第167話 オーロラ
翌日になると、センチュリーボーイが汽笛を鳴り響かせた。
そしてゆっくりと車輪が動き出し、アークティク・ターン号が前へと進み出した。
少しずつスピードを上げていき、ホームに立っている駅員や見送りに来た人に見送られながら、アークティク・ターン号はノルテッシモの駅を離れていく。
最後尾の貨物車が駅を出るころには、相当なスピードになっていた。
オレは車窓を流れていく景色から、だいたいどれくらいのスピードが出ているのか、推測していた。
「……時速60キロくらいかな」
オレはそう呟いて、懐中時計から顔を上げた。
外に見える景色は、今にも雪が降ってきそうな曇り空だった。
「ビートくん? 時速60キロって?」
「今の、列車の大まかな速度を予想したんだ」
ライラの言葉に、オレは懐中時計を見せて云う。
「この辺りは、一定の間隔でレールに沿って木が植えられているから、その木と木の間を走るまでにどれくらい時間が進むかを見て、速度を割り出したんだ」
「ビートくん、そんなことできるの!? すごーい!!」
「いやいや、時計があれば、誰でもできることだから……」
目をキラキラさせるライラに、オレはそう伝えた。
暖房が効いた個室でライラとニコラウスソングを歌いながら過ごしていると、窓の外を雪が舞い始めた。
すぐに景色は真っ白になり、やがて視界さえも真っ白にしてホワイトアウトさせてきそうな量の雪が舞い始める。
雪を降らせる妖精か何かでもいるのだろうか?
そんなことを考えていると、微かに汽笛が聞こえてきた。
「なんだろう?」
「次の駅が、近づいてきたのかしら?」
ライラが窓から前方を見るが、視界は真っ白で何も見えない。
しかし、少しすると街の明かりが見えてきた。
「ビートくん、やっぱり停車駅よ!」
「ということは、あれがジオストか。思ったよりも早かったな」
次の停車駅は、ジオストという駅だ。
アークティク・ターン号はオレたちを乗せ、雪の中のジオストに向かって進んでいった。
シラロ領ロマ地方ジオスト。
北大陸の伝統的な暮らしが色濃く残っている街だ。とくに有名なものがサウナで、各家庭には個人用のサウナが必ず設置されている。反対に、水を使うシャワールームやバスルームはない。ジオストでは、サウナがシャワールームやバスルームの代わりとして広く用いられている。
ジオスト駅に到着すると、オレたちは防寒着を身にまとった。
オレが戦闘服に身を包み、ライラは長いケープに身を包む。
「ライラ、せっかくだからちょっと外出しよう!」
「うん!」
オレの言葉に、ライラはすぐに反応する。
個室を出ると、ブルカニロ車掌がやってきた。
「あっ、お客さん! お出かけですか!?」
「はい、そうですが……?」
オレがそう答えると、ブルカニロ車掌は口を開いた。
「実は、列車は3日間ほど停車することになりました」
「えぇっ!? またですか!?」
驚いて声が大きくなってしまう。
果たして、これで何度目なんだろう?
予定されていない急な長期停車は、あまり起きてほしくはない。1日も早く、オレたちはサンタグラードに行きたいというのに。
「現在、ジオストより先は吹雪の影響で、列車が安全に進めるかどうかが全く分からない状況になっております。お客様の安全を最優先し、吹雪を観測するために3日間ほど停車することになってしまいました。お客様には大変ご迷惑をおかけいたしますが、ご理解とご協力のほど、よろしくお願い申し上げます」
ブルカニロ車掌はそう云うと、次の車両に向かっていった。
ほんの少し前まで、外出しようと思っていたオレたちだったが、急に3日間も時間ができてしまった。
「ビートくん、どうする?」
「サンタグラードに早く行きたいけど……相手が自然現象だと、どうにもできないな」
さて、どうしようか……。
少し考えたオレは、すぐにあることを思いついた。
「そうだ! せっかくだから温かい宿屋を探して、出発の日まではそこで過ごそうか!」
「賛成! 久しぶりに、動かないベッドで眠りたい!」
「よし、決まりだな!」
オレたちは、部屋へと戻った。
そして一部の荷物を持ち、個室に鍵をかけて列車から降りた。そのまま改札を抜けて、オレたちはジオスト駅から出た。
さぁ、温かい宿屋を探すぞ!
