第158話 授業への参加
オレとライラは、学生課から出てきた。
黒いアカデミックマントを羽織ったオレたちは、他の学生たちに混じってオウル・オールド・スクールの校舎となっている古城の中へと足を踏み入れていく。
古城の中に入ると、まるで自分が物語の中に入ってしまったような気分になった。
「ビートくん、1時限目はどの授業を受けるの?」
「1時限目は……これだ!」
オレは時間割を指し示して云う。
1時限目に受けたい授業は、歴史の授業だ。担当教師は、獣人族九尾族のルナール。
「人族と獣人族の歴史だけじゃなくて、この世界の成り立ちも取り上げるんだって」
「面白そう!」
「そう思う? じゃあ、決まりだな」
オレはライラと共に、歴史の授業が行われる教室に向かった。
教室に入ると、すでに多くの学生が席についていた。まだ授業開始前ということもあり、ほとんどの学生は友達と歓談したり、本を読んだりして授業の開始を待っている。
オレたちはその中を歩いていき、空いている席に座った。当然、オレの隣にはライラが座る。
「……なんだか、グレーザー孤児院のころを思い出すわね」
「学生の多くは、オレたちと年がほとんど同じだからかな?」
周りに座っている学生のほとんどは、オレたちと年齢はあまり変わらないように見えた。
すると、教室前方のドアが開き、獣人族九尾族の女性が入ってきた。
それを見た学生たちが、次々と席に着き始める。
きっとあの人が、先生のルナールだろう。
「みなさん、私がこの歴史の授業担当のルナールです。さぁて、授業を始めますから席についてくださいね」
尻尾を振り振りと揺らしながら、ルナールが云った。
本当に、尻尾が9本もある!
オレは初めて見た九尾族に、興味が湧いてきた。
「これは公開授業でもあります。もちろん、時間内でちゃんと必要な部分は取り上げますので、安心してくださいね」
ルナールはそう云うと、授業を始めた。
オレたちはノートを開き、ペンを手にした。
「この世界の成り立ちについて、お話します。それは遠い昔のことです――」
この世界には、現在は人族と獣人族がいますが、最初は人族だけでした。
何千年という大昔に、地上を支配していたのは魔王と呼ばれるとても強大な力を持った存在でした。
魔王は暴虐の限りを尽くして人々を苦しめていましたが、ある時人族の中から勇者たちが立ち上がりました。勇者たちは少人数で魔王に戦いを挑み、見事魔王を打ち倒します。
そして魔王を倒した後、魔王によって囚われていた人々が解放されました。囚われていた人々は、動物にしかないはずの獣の耳と尻尾を持っていた人族でした。これまでいた人族とは全く違う人々。それが、今の獣人族の先祖に当たる人々です。
魔王によって奴隷として生み出されたとも、人族が知らないところで生きていて、魔王によって支配されていたともいわれています。
魔王が倒れたことにより、人族と獣人族が地上で暮らし始めます。
しかし、これで平和になったわけではありませんでした。
魔王が倒れた後、その魔王の座を狙って戦争が起こってしまいました。
これまでの歴史上、類を見ないほどの大戦争でした。この大戦争により、とても多くの人が亡くなってしまいます。
現在では「最終戦争」と呼ばれています。
「――さて、ここまではいわゆる神話上の歴史です」
「――えっ?」
オレはルナール先生の言葉に、目を丸くする。
神話だと云われるまで、オレはグレーザー孤児院では習わなかった歴史を学んでいると、思っていた。
神話だって?
オレはこんなこと、グレーザー孤児院の授業でハズク先生から教えてもらわなかったぞ!?
歴史はまだしも、神話なんて習わなかった。
横を見ると、ライラも同じように目を丸くしていた。
これは歴史の授業のはずだ。なのに、なぜ神話とされている歴史を学ぶんだ?
「最終戦争は、実際には戦争ではなく、巨大な自然災害ではないかと考えられています。この大事件により、人族と獣人族の多くが亡くなりました。しかし、残された人々は諦めることなく、4つの巨大な大陸の隅々にまで散らばっていきました。そして時には協力し合い、時には憎しみ合いながら、人族と獣人族は4つの大陸で今日まで暮らしてきたのです」
それから取り上げられたことは、オレたちがグレーザー孤児院で学んだ歴史と同じだった。
戦争などを乗り越え、共に手を取り合うようになった人族と獣人族は、4つの大陸の隅々にまで鉄道を敷いていき、やがて大陸横断鉄道を開通させた。大陸横断鉄道が開通したことにより、4つの大陸すべてが鉄道で結ばれることになった。
ルナール先生の授業は分かりやすかったが、オレにはどうしても気になることがあった。
どうしてルナール先生は、神話上の出来事を最初に話したりしたんだろう?
