第74話 アルト・フォルテッシモ楽団の憂鬱
全ての始まりは、アークティク・ターン号がアルトの街に到着する少し前まで遡る。
アルト・フォルテッシモ楽団の団員たちは、長い地方巡業を終えて活動の本拠地であるアルトへと戻って来た。専用にチャーターした列車がアルトの駅に到着すると、団員たちは貨物車からケースに入れられた楽器を下ろし、それを馬車に乗せ換えて、アマデウスホールへと運ぶ。大切な楽器を守るため、馬車には団員も同乗した。
普段は興行などで各地に出かけているためか、活動の拠点であるアルトに戻って来ると、まるで地元に帰ってきたような安心した気分に浸れる。
しかし、今はリラックスしている団員は誰1人としていない。
全て、あの男のせいだ。
誰もがそう思っていた。
そうしているうちに、馬車がアマデウスホールに到着する。
アマデウスホールは、アルト・フォルテッシモ楽団が所有しているホールだ。アルト・フォルテッシモ楽団の演奏だけでなく、他の楽団やアーティストのライブなどでも使用され、その時の使用料や売上金の一部は、アルト・フォルテッシモ楽団の収入となっている。
馬車を裏口の前につけると、ホールの施錠を解除して裏口を開け、そこから楽器を運び込んでいく。団員たちは手分けして、馬車から全ての楽器を下ろして、倉庫の中へと運び込み、楽器を決められた場所へ片付けていく。
片付けが終わると、団員全員がアマデウスホールの楽屋に集まった。
「明日は、演奏会の予定も、ホールを他の人が使う予定も無い。巡業から帰ってきて疲れているだろうから、明日と明後日は休日とする。各自、休暇を楽しみつつ身体をゆっくりと休めるように!」
アルト・フォルテッシモ楽団の団長、ヨハンが全員にそう告げる。
「以上、解散!」
そして解散が告げられると、団員たちは次々に楽屋から出て行き、裏口からアルトの街へと散らばって行く。
だが、ほとんどの団員は疲れているせいか、アマデウスホールの近くにある楽団が寮とするために借り上げたアパートへと戻って行った。
全員が帰った後の楽屋の電気が落とされると、団長のヨハンは楽屋の隣にある事務所へと移動した。そして団長の机に置かれた手紙を手に取ると、イスに腰掛け、ペーパーナイフを使って手紙を開封する。
中から便箋を取り出して広げ、書かれている言葉を目で追う。
「……くそっ」
あの男から、またしても催促の手紙が来た。
「……もうたくさんだ……!」
あの男さえ、いなければ!!
ヨハンの手に力が入ってしまい、持っていた手紙を握りつぶす。
そのとき、事務所のドアが開いて、1人の獣人族の女性が入ってきた。
「ヨハン団長! あっ……!」
「マリア!」
ヨハンが驚いてイスから立ち上がる。
マリアは、獣人族白狼族の若い女性で、アルト・フォルテッシモ楽団ではフルート奏者をしている。白狼族の特徴でもある美しい白い髪と、それと同色の獣耳と尻尾を持っている。そしてかなりの美人だ。そのためマリアは、たまに銀狼族と間違われて声を掛けられることがある。
「すみません。ノックもせずに、いきなり開けてしまいました」
「いや、気にしなくていいよ。私だけしかいないし、そもそも私室じゃなくて事務所なんだから……」
ヨハンが云うと、マリアは後ろ手に事務所のドアを閉めて、ヨハンの隣まで歩いてきた。
そしてヨハンの右手の中にある、握りつぶされた手紙を見ると、マリアの顔色は暗くなった。
「また、お手紙が来たんですね……」
「あぁ。全く、しつこい男だ」
手紙に何が書かれているのかは、見なくてもマリアは分かった。
「ヨハン団長、まさか――」
「……金を払えないのなら、アマデウスホールの差し押さえだけじゃなく、君まであの男は奪うつもりなんだ……!」
ヨハンは怒りで、身体を震わせる。
そんなヨハンを見て、マリアは胸のあたりをギュッと握りしめる。
「……団長、もしものときは、私のことは気にしないでください。私は愛すべき楽団と、アマデウスホールが……いえ、それと団長の事が守られれば、それで――」