雪が降る中、オレたちはジオストのメインストリートを歩いていた。
宿屋やホテルはいくつもあったが、アークティク・ターン号が3日間停車する影響のためか、どこも満室になっていた。駅の近くにあるホテルや宿屋は、ほぼどこに行っても門前払いされてしまう。
できれば駅に近い場所が良かったが、致し方ない。
「ライラ、向こうに行ってみよう」
「うん!」
オレたちはさらにメインストリートを進み、ホテルか宿屋を探していく。
雪は寒さを運んできて、オレは寒さに身を震わせる。しかし、防寒着のおかげか、耐えがたいほどの寒さは感じない。ライラも寒さは感じているが、全然へっちゃらといった顔をしている。正直、その寒さへの耐性がオレにはうらやましかった。
「うー、寒いなぁ……ん?」
ホテルを探していると、酒場の看板が見えた。
酒は飲まないが、こうも寒いと酒の力を借りないととてもこのまま温かい宿屋を探し続けるのは厳しい。
「ライラ、何か飲んで身体を温めていこうか?」
「うん、いいよ! 何か飲んでいこう!!」
オレの提案に、ライラはすぐに頷く。
どこまで行っても、ライラはオレのやろうとすることを否定してくることはない。
オレはライラと共に、酒場『ノーザンライツ』へと入った。
酒場の中は温かい空気に包まれていて、中では大勢の人が酒を飲んでいた。
北大陸ということもあってか、飲まれている酒は蒸留酒かビールがほとんどだ。どちらも、北大陸では広く飲まれている。
そんな酒場に足を踏み入れると、酒場の中にいた人々の目が一斉にオレたちに向けられる。
その直後、人々の目の色が変わった。
まるで、領主や国王のような有力者が、突然目の前に現れたかのような驚いた目が、オレたちを包み込む。
な、なんだろうこの空気は……?
万が一に備えて、オレは隠し持っているソードオフに手を伸ばす。
「そっ、その獣人族の女性はっ!!」
「!!」
やはり、そう来たか。
ライラが銀狼族であると気づいたと、オレは読んだ。きっとこの直後、一斉に武器を取り出して、ライラを引き渡すようにオレを脅してくるかもしれない。
だが、もうそういう展開には慣れている。
それにオレには、ソードオフという武器がある!
真後ろが出入り口というところも、すぐに逃げられる大きな利点だ。
すぐに駅まで戻れば、もうそれ以上は追われることは無い!
イスに座っていた人たちが、一斉に立ち上がった。
来る!
オレはソードオフのグリップを、握りしめた。
さぁ来い! 全員ハチの巣にしてやる――!!
そう思った直後、立ち上がった人々が、一斉に跪いた。
「女神様ぁ!!!」
ライラに向かって跪いた人々が、一斉にそう叫んだ。
「は……はいぃ!!?」
「な、なんだこりゃ……!?」
オレとライラは驚き、顔を見合わせる。
女神様?
いったい何のことだ?
何を云っているのか全く分からないが、とりあえずオレが想像していたようなことは起こらなさそうだ。
ソードオフのグリップから、オレは手を離した。
「そのオーロラのような美しい銀髪! あなたはまさしく女神様です!」
「ありがたや! ありがたや!!」
「あぁ女神様! お会いできて幸栄です!!」
酒場の中にいる人が、そう云いながらライラを崇める。
もしかして、酔っ払っているのか?