神話は神話であって、歴史の授業とは関係がないはずなのに。
よし!
思い切って、授業が終わってから質問してみよう!
オレはそう決めた。
公開授業終了後、オレは教壇に向かった。
「ルナール先生! 質問が……」
「あら、いいことですね。どんなことを聞きたいのですか?」
ルナール先生がそう云うと、オレは質問をぶつけた。
「さっき、どうして神話上のことを一番最初に話したんですか? 歴史の授業の内容と、関係があるのですか?」
「実は、大ありなのよ」
ルナール先生は、そう云うと詳しく話してくれた。
「それまえずっと神話の出来事とされていたものが、実は歴史の中で本当にあったことだった、なんてことが歴史の世界ではよくあるのです。そしてそれを見つけるのは、誰なのかわかりません。私かもしれませんし、あなたかもしれません。だから、私は歴史の授業をするときは、今は神話とされている過去の出来事も、お話しておくのです。あなたのように興味を持った人が、いつの日か歴史の真実を発見するかもしれませんから」
ルナール先生はそう云うと、教室を出ていった。
「……神話上の出来事が、実は歴史の中で本当にあったことだった……まさかぁ」
神話は神話で、歴史とは別じゃないか。
オレはそう思ったが、ルナール先生の言葉には妙な説得力があるように感じた。
「ビートくん!」
教団の前にいたオレのところに、ライラが駆け寄ってくる。
「ビートくん、次の授業に行こう! 早くしないと、送れちゃうよ?」
「……あぁ、わかった!」
オレはライラが持ってきてくれた荷物を受け取ると、ライラと共に教室を出た。
次の公開授業は、算数だ。
「ふぅ……疲れたぁ」
昼休みになると、ライラは学生食堂のイスに座りながらそう云った。
周りの座席は学生たちで埋め尽くされていて、学生たちは食事をしながら会話をしたり、本を読んだりしている。オレはそれを見て、グレーザー孤児院にもいた、食事中でも本を読んでいる子供のことを思い出した。ここには、そんな子供が大きくなったような連中がゴロゴロ居る。
「ライラ、すっかり疲れているみたいだけど、大丈夫?」
「うん。大丈夫よ」
オレが訊くと、ライラは笑顔で答える。
少し疲れているみたいだが、これくらいなら大丈夫だろうと、オレは推測する。
「ビートくんって、体力あるのね」
「そうかな……? いつもと変わらないと思うけど……?」
オレは、あまり疲れを感じていなかった。
知らなかったことも知れるし、本も好きなだけ読める。
どうやら、疲れる理由というものが、オレには見当たらなかったようだ。
「やっぱり、ビートくんってすごいよ。昨夜だって、わたし――」
「ライラ! ダメだって!!」
オレは慌ててライラの口を塞ごうとした。
それでライラも、自分が何を云おうとしていたのか理解したらしく、顔を赤くする。
少なくとも、昼間から話題にすることではないだろう。
オレはふぅとため息をつき、額に浮かんでいた汗を拭った。
「これから食事買ってくるけど、ライラは何が食べたい?」
「グリルチキンがいい!」
「ライラ、学生食堂にグリルチキンは多分無いよ?」
オレが指摘すると、ライラはこの世の終わりでも見たかのような表情になってしまう。獣耳が力なくペタンと降り、尻尾もダラリと垂れ下がった。
そんなライラを、オレは見ていられなかった。
「一応、探してみるよ。無くても、何かお肉が入っている美味しそうなものがあるかもしれないから、待ってて!」
「うん、待ってるから……」
オレはライラをその場に残し、1人で食事を調達するために行列に並んだ。
そしてしばらくしてから、オレは2人分の食事をプレートに乗せてライラの元へと戻っていく。
「ライラ、おまたせ!」
「ビートくん!?」
オレが目の前に置いた料理を見ると、ライラは目を見張った。
目の前に置かれたのが、無いと思っていたグリルチキンだったのだから、その反応はごもっともかもしれない。
「探してみたら、あったよ。人気だからすぐに無くなっちゃうらしいけど、なんとか2人分、確保できた」
