第4話 夢
ハズク先生と別れた後、オレは男子部屋に戻り、ボードゲームをしたり、本を読んだりしながら消灯時間を待った。
しかし、心の中につっかかっているものがあるような気がして、落ち着かなかった。
消灯時間になると、オレはベッドに入った。
しかし、時間が経っても眠れなかった。
少し孤児院の中を散歩しよう。
そう思ったオレは、ベッドを抜け出した。
周りでは、他の子どもたちが自分のベッドで眠っている。
オレは抜き足差し足でベッドの間を移動し、音を立てないように部屋のドアを開けると、音を立てないようにドアを閉めた。
グレーザー孤児院では、夜中に部屋から出てることは一応禁じられている。
特に異性の部屋に忍び込むなんて、もってのほかだ。
見つかった場合、最悪孤児院を追い出されて、救貧院に行くしかなくなる。
しかし、それは「異性の部屋に忍び込んだ場合」であって、夜中に出歩いていただけでそこまでの制裁を食らうことは無い。
どれだけ酷くても、説教程度で済む。
オレは孤児院の建物から出て、外に出た。
月明かりが降り注いでいて、辺りはほのかに明るい。
夜風は涼しげで、気持ち良かった。
そのとき、背後で誰かの気配がした。
「――!?」
先生か見まわりのオバちゃんが、来たのかもしれない。
そう思ったオレは、茂みに身を隠す。
しかし、現れたのは意外な人物だった。
「あれ? ライラ……?」
孤児院の建物から出てきたのは、ライラだった。
銀髪と狼の耳と尻尾。
月の灯りの下に、これまで毎日見てきたライラの特徴が浮かび上がる。
見間違うことなどありえない。
オレは茂みから出て、声を掛けた。
「ライラ」
「ひゃっ!? あっ、ビートくん……」
ライラは一瞬ビクッと体を震わせてから、元の声に戻る。
「どうしたんだ、こんな夜中に?」
「ビートくんこそ、人の事いえないでしょ?」
ライラから指摘されて、オレは肩をすくめる。
「……わたし、眠れなくて」
「実は、オレもだ」
オレの言葉に、ライラは意外そうな顔をする。
オレたちは、外に設置されているベンチに、並んで腰かけた。
「ねぇ――」
オレはライラに話しかけて、口をつぐんだ。
『いい? ビートくん、女の子は今の年頃、色々と難しいのよ』
『だから、心配しなくても大丈夫。私の云うことを、信じてくれる?』
ハズク先生との約束を思い出した。
「……なぁに?」
ライラが訊く。
マズい。このまま何も云わないと、怪しまれる。
なんとかして、この状況を乗り切ろう。
「えーと……ライラ、耳と尻尾、触ってもいい?」
オレは無理に笑いながら訊く。
「ふぇっ!? み、耳と尻尾!?」
「ダメ?」
「ダメに決まってるじゃない! バカ!! エッチ!! スケベ!!」
な、なにもそこまでいわなくても……。
オレは少し落胆する。
気まずい空気を、作っちゃった……。
少しして、ライラが口を開いた。
「ねぇ、いいよ」
「えっ?」
唐突なライラの発言に首をかしげていると、いきなりライラが頭と尻尾をオレの前に持って来た。
ライラは頬を紅くしながら、オレを見つめる。
「その……耳と尻尾、触っても」
「あ、いいの?」
さっきまで、あれだけ嫌がっていたのに、突然の方向転換。
どういう風の吹き回しなのか。
「本当に、いいの?」
「……うん」
「じゃあ、遠慮なく……」
オレはライラの耳と尻尾に、触れる。
フサフサしている毛が、オレの指先をくすぐる。
時折、ピクンと耳が動いたり、尻尾が揺れたりした。
「んぅっ……」
どうやら、くすぐったいらしい。
なんだか、すごく可愛い。
耳以外も触りたくなってきたオレは、そっと耳から頭へと手を動かした。
そしてそのまま、ライラの頭を撫でる。
「ひゃっ!?」
ライラが驚いたように声を出すが、抵抗はしなかった。
ライラの頭の撫で心地の良さに、オレはすっかりハマっていた。
もっと、ライラに触れたい。
オレの心は、そんな気持ちに支配されていた。
そしてオレの本能は、ライラの身体へと手を動かしていく。
「ね、ねえ! ビートくん!」
気がつくと、オレはライラを背後から抱きしめていた。
ヤバい。ちょっと暴走した。
耳と尻尾を触るだけだったはずなのに。
「……ゴッ、ゴメン!!」
オレは慌てて、ライラから手を離す。
心臓の鼓動が高鳴り、体温が急激に上昇していく。
顔はきっと、真っ赤になっているはずだ。
それにしても、ライラの肌は柔らかかった。
身体はくびれ始めていたし、腰回りのラインもはっきりしていた。
驚いたことに、胸も膨らみかけていた!