しかし、それにしてはおかしい。
従業員らしき人までもが、ライラに向かって跪いている。従業員は、酒を飲んでいないはずだ。飲んでしまったら、仕事にならない。
ということは、酔っ払っているとも考えにくい。
ますます混乱するオレの隣で、ライラが口を開いた。
「あの……女神様とは……?」
「あなたはまさしく、女神様そのものです!!」
1人の男が、そう云って再び頭を下げる。
「いや、そうじゃなくて……わたしをどうして女神様と呼ぶのか分からないので、どういうことか詳しく教えてください」
「はっ! かしこまりました!!」
男はそう云うと、オレたちを1つのテーブルへと案内してくれた。
そして、どうしてライラを女神様と呼んだのか、そのことを話してくれた。
かつて、ジオストがまだ小さな村だった頃。
ジオストの近くには、巨大な白いゴリラがいた。そしてその白いゴリラは、ジオストに度々姿を現してはジオストを荒らしまわっていた。作物を横取りし、貴重な労働力となる馬を殺し、女をさらっていく。立ち向かった人々は、なすすべもなく容赦なく殺された。どうすれば倒すことができるのか分からず、人々は怯えながらも白いゴリラを神として祀り上げて機嫌を取ることで日々をしのいでいた。
しかし、そんなある日、1人の獣人族の女性がジオストにやってきた。
美しい銀髪を持った獣人族の女性は、ジオストが白いゴリラによって荒らされていることを知ると、リボルバーだけを手にして白いゴリラに戦いを挑んだ。絶対に殺されてしまうと思った人々はそれを止めようとしたが、女性の意志は固く、人々はそれを見守るしかなかった。
そして女性はリボルバーだけで、ジオストを荒らしていた白いゴリラをやっつけてしまった。
驚いた人々が女性に名前を尋ねると『わたしは、人々から女神と呼ばれている者です』とだけ告げ、天まで続くとされている山に登り、天に昇っていったという。それからというもの、ジオストでは見られることのなかったオーロラがよく発生するようになった。
それ以降、ジオストに来た銀髪の獣人族の女性は、女神様の化身として崇めるようになったという。
「そういうわけなんです。あなたはまさしく、銀髪を持つ獣人族の女性! 女神様の化身です!!」
「あの……えと……急に女神様と云われましても……」
明らかに、ライラは戸惑っていた。
見知らぬ人からいきなり手放しで喜ばれても、そりゃあ戸惑うだけだよなぁ。
オレはそう思いながら、ライラを見つめる。
「わ……わたしはビートくんの奥さんなので……女神様だなんて、そんな立派な存在じゃありません」
ライラがそう云った直後、冷たい空気が出入り口の方から流れてきた。
誰かが、酒場に入ってきたようだ。
「あっ、いらっしゃ――」
「強盗だ! 全員、そこを動くな!!」
店員の声を遮って、野太い声が聞こえてきた。
出入口の前に、1人の大男がいた。男は白いジャケットを着ていて、身体は太い毛によって覆われている。
まるで、先ほどの男の話に出てきたような、白いゴリラのようだ。
「うわあああ!!!」
「きゃあああ!!!」
オレたちの周りにいた人々が、パニックに陥る。
「騒ぐんじゃねぇ! ぶっ殺されてぇか!!」
強盗が叫び、巨大なナイフを抜く。
ナイフというよりも、ナタに近い大きさだった。きっと首も、楽に切り落とせるかもしれない。
しかし、そんなことは絶対にさせない!
オレがソードオフを抜こうとしたその時、ライラが立ち上がった。
「やめなさい!!」
ライラはオレよりも早く、強盗の前に立ちはだかる。
「おい獣人女、動くなと云っただろう!?」
「ここから今すぐ出ていきなさい!!」
ライラは叫ぶが、強盗は応じない。
「おい、そう云われて素直に応じる奴なんかいないぜ?」
ガッハッハ、と強盗は笑う。
酒場にいた人々は、ほぼ全員が怯えていた。
ライラ、何をしているんだ!?
早く逃げろ!!
オレはそう叫びたくなったが、ライラがスカートを少しだけたくし上げるのを見て、それを止めた。
その瞬間、オレはライラが何を考えているのか、よく分かった。
「おっ、なんだなんだ?」
強盗は鼻の下を伸ばして、ライラの生足を見つめる。
バカなやつだ。これから何が起きるのか、全く知らないんだ。
そしてオレが予想した通り、ライラはスカートの下からリボルバーを取り出した。
「!!?」
ライラが取り出したリボルバーを見て、強盗は目を丸くした。冷や汗が全身から噴き出して肌を流れていくのが、オレの目にも見える。
どうやら、ライラが武器を取り出してくるとは考えていなかったみたいだ。
「今すぐ出てきなさい!!」
「ひ……ひぃ!?」
よし、あともうひと押しだ!