「ビートくん! ありがとう!!」
ライラの獣耳が立ち上がり、尻尾もピンと上を向いた。
「それじゃ、お礼に……!」
「ライラ、ちょっと待ってくれ!」
オレに唇を向け、キスをしようとしてきたライラを、オレは制止する。
学生食堂の中は、人の目が多すぎる。
さすがにここでキスは、簡便してほしい。
「せっかくのグリルチキンが覚めるから、それは後で……」
「それじゃあ、早く食べよう!」
ライラはウキウキして、フォークとナイフを手にした。
先ほどまでの疲れていたライラは、すっかりどこかに行ってしまったようだ。
疲れているよりも、元気なライラのほうがいい。
オレはそう思いつつ、フォークとナイフを手にグリルチキンを食べ始めた。
食後にしばらく休憩してから、オレたちは午後の公開授業に参加した。
午後の授業に入る前に、コーヒーを飲んでおいて良かったと、オレは思った。
食後だから眠くなったが、コーヒーのおかげでいくらかは抑えられた。
少なくとも、集中しようと思えば集中できるくらいには。
ふと横を見ると、コーヒーを飲まなかったライラはコックリコックリと、首を動かしていた。
完全に眠りかけている。
「……ライラ、起きろ」
オレが小声で呼び、肘で小突く。
「……はっ!?」
ライラは目を覚ました。
「ビートくん、もしかしてわたし……寝てた?」
「うん。もうちょっとで先生に気づかれるところだった」
オレが指摘すると、ライラは慌てて遅れていたノートをとっていく。
そうこうしているうちに、午後の授業が終わった。
これでこの日は、オレたちが受けられる公開授業は全て終わった。
「ライラ、そろそろ帰ろうか」
「うん!」
ノートを取り終えたライラに云うと、ライラはすぐに荷物をまとめて立ち上がる。
そして席を離れようとした時だった。
「そこのかわいいおねーさん」
突然、3人の男子学生がライラに話しかけてきた。
黒いアカデミックマントと、その下に着ている制服から、オウル・オールド・スクールの学生であることは察しがついた。
「あの……わたしに何か?」
「もう授業は終わりですか? よろしければ、この後一緒にお茶でもいかが?」
ナンパだった。
こんなところでも、ナンパするやつがいるのかよ!?
オレが怒りと呆れを感じていると、ライラが口を開いた。
「イヤです」
「うぐっ!?」
ライラからのストレートな拒絶に、男子学生がショックを受けている。
「わたしには最愛の人がいますから、結構です!」
そう云って、ライラがオレの腕に抱き着いてくる。
人目があるところで抱き着かれるのは、少々恥ずかしかったが、こういう場面ではむしろ効果的だろう。
しかし、男子学生はそう簡単には引き下がらなかった。
「あの、僕たちはガリル領の上級貴族の子息ですよ?」
ガリル領と聞いて、オレは驚く。
西大陸の北部にある、天然資源が出ることによる鉱物収益と、広大な美しい自然環境による観光でお金持ちの領地として知られるガリル領。そこの上級貴族なら、相当なお金持ちのはずだ。きっとこの男子学生の親も、鉱山か美しい自然のある土地をいくつか持っているに違いない。
オレが一生働いても稼げない額のお金を、たったの1年で稼ぎ出してしまうだろう。
だが、そんなことはライラには関係のないことだった。
「上級貴族でも結構です! わたしは結婚していますから、ビートくん以外の男の人はいりません!」
そう云ったライラを、オレは思わず抱きしめたくなる。
帰ったら、今夜はライラが嫌というまで頭を撫で続けよう。
すると、男子学生たちの表情が変わった。
無害そうな笑顔から、冷酷な男へと一瞬で変化する。
それをライラも感じ取ったらしく、生唾を飲み込む音が聞こえてきた。
「こ……このアマ――!」
男子学生が動き出そうとしたとき、オレはライラの前に立った。
「おい、これ以上はオレが相手をするぞ?」
武器は無い。そしてオレは、素手で戦うことに自信は無い。
上級貴族の子息がどれほどのものかは知らないが、ライラを守るためなら、誰だろうと迎え撃つ!
「てめぇ――!」
来る!
