第8話 ライラ
わたしはライラ。
名前は、わたしが捨てられたときに、わたしを包んでいた布に縫い付けられてたそうです。
わたしは、獣人族です。
狼の耳と尻尾を持つ獣人族。
より正確には、銀狼族といいます。
でも、人前ではあまり銀狼族だって云わないようにって、ハズク先生から10歳になった頃、わたしがグレーザー孤児院に来た時のことを聞いた時に、云われました。
どうして銀狼族だって云ってはいけないのか。
わたしはその理由を、ハズク先生に聞いたことがあります。
「ライラちゃん。銀狼族っていう種族はね、とても珍しいの」
ハズク先生がそう云いました。
「珍しいんですか……?」
「そう、とっても珍しいんです。北大陸の奥地の奥。まさに地の果てと呼べるような場所で暮らしている少数民族なのです」
わたしが暮らしているグレーザー孤児院は、南大陸の最南端に近い場所、グレーザーの街にあります。北大陸からは、とても離れている場所です。
鉄道をどんなに乗り継いでも、辿り着くまでに数年はかかってしまうほど遠い場所にあります。
「でも、少数民族だからといって、人前で云ってはいけないって、どういうことですか?」
「その気持ちはよく分かります。でもねライラちゃん。世の中には、良い人ばかりではないの。少数民族だからこそ、利用しようとする人たちもいるの」
ハズク先生の悲しそうな表情に、私まで悲しくなりそうでした。
「ライラちゃんの種族――銀狼族は、美しい白銀の髪の毛を持ち、美男美女が多くて、さらに本能として、好きになった相手には一生を捧げるほど尽くす。そんな種族なのです」
「尽くす……?」
わたしが『尽くす』ということの意味が分からなくて首をかしげていると、ハズク先生は優しく頭を撫でてくれました。
「好きになった人に対して、どんなことでもなんでもしたいって思うことです。いつかきっと、わかりますよ。美男美女が多くて、相手に尽くす。銀狼族の持つ特徴は、奴隷として欲しがる人がとても多いのです。過去に何度も、銀狼族の子どもが奴隷として売買された話を聞いたことがあります」
奴隷。
その存在については、わたしも少しは知っていました。
男の子は強制的に危険な場所で働かされたり、女の子は望まない相手と無理やりエッチをさせられる。
わたしが、もっともなりたくない存在です。
「わたしも、いつか奴隷にされちゃうの……?」
不安に思ったわたしは、ハズク先生に訊きました。
「大丈夫ですよ。ここにいる限り、ライラちゃんは奴隷になることはありません」
ハズク先生の言葉に、私はすごく安心できました。
ここにいる限り、わたしは奴隷になることなんて無い。
それだけで、私は安心できました。
「さ、そろそろ夕食の時間ですよ。食堂に行ってみんなと夕食を食べて下さいね」
「はい。ハズク先生、ありがとうございました」
わたしはお礼を云って、ハズク先生の執務室を出ました。
わたしはその日の夕食が、あまり喉を通りませんでした。
『銀狼族の持つ特徴は、奴隷として欲しがる人がとても多いのです。過去に何度も、銀狼族の子どもが奴隷として売買された話を聞いたことがあります』
ハズク先生の言葉が、頭から離れなかったんです。
わたしと同じ銀狼族の子どもが、今もどこかで奴隷になっているのかもしれない。
そう思うだけで、食欲が無くなっていきます。
結局、その日は大好きなグリルチキンも、半分残してしまいました。
こんな日は、早く寝てしまった方がいい。
わたしはそう思って、女子部屋に戻ったら、消灯前にベッドに潜り込みました。
でも、消灯後になっても眠ることはできませんでした。
少しだけ夜風に当たれば、眠れるかもしれないと思い、外に出ました。
月が出ていて、とても明るい夜でした。
突然、誰かから声を掛けられました。
「ライラ」
「ひゃっ!? あっ、ビートくん……」
そこにいたのは、幼馴染みのビートくんでした。
ビートくんは、ちょっと変わっているわたしと同い年の男の子です。
あまり他の友達と一緒に遊んだりしません。
でも、勉強はできます。
わたしも何度か、勉強を見てもらったり、居残りに付き合ってくれたりしました。
だからわたしは、ビートくんのことは嫌いではありません。
でも、そこに恋愛感情はありませんでした。
『ビートくんはいつも親切にしてくれるから、わたしもビートくんには親切にしよう』
そう思っていました。
「えーと……ライラ、耳と尻尾、触ってもいい?」
いきなり、わたしはそう聞かれて、驚きました。
耳と尻尾を触りたいなんて云われたのは、初めてのことです。
「ふぇっ!? み、耳と尻尾!?」
「ダメ?」
「ダメに決まってるじゃない! バカ!! エッチ!! スケベ!!」
どうして、男の子ってみんなエッチなことばっかり考えているのでしょう?
