第36話 ライラの手料理
オレたちは再び、ミッシェル・クラウド家の特等車へと招待された。
しかし、またティータイムだと思っていたオレたちの予想は外れる。
今度はなんと、昼食だった。
「はははははっ! たまには誰か客人を招いて昼食を食べたくなってな!」
ナッツ氏が豪快に笑いながら、ワインを口にする。
テーブルの上には、まだ料理は並んでいない。
「特等車には、キッチンが備え付けられております。現在、ミッシェル・クラウド家お抱えの料理人が腕を振るっておりますので、今しばらくお待ちください」
小さな白いエプロンをつけたセバスチャンが、畏まって告げる。
オレとライラは、ティータイムのとき以上に緊張していた。
いったい、どんな料理が出てくるのだろうか?
「味の事なら心配しなくても大丈夫だぞっ! なんせ美食家である私が、こうして移動中にも食事を作らせるほどだからな! これまでに食べてきた料理の中で、料理人たちが作った料理以上に美味しいものといえば、妻が作ってくれたパンケーキだけだった!」
「もうっ、あなたってば!」
こんなところでミッシェル・クラウド家のイチャイチャを見せられても、オレとライラの緊張は解けない。
そもそも、テーブルマナーさえほとんど知らない。
孤児院育ちのオレとライラは、孤児院を出た後はこの旅をするための旅費を稼ぐので毎日が終わっていた。
当然、テーブルマナーなど学んでいない。
「テーブルマナーでさえ、心配しなくても大丈夫だ! 食事を楽しく美味しく食べることこそが、最高のテーブルマナーだからな!」
ナッツ氏、心の中を読めるのですかっ!?
オレはそう叫びそうになった。どうして毎度毎度、オレが心の中で考えていることを的確に指摘してくるんだ!?
そんなことを考えていると、料理人たちができあがった料理を運んできて、テーブルの上へと並べて行った。
「本日の昼食メニューは、野菜スープ、グリルチキン、パン、オードブル、チョコレートケーキ、紅茶です」
料理人が並べられた料理を説明していく。
どれも綺麗に盛り付けられていて、オレたちは目を奪われた。特にライラは、大好物であるグリルチキンに目が釘づけになっている。グレーザー孤児院で食べたものよりも、かなり大きいことも理由の1つだろう。
「それでは、早速いただこう!」
ナッツ氏の一声で、オレたちは食事を始めた。
緊張しながらもナイフとフォークを手に、オレたちは食事を口に運んでいく。
「うむ、美味い! ビートくんにライラ夫人、お味はいかがかな!?」
「美味しいです!」
「こんなに美味しい料理、初めて食べました!」
オレとライラは、初めて食べる高級料理に「美味しい」以外云えなかった。気の利いた言い回しや詩的な表現など、オレたちにはひねり出せない。
オレたちの気持ちを代弁する最も使い勝手のいい言葉が「美味しい」以外になかった。
いつしかオレたちは、食事の前まで抱いていた、どんな料理が出てくるかや、テーブルマナーへの不安などは忘れてしまっていた。
「そうかそうか! 私も鼻が高いぞ!」
「ありがとうございます」
ナッツ氏が喜び、料理人が控えめにお辞儀をする。
オレたちは夢中になって、次々に料理を口へと運んでいった。
デザートのチョコレートケーキを平らげて紅茶を飲む頃には、腹八分目くらいになっていた。
貴族の料理といえば、満腹を通り越してもなお食べるといったイメージがあったが、ミッシェル・クラウド家については、そのイメージは誤りだったらしい。
「うむ! 本日の昼食も美味しかった!!」
ナッツ氏が口元を白布で拭う。
「ビートくんにライラ夫人、久々に客人と食事を共にできて、嬉しかったぞ!」
「いえ、こちらこそお食事に招いていただき、ありがとうございました」
「ありがとうございました!」
オレは丁重にお礼を云い、頭を下げる。
ライラも同じようにお礼を云って、頭を下げた。
しかし、ライラがオレも予想していなかった行動に出た。
「あの、ナッツさんはまだ食べられそうですか?」
「ん? 確かにまだ食べられるが……?」
顔を上げたライラの問いに、ナッツ氏がそう答える。
ライラが何を考えているのか、幼馴染みで夫婦であるはずのオレが分からなかった。
オレはライラに目で訴えるが、ライラはオレの方を見ようとしない。
すると、ライラは立ち上がった。
「キッチン、借りてもいいですか?」
ライラの発言に、オレは驚いた。
相手はミッシェル・クラウド家の当主だぞ!?