いつの間にか、ライラは大人の身体へと変化し始めている。
……って、何を考えているんだ!
こんなことを考えていたら、ライラに嫌われる!
さっきの恥ずかしがりながら罵倒するライラの言葉が、思い起こされる。
うん、間違っていない。
ライラは身体を起こすと、服と髪の乱れを直す。
「……ビートくんの手、温かかったよ」
「……え?」
ライラから怒られると思っていたオレは、予想外の言葉に一瞬だけ思考がフリーズする。
「そ……そう」
どう言葉を返していいのか分からず、オレは言葉に詰まる。
「お父さんとお母さんに抱かれたときも、同じように感じるのかな?」
「いや……オレに訊かれても、分からないよ」
オレもライラも、ともに孤児院育ちだ。
本当の両親がいるかもしれないし、いないかもしれない。
実の両親に抱かれた時の気持ちなど、分からない。
「……ビートくんになら、話してもいいかな」
「え?」
「……私、誰にも話していないけど、夢があるの」
ライラの口から飛び出した意外な言葉、夢。
「聞きたい?」
オレは首を縦に振る。
「わたし……お父さんとお母さんに会いたい。それが私の夢なの」
年頃の女の子にありがちな、素敵な人との結婚やお金持ちになりたい、などの夢かと思っていたら、両親と会うこと。
ずいぶんと、シンプルな夢だな。
そう思ってオレは、自分がいる場所がどこなのか忘れていたことに気づいた。
オレたちが暮らしている場所は、孤児院。
ワケあって捨てられたり、親がいない子どもたちが暮らしている場所だ。
そういう場所なら、両親に会いたいと願うことは、何も不思議な事じゃない。
むしろ、誰しもが抱いてもおかしくない夢だ。
「わたしのお父さんとお母さん、どこにいるの? どうして、わたしを捨てたの? 会って、わたしは全てを聞きたい」
ライラの言葉に、オレは何も云わず耳を傾ける。
シンプルだが、叶えるのが難しい夢だ。
この世界には4つの大陸があるが、その大陸どれもが広大だ。
ライラの両親がどの大陸にいるのかは、全く分からない。
全ての大陸からライラの両親だけを探し出すなんて、海に落ちた小石を探し出すようなものだろう。
「……きっと、会えるよ」
根拠など何もないが、オレはそう云った。
「本当に……?」
「……きっと、会えるよ」
無責任な奴だな。
オレは自分のことをそう思う。
「……オレがどうやって、グレーザー孤児院に来たか、知ってる?」
オレの問いかけに、ライラは首を横に振る。
そりゃそうだよな、とオレは納得する。
孤児院の子どもは、自分がどうやって孤児院に来たかなんて、普通は口にしない。
「オレは、列車の貨物に入れられていたのを発見されて、ここに預けられたんだ」
「列車の貨物に!?」
「普通なら、孤児院の前に捨てて行ったとかが多いだろ? そんな中、オレは貨物に入れられてきたんだ。誰にも話したことが無かったけど、ライラには教えてあげる」
オレはそう云うと、半年前のことを語り始める。
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半年前。
オレはハズク先生の執務室に来ていた。
グレーザー孤児院では、子ども自身が希望すれば、どうやって孤児院にやってきたのかを教えてくれる。それは完全に子どもの任意であり、当然希望しない子どももいる。
しかし多くの子どもが、自分はどうやって孤児院にやってきたのか知りたがっている。
そのため、一定の基準として10歳になったときに、希望した場合に限り、本人に口頭で教えることになっていた。
「心の準備はいいかしら?」
ハズク先生の問いに、オレは頷く。
「準備はできています。ハズク先生、教えて下さい」
オレはお願いする。
ハズク先生は頷くと、オレがグレーザー孤児院にやってきたいきさつを語ってくれた。
「ハズク先生、それって本当ですか!?」
いきさつを聞いたオレは信じられず、声を大きくして聞きなおす。
「本当よ。……ビートくんは、グレーザー駅で列車に積まれていた貨物の中から見つかって、ここにやってきたの」
ハズク先生はそう云って、悲しげな表情を見せる。
オレは何も云わず、ただじっとハズク先生の話に耳を傾けている。
「私も最初は驚いたわ。孤児院の前に捨て子がいて、その子を保護した……という事例なら、過去に何度も会ったの。でも、列車の貨物から見つかるなんて、私も初めての経験だったわ」
「……あの」
黙って話を聞いていたオレは、口を開いた。
「オレが見つかった列車って、どんな列車だったんですか?」
