第95話 ランス・スロット
ランス・スロットは、八百長と得意とする博徒だ。
八百長を繰り返し行うことで、これまでに数多くの賭博で金を巻き上げてきた。
そのため、多くの人から恨まれてはいたが、誰も手出しを使用とはしなかった。
報復が、恐ろしかったからだ。
そして今度は、射撃競技会で選手に八百長を持ちかけ、荒稼ぎを計画していた。
目をつけたのは、前回のライフル部門の優勝者である、カラビナだった。
カラビナが優勝することに賭ける人は多い。
だからこそ、わざと負けるように仕向ければ、大穴を出すことができる。
カラビナは現在、唯一の肉親である祖父が病気療養中だ。治療のためにとある薬を手放すことができず、それを奪ってしまえば八百長させるようにするのは簡単だ。
とある奴隷商人からその情報を仕入れ、半信半疑だったが、カラビナの偵察を繰り返すうちに本当だと分かった。
ランスはカラビナがいないうちに、カラビナの祖父から薬を奪った。凄腕の猟師であっても、病気療養中で体力が衰えているのなら、怖くは無い。薬を奪うのは、赤子の手を捻るよりも簡単だった。
「ククク……今回も大儲けさせてもらうぜ!」
ランスは鼻息を荒くして、カラビナに向かって行った。
射撃競技会出場者控室。
カラビナがライフルの手入れをしているところへ、ランスが現れる。
「そこのお嬢ちゃん」
「誰……ですか?」
明らかに不審者を見る目で尋ねたカラビナに、ランスはビンに入った薬を取り出す。
「これが何か、分かるよな?」
「!!?」
ランスがビンをちらつかせると、カラビナの目の色が変わった。
信じられないという様子で、カラビナはランスが持つビンを見つめる。
「それは……どうして!?」
「もう分かっているだろう? お前の祖父の薬だ」
「か、返してください!!」
カラビナがランスからビンを奪おうとするが、それよりも早くランスはヒョイとビンを高くに上げてしまった。カラビナがいくらジャンプしても、ランスが上げた所までは届かない。
「返してっ! 返してよぉっ!!」
「おっとぉ、こいつは簡単には返せねぇなぁ!」
「お願いです、返してください……その薬が無いと、おじいちゃんが……!」
カラビナは困って、声が少しずつ涙声になる。
ようし、いいぞ。
ランスは口元を吊り上げる。
「おじいちゃんが、どうなるんだ?」
「……病気が、治らなくなっちゃう……!」
カラビナは、ついに頭を下げた。
「お願いします! その薬を返してください! なんでもしますから!!」
ついに出た。この言葉こそ、待っていたんだ!
そう思ったランスは、笑みをこぼした。
「ん? 今、なんでもすると云ったな?」
「は……はい?」
「この薬を返してもいい。しかし、条件がある」
ランスはカラビナと目線の高さを合わせた。
そしてゆっくりと、カラビナに云い聞かせるように云う。
「射撃競技会のライフル部門の決勝で、ワザと外して負けるんだ。そうすれば薬は返してやる。簡単な事だろ?」
「そ、それは……」
八百長。
カラビナにとって、最もやりたくないことを提示され、言葉に詰まる。
祖父からは「射撃競技会では、自分の全力を出し切るんだ。決勝は、ワシも必ず見に行く。自分の実力を、全て出しきれ!」と云われていた。ここで八百長してしまえば、祖父との約束を破ることになってしまう。
「やりたくないなら、それでもいい。ただし、そのときは祖父の命は無いものと思え」
「わ……わかりました。やります……」
カラビナは涙をこらえながら、八百長を引き受けた。
「じゃ、期待してるぜ?」
ランスはカラビナに向かって云うと、ビンを懐に入れる。
そして控室から姿を消した。
射撃競技会決勝前夜。
金づるが見つかったランスは、前祝にバーで飲みながら翌日の大穴で得られる金額を概算していた。
「ヒヒヒ……笑いが止まらねェなぁ」
ランスは、愛用の小型計算機を弾きながら笑う。
