第45話 チャクの手帳
南大陸最後の停車駅、リリスに向かって疾走するアークティク・ターン号。
リリスに向かう途中、深夜にオレはライラと個室で会話に華を咲かせていた。
その最中、ドアがノックされた。
コンコンッ。
時計を見ると、もう夜の12時を回っている。
他の乗客は、すでに眠っているはずだ。食堂車のバー営業も11時で終わるため、その帰りの客とも考えにくい。
当然、乗務員がやってくるような時間でもない。
だとしたら考えられるのは、トイレと間違えているか、変な奴かだ。
万が一に備え、オレはそっとソードオフを手に取り、ショットシェルを込める。
対人戦闘用のショットシェルを装填し、オレは銃身を戻す。
「ビートくん、気を付けてね」
「ああ」
短いやり取りだけで、ライラは安心した表情を見せる。
オレはそっとドアの鍵を外し、ソードオフを隠し持ちながら、ドアを開けた。
「こんな夜中に誰だっ――えっ!?」
オレは目を見張った。
そこにいたのは、1人の少女だった。
歳は同じくらいで、ライラとは少し違うが、犬系の獣耳と尻尾を持つ獣人。
女性用の旅人の服を着て、大きめのショルダーバッグを斜めにかけている。
両手を前で組み、何かをお願いするような表情でオレを上目使いで見つめてくる。
当然、武器らしいものは持っていない。
隠し持っている可能性はあるが。
しかし、明らかに敵意は感じられなかった。
おかしい人でもなさそうだ。
オレは、目の前にいる獣人の少女に話しかける。
「あんた、誰?」
「私は、チャクといいます。3等車で旅をしています、旅人です」
チャクと名乗った少女は答える。
そしてどういうわけか、お願いをしてきた。
「お願いします! 一晩だけ、泊めさせてもらえませんか!?」
「ど、どうしてだ!?」
3等車は、ここからそう遠くない。
足が棒になるほど歩いていかなければ辿り着けないほどでもない。女性でも往復してくるのは余裕だ。
それなのに、チャクはどうしたわけか、2等車の個室に一晩だけでいいから泊めてほしいとお願いしてきた。
当然、チャクは3等車を利用するだけの料金しか支払っていないはずだ。
「3等車なら、すぐそこじゃないか。それなのに、どうして2等車に!?」
「お願いします! 一晩だけでいいんです! 泊めて下さい!」
オレが困っていると、背後から声がした。
「ビートくん、どうしたの?」
「ライラ。実はこのチャクという少女が、泊めてほしいってお願いしてきて……」
ライラがオレの後ろから、チャクを見る。
チャクは相変わらず、顔の前で手を組んでお願いする姿勢を維持していた。
必死でお願いするチャクを見ていると、一晩だけなら泊めてもいいとオレは考えている。
実際、泊めていただろう。
――それは、オレ1人で旅をしていたならば、の話だが。
今のオレは、ライラと一緒に旅をしている。
それにライラはオレの妻だ。
勝手にオレの判断で、見ず知らずの女性を受け入れたら、ライラを怒らせるだけだ。
オレが良くても、ライラがOKを出さない限り、チャクを泊めるわけにはいかない。
さて、ライラはどう判断を下すのか――。
「うーん……ねぇ、名前は?」
「チャクといいます」
「どうして3等車に戻らないの? もしかして、戻れない理由があるの?」
「話すと長くなります。お願いです! 床で寝せてもらえるだけでいいんです! どうか一晩だけ泊めさせてください!」
チャクがそう云うと、ライラは頷いた。
「じゃあ、いいよ」
ライラがOKを出したことに、オレは驚いた。
てっきり「ビートくんとの2人だけの空間に入るなんて!」と云ってOKを出さないとばかり思っていた。
「ライラ、いいの!?」
「だって可愛そうじゃない。こんなに必死でお願いされたら、断りきれないよ」
そう云うと、ライラは半分開けだったドアを、全開にした。
「さ、チャクちゃん、入って入って」
「ありがとうございます! 本当にありがとうございます!!」
チャクは何度もお礼を云いながら、オレたちの個室へと入っていった。
オレはチャクが入ると、再び部屋のドアを閉め、鍵を掛けた。
「改めまして、私はチャクといいます」
「オレはビート。隣にいるのが、ライラだ」
「よろしくね」
オレとライラは、名乗ったチャクに応えるように、自己紹介する。
「とりあえず、紅茶でも飲む? ビン入りだし温かくは無いけど」
「ありがとうございます。いただきます」
ライラが売店で買ってきたビン入りの紅茶を、チャクに振る舞う。
