第201話 地獄に降り立った女神
わたし――ライラは、急いでノワールグラードへと向かっていました。
一緒に脱出しようと約束したビートくんがおらず、それどころかクラウド茶会のサンタグラード支店になぜいるのか。
わたしは隣にいたグレイシアちゃんに、問いただしました。
グレイシアちゃんは、観念したようにすべてを話してくれました。
ビートくんは、一緒に脱出する気などありませんでした。
わたしを助けるために、わたしを弱い眠り薬で眠らせ、その隙にノワールグラードへと戻っていたのです。
銀狼族を、アダムの手から救うために!
グレーザー孤児院に引き取られた時から幼馴染みで、今は固い絆を結んだ夫婦なのに、どうしてビートくんの隠している意図に気づかなかったのか。
わたしは自分自身を恨みました。
しかし、恨んでも何も始まりません。
グレイシアちゃんやレイラちゃん、ココさんの制止を振り切って、わたしは地下のトロッコを使ってノワールグラードへと向かいました。
「ハァ……ハァ……」
わたしは必死で走ります。
微かに漂ってくる血や火薬の匂いから、ノワールグラードの方角は分かります。
銀狼族は、鼻が利くのです。
走り続けてきて、わたしの息は上がっています。
元々、何か運動をしていたわけではありません。
喉の奥に血の味が広がり、足が重くなってきます。
それでも、わたしは立ち止まる気はありません。
ノワールグラードでは、ビートくんや他の銀狼族が戦っているはずです。
そこでは、今のわたしの疲れや辛さなどとは比べ物にならないほど、大変なことになっています。
途中で、何人かの銀狼族の連絡員と出会いました。
「君は、シャインさんとシルヴィさんの娘さん!!」
「どうしてここに!? あのビートという少年が貨物列車で東大陸に逃亡させた手はずじゃ――!?」
銀狼族の連絡員たちが驚きますが、わたしは構わず走り続けます。
「ま、待って! そっちは危険だ!!」
「女子供が行く場所じゃない!!」
その声は、わたしの耳には届きません。
たとえ危険だろうと、女子供が行く場所じゃなかろうと、わたしには関係ありません。
わたしがいる場所は、世界中でたった1つしかありません。
ビートくんの、腕の中です――!
走り続けていくうちに、黒煙が上がっている場所が見えてきました。
今はお昼時ではありません。
それに近づくほど、血や火薬の匂いが強くなっていきます。
間違いなく、あそこがノワールグラードです。
やがて、ノワールグラードが見えてきました。
銃声などは聞こえてきません。
どうやら、戦いはもう終わっているみたいです。
「あ……ああ……!」
わたしは、目の前に現れた光景に足を止めてしまい、言葉を失いました。
ノワールグラードは、かつては無人の街でしたが、建物などは崩壊することなく綺麗な状態のままで残っていました。
しかし、わたしの目の前にあるのは、瓦礫の山でした。
建物としての形を保っている物は、数えるほどしかありません。
あちこちから煙が上がり、人族や獣人族の遺体が転がっています。
生き残っている人は、必死でケガ人を運んだり、遺体に布を掛けたりしています。
その光景は、まさに地獄でした。
想像を絶する光景に、わたしはしばらくの間、放心状態になってしまいました。
しかし、わたしはここに来た理由を思い出します。
最愛の夫、ビートくんを探すためです。
わたしはむせ返るような血の臭いに鼻を覆いながら、わたしはビートくんを探します。
遺体は、あえて見ませんでした。
ビートくんが死んでいるなんて、考えたくもありません。
いえ、死んでいないから、見る必要が無いとわたしは思っていました。
わたしはあの日、ビートくんがわたしの両親に向かって云っていた言葉を思い出します。
『オレはライラと別れるつもりは一切ありません。決してライラを1人残して、どこかに行ったりしない。なぜならライラは、オレにとってかけがえのない最愛の女性であり、たった1人しかいない幼馴染みで妻だから』
その言葉を信じて、わたしはビートくんを探して地獄の中を歩き回ります。
「すいません!」
わたしは、ケガ人の手当てをしている銀狼族の連絡員に、声を掛けます。
「君は! シャインさんの娘さん!!」
「わたしと同じくらいの、人族の少年を見ませんでしたか!?」
「人族の少年なら、救護所に何人か……」
すぐにわたしは、救護所に向かいます。
救護所では、傷ついた人族や銀狼族が手当てを受けていました。
ものすごい血の臭いで、わたしは吐きそうになります。
しかし、わたしはその中に足を踏み入れました。
ビートくんが、ここにいるかもしれませんし、いないかもしれません。
それをはっきりさせるまでは、出るわけにはいきません。
「ビートくん、ビートくん!」
わたしは、名前を呼びます。
しかし、返事はありません。
人族の少年も何人かいましたが、どれもビートくんではありませんでした。
少しでも、ビートくんの情報が知りたい。
わたしは意識がはっきりしている人に、聞き込みを行います。
「すいません、わたしと同じくらいの少年で、ビートという人を見ていませんか?」
「あ……新しいナースさんか?」
片目が潰れた男の人が、わたしを見て訊きます。
「ナースではありません。人を探しているんです」
「なら、他を当たってくれ。俺が欲しいのは、手当てだ……」
そう云って、男の人は無口になります。
もうこの人からは、ビートくんのことを知れそうにありません。
わたしは、他の人を当たることにします。
救護所から出た私は、ため息をつきました。
ここに、ビートくんはいませんでした。
ビートくんのことを知っている人も、いません。