「いいわ、教えましょう。ビートくんは、ある列車の貨物車から見つかったの。その列車の名前は――」
オレは答えが気になり、耳に神経を集中させる。
「――『アークティク・ターン号』よ」
「あーくてぃく・たーんごう……?」
オレがゆっくりと、列車の名前を繰り返す。
噛みそうな名前だ。
「そう。アークティク・ターン号。4つの大陸は鉄道で繋がっていて、鉄道がとても大切な交通手段だということは、以前教えましたよね?」
ハズク先生が問うと、オレは頷く。
正直、授業で習うよりも前に本で知ってしまったが。
「大陸の隅々まで通っている鉄道だけど、車両とレールに与える負荷が大きいことから、2つの大陸を行き来するのが限界でした。4つの大陸全てを走ることができる鉄道は存在しないの。でも、唯一の例外として生まれたのが、大陸横断鉄道よ」
そこまで話すと、ハズク先生は紅茶を一口飲んだ。
「4つの大陸を走破できる唯一の大陸横断鉄道が、アークティク・ターン号。南大陸のこの街、グレーザーから西大陸、東大陸を経由して、北大陸の街サンタグラードまで向かう列車よ。4つの大陸の北から南まで、南から北までの、全てを結ぶことから、4つの大陸全ての友好親善の証ともいわれています。駅によっては、1年に1度、通るか通らないかのすごく特別な列車なのです」
授業でも習った、大陸横断鉄道についてのことだ。
ハズク先生は、再び紅茶を一口飲んだ。
「この列車の貨物車に、荷物に入れられていて、グレーザー駅で労働者に発見されたの。それから駅長を経由して、一番近かったこの孤児院に引き取られたのです」
オレは、何も云わずに黙ったまま聞いていた。
いや、正確には言葉が出てこなかったといった方が正しいかもしれない。
「……ビートくんについて、私が話せることはここまでです」
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ライラは何も云わず、じっとオレの話を聞いてくれた。
「ライラは獣人族だし、狼の耳を持っているから、獣人族が多く暮らしているところに行けば、何かしらの手掛かりはあるかもしれない。だけど、オレは人族だし、何の手がかりも無い。だから、きっと見つからないと思うんだ」
オレは、涙が流れそうになったが、堪えた。
オレだって、両親がいるのなら会いたい。
だけど、獣人族とは違って人族はどこの大陸にもいて、数も多い。
その中から自分の両親を見つけるなんて不可能。
ライラの両親を見つけるよりも、難しい。
「ライラには、そんな気持ちを味わってほしくない。だから、オレもライラのお父さんとお母さんが見つかるように、手伝うよ」
「……本当?」
「約束する。必ず、オレがライラのお父さんとお母さんを探すために、どんなことでも協力するから――って、あれ?」
そう云ってライラを見ると、ライラは目を丸くしていた。
あれ? もしかして、話聞いてなかった?
「えと……ライラ?」
「……ありがとう、ビートくん」
ライラはお礼の言葉を云い、目元をそっと拭った。
「ビートくんって、優しいのね」
「いやぁ、それほどでも……」
「ううん、優しいよ。ビートくんに話して、本当に良かった」
ライラの言葉に、オレは顔を紅くしてしまう。
そして同時に、ある1つの可能性を感じる。
(ライラってもしかして、オレのことが好きなんじゃないのか?)
オレはライラを見る。
ライラは美人だ。おまけに可愛い。
美人で可愛い上に、性格も良い。
ずっとライラと一緒に過ごしてきた幼馴染みなんだから、それは確かだ。
さらにスタイルも成長をはじめている!
そう遠くないうちに、魅力的な女性になることは間違いないだろう。
そんなライラから好意を抱かれたら――。
オレは口元がだらけそうになるのを、慌てて食い止める。
(いかんいかん! ここはシャキッとしていないと――!)
「優しいかどうかはともかく、オレでよければいつでも話に乗るよ」
オレが謙遜しつつそう云うと、ライラは立ち上がった。
「ビートくんに話して、良かった。さ、もうそろそろ寝よう」
ライラは明るい顔でそう云うと、オレを置いて孤児院の建物内へと入って行く。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」
オレは慌てて、ライラの後を追いかけ、ベッドへと戻って眠りに就いた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
5月3日追記
おかしかった場所を修正しました。