エンジン鉱山の奥地で見つかったとされているものだが、実によくできている。少し弾を動かすだけで、かなりの計算ができるのだから。
「あんた、景気が良さそうだな」
1人の少年が、ランスに云った。
酒で気が大きくなってたランスは、振り向いた。
「おう、もうすぐ大金が入るんだからな!」
「へぇ、それはすごい。どうやって?」
「おっと! それは教えられねェな。だけど……」
ランスは、小型計算機を懐にしまった。
「協力してくれるなら、少しなら分け前をやってもいいぜ?」
「わかった。協力しよう」
少年はランスの隣に座ると、カクテルを注文した。
少ししてカクテルが2つ運ばれてくると、少年は1つをランスに差し出す。
「兄ちゃん、いいのかい?」
「オレの奢りだ」
「悪いなぁ。ありがとよ」
ランスはカクテルを受け取ると、それを飲んだ。
グラスを置くと、ランスは薬が入ったビンを取り出した。
「協力してくれるんなら、これを預かっていてくれ」
「これは?」
「大切なものだ。決して無くすなよ。俺に金が入ったら、その薬をカラビナっていう少女に渡せ。カラビナは明日の射撃競技会に出場する。このことは、絶対に誰にも話すなよ?」
「分かった。これは大切に預かろう」
少年は頷いて、ビンを懐にしまうとカクテルを飲み干した。
翌日。ランスは射撃競技会の観客席で、カラビナの登場を待っていた。
「はいはいはい! 本日のオッズはこっちだよ! さぁ賭けた賭けた!!」
賭博師たちが誰が優勝するかでオッズを張り出し、そこにギャンブラーたちが次から次へと金を賭けていく。やはり人気は、カラビナだ。
人気になるのは良く分かる。なんといっても、前回の優勝者。
優勝候補で最有力なのは間違いないし、固い。
だが、ランスは動かない。
なぜなら、カラビナは優勝しないし、すでに別の候補者に大金をつぎ込んでいるからだ。
そしてそのつぎ込んだ大金は、大穴となってかなりの払戻しとして返ってくる予定になっている。
カラビナは、絶対に負ける。
八百長にカラビナは加担しているからだ。
そのことを知っているのは、ランスとカラビナだけだ。
カラビナの出番がやってきた。
小さな背丈に、長いライフルを背負ったカラビナが、入場してくる。
観客席の興奮は一気に高まり、ランスも興奮していた。
もうすぐ、大金が手に入る――!!
「さぁ、来い――!!」
「うそ……だろ……?」
射撃競技終了後、ランスは青ざめていた。
協議開始前まであった、自信に満ち溢れた表情は、今は面影さえない。
カラビナが、優勝してしまった。
多くの人が喜ぶ中、ランスだけは喜んでいない。
今回の八百長につぎ込んだ金が、全て消し飛んだ。
「大損だぜ……!!」
カラビナが優勝して、自分は大金を得るどころか、失った。
その事実をようやく受け止めたランスは、表彰台に立つカラビナを射殺すように睨む。ランスの懐には、大型のナイフが入っている。
「やってくれたなあのクソガキ!! こうなったら、あのジジイ共々、ぶっ殺してやる!!」
ランスが動き出した時、見覚えのある少年が現れた。
昨日、バーで出会って、協力者になったあの少年だ!
「おい、あんた! ちょっと来てくれ!」
「なんだ?」
「あのガキを始末するぞ!!」
ランスが促すが、少年は首を横に振った。
「イヤだね」
「な、なんでだよ!?」
ランスは困惑と、自分の思い通りに事が運ばない現実にイラつき、顔を真っ赤にする。
「あんたも大損したんだぞ!? それと、薬は処分しろ!」
「薬なら、もうカラビナに返したさ」
「な……なんだと!?」
ランスは顔から湯気が出そうなほど、真っ赤に染まって行く。
「どうして勝手な事をした!? それと、どうしてカラビナの名を知っている!?」
「……あんた、いつからオレが味方だと思っていたんだ?」
「……てめぇ!! 俺を利用したな!!」
カチン!
