第163話 防寒着購入
カルチェラタンの街に来てから、5日目のことだった。
この日は、先生たちの都合で公開授業が午後からしか開かれないことになった。
そうなってしまうと、普通の学生はともかく、公開授業限定のオレたちにとっては、オウル・オールド・スクールに行く意味が半減してしまう。公開授業に参加できないのなら、図書館ぐらいしか行く場所が無くなってしまうのだ。
どうしようか考えた末に、オレはライラと共にカルチェラタンの街を歩いてみることにした。
雪は降っていなかったが、空は雲が多めで、地面にはうっすらと雪が積もっていた。
街には授業がない学生と、休日の先生、そして学生とその家族や学校関係者を相手に商売している人がいて、カルチェラタンの街は午前中から賑わいを見せていた。オレたちのような観光客らしき人や旅人も、いくらかいるようだ。
「ヘクション!」
ライラと並んで歩いている途中で、オレはくしゃみをした。
「ビートくん、もしかしてまた風邪?」
ライラが心配そうに、オレに聞いてくる。
以前、オレは風邪をひいてしまい、しばらく救護車の患者室にいてライラと引き離されていた。その間に、ライラは寂しさから押しつぶされそうになっていたことを、後に知った。もしまた風邪をひいてしまい、救護車に入れられるようなことになったら、ライラがどう動くのか予想もつかない。
今度は、風邪をひくわけにはいかない。
「いや、ちょっと寒くて……」
オレは、アカデミックマントが恋しかった。
アカデミックマントはそこそこの防寒性があったが、貸し出し制になっているから、オウル・オールド・スクールの中でしか着用できない。オウル・オールド・スクールから出るときには、返却しないといけなかった。
そうなると、オレにはもう防寒着が無くなる。
「ビートくん、そんなに寒いの?」
ライラはアカデミックマントを着ていないが、全く寒がっている様子はない。
やっぱり、銀狼族は寒さに強いのだろう。
しかし、このままでいるわけにはいかない。
これからアークティク・ターン号で、北大陸に上陸することになっている。
今のうちに、防寒着を手に入れておかないと、ライラの両親を探し出す前に寒さで凍死してしまいそうだ。
なんとかして、カルチェラタンに滞在している間に、防寒着を購入しよう!
そう思っていた矢先だった。
「よう、そこの兄ちゃん!」
歩いていたオレたちは、服屋の前で声をかけられた。
声をかけてきたのは、若い人族の男だった。
「ずいぶんと身軽な恰好をしているけど、そんな恰好で寒くないのか?」
「寒いですよ!」
オレは人族の男に答える。
見てわからないのかと、オレは思う。
「そりゃ当たり前だ。そんな恰好で北大陸に行ったりしたら、すぐ低体温症になって死んじまうぜ!」
人族の男が云うと、ライラが目を見張った。
「ほっ、本当ですか!?」
ライラの問いに、人族の男は何度も頷く。
「わ、わたしたちこれから北大陸に行くんです!」
「北大陸に行くのかい? だったらウチで、防寒着を買っていくんだ」
人族の男はそう云い、服屋の入り口を示す。
「悪いことは云わない。防寒着がないと、人族はとても耐えられない。できれば獣人族も、買っていったほうがいいぜ? どうだい?」
セールストークじゃないか。
オレはそう思ったが、ライラは違うと受け止めたようだ。
「ビートくん、買おう! 今すぐに買おうよ!」
「わ、わかったよライラ。買っていこう」
ちょうど買おうと思っていたし、いい機会なのかもしれないな。
オレはそう思い、ライラと共に人族の男に案内されて、服屋に入っていった。
ライラがオレの背中をグイグイ押してきたが、あえてそれには触れないでおいた。
「これなんかどうだい?」
人族の男が勧めてきたのは、軍用の防寒着だった。
「これは?」
「とある国の軍隊で戦闘服としても使われていた野戦用ジャケットだ。インナーが付属していて、これにインナーを取りつければ、北大陸の奥地に行ってもへっちゃらな防寒着になるという優れものさ!」
「へぇ……」
オレは軍用の防寒着を見る。色はオリーブドラブだ。ポケットは全面に4つあり、左胸のポケットには見たこともない国旗のワッペンが縫い付けられていた。肩の部分には戦闘服らしくショルダーループもついている。全体的に見ても、目立つような汚れは見当たらない。とてもきれいだ。
見ていくうちに、オレはその戦闘服に魅せられていった。なんだか、どこか懐かしく、頼りがいがあるような感じもした。
「試着って、できますか?」
「いいよ!」
人族の男から、戦闘服を手渡されたオレは、その場で羽織ってみた。
「どう?」
「ビートくん、カッコいいよ! よく似合ってる!」
ライラからそう云われ、オレは照れ臭くなる。
すると、人族の男が姿見を持ってきた。
「自分の目でも確認してくれ」
「あっ! 意外と決まってる!」
オレは姿見に映し出された自分を見て、そう云った。
姿見の中には、戦闘服を着た自分自身が映っていた。いつもの服装に戦闘服が加わっただけで、なんだか力強い印象を与えてくれる。自分が強くなったように、オレは錯覚してしまった。
すっかり気に入ったオレは、この戦闘服を購入することに決めた。
「……これ、ください!」
オレがそう云うと、人族の男が笑みを見せた。
「ありがとう! サービスで、インナーもつけておくよ!」
「ありがとうございます!」
オレは戦闘服を脱いで、人族の男に渡す。
「準備するから、ちょっと待っててくれ!」
人族の男はそう云うと、店の奥へと消えていった。
そしてすぐに、紙袋に入れて戻ってきた。
おカネを支払うと、オレは紙袋に入った戦闘服とインナーを受け取った。
すると、ライラが人族の男に訊いた。
「あの、これと同じ服って、まだありますか?」
「ごめんよ」
人族の男は、ライラに頭を下げる。
「これ1着しか入荷しなかったんだ。だから在庫がこれしか無いんだよ」
「そうですか……」
どうやらライラは、オレと同じものが欲しかったようだ。
「代わりにとはいかないかもしれないけど……防寒着なら、これなんかどうかな?」
人族の男がライラに差し出したのは、女性用のケープだった。
普通のケープよりも長めで、色はライラの髪に近い白銀だ。
「少し厚めの布だから重いかもしれないけど、防寒性はバッチリだし、北大陸の寒さにも十分耐えられるよ」
「ライラ、試着してみたら?」
オレが助言すると、ライラはすぐに受け取って試着する。
「わぁ、かわいい!!」
ライラは姿見に映った自分を見て、そう云った。
そして二言目に出た言葉が、これだった。
「これ、ください!」
その言葉を聞いたときの人族の男は、満面の笑みだったことは忘れられない。
オレは午後から、購入した戦闘服を防寒着にしてオウル・オールド・スクールに向かった。
「これはいい買い物をしたなぁ。全く寒くないや!」
戦闘服の防寒性に驚く。見た目もカッコいいし、云うことなしだ!