「ダメだ!」
ヨハンは声を大きくした。
「アマデウスホールも、君も、あんな男に渡すことなんてできない!」
「団長……」
「それに、君とは結婚の約束までしたんだ。……君だけは、あの男だろうと誰だろうと、絶対に渡さない!」
「団長……!」
マリアの目に涙が浮かぶ。それは決して悲しみの涙ではない。
愛する人からの気持ちを受け止めた時に出る、嬉しさの涙だった。
ヨハンとマリアは、少し前に婚約していた。
その証拠に、ヨハンとマリアの首元には、瓜二つの婚約のネックレスが輝いている。
マリアはヨハンに近づき、そっと身体を預ける。
ヨハンはそれに答えるように、マリアを抱き留める。
2人だけの時間が、その時だけ流れていた。
「……ありがとうございます。少し、落ち着きました」
マリアがそう云うと、ヨハンは手を離した。
「とにかく、演奏会をたくさん開こう! 多くの人に来てもらえれば、きっと金をかき集めて、全て支払える!」
「はい! 私もみんなも、頑張ります! 私達の居場所は、ここだけですから!」
ヨハンとマリアは、2人しかいない事務所で再び抱き合った。
その日の翌日。
団員たちは休みだったが、団長のヨハンはアマデウスホールに出ていた。
ホールの掃除をするためである。
ヨハンが箒でホールの前を掃除していると、マリアがやってきた。
「マリア! 今日はお休みのはずじゃなかったのか?」
「団長が頑張っているのに、私がお休みをもらうなんて、できないですよ」
マリアはそう云って、箒で掃除を始める。
「私も一緒にアマデウスホールの掃除くらいしないと、未来の団長の妻は務まりませんから」
「ありがとう……マリア」
やばい。今すぐにでも結婚したい。
そんな気持ちを押さえながら、ヨハンは再び箒を動かし始める。マリアと目が合うと、マリアは微笑みを返してくれる。ヨハンは顔を赤らめながら、微笑みを返した。
しばらくして、アマデウスホールの掃除が終わる。
集めたゴミは、ゴミ袋に入れてゴミ捨て場へと持って行った。
「では、私は掃除道具を片付けてきます」
「ありがとう。頼んだよ」
マリアに掃除道具を預けると、マリアは裏口の方へと向かって行った。
ヨハンはその場で、マリアが戻って来るのを待つことにした。
掃除を手伝ってくれたのだから、自分の奢りで、何かお昼に美味しいものでも食べに行こうか。
そんなことを考えていると、鋭い視線を感じた。
ヨハンは視線が飛んできた方に顔を向け、目を見開く。
貴族のような身なりをしているが、どこかカタギには見えない雰囲気をまとった男たちが、こちらに向かって歩いてくる。
ヨハンは凍りついた。
そいつらが誰なのか、ヨハンは嫌というほど知っていた。
「ディアブロ……」
男たちが、ヨハンの前に立った。
「おう、今何か云っているみたいだったが、何か云ったか?」
紅いコートを身に纏った男が訊いてきた。
紅いコートの男の隣には、小太りで黒髪の男がいる。小太りで黒髪の男は、右手に鞭を持っていた。
ディアブロと、その腰巾着のヴィクセンだった。
「いえ、何も……」
「最近どうよ? 羽振りが良さそうじゃないか」
「アルト・フォルテッシモ楽団は有名だからなぁ、興行でしこたま儲けているんじゃないのかぁ?」
ディアブロと、ヴィクセンがゲラゲラ笑う。
耳につくその笑い声に、ヨハンは顔をしかめた。
その時、2人が離れた所に居るマリアの気づき、品定めをするような目で見る。
マリアは舐めるような目つきに嫌悪感を覚え、本能的に身を守るように腕を動かした。
「とにかく、早く金を返してくれよぉ?」
「じゃないと、アマデウスホールがどうなるか……わかっているよなぁ?」
ディアブロとヴィクセンに迫られ、ヨハンは脂汗を流す。
「は……はい。おカネは必ず……」
「まぁ、どうしても無理なら、あの白狼族の女とアマデウスホールを渡してくれることで、手を打ってもいいぜ?」
「なっ……!」
ヨハンが愕然とするが、2人はゲラゲラ笑う。
