第186話 密命
「ううむ……どうしたものか」
アルゲンは、自宅でアダムの動きを知るためにある作戦を考えていた。
連絡員を送り込み、アダムがサンタグラードでどのようなことをしているのか偵察させ、その情報を持ち帰ってくる。
つまりはスパイだった。
しかし、スパイは誰でもできる仕事ではない。
機知に富み、迅速かつ目立たない存在でなくてはならない。
そして今の銀狼族の連絡員の中には、その全てを兼ね備えている者はいなかった。
「そもそも、ワシら銀狼族は獣人族でかつ毛並みが他の獣人族ではほぼ見られない白銀なんじゃ。こっそりと相手の様子を探るなんてことには、これ以上不向きな獣人族はいないじゃろう」
そう云い、事情気味に笑うアルゲン。
すると、自宅の玄関がノックされた。
「誰かな……おぅっ!?」
ドアを開けると、そこにはシャインが立っていた。
「村長、お話があります」
「そうか。それでは、中へ入っておくれ」
アルゲンはシャインを中に招き入れ、シャインはそれに従ってアルゲンの自宅へと足を踏み入れていく。
愛用の旧式ライフル銃をそっと下ろし、シャインはアルゲンの前に銃を寝かせた。
「シャイン、お話とはどのようなことかの?」
「はい。実は――」
アルゲンの問いかけに対し、シャインは語り始めた。
「なんじゃと!? それは本当か!?」
「はい。私の今の気持ちです」
アルゲンが驚いて聞き返し、シャインは頷いた。
「お主、スパイとしてサンタグラードに向かうというのか!?」
再度の問いに、シャインは頷く。
シャインはアダムから銀狼族を守るために、自ら危険な役割に立候補した。
「はい。どうか許可をお願いします」
シャインはアルゲンに向かって、頭を下げる。
「私なら、他の連絡員と違ってある程度は戦えます。トキオ国にいた時に、軍事訓練を受けたこともあります。どうか私に、この役目をまかせていただけないでしょうか?」
「うむ……」
アルゲンはしばし沈黙する。シャインにとっては、その沈黙が無限に感じられた。
出されていた紅茶から湯気が立ち上り、ゆっくりと宙に消えていく。
そして、アルゲンは口を開いた。
「それはできぬ」
「なっ!?」
あっさり許可が下りると思っていたシャインは、目を見開いた。
どうしてダメなんだ?
自分以外に、適任者がいるというのだろうか?
シャインの心の内では、そんな思いが渦巻いていた。
「なぜですか!?」
「シャインよ、気持ちとしてはありがたい。しかし、お主はほかの連絡員とは少し違う」
アルゲンは一口紅茶を飲み、続けた。
「お主は冒険者でもあった。確かにお主の云う通り、戦闘能力はほかの連絡員の誰にも引けを取らない。しかし、だからこそ万が一、この村がアダムの襲撃を受けた時に主戦力となって村を守る責務がある。それに、お主は重大なことを見落としておる」
「重大なことを……?」
シャインが首をかしげる。
「偵察で大切なことは『目立たない』ことじゃ。街や人にとけ込み、道端に落ちている石ころと同じように誰からも見向きもされないようにしなければならん。戦闘はあくまでも最終手段。可能な限り避けることじゃ」
「はい……」
アルゲンの言葉に、シャインは頷いた。
「だから、サンタグラードに行くための許可は出せん。許可が出せるのは、アダムが死ぬか、北大陸から去った後じゃ」
「わかりました……」
アルゲンは納得し、立ち上がろうとした。
「待ってください!」
そのとき、新たなる来客が現れた。
「グレイシア!」
突如として現れたグレイシアに、アルゲンとシャインが驚く。
「今の話、聞かせていただきました! 私が行きます!」
「そ、それは本気か!?」
アルゲンの問いに、グレイシアは頷いた。
「私でしたら、身のこなしは軽いですし、隠密行動もできます。それに、私の美貌を見てください!」
「び、美貌……?」
グレイシアが自らの顔を指し示し、シャインはグレイシアの顔を見る。
確かに美人だ。しかし、グレイシアには悪いがライラのほうが美人だ。
シャインはそう思う。
「あなたの娘さんのライラちゃんほどではありませんが、私にだって容姿には自信があるんです! いざというときは、人質役だってできます!」
「し、しかしのぅ……」
アルゲンは、ゆっくりと立ち上がる。
「グレイシアよ、危険すぎる。何も若い者が、こんな過酷な役を引き受ける必要はない。気持ちはよく分かったから――」