オレはそう考え、ソードオフを取り出して、ライラの隣に立った。
そしてソードオフの銃口を、強盗へと向ける。
「とっとと消え失せろ!!」
オレのソードオフと、ライラのリボルバー。
2つの銃口を向けられた強盗は、今にもちびってしまいそうだ。
「あ……あ……あああああ!!!」
情けない叫び声をあげて、強盗は飛び出していった。
開け放たれた酒場の出入口からは、冷たい風と雪が流れ込んでくる。
オレとライラは銃口を下すと、出入口を閉めた。
「や……やっぱり女神様だ!!」
「女神様だ!」
「女神様ぁ!!」
誰かの一言をきっかけに、再び酒場の中が異様な熱気に包まれる。
というか、オレも強盗に立ち向かったというのに、オレへの感謝の言葉は無いのかよ。
オレが少しだけ頬を膨らませていると、ライラがリボルバーをしまって口を開いた。
「あの、教えてほしいことがあるんですが……」
「はっ、はい! 女神様のためであれば!!」
ライラは、駅の近くで空いている宿屋が無いか、目の前にいた男に訊いた。
酒場を出たオレたちは、空いている宿屋に入った。
男の言葉に嘘はなく、十分に暖かくてリーズナブルな価格の安宿に、オレたちはようやく腰を落ち着けることができた。
オレは荷物を降ろして、ベッドに腰掛ける。
ライラも同じように荷物を降ろしてから、ベッドに腰掛けた。
「まさか、女神様と呼ばれるなんて!!」
ライラは信じられないといった表情で、叫ぶ。
「もしかして、嫌だった?」
オレがそう訊くと、ライラは首を横に振った。
「嫌……じゃないんだけど、知らない人からいきなり称えられても……」
なるほど、そういうことか。
オレはライラの求めている答えが分かった。
ベッドから立ち上がったオレは、ライラの手を取って、その場に跪いた。
「ビートくん!?」
「女神様。どうか、このオレにご加護を……」
オレはそう云って、ライラを見上げる。
ライラは一気に顔を真っ赤にした。思った通りの、反応だ。
「もっ、もう! ビートくんってば!!」
尻尾をブンブンと振りながら、ライラはオレの手を握り返す。
「わ、わたし! ビートくんにとって女神様のような女性になれるように、頑張るから!!」
ライラは、オレに向かってそう云った。
その日の夜。
オレはふと、夜中に目が覚めた。
「んっ……?」
目を覚ましたオレは、隣で眠っているライラを起こさないように、枕元に置いていた懐中時計を見る。
時刻は午前2時。
草木でさえ眠るといわれる時間帯だ。
どうしてこんな時間に目が覚めたのだろうか?
考えても、分からない。
まぁいいや。
もう1回目を閉じれば、今度は朝まで眠れるだろう。
そう思って目を閉じようとしたとき、オレはカーテンの隙間から光が漏れていることに気づいた。
「……なんだろう?」
オレはそっとベッドを抜け出した。
こんな夜中に、カーテンから漏れてくるほどの光を出しているものの正体は、何なのか?
満月か何かだろうか?
オレはそっと、カーテンの隙間から外を見た。
「……!!」
その正体を見たオレは、目を見張った。
「わぁ……!」
「んー……ビートくん……?」
後ろで、ライラの声がした。
振り向くと、ライラがベッドの上で目をこすっていた。
「あっ、ゴメン。起こしちゃった……?」
「ビートくんが起きたことくらい、すぐに分かるわよ」
どうして分かるんだろう?
オレはライラがどうやってオレの動きを察知しているのか、少し気になった。
「こんな夜中に、どうかしたの?」
「ライラ、外、外!」
オレはそう云って、カーテンをそっと開けた。
「……!!」
窓の外の光景を見たライラも、オレと同じように目を見張った。
すぐにベッドを抜け出し、オレの隣へと駆けてくるライラ。
「すごい! オーロラ!!」
「初めて見たな!!」
窓の外の夜空に、オーロラが輝いていた。
まるで生きているかのような動きをしながら、次々に色を変えていくオーロラ。
現れては消え、また現れては消えていく。
その終わりのない光のショーに、オレたちはすっかり見入ってしまう。
「ビートくん、きれいね……」
「あぁ……きれいだ……」
暗闇の中で、オレたちは生まれて初めて見たオーロラを見続けた。
そしてオレたちが再び眠りについたのは、夜が明け始めた時だった。
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次回更新は10月28日21時更新予定です!