ランスは、ナイフを取り出した。大型のボウイナイフの刃が、少年へと向けられる。
それとほぼ同時に、少年はソードオフを取り出し、銃口をランスに向けた。
「この卑怯者が! 殺してやる!!」
「人質を取って八百長するような奴に云われたくないね」
「まさか……カラビナからすべて聞いていたのか!?」
「ご明察」
少年が口元を吊り上げ、ランスは目を剥く。
「見上げた野郎だ……名前を聞いていなかったな。名は何だ?」
「ビートだ」
少年が名乗ると、ランスは笑みをこぼす。
「ビートか。安心しろ、忘れたりしねぇからよ!」
ナイフの刃が、少年の喉元へと向かって飛んでいく。
「死ねェ!!」
ドガァン!!
「……え?」
一瞬、ランスは目の前で何かが爆発したような気がした。
その直後、激痛を額に受ける。
何が起きたのか分からないまま、ランスは気を失った。
「……ごあいにく様」
オレは倒れたランスに向かって、云う。
ソードオフの銃口から、微かに硝煙が立ち昇っていた。
「万が一に備えて、装填してから30秒後に自動で発射される時限式ショットシェルをソードオフに装填しておいたんだ」
オレはカラビナから話を聞いた後、ハッターさんからこの特殊なショットシェルを購入した。1発で大銀貨3枚はするような高いショットシェルだったが、思い描いた通りに作動してくれた。
背中にソードオフを隠しておく所までは同じだったが、ランスに向ける直前まで薬室を閉めずに開けておき、取り出すときに薬室を閉めてランスに向けた。そうしないと、暴発してしまうためだ。暴発が起きないように、取扱いはかなり慎重にならざるを得なかった。ナイフが突きつけられたときよりも、ソードオフを向けるまでが緊張した。
正直、もう2度と取り扱いたくないショットシェルだ。
オレは気を失っているランスに近づき、落としたナイフを蹴飛ばした。
「ビートくーん!」
妻の声が、オレの耳に届く。
声がした方を見ると、ライラが駆けてきた。ライラの後ろには、騎士団がいる。
「ライラ!」
「ビートくん、大丈夫!? 騎士団を連れてきたよ!」
「ありがとう! さすがライラ!」
「えへへ。帰ったら、いっぱいふがふがさせてね!」
尻尾を振りながら喜ぶライラの横を、騎士団が走り抜け、ランスとオレが蹴飛ばしたナイフを確認する。
「ランス・スロットに間違いありません!」
「よし、連行するぞ! 脅迫と殺人未遂の容疑だ!」
騎士団が、ランスに手錠を掛けた。
そのまま気絶したランスを2人で抱えて、騎士団詰所へと連行していった。
オレたちは騎士団詰所で証言した後、宿屋へと戻って来た。
宿屋へ戻って来たオレたちを待っていたのは、カラビナとその祖父による出迎えだった。
「「ありがとうございました!」」
ライフルを背負ったカラビナと、杖を突いた祖父が同時に云う。
カラビナは、首からメダルを提げていた。
「私、八百長しなくて大正解でした!」
「ランスは逮捕されました。これでもう、檻の中から出られないでしょう」
オレはカラビナと祖父にそう伝える。
ランスはこれまで、数えきれないほどの八百長を首謀してきた。
これらの罪状を合わせると、裁判で長期刑になるのは避けられないと、騎士団詰所の騎士が云っていた。本当にそうなるかどうかは裁判次第だが。
「おじいちゃんも無事でしたし、こうして優勝することもできました!」
「カラビナちゃん、良かったわね」
ライラが微笑むと、カラビナは顔を真っ赤にして照れる。
すると、祖父が口を開いた。
「あなたたちのおかげじゃ。孫娘も優勝できましたし、ワシも無事に薬が戻ってきました。お礼といっては何ですが、夕食を御馳走しますので、どうぞこちらへ……」
「本当ですか!? ありがとうございます!!」
オレたちは、腹ペコだった。
お礼として夕食を御馳走してくれるなんて、今のオレたちにはこれ以上ないお礼だ!