ヴァルツの街で購入した、ドライソーセージも一緒に出した。
オレにはあまり合う組み合わせには思えなかったが、チャクは美味しそうに紅茶とドライソーセージを味わった。
チャクは感激して、涙を流しながらお礼の言葉を述べる。
「泊めていただくだけでなく、美味しい紅茶とドライソーセージまで……どうお礼をお伝えすればいいか……本当に、ありがとうございます!!」
「まぁまぁ、落ち着いて。それよりも、どうして3等車に戻らないのか、理由を聞かせてよ」
ライラはチャクに云う。
チャクは鼻をすすると、口を開いた。
「はい。実は、2等車のどこかで、私の大切な手帳を落としてしまったんです」
「手帳を?」
ライラが確認するように訊いた。
「手帳です。私にとって、とてもとても大切な手帳なんです」
「へぇ、まるでわたしにとってのビートくんみたい」
オレは思わずニヤついてしまう。
「そういえば、お2人はどのような関係で……?」
「わたしは、ビートくんの奥さんなの」
「夫婦だったんですか!? ずいぶんと若い夫婦で……いえ、失礼しました」
「全然気にしてないよ! ね? ビートくん」
オレは何も云わず、ただ頷く。
「ありがとうございます!」
「それで、話を戻すけど……手帳を無くして、それを探すために2等車に来たの?」
オレが訊くと、チャクは頷いた。
「はい。2等車で落としたことは確かなんです。3等車から2等車を通って、食堂車で食事をしようとして、無いことに気づいたんです。それでずっと、2等車を探し回っていたんですが、どうしても見つからなくて……」
「車掌さんには訊いた?」
「もちろん、すぐに訊きました。でも、手帳の落し物は届いていないみたいで……」
「そうなると、まだどこかに落ちているか、誰かが拾って届けていないか……」
オレはいくつかの可能性を口にする。
チャクが手帳を見つけておらず、落し物として届けられていないことも考えると、まだ見つかっていない可能性が高い。もしくは誰かが拾っているか、持ち去ったとも考えられるだろう。
それにしても、チャクがそこまで手帳に固執する理由は何だろう?
よほど重要なことが書いてあるのだろうか?
「とりあえず、今日はもう遅いから寝ない? 明るくなってから、3人で探せばきっと見つかるんじゃないかな?」
ライラの提案に、オレは2つ返事で賛成する。
「それがいいよ。チャクもずっと探していたなら、疲れているだろ? 一晩ぐっすり寝れば、スッキリして探すのも捗るはずだ」
「そうですね。じゃあ、そうします!」
チャクはドライソーセージを全て食べ、紅茶を飲み干した。
「ごちそうさまでした! ありがとうございました!」
その後、オレはチャクとライラをベッドに寝かせた。
チャクは床で寝ると主張したが、オレは半ば強引にチャクをベッドに案内した。
「私なんて、床で十分ですよ!」
「いや、ダメだ。ちゃんとベッドで寝ないと、疲れは取れないもんだ」
「床で寝た事なんて、何度も経験ありますし、今さら……」
「ダメだ。とにかくベッドで寝るんだ」
最終的に「ベッドで寝ないと、明日の手帳探しを手伝わない」と云って、なんとかチャクにベッドで寝てもらった。
いくらなんでも、女の子を床やイスで寝かせるのは、オレのプライドが許さなかった。
チャクとライラが眠ったことを確認すると、オレは明かりを消し、窓際に置かれたイスに深く腰掛けて目を閉じる。
イスであっても、寝ることはできるもんだ。
翌朝。
オレは目を覚まして、イスから立ち上がった。
快眠とまではいかないものの、寝ることはできた。
「んん……よく寝た……ような気がする」
オレはストレッチをして、眠気を完全に吹き飛ばす。
コーヒーがあれば直良いが、あいにく今この場にコーヒーは無かった。
ベッドを見ると、ライラとチャクはまだ眠っている。
オレはライラとチャクが起きるまで、待ち続けることにした。
ライラとチャクが目を覚ますと、簡単な朝食を食べ、オレたちは部屋を出た。
これからやることは、1つしかない。
チャクの手帳を探すことだ。
分かっていることは、2等車のどこかに落ちている、ということだけだ。
しかし、2等車だけでも20両はある。
その中から手帳を見つけるのは、かなり絶望的だ。
手がかりも、少なすぎる。
「チャク、なんかこう……手帳の材質とか、特徴的なものとかは分からないか?」
「材質は、紙です。本みたいになっていることが、特徴です」
オレは軽くこめかみを抑える。
確かに手帳の材質は、紙だ。それは間違いない。