オレはそう感じて、身構えようとした。
そのときだった。
「おーい、ビートにライラ!」
聞き覚えのある声が、オレたちの耳に届いた。
声がしたほうへ振り向くと、ダイスとジムシィがこちらに向かってきていた。
ちょうどいいところに来てくれた!
「ビートにライラ、どうかしたのか?」
「実は……」
オレがそこまで云うと、ダイスは状況を理解したようだった。
そっと頷くと、持っていた本を置き、腕まくりをした。
「おう、この2人は俺たちのダチだ。やろうってんなら、俺たちが相手になるぜ?」
「その代わり、退学を覚悟してもらうぞ?」
ジムシィも手の指をポキポキと鳴らした。
これで、3対4になった。オレたちのほうが、1人多い。
「……お、おい、行くぞ!」
「ああ……!」
上級貴族の子息といった男子学生たちは、すぐに退散していった。
このまま殴り合っても、返り討ちにされると思ったらしい。
殴り合いにならずに済んで、オレは内心ホッとしていた。
「……ありがとう、ダイスにジムシィ!」
オレがお礼を云うと、ダイスとジムシィは笑顔になった。
「いいってことよ! それにしても、ビートとライラもこの授業に参加していたんだな!」
「公開授業だったから、ライラと受けに来たんだ」
「へぇ、ライラと……あっ、そうだ!!」
突然、何かを思い出したように、ダイスが叫んだ。
「ジムシィ!」
「そうだな! ビートにライラ、明日、俺たちと一緒にケイロン博士に会いに行かないか!?」
ジムシィからの誘いに、オレとライラは顔を見合わせて首をかしげる。
ケイロン博士とは、誰なんだろう?
「ケイロン博士って?」
「文化人類学の先生さ!」
ジムシィが得意げに云った。
「ケイロン博士は、北大陸の民族について研究しているんだ。いつもフィールドワークに出かけているから、会おうとしてもなかなか会えないことが多いんだけど、明日は学校に来るんだよ」
「北大陸の民族? ひょっとして――!」
「ああ、銀狼族のことも、何か知っているかもしれないぞ?」
ライラの言葉に応えるように、ダイスが云う。
オレたちは今すぐにでも、ケイロン博士に会ってみたくなった。
銀狼族のことを知っているかもしれない。しかも北大陸の民族を研究している、カルチェラタンの教師ともなれば、普通の人とは知識の量なども全く違うはずだ。
それだけで、オレたちにとっては是が非でも会いたい人になる。
「是非、会いたいよ!」
「よし、じゃあ明日の朝9時に、図書館の前で待ち合わせだ」
「待ってるぜ!」
ダイスとジムシィの言葉に、オレとライラは頷いた。
こうして、ケイロン博士に会うことが決まった。
夕食後。
2等車の個室に戻ったオレは、机に向かって本を開いた。
図書館で借りてきた『4つの大陸の神話』という本を、オレは読み始める。
「ビートくん、まだ勉強するの?」
本を読んでいると、ライラが声をかけてきた。
オレは本から目を上げ、ライラを見る。
「うん。もうちょっとだけ、読みたくて。明日には返したほうがいいからさ」
本当は、1週間ほど借りることができるが、1週間後にはオレたちはカルチェラタンを去っている。
借りたまま忘れてしまい、返し忘れたりすると大変だ。
そんなオレを見て、ライラは微笑んだ。
「なんだか、グレーザー孤児院に居たころのビートくんみたい」
「そうかな? オレは昔から、本は好きだけど?」
すると、ライラがオレに近づいてきた。
「じゃあ、わたしのことは?」
当然、オレの返す答えは1つしかない。
「もちろん、ライラのことは大好きだ!」
オレがそう云うと、ライラは顔を紅くして笑顔になる。
「えへへ……わたしも、ビートくんのこと大好きだよ!」
尻尾を左右にブンブンと振りながら、ライラは云う。
オレは読んでいた本を閉じると、ライラを抱きしめて頭を撫で始めた。
「あーうー……くぅん……」
「ライラ、これ好きだろ?」
「好き……大好き……」
ライラはオレに身体を預けながら、オレの問いに答えた。
しばらく頭を撫で続けていると、ライラはそのまま眠ってしまった。
オレはライラを起こさないようにベッドに寝かせると、部屋の明かりを消した。
そして机の読書灯を点けると、その灯りの下で読みかけの本を開いた。
「もうちょっとだけ、読みたいな……」
オレはわずかな灯りの下で、読書を再開した。
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