ。
小包はきっかけである。
アンカーポイントは知覚さえできれば何でもいい。
拡張次元の常識である。
ほら、誰かが訪ねてきた。
さようなら、きっともう会えません。