第78話 差し入れのお菓子
音楽の都アルトを出てから、アークティク・ターン号は平和な大地を走り続けていた。
アルトを出発する前までは、山賊が出たり街の騒動に巻き込まれたりと、色々と慌ただしい日が続いた。その反動が来たのか、アークティク・ターン号の中は静かで、にぎやかなのは3等車と食堂車くらいだった。
オレとライラは、部屋でゆっくり過ごしていた。
ライラはビン入りの紅茶を飲みながら雑誌を読み、オレは寝転がってうとうとしていた。
もちろん、同じベッドの上でだ。
「ねぇ、ビートくん!」
「ん~、どうしたの?」
「これ見て、すごく美味しそう!」
ライラが雑誌に載っている、ワッフルを指さして云う。そこにはハチミツかメープルシロップを上から注がれながら、湯気を上げているワッフルの写真が載っていた。確かにこれは、見ているだけで口の中に唾液が出てくる。
「ワッフル、食べてみたくなっちゃった!」
ライラはワッフルの写真を食い入るように見つめている。
オレも写真を見ていると、ワッフルを食べたくなってきた。
だが、残念なことにこのアークティク・ターン号の食堂車のデザートメニューには、ワッフルは無い。さらにハッターさんを始めとする商人車に乗り組んでいる行商人の中にも、ワッフルを取り扱っている行商人はいない。
「オレも食べたいけど、この列車には――」
「分かっているわよ。食べたくても、食べられないことくらい」
ライラは笑顔を俺に向けて告げる。
笑顔だが、その笑顔はどこか寂しげだ。
オレはその様子に、一匹狼をどことなく思い出してしまう。
「次の駅まで、我慢するから」
そのとき、ドアがノックされた。
「誰かしら?」
「オレが出てみる」
オレがベッドから降りると同時に、聞き覚えのある声がした。
「ビート氏よ、いるか? もしかして寝ているか?」
聞き間違えることのない、迫力のある声。
誰の声かすぐに分かり、オレは警戒することなくドアを開けた。
「ナッツさん!」
「ははははっ、ビート氏とライラ夫人、起きていて良かった!!」
大柄な貴族であり、クラウド茶会のオーナー、ナッツ氏がオレを見下ろして笑う。
いつ見ても、その体格と合わさって豪快な人だ。
高笑いも、健在だ。
「本日の午後にお茶会を行うが、ご予定の程はいかがかな!?」
お茶会の誘い。
しかもナッツ氏直々のお誘いだ。
オレはすぐにライラに視線を投げ、反応を伺う。
ライラがオレと視線を合わせると、オレはすぐに頷いてナッツ氏の顔を見た。
「是非!」
「行きます!」
オレの背後からも声がした。
振り返ると、いつの間にかライラがオレの隣に居た。
オレたちの返事を受けとめたナッツ氏は、満足そうに頷いた。
「それでは、午後3時に特等車で待っているぞ。今回はちょっとしたお土産もあるから、それも楽しみにしてくれたまえ! それではっ!」
はははははっ、と高笑いをしながら、ナッツ氏は特等車の方に去っていく。
ちょっとしたお土産とは、なんだろう?
オレとライラは、午後3時が待ち遠しくなってきた。
そして午後3時。
オレはライラと共に、クラウド家の特等車を尋ねた。
「お待ちしておりました」
ノックをすると、黒髪ロングのメイド、メイヤが出てきて俺達を出迎えた。
「お久しぶり、メイヤちゃん」
「ライラ様! お待ちしておりましたっ!」
ライラが気さくに声を掛けると、メイヤは目を見開いて、その場に土下座しようとした。
しかし、ここで土下座をされると、また厄介な展開になりかねない。
「メイヤ、土下座をしてライラに挨拶をしたら、またナッツ氏から注意されるぞ?」
「はっ! し、失礼しましたっ!」
メイヤは慌てて、土下座しようとしていた自分を抑えた。
「ご、ご案内します!」
メイヤに案内され、オレたちは特等車へと足を踏み入れる。
入ってすぐにあるリビングには、ナッツ氏とココ夫人を中心とした、クラウド家のメンバーが揃っていた。そしてテーブルの上には、すでに紅茶セットとお茶菓子が並び、ラーニャ等クラウド家お抱えのメイドが待機していた。
「また呼んでいただき、ありがとうございます!」
オレがお辞儀をすると、ナッツ氏が高笑いをした。
「はははははっ、こちらこそ来てくれてありがとう! そんなに畏まらなくてもいいぞっ! ティータイムはみんなで楽しく、だからな!!」
「2人とも、自分の部屋だと思ってゆっくりしていってね」
ココ夫人がそうオレたちに云う。
オレたちが畏まっていると、ナッツ氏が指を鳴らした。
メイドたちが動き出し、紅茶がティーカップに注がれていく。
「それでは、そろそろお茶会にしようではないかっ!!」
ナッツ氏の一言で、お茶会が始まった。
「そうだ、ライラ夫人!」
ナッツ氏の呼びかけに、ライラが反応した。
「はい、なんですか?」
「先日のアルトで、あのアルト・フォルテッシモ楽団とライラ夫人のステージ、我々も楽しませてもらったぞ!!」
「ほっ、本当ですか!?」
ナッツ氏の言葉に、ライラは驚く。
オレはそういえばと、ナッツ氏にビラを手渡していたことを思い出した。言葉通り、演奏会に来てくれたのか。
「ライラ夫人が、あんなにも美しい歌声の持ち主だとは思わなかった!! 素晴らしい歌声に、我々はすっかり感動させてもらったぞ!!」
「ライラちゃんの歌声、よく通っていたわ。歌手としてデビューできるほどよ」
「あっ、ありがとうございますっ!!」
ライラは顔を紅くして、頭を下げる。
ライラに向けられた言葉なのに、オレはまるで自分が褒められたように感じて、嬉しくなる。紅茶が、いつもより美味しく感じられた。いいね、いいね。ライラが褒められると、オレも鼻が高い。