「でも、この国旗って、どこの国の国旗かしら?」
ライラが、左胸に縫い付けられた国旗のワッペンを見て云う。
「きっと作られた国の国旗だど思うけど、こんな国旗見たことがないの」
「オレも見たことがないから、わかんないや。でも……」
オレは左胸の国旗に、そっと指を当てた。
「なんだか、懐かしい気がするよ」
不思議と、その国旗を見ていると安心できた。
理由はどうしてか、分からなかったが。
オウル・オールド・スクールに到着して、アカデミックマントを着ても、オレは戦闘服を脱がなかった。
また公開授業が終わって、オウル・オールド・スクールを出るときには、アカデミックマントは返却しなくちゃいけない。
何度も脱いだり着たりしないといけないのは、面倒くさい。
それならいっそ、最初から着ておいたままにしておくほうが、面倒くさくなくていい。
そう思ったオレは、戦闘服を着たまま、上からアカデミックマントを着て公開授業にライラと共に出席した。
公開授業が終わる頃には、少し暑さを感じていた。
教室内は暖房が入っていて、アカデミックマント自体にも、防寒性はあるからだ。
インナーを取り付けてこなくて良かったと、オレは思っていた。
「ビートくん、今日の授業も終わっちゃったね」
「そうだな。……それにしても、ちょっと暑いな」
授業が終わって帰り支度をしている最中に、オレはアカデミックマントを脱いだ。
オウル・オールド・スクールでは、アカデミックマント着用が定められているが、義務ではない。
着用していなくても、授業は受けられるのだ。
「ちょっと!」
オレがアカデミックマントを脱ぐと、近くにいた女子学生が声を上げた。
「ねぇ、あの人、カッコイイよ!」
「わぁ、本当!!」
女子学生たちが、オレを見て黄色い声を上げ始めた。
「あんた、ちょっと声かけてきたら!?」
「えー、どうしよー!?」
「ほら、早くしないとあの獣人族の女性と一緒に帰っちゃうよ!」
オレはため息をついた。
どうやら、ライラのことを女友達としか思っていないらしい。彼女たちからの位置だと、婚姻のネックレスが見えないから、仕方がないのかもしれないが。
オレはライラと共に教室を出た。
しかし、オレの姿が目に入った女子学生は、次々に目の色を変えた。
「ちょっと、あの人見て!」
「いいなー。あんなカッコいい人と一緒に歩けるなんて!」
「独りだったら、逃さないのにー!」
「今からでも、声かけちゃおうかしら?」
一体全体、どういう風の吹き回しだ?
この戦闘服には、女性を引き付ける何かがあるとでもいうのだろうか?
ライラと一緒に歩いているオレは、次々に飛んでくる黄色い声に困惑する。
オレには、ライラという生涯一緒にいることを誓い合った女性が、すぐ隣にいるというのに……。
「ビートくん!!」
アカデミックマントを返却すると、突然、ライラが腕に抱き着いてきた。
「んおっ!?」
「ビートくん、絶対に、ほかの女の子に声をかけられても、ついていっちゃダメよ!?」
「ライラ、そんなことしないから!」
オレが云うと、ライラは笑顔になった。
「もちろん、わかっているよ。ビートくんは、嘘ついたことなんてなかったもん!」
尻尾を振りながら、ライラは云った。
「それにしても、オレってそんなにカッコいいかな? この戦闘服を着ただけで、声をかけられるとは思わないんだけど……?」
「ううん、ビートくんは戦闘服を着ていなくても、カッコいいよ! わたしの目に、間違いは無いよ!」
「ありがとう……ライラ」
オレがライラの頭を撫でると、ライラはとろけそうな表情になり、尻尾をさらに勢いよく振った。
そんなやり取りをしながら、オレたちはカルチェラタンの駅に向かって大通りを進んでいった。
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次回更新は10月24日21時更新予定です!





