第60話 たまには朝まで
ライラは、満面の笑みだった。
口をモグモグと動かし、中のものを飲み込むと、また次へと手を伸ばしていく。
オレたちがいるのは、食堂車だ。外はすっかり夜になっていて、食堂車の中は夜のバーのような雰囲気を醸し出している。
夕食はすでに食べ終えていたが、夜に小腹が空いてきたため、先日にテハイサで受け取った懸賞金を使って、食堂車で軽食を食べることにした。オレとライラが囲んでいるテーブルには、フルーツサンドが並んでいた。オレがライラに奢ったものだ。
ライラは大喜びで、フルーツサンドを口に運んでいく。
オレは紅茶を飲みながらライラの幸せそうな顔を眺めているうちに、お腹が満たされてしまった。
「美味しい! フルーツサンド、初めて食べたけど、こんなに美味しいとは思ってもみなかったよ~」
「気に入ってもらえたみたいで、良かったよ」
オレは微笑み、紅茶を飲む。
ライラの中で、フルーツサンドはグリルチキンやサーロインステーキなどの肉料理と並ぶほどの好物へと昇格したらしく、ライラは1人でどんどん食べていく。
「ビートくんも、食べて」
ライラはそう云って、オレにフルーツサンドを差し出してくる。
「あぁ、オレはいいよ」
「どうして?」
「紅茶で、なんだかお腹膨れてきたからさ」
「じゃあ、せめて一口だけでも」
ライラは持っていたフルーツサンドを、オレに差し出してくる。
半分ほどなら、お腹にも入るだろう。
それに、ライラが差し出してきたものを、断ったらライラをガッカリさせるだけだ。
オレは差し出されたフルーツサンドを、一口食べる。
生クリームと挟まれたフルーツが、口の中に甘味をもたらしてくれる。
紅茶とも、よく合う味だ。
「うん、美味しいな」
すると、ライラはオレが一口食べたフルーツサンドの残りを、オレが食べた所から口に入れた。
その時は何も思わなかったが、すぐにオレはライラと間接キスをしたことに気づく。
「……ライラ、もしかして狙ってた?」
「当たり……」
ライラが、頬を赤く染めた。
紅茶とフルーツサンドを楽しんだ後、オレたちは個室へと戻った。
このあとやることといえば、寝るだけだ。
しかし、オレは眠くならなかった。
ベッドに入ったのに、どういうわけか目が冴えて眠れない。
濃く出した紅茶と、紅茶に入っていたレモンのせいかもしれない。
オレは横にいるライラに目を向ける。
どうやらライラも同じらしく、目を開けたままだった。
オレとライラは、ほぼ同時に身を起こした。
「……眠くならないね」
「うん。どうしよう?」
そのとき、オレは面白いことを思いついた。
「このまま……朝まで寝ないでいようか?」
「……今夜は、オールナイトね!」
ライラも面白いと思ったらしく、すぐに乗ってきた。
「一応断っておくけど、そういうことはナシだからね」
オレが手でジェスチャーをすると、ライラは不満げに表情を膨らませる。
「えー」
「オレこの間、搾り取られたばっかりだぞ」
当然、何がとは云わないが。
「んー……たまにはそういうのも、面白いかも。このまま、朝を迎えよう!」
どうやら、上手くいったようだ。
オレはそっと、胸を撫で下ろした。
こうして、オレたちの長い夜が始まった。
深夜0時。
オレとライラは個室を出て、夜の散歩に出かけた。
散歩とはいっても、移動できるのはアークティク・ターン号の客車内だけなのだが。
個室の中ばかりにいると、運動不足にもなりがちだし、こうして歩くのも大切だ。
そんなことを考えながら、オレたちは一等車と特等車の方角へと歩みを進める。
一等車や特等車に出かけることは、ほとんどない。
あるとすれば、ミッシェル・クラウド家のお茶会などに呼ばれた時くらいだ。
おまけに、夜に出かけることなどほとんどない。
夜の一等車や特等車の廊下を歩く。
それだけでもオレたちはワクワクしていた。
そしてオレたちは、一等車へと足を踏み入れた。
「……静かだな」
オレは廊下を見て呟く。
一等車の廊下には誰も居らず、個室のドアは全て閉まっていた。
もちろん、個室は防音構造になっているから、中の音は聞こえない。
「……すごく静かね」
昼間なら、人が行き交っていて賑やかな廊下だが、今はそれが嘘のように静まり返っている。聞こえてくる音は、列車の走る音だけだ。
まるで、別世界に来てしまったかのようだ。
