第55話 西大陸の大運河
「うわー、おっきい川!!」
ライラが窓の外を見て、叫んだ。
オレも窓の外に目をやると、その大きさに驚かされた。
アークティク・ターン号が走っているのは、ゼピュロス川のすぐ横だった。
ゼピュロス川は『西大陸の大運河』と呼ばれるほど大きな川だ。いくつもの船が往来し、川だというのに、まるで海のように水平線まで続いていて、終わりが無いように見える。川岸には船着き場が置かれ、そこで荷物の上げ下ろしや人の乗り降りがあちこちで行われている。
「これが、西大陸の大運河かぁ」
「大きいとは聞いてたけど、こんなに大きな川だったなんて!」
グレーザーには、これほどまで大きな川は無かった。
まるで海のように大きな川に、オレとライラは感動していた。
こんなものが実在するなんて、世界はなんて広いんだろう。
すると、列車がゼピュロス川の方角へと、近づきはじめる。
ゼピュロス川の水面が、少しずつ近づいてきた。
そして列車は、ゼピュロス川の水面近くに敷かれたレールを走り始める。
「すっごーい! まるで船に乗っているみたい!」
ライラは子どものようにはしゃいでいる。
上手い例えだ。
そのとき、水面で何かが跳ねた。
「あっ、魚!!」
ライラが指で指し示し、叫ぶ。
オレは水面で何かが跳ねた事しか分からなかった。しかしライラは獣人だからか、人族のオレよりも目がいいらしく、魚が跳ねたことが分かったらしい。
「よく見えたなぁ。オレには何かが跳ねたことしか分からなかった」
「そう? わたしはよく見えたけど?」
「ライラは目がいいな」
褒めると、ライラは尻尾を振りながら「えへへ」と表情をとろけさせる。
こんな些細な事でも喜んでくれるんだから、ライラを褒めるのは止められない。
突然、列車がブレーキを掛け、急激に速度を落とし始めた。
何の前触れもなく減速を始めたため、オレとライラは危うく個室の中を転がりそうになった。
「うわっ!?」
「キャッ!!」
オレは足に力を掛け、なんとか持ちこたえたが、ライラは間に合わず、バランスを崩してしまう。
バランスを失って倒れかけるライラを、オレは両手で受け止める。
「ライラ、大丈夫か?」
「うん、ビートくんがいてくれたから」
オレと密着できたのが嬉しかったのか、ライラは満面の笑みで答える。
オレもライラが無事で良かったことと、ライラの笑みが見れたこと、ライラの甘い匂いと柔らかい肌に癒され、笑みを浮かべた。
しかし、それに浸り続けるのは、今は後回しだ。
列車は速度を落としたとはいえ、停まってはいない。
かなりゆっくりとした速度で動き続けている。
「しかし、どうしていきなり速度を落としたんだろう?」
「駅が近いのかしら?」
「いや、まさか……」
次の停車駅、ルマルエーズまでは、まだまだ先だ。ゼピュロス川の流れつく先にある街で、現在地からはあと1日か2日は掛かる場所だ。
だとしたら、さっきの減速は何なのか?
オレは嫌な予感が胸をよぎった。
まさか、またリザードマンのような奴らが、列車強盗に来たのか?
だとしたら、やはり狙いはライラなのだろうか?
「ビートくん、きっと深刻な理由じゃないと思うよ」
ライラの言葉に、オレはソードオフに伸びていた手を止める。
「わたしの事を心配してくれるのは嬉しいけど、ずっと心配していたら、ビートくんが疲れちゃうから」
「でも、ライラに何か起きたら――」
「大丈夫。わたしに何が起きても、きっとビートくんが助けてくれるから」
ライラは自信たっぷりにそう云って、オレに笑顔を向ける。
一体、その自信はどこから来るのだろう?
オレは何も云えなくなってしまった。
とりあえず、ライラの期待を裏切らないようにしないとな。
しばらく時間が経っても、列車はゆっくりと動き続けていた。
強盗が襲撃してきたような、緊急事態が起きたわけではなさそうだ。
オレとライラは、個室から出た。
「お客さん!」
偶然、ブルカニロ車掌が通りかかった。
「車掌さん!」
「列車の速度が落ちたみたいですけど、何が起きたんですか?」
「ゼピュロス川にさしかかったからです。現在、列車はゼピュロス川と並行する形で造られた、鉄道橋の上を走っているのです」
並行する鉄道橋の上?
オレは訳が分からず、首をかしげる。
「万が一落下した人が出た場合に備えて、あまり速く走れないのです。窓の外から下をご覧ください。そうしていただけますと、分かります。落ちないように、十分注意してくださいね」
ブルカニロ車掌はそう云うと、去って行った。
オレとライラは訳が分からず、顔を見合わせる。
「並行する鉄道橋って、どういうことだろ?」
「窓の外から下を見てみようよ! もっとすごい絶景が見れるかも!」
ライラはそう云うと、廊下の窓から下を見ようとする。
「ライラ、廊下の窓は開かないよ」
アークティク・ターン号の廊下の窓は、安全を考慮して開けられないようになっている。
「あっ、そうだった!」
「個室の窓から、見てみよう」
オレの提案に、ライラは2つ返事で同意する。
個室にすぐ戻ると、オレは窓を開けて下を見た。
「うおっ……!?」
そこに広がっていた光景に、オレは思わず声を上げてしまう。
少なくとも、絶景ではなかった。
「どうしたの?」
「し、下!」
ライラもオレに続いて、下を見る。
そこに広がっていたのは、ゼフィロス川だった。
しかも、水面がかなり近い。
南大陸の大鏡に匹敵するほどの近さだ。
違う所といえば、線路が水に浸かっていないことと、水の中に降り立つことができない場所ということくらいだろうか。
「ひっ……!?」
ライラも驚いたらしく、窓から離れた。
確かに、これは人が落ちたら大変だ。
だから速度を落としたのか。
オレは納得が行くと、窓をゆっくりと閉めた。
「ビートくん、なんだかちょっと怖い……」
「オレも、少し怖くなったよ」
絶景だと思っていたが、絶景ではなかった。
絶望的に怖い景色だった。
ある意味、絶景なのかもしれないが。
「……フフ」
どういうわけか、笑い声が身体の内側から出てくる。
それは止められなく、ついには大きな笑い声になって口から発せられる。
ライラにもそれが伝染ったらしく、だんだんと笑い始め、オレと同じように大きな笑い声になる。
オレたちは個室の中で、少しの間だけ、笑い合った。
「アハハ……すごいもの見ちゃったな」
「本当に……世界って、広いわね」
「全くだ」
ライラの言葉に、オレは頷いた。
やがて、列車の速度が上がり始めた。
ゼフィロス川の真上から、陸上へと移ったらしい。
列車はまっすぐに、ルマルエーズへと向かって行った。
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