「ビート氏も、駅前でビラ配りを頑張っていたな!」
ナッツ氏が、オレにも声をかけてくる。
「いえ、ライラとアルト・フォルテッシモ楽団の皆さんのおかげです」
本気でそう感じていた。
オレがやっていたことといえば、ビラを配り歩いていただけだ。お客さんを感動させたのは、ライラとアルト・フォルテッシモ楽団だ。オレは団長のヨハンと共に、ディアブロたちを騎士団に引き渡してはいたが、それ以外では何もしていないのだ。
しかし、ナッツ氏は首を横に振り、それを否定した。
「いや、ビート氏の積極的な宣伝が無かったら、我々はあの素晴らしい演奏会に参加することができなかったかもしれない! ビート氏は演奏会の存在をアピールするという、とても大切な仕事を成し遂げたんだ!」
「そうよ、ビートくん。あなたのやったことは、とても立派な事よ」
「それは……ありがとうございます」
ナッツ氏とココ夫人からの言葉に、オレも頬を紅くする。恥ずかしい気持ちを誤魔化そうと、オレは紅茶を飲み進める。
(ビートくん、良かったね)
オレは、ライラから小声でそう確かに云われた。オレがライラに目を向けると、ライラは笑顔で尻尾を振っていた。
まるで自分の事のように、ライラは喜んでくれていた。
無性にオレは嬉しくなり、お茶菓子を1つ、ライラに手渡した。
「そうだ! これを2人にプレゼントしよう!」
お茶会のが終盤に近づいてくると、ナッツ氏は1つの箱を出してきた。箱は一般的な菓子箱程の大きさで、オレはナッツ氏からその箱を受け取る。中には何かが入っているらしく、箱を受け取ると少し重みがあった。オレとライラは、突然の贈り物に顔を見合わせる。ナッツ氏からプレゼントを渡されるとは、思ってもみなかった。
「これは、何ですか?」
「我がシェフに頼んで作らせた、クラウド茶会で開発中のお茶菓子の試作品だ。ゆくゆくは、新商品として店頭に並べたいと思っている」
オレの問いに、ナッツ氏が得意げに説明する。
クラウド茶会とは、紅茶だけを売っているのかと思っていたが、どうやらお茶菓子の製作販売も行っているらしい。紅茶のほうが有名で、お茶菓子のことは全く知らなかった。
「いいんですか? 試作品を貰っちゃっても……」
「もちろんだ。しかし条件がある。是非、今回持ち帰って味わってみてほしい。そして今度、感想を聞かせておくれ。それが条件だ」
「わかりました!」
「ありがとうございますっ!」
オレたちはナッツ氏にお礼を告げる。
そして今日のクラウド家のお茶会は終わった。
翌日。
オレたちは机の上に置いてある、菓子箱を見つめていた。
「ビートくん、開けるよ?」
「ああ、開けてみよう」
オレとライラは頷き、ライラがクラウド家のお茶会で貰ってきた菓子箱に手を掛ける。ライラがそっと箱を開けるのを、オレは見守っていた。
いったい、何が出てくるのだろうか?
ライラが菓子箱を開けると、菓子箱の中からワッフルが出てきた。
ワッフルは2つ折りになっていて、クリームか何かがサンドされている。よく見ると1種類だけというわけではなく、複数種類入っているようだった。どうやら全てを食べて、より紅茶と合いそうなものを教えてほしいということらしい。
美味しそうなワッフルに、ライラは目を輝かせていた。今にも手に取り、全てを食べつくしてしまいそうな表情で、ライラはワッフルを見つめている。
「ビートくん!」
「よし、食べてみよう!」
オレたちははビン入り紅茶を用意し、ワッフルをそのまま直接口へと運ぶ。
紅茶と良く合うほどよい甘さのワッフルに、オレたちは至福の一時を堪能した。
「美味しい!」
「これ、もうこのまま売れそうだ!」
オレはそう思いながら、2口目のワッフルを口に運んでいく。こんなにも美味しいワッフルを食べたのは、初めてだった。ふとライラを見ると、目を先ほど以上にキラキラと輝かせながら、ライラはワッフルと紅茶を交互に口へ運んでいた。
そしてワッフルは、あっという間に無くなってしまった。
オレたちは幸福感に包まれたまま、ベッドに寝転がる。
こんなに美味しいものをタダで食べられるなんて、オレたちはなんて運がいいんだろう。
「なんだか、すごく贅沢しちゃった気分……」
「いいもの貰っちゃったなぁ」
ベッドに寝転がったオレたちに、睡魔がやってくる。
オレたちはそれに抗うことができず、そのまま眠ってしまった。
その頃。
アークティク・ターン号の機関車、センチュリーボーイの機関士は、前方に巨大な雲を発見した。
雲は下の方が黒く、遠目でも雷雨が発生していることが分かった。
そして同時に、風が強くなってくる。
機関士は長年の経験と勘から、嵐が近づいていることをすぐに察知した。
「嵐だ!」
すぐに汽笛とベルを鳴らし、列車全体に緊急事態を知らせる。
そして隣に居た機関助士に命じた。
「嵐が来るぞ! すぐに準備に取り掛かれっ!」
「はいっ!」
機関助士が敬礼し、機関車に取りつけられている連絡用の受話器を手にし、客車に乗り組んでいる乗務員に連絡を始めた。
機関士は前方にある巨大な雲を睨みつける。
黒い雲はまるで待ち構えている大きな獣のように、空を黒く支配していた。
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次回更新は、7月4日21時更新予定です!
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