「いえ、私に行かせてください!」
グレイシアは頭を横に振った。
その目はまっすぐ、アルゲンを見つめている。
アルゲンはその目を、数秒間見つめた。
そしてグレイシアの意思を汲み取った。
「……わかった。グレイシア、お主にアダムの様子をスパイするよう命じる」
「村長!」
シャインが叫ぶ。
「仕方あるまい。グレイシアの決意は固い。それに、もう他にお願いできるような者はおらん。ここはひとつ、グレイシアを信じて任せてみようじゃないか」
「ありがとうございます。それと、ビートくんとライラちゃんを同行させてください」
「なっ!?」
シャインは再び叫んだ。
「グレイシア! ライラを連れていくだと!?」
「はい。ビートくんと一緒にです」
「ダメだ! それだけは絶対に反対だ!」
シャインは勢いよく立ち上がり、グレイシアを見下ろす。目には怒りが込められていて、アルゲンの目の前に置いた銃に手をつけていないのが不思議なほどだった。
「ビートくんだけならともかく、ライラだけは絶対にダメだ! そもそも、どうして危険な場所にライラを連れていくんだ!?」
「シャインさんの娘さんを、安全な場所まで逃すためです」
グレイシアは怯えることなく、毅然とした態度で告げる。
「私に考えがあります。アダムの裏を突くんです」
「裏を突く……?」
「はい。アダムは必ず、ライラちゃんを狙ってくるはずです。あれだけの美貌を持っている女性は、銀狼族の中でも滅多にいません。そしてアダムはきっと、このまま銀狼族は銀狼族の村でやり過ごすと考えているはずです。ならば、その考えを利用してやるのです。危険ですが、サンタグラード経由でライラちゃんを東大陸へ逃がすほうが、アダムの目をごまかせるはずです」
「……なるほど、考えはよく分かった」
シャインは、ゆっくりとその場に腰掛ける。
「しかし……ライラを連れていくのだけは、どうしてもダメだ。ビートくんだけならともかく……」
「わかりました」
シャインの言葉に、グレイシアは再び口を開いた。
「では、まず私が1人でアダムの様子を探ってきます。それから情報をお伝えしてから、決めるのはいかがでしょうか?」
「……それなら、いいだろう」
その言葉を聞いたグレイシアは、すぐに動き出した。
そして、そのやり取りを1人の少年が見ていた。
少年はすぐにその場を離れ、駆け出した。
グレイシアは荷物をまとめ、馬車に乗り込んだ。
手綱を握り、馬に命令を送る。
「やあっ!」
グレイシアの命令に従い、馬は馬車を引いて走り出す。
その直後、グレイシアは背後に人の気配を感じ取った。
そっと、リボルバーを抜いて振り返る。
「誰っ!?」
「うわっ! 撃つな! オレだ!」
聞き覚えのある声がした。
そこにいたのは、ビートだった。
「ビートくん!?」
グレイシアは、向けていたリボルバーを下ろし、ホルスターに戻す。
「ど、どうしてあなたがここにいるの!?」
「サンタグラードに行くっていう話、聞かせてもらったんだ!」
ビートは、そう云って御者台に座る。
「オレもアダムの様子を確かめたいんだ。同行させてくれ!」
「待って! ライラちゃんはどうしたの!?」
グレイシアは馬車を走らせながら、問いかける。
「いつもいっしょだったじゃない!」
「ライラには、もう伝えてある!」
ビートは答えた。
「一緒に行くって、云わなかったの!?」
「あぁ、もちろん云ってきたよ。だけど、今回ばっかりはダメだと説得した。あまりにも危険すぎるからな。ちゃんと云ったら、ライラも分かってくれたよ! 今はシルヴィさんと一緒にオレの帰りを待っている」
「どうしても、行くというの!?」
「もちろんだ!」
グレイシアの問いに、ビートは答える。
「それに、グレイシアだけじゃ危険すぎる! もし捕まったら、どうするんだよ!? 人質役ができたとしても、奴らが銀狼族を手に入れることに変わりはない。もしそれが原因になって、他の銀狼族が危険にさらされたりでもしたら……!」
「……わかったわ」
グレイシアはふぅ、とため息をついた。
「その代わりに、あなたも絶対に捕まらないでよ! もしあなたが捕まったら、ライラちゃんが絶対に悲しむから!」
「了解!」
グレイシアの言葉に、ビートは頷く。
そして2人はサンタグラードへと赴いた。
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