そんなすごい人を相手に、キッチンを貸してくれだなんて、ライラは一体何を考えているんだ!?
ライラの発言に驚いたのは、オレだけじゃない。
セバスチャン、料理人、メイドが動揺しているのが、伝わってきた。
しかし、そんなオレたちを最も驚かせたのは、ライラではなかった。
「うむ! 良いぞ!」
旦那様こと、ナッツ氏だ。
「ありがとうございます! 本日の昼食のお礼に、わたしがデザートを作ります!」
「ライラ夫人のデザートか。妻は甘いものに目が無いんだ。楽しみにしているぞ!」
「ライラちゃん、甘いものならなんでもいいからね」
ナッツ氏とココ夫人が承諾したことにより、オレやセバスチャンたち使用人に出る幕は無くなった。旦那様が自ら認めた場合は、命に関わることや犯罪行為ではない限り、止めるようなことをしてはならない。それは使用人たちにとって暗黙のルールだ。
そしてオレも、ナッツ氏とココ夫人が期待しているライラの行動を、止める権限など持っていない。
ライラがキッチンがある場所へと消えていくのを、オレは最後まで見ていた。
しばらくすると、キッチンから物音が聞こえてくる。
その音は、料理を作っている音に他ならなかった。
(頼む……! どうかライラの作ったデザートが、旦那様と奥様の口に合うものでありますように!!)
使用人たちは神に祈る気持ちで、ライラが変なデザートを作ってナッツ氏とココ夫人の機嫌を損ねないことを願い続ける。
出会って間もない人が、料理を振る舞おうとするのだから、緊張するのも無理はないかもしれないとオレは思った。
暗殺などがあったら、まず毒を仕込まれるのは料理だからだ。
使用人たちがヒヤヒヤするのも、ある意味当然だといえる。
しかし、オレは全く逆の事を考えていた。
(ライラならきっと、美味しいデザートを作ってくれるはず。ナッツ氏とココ夫人の口に合うかどうかは分からないけど)
オレがそう考えた事には、ちゃんと理由がある。
グレーザーで暮らしていた頃、ライラは時々食後に簡単なデザートを作ってくれることがあったのだ。
ホットケーキ、クッキー、フルーツサンドなどの簡単なものばかりだったが、どれも菓子屋で売れそうなほど美味しかった。
ライラの料理の腕は、かなりのものだとオレは知っている。
そして何より、ライラはオレの妻だ。
無条件に信用したい。
そんな思いも、オレの中には渦巻いていた。
ライラが出てきた。
「お待たせしました!」
ライラがナッツ氏とココ夫人の前に置いたのは、ホットケーキだった。
どちらも3段重ねで、バターが上に乗せてあり、メープルシロップがかけられている。
ホットケーキは、ライラが最も得意とする手料理の1つだ。
オレは久しぶりに嗅いだ匂いに、思わず鼻孔を広げてしまった。
「ほう、ホットケーキか。懐かしいな」
「久しぶりに見ましたわね。最近、食べる機会が無かったから、どんなものかすっかり忘れていましたわ」
ナッツ氏とココ夫人が、物珍しそうにホットケーキを見つめる。
とりあえず、第一印象はクリアしたみたいだ。
「どうぞ、召し上がってください」
ライラの勧めで、ナッツ氏とココ夫人がナイフとフォークを手にし、ホットケーキを切り分けていく。
どうやら、オレの分までは無かったらしい。
切り分けられたホットケーキを、ナッツ氏とココ夫人が口へと運ぶ。
セバスチャン、料理人、メイドが額に汗の玉を浮かべながら、その様子を見守っているのが、後ろを振り返らなくても分かった。
お前達、オレの妻のことをそんなに信用していないのか。
オレはそんな気持ちを抑えて、ホットケーキを味わうナッツ氏とココ夫人をそっと見る。
「……美味い! 久しぶりにこんな美味いデザートを食べたぞ!!」
「本当ですわ! 中身はフワフワしていて、甘さもしっかりしています」
「紅茶との相性も抜群だ!!」
「私が作るものより、味は上かもしれません」