オレとライラは、そのままカラビナたちと共にレストランへ向かった。
「ふぅっ、今日はいろいろあったなぁ……」
オレは風呂から出た後、今日一日の出来事を振り返っていた。
ランスを騎士団に突きだすことができて、本当に良かった。
ハッターさんから購入した時限式ショットシェルがちゃんと狙った通りに発射されて、本当に良かった。
カラビナは無事優勝できた。カラビナの祖父も、戻って来た薬のおかげで元気を取り戻した。お礼として夕食まで御馳走になった。普段食べることのないものばかり食べられて、本当に美味しかった。
色々な事があったけど、これで今日はおしまい。
後は、風呂から出てきたライラと一緒に、明日の朝までぐっすり眠るだけだ。
「よっと……」
オレはベッドに腰掛け、ライラが出てくるのを待つ。
「ビートくん、おまたせっ」
「ライラ……ッ!?」
風呂から出てきたライラを見て、オレは目を疑う。
ライラは昨日と同じ、ネグリジェ姿で現れた。下は、ライラお気に入りの紐パンだ。オレも何度も盗み見てきた。ほのかに赤みを帯びた白い素肌。触ったらすべすべしていそうで、触ったら絶対に気持ちよさそうだ。オレはそんなライラに目が釘づけになってしまう。
オレの視線に気づいたライラが、頬を赤らめ、困ったような顔をしながら胸を隠す。
「ビートくん、視線がいやらしいよ……」
「ごっ、ゴメン!」
オレは反射的に謝る。
ライラが素肌をさらすと、ついつい見つめてしまう。自分の悪い癖だ。
それを見たライラが、口元を緩めた。
「フフッ、冗談よ。ビートくんだけは、いくらでも見ていいから」
ライラはゆっくりとオレに近づいてくる。
そしてそのまま、ライラはオレに抱きついてきた。
オレの体温は急激に上がっていく。お風呂から出たばかりなのに、汗が噴き出してきた。
「えへへ、ビートくんの身体、熱くなってる~」
「ライラがそんな姿で出てきたんだから……仕方ないだろ?」
オレが指摘すると、ライラは立ち上がり、部屋の灯りを消した。
部屋の中が暗くなり、明かりは窓から差し込んでくる月明かりだけになる。
月の光を受けながら、ライラはオレに近づいてくる。
月明かりに照らされたライラは、まるで女神そのものだ。
オレは思わず立ち上がり、ライラを抱きしめる。
「きゃんっ!」
ライラの心臓の音が、微かに聞こえてくる。
どうやらライラも、少し緊張しているようだ。
「今夜も……いっぱい楽しもうね」
ライラがそう云うと、オレはライラをベッドに押し倒した。
翌日。オレとライラはミレージュ駅にいた。
そこで見送りに来てくれたカラビナに、別れを告げる。
祖父は薬が効いていて眠っており、来られないそうだ。
「ビートさん、ちょっとやつれているように見えますけど、どうしたんですか?」
「いや、きっと気のせいじゃないかな……?」
オレはそう云って誤魔化す。さすがに、昨夜の出来事をカラビナに話すのは早すぎるだろう。教育上、よろしいとはいえない。
隣にいるライラは、オレとは反対に艶々としていた。
「そうですか。……ビートさん、ライラさん、お世話になりました。足袋のご無事を、お祈りしています」
「ありがとう、カラビナちゃん。ライフル、頑張ってね」
ライラが云うと、アークティク・ターン号の出発時刻を告げる汽笛が鳴り響いた。
オレたちは慌ててアークティク・ターン号に戻る。
乗り込んだと同時に、アークティク・ターン号が動き出した。
ゆっくりとスピードを上げて駅を出ていく。
カラビナはミレージュ駅のホームで、アークティク・ターン号が見えなくなるまで、見送り続けていた。
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