特徴だって、間違ったことは云っていない。
しかし、聞きたいのはそこじゃない。
「いや、それは誰でも分かる。オレが知りたいのは、手帳の外側のカバーの材質とか、何かひと目で分かるようなものがないのかってことだ」
オレがそう云うと、チャクは気づかされたようにハッとする。
「そういうことですね! えーと……カバーは革製で、留め金がついています」
つまり、少々高級そうな手帳ということか。
「じゃあ、それに当てはまるような手帳を探せばいいってことね」
「ここからは、二手に分かれて探してみるか」
オレたちがいる個室がある車両は、ちょうど2等車の中でも真ん中あたりだ。
前方の10両と、後方の10両を手分けして探した方が、効率的に探せるだろう。
「ライラとチャクは後方の10両を頼む。オレはこの車両を含めた前方の10両を探してみる。10両すべてを探しても見つからなかったら、また戻ってきつつ探して、オレたちの部屋の前で落ち合おう」
その提案に、ライラとチャクは2つ返事で頷いた。
「わかったわ!」
「お願いします!」
オレはライラ、チャクと別れ、前方の10両の2等車を探し回ることにした。
オレは前方の10両目まで辿り着いてしまった。
この先にあるのは、3等車だ。
その間に、手帳を拾ったりはしていない。
「無かったなぁ……」
オレは腕を組んで呟く。
注意深く探してきたが、どこにもない。
見落としているだけなのかもしれないが。
「……となると、あとはライラとチャクの結果待ちだな」
オレは3等車へと続いているドアに目をやると、ふと思った。
もしかして、2等車で落としたと思っているチャクの考えに反して、実はチャクが乗っていた3等車にあるのではないか?
しかし、もしそうだとしたら、あまりにも範囲が広すぎる。
3等車は30両もある。
4人掛けボックス席の車両だから、乗っている人もかなり多い。
正直、誰かが拾って持ち去っても、おかしくないだろう。
3等車から探し出すのは、絶望的だ。
「……戻ろう」
オレは再び前方の2等車10両の中を、手帳を探しながら後方へ向かって歩いて行った。
私、チャクは今、ライラちゃんと一緒に食堂車の方に向かって2等車を進んで行きます。
探しているものは、私が落とした手帳です。
2等車のどこかで落としたことに、間違いはありません。
昨夜も必死で探しましたが、見つかりませんでした。
そして私は、2等車の個室の人に助けを求めました。
もしかしたら、何か手帳について知っているかもしれないと思ったからです。
当然のことながら、あちこちの部屋から断られてしまいました。
しかし、神様は私を見捨ててはいませんでした。
ビートさんにライラちゃんという、親切な人に助けられました。
若いのでカップルかと思っていましたが、なんと夫婦でした!
事情を話しますと、翌日から一緒に探してくれることになりました。
とてもありがたかったです。
そして、探し始めたはいいのですが……。
「でね、ビートくんって、本当にカッコイイんだよ!」
ライラちゃんは手帳を一緒に探してくれるどころか、一緒に旅をしているビートさんについてのことしか話してくれません。
「そ、そうなんですか……」
「強盗を撃退してくれた時は、本当に自分の目が信じられなくって、何度も夢じゃないかと思ったりしたけど、それが現実のことだったの! それに、この間はわたしを守るためにソードオフを購入して、それで襲い掛かってきたリザードマンたちを薙ぎ倒しちゃうし……あぁ、もう本当にカッコよすぎるよぉ!!」
私は愛想笑いを浮かべながら、手帳を探し続けます。
何度かすれ違った男性が、ライラちゃんに視線を向けてきましたが、ライラちゃんの言葉を耳にすると、少し引いているみたいです。
ライラちゃんは他の男性のことなど、まるで眼中にありません。
ビートさんが、ライラちゃんにとって単なる夫などではなく、それを超えた特別な存在だということはよく分かりました。
そしてついに私たちは、食堂車まで辿り着いてしまいました。
私の手帳は、どこにもありませんでした。
いったい、私の手帳はどこへ行ってしまったのでしょう?
私の気持ちは、重くなっていくことしかできませんでした。
「……とりあえず、一旦戻ろう」
「……はい」
私はライラちゃんと一緒に、2等車の個室まで戻ることにしました。
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