「まっ、がんばれや」
ディアブロとヴィクセンはそう云って、ヨハンの肩を少し強めに叩き、その場を立ち去った。
事務所に戻ったヨハンは、怒りのあまり拳をテーブルに叩きつけた。
「くそうっ! あいつらっ!!」
「団長、今は押さえて下さい!」
マリアがなだめ、ヨハンは落ち着こうと深呼吸をする。
アマデウスホールだけでなく、マリアまで奪って行こうと考えていることに、猛烈に腹が立った。マリアは美しいから、きっとあいつらは慰み者にした挙句、奴隷として売り飛ばす気でいることに間違いはないはずだ。
婚約者が奴隷にさせられることを考えると、アマデウスホールが奪われるよりも腹が立つ。
「これから演奏会ですから。呼び込みの効果もあって、たくさんの人が聴きに来てくれています。がんばって、来てくれた方に最高の演奏を届けましょう。きっと、明日の演奏会にもリピーターとして来てくれるか、新しいお客さんを呼び込んでくれるかもしれません」
「そうだな……すまなかった」
そうだ。今はあいつらのことに気をとられている場合ではない。
目の前のこと……アルト・フォルテッシモ楽団の演奏を心待ちにしているお客様のため。
そのことに全てを傾けるべきだ。
ヨハンは咳払いをし、団員たちが待つ楽屋へと足を踏み入れる。
「みんな、今日もアマデウスホールは満員だ! お越しいただいたお客様に最高の演奏をお届けするぞ! 準備はいいか!?」
「はい!!」
楽器を手にした団員たちは、やる気に満ち溢れている。
「よし、行くぞ! 我々の実力を、披露しよう!!」
全員が、ステージへと歩いていく。
「お疲れ様。今日も素晴らしい演奏だったぞ! これからも練習を怠るなよ」
「ありがとうございます、団長!」
演奏会が終わった後、ヨハンは団員たちを労う。
しかし、団員たちの表情はあまり明るくない。
「団長、今日もディアブロが来たんですか?」
「どこでそれを?」
「マリアさんから聞きました」
ヨハンは表情を暗くし、頷く。
「ああ、来たぞ……」
「団長……どうして、云ってくれなかったんですか!?」
団員の声に、ヨハンは戸惑う。
「ど、どういうことだ?」
「俺達にできることがあったら、遠慮しないで云ってください! アマデウスホールを守るためなら、オレたちはどんなことでもします!」
「あいつらに返す金なんか、用意する必要はありませんよ! あいつらはヤクザだ!」
「そうだ! ヤクザに渡す金なんか、用意できるか!」
「アルト・フォルテッシモ楽団は、ヤクザなんかに屈しないぞ!」
団員たちが声を上げ、楽屋の中は熱気に包まれる。
アルト・フォルテッシモ楽団を守ろうと、団員たちも心配してくれていたのか……!
団員の楽団を想う気持ちに、ヨハンは目頭が熱くなる。
そのとき、警備員がやってきた。
「すいません、皆様に是非とも会って感想を伝えたいという人が……」
「誰だ?」
「若い男ですが……」
警備員の言葉に、団員の1人がヨハンに耳打ちをした。
「もしかしたら、ディアブロの手下かもしれません」
「確かに、その可能性も否定できないが……」
はたして、それは当たっているのだろうか?
ヨハンがそう考えていると、ドアがノックされた。
すると、若い団員が置いてあった箒を手にする。
「俺が何とかしますから!」
「おい、ちょっと待て――」
まだ、ディアブロの手下と決まったわけじゃない!
ヨハンが止めようとするが、それよりも早くドアが開いた。
1人の旅人風の少年が、入ってきた。
「来たな、ディアブロの手下め! 覚悟しろ!!」
若い団員がそう叫んで、箒を振りかざした。
箒で叩かれ、旅人風の少年はその場に倒れる。
「ビートくーん!!」
少年の後ろに居た獣人の少女が叫び声を上げる。
その叫び声が、楽屋に響き渡った。
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次回更新は、6月30日21時更新予定です!