わたしは思わず、ビートくんに対してキツイ言葉を投げてしまいました。
正直、少し云いすぎました。
ビートくんは、少ししょんぼりとしてしまったのです。
ビートくんには親切にしようと、思っていたのにです。
気まずい空気が流れていきます。
わたしは謝罪の意味を込めて、ビートくんに声を掛けました。
「ねぇ、いいよ」
「えっ?」
「その……耳と尻尾、触っても」
「あ、いいの?」
それでも、ビートくんは再度聞いてきました。
「本当に、いいの?」
「……うん」
「じゃあ、遠慮なく……」
わたしが承諾しますと、ビートくんは耳と尻尾に触れてきました。
「んぅっ……」
わたしは我慢できずに、声を出してしまいます。
とてもくすぐったく、恥ずかしいです。
でも、あまり嫌な感じはしませんでした。
「ひゃっ!?」
ビートくんが、わたしの頭を撫でてきました。
耳と尻尾に触ることは許しましたが、頭を撫でることまでOKした覚えはありません。
しかし、不思議といい気持ちです。
すると、ビートくんの手が、わたしの身体を包み込んできました。
ここまで触ってくるとは、完全に予想外でした。
「ね、ねえ! ビートくん!」
わたしはビートくんに現状を知ってもらおうと、声を出します。
そこで初めてビートくんも、わたしを抱きしめていることに気づいたみたいでした。
「……ゴッ、ゴメン!!」
ビートくんは謝罪して、私を放しました。
でも、わたしは「放してほしい」とは一言も云っていません。
むしろ、ビートくんに抱きしめられていると、先ほどまでの不安など感じなくなっていました。
ビートくんの手は温かくて、リラックスできました。
できることなら、もう少し抱きしめられていたかったです。
もしかしたら、お父さんとお母さんに抱かれた時も、同じように感じるのかもしれません。
「お父さんとお母さんに抱かれたときも、同じように感じるのかな?」
「いや……オレに訊かれても、分からないよ」
それはもっともな答えでした。
わたしもビートくんも、捨て子で孤児院で育ちました。
「……ビートくんになら、話してもいいかな」
「え?」
「……わたし、誰にも話していないけど、夢があるの」
わたしはそう云って、ビートくんにわたしの夢である「お父さんとお母さんに会いたい」ことを話しました。
孤児院で育ったわたしの夢は、自分を捨てたかもしれないお父さんとお母さんを探して会うことです。
「わたしのお父さんとお母さん、どこにいるの? どうして、わたしを捨てたの? 会って、わたしは全てを聞きたい」
聞きたいことが、山ほどあります。
どうしてわたしを捨てたのか。
今、どこで何をしているのか。
会えるかどうかは分かりません。生きているかどうかさえ分かりません。
でも、会えることなら会いたいです。
たとえどんなに苦しい現実を突きつけられたとしても、わたしはお父さんとお母さんに会って話したい。
「……きっと、会えるよ」
「本当に……?」
「……きっと、会えるよ」
ビートくんはそう云うと、どうやってこのグレーザー孤児院に引き取られたのかをわたしに教えてくれました。
ビートくんは、列車の貨物の中に紛れ込んでいたそうです。
しかもなんと、大陸横断鉄道のアークティク・ターン号の貨物車でした。
獣人族のわたしと違って人族で、4つの大陸を走破するアークティク・ターン号の貨物に紛れ込んでいたとなると、両親を見つけるのはほとんど無理だとわたしも思いました。
獣人族よりも、人族のほうが多いからです。
「ライラは獣人族だし、狼の耳を持っているから、手掛かりはあるかもしれない。だけど、オレは人族だし、何の手掛かりも無い。だから、きっと見つからないと思うんだ」
「ライラには、そんな気持ちを味わってほしくない。だから、オレもライラのお父さんとお母さんが見つかるように、手伝うよ」
「約束する。必ず、オレがライラのお父さんとお母さんを探すために、どんなことでも協力するから――って、あれ?」
ビートくんの言葉に、わたしは言葉を失ってしまいました。
わたしは、ビートくんのことを何も知りませんでした。
ビートくんは、とても優しい男の子だったのです。
ビートくんに話して本当に良かったと、わたしは思いました。
わたしはビートくんにお礼を伝え、その後は安心して眠ることができました。
その日から、わたしはビートくんのことを考えるたびに、尻尾が無意識のうちに左右に激しく揺れ、全身が熱くなるようになりました。
ビートくんといつも一緒にいたい。
ビートくんが望むことなら、どんなことだってしたい。
そんなことを考える日が、多くなっていきました。
そんなある日、グレーザー孤児院に強盗が来ました。
最初、強盗はハズク先生を人質にしました。