無駄足になってしまいました。
「ライラ!!」
そのときです。
聞き覚えのある声が、わたしの耳に届きます。
「!? ビートく――」
「ライラ! どうしてここに!?」
声の主は、ビートくんではありませんでした。
シャインこと、わたしのお父さんです。
「お父さん!!」
わたしはお父さんに駆け寄り、抱きつきます。
筋肉質な腕が、わたしを包み込んでくれます。
ビートくんほどではありませんが、わたしは安心できました。
「ライラ! どうして戻って来たんだ!? 貨物列車で、あの少年が東大陸へ逃したはずじゃ――!?」
「ビートくんを探しに、戻って来たの!!」
わたしは、お父さんの顔を見て云います。
「ライラ! あの少年はライラに傷ついてほしくないから、貨物列車で東大陸へ逃したんだぞ!? それなのに、戻って来るなんて、お前はあの少年の気持ちをなんだと思っている!?」
「あの少年じゃなくて、ビートくん!! それにわたしがいるべき場所は、ビートくんの腕の中! どんなに傷ついても、わたしはビートくんと一緒に居たいの!」
何があっても、決して譲れないわたしの気持ちを、お父さんにぶつけます。
「お父さん! ビートくんは!? ビートくんはどこにいるの!?」
しかし、お父さんは答えてくれません。
嫌な予感が、私の脳裏をよぎります。
「お父さん! 分からないなら、分からないって云って! ビートくんは、どこにいるの!?」
「……ライラ、落ち着いて訊きなさい」
お父さんは観念したのか、口を開きました。
そして幼子に語りかけるように、話し始めます。
「あの少――いや、ビートくんは……奴隷商人のアダムと正面衝突し、アダムを見事に倒してくれた。私達、銀狼族を守ってくれたんだ」
お父さんの言葉に、わたしはビートくんへの感謝が溢れだします。
わたしと銀狼族を、アダムの魔の手から守り抜いてくれた。
ビートくんは、やっぱりわたしのヒーローです。
「じゃあ、すぐにビートくんのところに――!」
「ライラ、まだ話は終わっていない。むしろ、大事なのはここからだ」
お父さんは、何故か悲しそうな目をします。
その目が、良くないことを話そうとしていることを、伝えてきました。
わたしは自分の中から、先ほどまでの嬉しい感情が抜けていくのを感じます。
「ビートくんは、アダムと正面衝突をしたときに……」
お父さんの言葉が、少し詰まります。
わたしは再び嫌な予感がしました。
「……アダムと刺し違えて、瀕死の重傷を負ったんだ。さらに爆発に巻き込まれて、虫の息だ。もうきっと、長くは無いはずだ」
「……!!」
ビートくんが、瀕死の重傷。
しかも、もう長くないかもしれない。
わたしは、予想していた以上のことを告げられ、気を失いそうになります。
でも、そうと知れば、じっとしてられるわけがありません。
わたしはお父さんの手を振りほどきます。
「お父さん、ビートくんの所に案内して!!」
「しかし、ビートくんはひどい傷を負っている。ライラには、見るに堪えないものだ」
「そんなことどうでもいい! 早く案内して!!」
信じたくありませんでしたが、ビートくんのことを見ないことにはなんとも云えません。
「……わかった、ライラが、そこまで望むのなら」
お父さんは歩き出し、わたしはそれについていきます。
ビートくんが、生きていると信じて。
しばし歩いて、お父さんが足を止めました。
「あそこに横たわっているのが、ビートくんだ」
「!!」
わたしは、再び言葉を失いました。
ビートくんは、瀕死の重傷だというのにもかかわらず、まだ冷たい土の上に横たわっていました。
傍らには、戦う時に使ったRPKが壊れた状態で落ちています。
「ビートくん!!」
わたしは急いで、ビートくんに駆け寄ります。
着ていた服は血に染まっていて、元の色が分からなくなりかけていました。
「ビートくん! ビートくん!!」
何度もわたしは、ビートくんの名前を呼びます。
でも、反応はありません。
「どうして!? どうして命の危機なのに、こんなところに!?」
わたしは、お父さんを睨みつけます。
「ライラ、瀕死の重傷だから下手に動かせないんだ。人手も足りていない。なんとかしたくても、できないんだ」
心苦しそうに、お父さんが云います。
でも、わたしにとっては関係がありません。
最愛の人が、今にも死にそうになっている。
わたしは手当てをしようと、ビートくんを抱きかかえようとしました。
そのとき、わたしの手に冷たい何かがつきます。
手を見ると、血がべったりとついていました。
わたしの服にも、血が大量につきました。
こんなにも大量の血を流していたとは、思いませんでした。
一刻も早く、輸血が必要なことは素人のわたしでも分かります。
でも、わたしは輸血のやり方など知りません。
輸血に必要な道具だって、持っていないのです。
わたしにできることは、何もありません。
ビートくんは、わたしと銀狼族を守るために戦い、今は命の危機に陥っています。
それなのに、守ってもらったわたしは、ビートくんに何もできないのです。
「ビートくん! ビートくん!!」
最愛の人が、死にかけているという悲しい事実。
それなのに何もできない自分の無力さ。
次々に思い出す、ビートくんとの思い出。
わたしの中でいくつもの感情が混ざり合い、それが涙となって現れました。
ポロポロと落ちていくわたしの涙は、ビートくんへと降り注いでいきます。
わたしにできることは、瀕死のビートくんを抱きながら、涙を流すことだけでした。
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次回更新は12月14日21時更新予定です!