一等車を抜けると、特等車にオレたちは足を踏み入れる。
特等車も、明かりが点いている車両はほとんどない。貴族の多くは夜更かしを嫌い、寝るのが早い人が多いと聞いていたが、どうやらそれは本当のようだ。
特等車のブラインドは完全に下ろされ、その奥は闇に包まれている。
ミッシェル・クラウド家の特等車も、今はナッツ氏の高らかな笑い声も聞こえてこないほどに静まり返っている。
使用人のメイヤたちも、眠っているらしい。
まるで誰も乗っていないかのようだ。
深夜2時。
オレたちは3等車、商売車、図書館車なども見て回った。3等車でも、ほとんどの人が毛布や上着を被って眠っていた。図書館車は24時間空いているが、夜中だからか利用者はおらず、明かりがついているだけだった。商売車はどこの店も完全に閉店していた。
「しっかり起きているのって、オレたちぐらいかもしれないな」
「そうかもしれないわね」
オレとライラは声を潜めて話しながら、夜の散歩を楽しむ。
そのとき、前方のデッキへと続いているドアが開いた。
突然のことに、オレとライラに緊張が走った。
「おや、お客さん。こんな夜中にどうしたんですか?」
現れたのは、車掌だった。
相手が車掌だと知り、オレたちはそっとため息をつく。
緊張が、一気にほぐれていった。
「車掌さんも、こんな夜中まで起きているんですか?」
「いえ、私は今夜、夜間当直なのです」
夜間当直。あまり聞き慣れない言葉だった。
「やかんとうちょく?」
「はい。列車全体を巡回して、トラブルなどが起きていないかを確認したり、こうして夜中に起きているお客さんへの対応をするために、必ず1人は夜間当直の車掌が居ります。ただ、今の時間帯は、起きている人はほとんど居りません」
車掌はそこまで云うと、あくびをかみ殺した。
「……失礼。私はまだやることがありますので、これにて」
車掌は敬礼し、オレたちの横を通り過ぎると、列車の後方へと消えて行った。
個室に戻って来ると、オレは閉めていた窓のブラインドを上げた。
窓の外には、地平線まで続く満天の星空が広がっている。
列車が走っている所が、周りに人工的な明かりが全くない草原の中のため、星がよく見えた。
「おぉっ!」
「きれい!」
オレとライラは、満天の星空に見とれる。
上を見上げると、5つの強く光り輝く星が光っている。
その5つの星に、オレは見覚えがあった。
「五芒星だ!」
五芒星は、アレス・イリス・ニケ・テミス・ホーラの5つの強く光り輝く星を結ぶと現れ、古来から人々を見守る神々の化身と言い伝えられている。
ずっと大昔に、人々の生活をおびやかす魔王から人々を守るために、自らの身を犠牲にして魔王を倒して死んだ5柱の神々。その神々が天に昇り、人々を見守るために星になったと云い伝えられている。
グレーザー孤児院で過ごしていた頃、授業でハズク先生から教えてもらったことだ。
「あれが、五芒星?」
「ああ。授業で習ったこと、覚えてる?」
「もちろん! 計算は苦手だったけど、これはすぐに覚えちゃった」
オレたちは空から地上を見下ろす五芒星に向かって、手を組んで目を閉じる。
どうか今後とも、オレたちの旅を見守って下さい。
オレたちは、そう五芒星に旅の安全を祈願する。
しばらくして、地平線が白くなってきたことに気づいた。
地平線から始まったそれは、少しずつ空に浮かぶ星たちを見えなくしていく。
それと入れ替わるようにして、空が青くなっていく。
夜明けだ。
とうとうオレたちは、夜明けまで起きていた。
「ビートくん、日の出!」
「朝の到来だな」
地平線から、ついに太陽が顔を出した。
朝日が眩しくて、オレたちは目を細める。
これから、新しい1日の始まりだ。
しかし、オレたちにとっては、これからが眠りの時間だ。
ようやく、眠気が訪れた。
オレが大あくびをすると、ライラもあくびをする。
「一晩中起きてたから、よく眠れそうだな」
「ビートくん、お昼過ぎまで、たっぷり寝ようね」
ライラの言葉に頷き、オレはブラインドを閉める。
個室の中だけが、再び夜と同じくらいに暗くなった。
オレとライラは、ベッドに入ると、目を閉じた。
「おやすみ、ライラ」
「おやすみ、ビートくん」
そしてオレたちは、深い眠りに就いた。
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