わたしは後先のことを考えずに、ハズク先生を救いたい一心で、強盗の前に出て云いました。
「ハズク先生を返して! 返してよ!!」
「ほう、またしてもババアの教え子か。あんた、本当に慕われているんだな」
ハズク先生をババア呼ばわりした失礼な強盗を、私は許せませんでした。
「ライラちゃん、ダメです! 逃げなさい!」
「嫌! 先生を放してくれるまで、逃げない!」
「ライラちゃん!」
すると、信じられないことが起こりました。
「……わかった。お前の先生は、解放してやろう」
そう云って、強盗は簡単にハズク先生を放してくれました。
話せば、ちゃんと分かってくれるんだ。
わたしはそう思って、安心しました。
しかし、それは甘い考えでしかありませんでした。
強盗の罠だったのです。
「ライラ、逃げろ!」
ビートくんの声が聞こえたときは、もう手遅れでした。
わたしは強盗に捕まって、ハズク先生と入れ替わる形で人質になってしまいました。
「このガキは銀狼族だ!」
強盗がそう云った後のやりとりを、わたしは鮮明に覚えています。
「なんだって!? 兄貴、本当っすか!?」
「見ろ、この白銀の髪。そして耳と尻尾。間違いないぞ」
「だから、あのババアを手放したんですね!」
「さすが兄貴!」
「奴隷として売れば、莫大な金が入りますね!」
わたしは忘れていました。
自分が銀狼族だということを。
そして銀狼族は、奴隷として人気があって、狙われることがあると云うことを――。
このとき、わたしは覚悟しました。
このまま奴隷として、強盗から奴隷商人へと売り飛ばされることを。
わたしは女の子ですから、強制労働をさせられることはないかもしれません。
でも、エッチの相手をさせられることは、わたしでも分かりました。
子どもなら、その趣味を持つ人に売られることも十分考えられます。
そういう人がいることも、わたしは知っています。
そうなってしまったら、もうビートくんとは会えなくなってしまいます。
わたしにとって、それは奴隷にされることよりも耐えがたいことでした。
ビートくんと一緒に居られない世界なんて、未練はありません。
舌を噛み切って、死んだ方がマシです。
ビートくん、さようなら。
わたしのことは忘れて、元気に生きて下さい。
そう思った時、背後で悲鳴が上がりました。
驚きました。強盗が、次々に倒れていきます。
強盗を倒していたのは、ビートくんでした。
股間に衝撃を与えることで、屈強な強盗を倒していけるのが、信じられませんでした。
最終的に、ビートくんは1人で、全員の強盗を倒してしまいました。
わたしはお礼を云いたくて、ハズク先生の執務室から出てくるまで待っていました。
そして出てきたビートくんに、わたしはお礼の言葉を伝えます。
でも、お礼の言葉を伝えるよりも先に、身体が動いてしまいました。
ビートくんに抱き着いてしまいます。
「……ライラ?」
「助けてくれて……ありがとう」
お礼の言葉を伝えると、わたしはビートくんに抱き着いたまま泣き出してしまいました。
怖かったのです。
もう2度と、ビートくんに会えないかもしれない。
そんな状況から、わたしはビートくんに救われました。
ビートくんは、わたしにとってヒーローです。
そして、ビートくんは嫌がることなく、わたしが泣き止むまで抱きしめながら頭を撫でてくれました。
ビートくんに抱きしめられていると、不思議とわたしの気持ちは落ち着いていきました。
わたしにとって、どこよりも居心地のいい場所が、幼馴染みの腕の中にありました。
ビートくんといつまでも一緒にいたい。
できることなら、ビートくんの恋人や妻になりたい。
ビートくんと一緒にいられるなら、わたしはビートくんの奴隷になっても構いません。
いえ、むしろビートくんの奴隷になら、なりたいです。
そして叶うのなら、ビートくんとの子どもを産みたい。
わたしとビートくんの子どもなら、何人でも授かりたい。
ビートくんとわたしの子どもに囲まれながら生きていけるのなら、もう何も望むことはないでしょう。
たとえ、お父さんとお母さんに一生涯会えなくても、ビートくんと一緒なら平気です。
ビートくんが望むことなら、なんでもしてあげたい。
いえ、むしろしたいです。
たとえそれが、どんなに痛いことや、エッチなことであったとしても。
ビートくんからの要望なら、わたしはどんなことでもしてあげたいのです。
ハズク先生の言葉の意味が、今ではよく分かります。
これが『尽くす』っていうことなんだと――。
このときわたしは、はっきりと認識しました。
わたしは、ビートくんのことが好きで、愛しているということに――。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
5月25日。
辻褄が合わなかった部分を修正しました。