大絶賛した後、2口目、3口目とホットケーキを口に運んでいく。
セバスチャン、料理人、メイドは唖然としながらその様子を見ていた。
そしてあっという間に、ナッツ氏とココ夫人の前に置かれたホットケーキは無くなり、後に残ったのは空になったお皿だけになった。
「美味しかった! ライラ夫人がこんなにも美味しいホットケーキを焼けるとは、正直驚愕に値する!!」
「私も、驚きました。作り方を、是非教えていただきたいものです」
「ライラ夫人が独り身だったら、間違いなくデザート担当として高額の報酬で雇入れていたな!!」
ナッツ氏とココ夫人の絶賛に、ライラは顔を紅くしていた。
「ありがとうございます。お気に召していただけたようで、わたしも嬉しいです」
「ライラ夫人、美味しいホットケーキをありがとう!」
「今度は是非、私に作り方を教えて下さい」
こうしてミッシェル・クラウド家との昼食は、オレたちもミッシェル・クラウド家も大満足に終わりを迎えることとなった。
オレたちは個室に戻ってきた。
「ビートくん、ゴメンね」
「えっ、いきなり何?」
「ホットケーキが無かったことよ。ビートくんの分も、本当は作りたかったんだけど、材料が足りなかったの。本当にゴメンね!」
ライラは、そう云ってオレに謝る。
しかし、オレは自分の分のホットケーキが無かったからと云って、何も気にしてはいない。
「今夜は……その、ビートくんが私を何度でも好きにしていいから……それで――」
「ライラ、オレは気にしていないよ」
オレはそう云って、ライラの頭に手を置き、撫でる。
「また今度、機会があったら作ってよ。それに、何度でも好きにしていいって、いつものことじゃないか」
「えへへ……そうだったわね」
ライラは顔を紅くしながら、尻尾を振る。
「必ず近いうちに、ビートくんのホットケーキを作るからね!」
夜になり、ライラが眠った後、オレは1人で考え事をしていた。
ミッシェル・クラウド家との昼食が終わり、ライラのホットケーキに大満足したナッツ氏とココ夫人に挨拶をして帰ろうとしたとき、ナッツ氏がオレに話しかけてきた。
オレはそのときのことを、思い出していく。
「ビートくん、ライラ夫人について少し話があるんだ」
話の内容は、ライラについてのことだった。
以前、ティータイムに招かれた時にも、最後にライラのことについて話を聞いたことがあった。
「はい、なんですか?」
オレはココ夫人と話をしているライラに聞かれないよう、声を潜めて訊いた。
「実は、このアークティク・ターン号には『図書館車』と呼ばれる車両がある」
「ライブラリー、ですか?」
「そうだ。そこにはあらゆる本が収蔵されていて、長距離の旅をする人たちが気軽に本を読めるようになっている。そこに行けば、銀狼族について記された本も、きっとあるはずだ」
銀狼族について書かれた本。
オレはすぐに興味を持った。ライラの種族である銀狼族については、オレも色々と知りたかった。なんといっても、ライラが銀狼族だからだ。
本当ならライラに訊くのが一番手っ取り早いのだが、ライラは銀狼族ではあるが、他の銀狼族と共に過ごしてきたわけではない。そもそも銀狼族は、そのほとんどが北大陸の奥地に暮らす少数民族であるため、オレたちがこれまで過ごしてきた南大陸にはいないのが普通だ。
だから銀狼族については、これまでわずかな事しか知らなかった。
「もしかしたら、図書館車には銀狼族について書かれた本があるかもしれない。1度、探してみる価値はあるだろう」
「ありがとうございます。近いうちに、調べてみます」
オレはそうナッツ氏と約束した。
オレとライラを乗せ、アークティク・ターン号は夜の闇を切り裂きながら、草原地帯を駆け抜けて行った。
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