第144話 ヨルデムの街
ピィーッ!
アークティク・ターン号が汽笛を鳴らした。駅が近い。
それから少しして、窓の外前方に街が見えてきた。
次の停車駅がある、ヨルデムに間違いなかった。
ヨルデムに向け、アークティク・ターン号は速度を上げた。
ドンロ領チャプル地方ヨルデム。
オレも詳しくは知らないが、個室の窓から見た景色だけを見ると、一般的な東大陸の街といった印象だ。
アークティク・ターン号がヨルデムに到着すると、オレたちは早速個室から出た。
「ビートくん、今度はどんな街かしら!?」
「行けば、きっと分かるさ!」
オレたちは列車の乗降口に向かおうとした。
そのときだった。
「お客様、お待ちください!」
オレたちは突如として呼び止められ、声がした方へ振り向く。
ブルカニロ車掌だった。
「お客様、現在駅員がヨルデムの街を調査しております。そのため、列車から降りるのはしばらくお待ちください」
「えっ、なんでですか!?」
オレは驚いて尋ねた。
列車から降りないように云われたのは、これが初めてだった。
普通、車掌が列車の乗客の行動を制限することなど、あり得ない。緊急事態なら話は別だが、そこまでの緊急事態が起こっているのなら、すぐに情報が回ってくるはずだ。それなのに降りてはいけないということは、どういうことなのか?
「実は現在、ヨルデムの街で事件が起きたとの連絡が騎士団より入りました。なんでも、切り裂き魔が出たとかで……」
「「き、切り裂き魔!?」」
オレとライラが、同時に声を上げる。
切り裂き魔が出たとなると、ブルカニロ車掌が止めに入ったのも、よく分かる。もしも捕まっていないのなら、それこそヨルデムのことをよく知らないオレたちがうろついたら危ない。
すると、駅員がホームを走ってきて、乗降口のドアを数回ノックした。
「失礼します」
ブルカニロ車掌はそう云って、乗降口を開けて駅員と会話を交わす。声はオレたちがいる場所までは聞こえてこなかった。
「わかりました。ありがとうございます」
ブルカニロ車掌がそう云って、オレたちのところまで戻ってきた。
「お待たせいたしました。とりあえず、街は騎士団が警備に当たっていますので大丈夫だろう、とのことでした」
「じゃあ、外出してもいいってことですね!?」
ライラの言葉に、ブルカニロ車掌は頷いた。
「ええ。しかし十分に気を付けてください。犯人はまだ捕まっておりませんので、できれば駅から出ないか、なるべく駅から離れないようにしてください。……そうだ! 私が聞いた犯人の情報をお伝えしましょう」
「じゃあ、メモを取らせてください!」
オレはそう云うと、手帳とペンを取り出した。
逃走中の切り裂き魔の名前は、ジャック・リッパー。
男性で年齢は不詳。人族か獣人族かも不明。
凶器は鋭利な刃物で、見つかっていないことから所持したまま逃走中。
騎士団は懸賞金を出すことも視野に入れて、ヨルデムの街を捜索中。
「……うーん、特徴とかは分からなかったみたいだなぁ」
オレはブルカニロ車掌から聞いた情報を、手帳にメモしておいた。
しかし、肝心の情報が、あまりにも少ない。
「まだ情報が広まったばかりかもしれないよ? これだけでも、全く知らないことに比べたら十分よ」
ライラが横から手帳をのぞき込んで云う。
確かに、それもそうだ。
「そうだな……切り裂き魔のことを少しでも知れただけ、他の人よりマシかもしれないな」
オレはそう云って、辺りを見回した。
駅の近くでは、数メートル間隔で騎士が辺りを警戒していた。確かに、逃走中の犯人がまず第一に向かうと考えられるのは、駅だろう。駅の中に入ってしまうと、街の騎士団は手が出せなくなる。そうなると、鉄道騎士団の出番だ。
この様子だと、街のほかの出入り口も警備は厳しいかもしれない。街から出てしまえば、探すのは容易ではない。
オレとライラは、ヨルデムの街を歩くことについて、2つの決まり事を作った。
「常に一緒に行動する」
「夕方には列車に戻る」
この2つだ。
1人で行動していたら危ないが、2人なら仮に1人が襲われたとしても、もう1人がいる。
その1人が反撃することもできるし、騎士団を呼ぶこともできる。
最悪そのどちらかができなくても、犯人の顔や特徴を覚えることができれば、逮捕は時間の問題だ。
それに犯人が行動するとしたら、人目の多い昼間よりも、人が少なくなり始める夕方や夜だろう。
夕方には列車に戻っておけば、少なくともオレたちが犯人の標的になることはない。
「さて、そろそろ行こうか」
「うん……」
オレとライラはベンチから立ち上がり、メインストリートに向かって歩き出した。
メインストリートでも、騎士の数は多かった。
人々の表情も緊迫していて、どことなく異様な空気が流れている。道行く人が持っている新聞にも、切り裂き魔のジャック・リッパーのことが書かれているものばかりだった。
メインストリートを歩いている間、ライラはオレの左腕に抱き着いたまま、片時も離れなかった。
メインストリートを抜けたオレたちは、広場に出た。
「ビートくん」
「どうした?」
「なんだか、落ち着かない……」
ライラがそう云って、オレの腕により強く抱き着く。ライラが怯えていることを感じ取ったオレは、そっとライラに訊いた。
「駅に戻ろうか?」
「うん」
その言葉で、オレたちは来た道を逆戻りして駅に戻った。
一直線にヨルデムの駅に戻ったが、列車が駅に到着した時間が遅かったためか、オレたちが駅に戻ってくる頃には、西の空が茜色に変わっていた。
驚いたことに、メインストリートにある飲み屋が、どこも開店していなかった。
どの店も、店のドアや窓に「臨時休業」との張り紙がされている。切り裂き魔のジャック・リッパーを警戒しているのだろう。
ここまで恐れられるなんて、いったいジャック・リッパーは本当にただの切り裂き魔なのだろうか?
「駅の中にいれば、きっと安全だ」
「そうね。レストランもあるみたいだし、夕食はそこで食べよう!」
「いいな。ライラはなにがいい?」
「もちろん、グリルチキン!」
「昨日も、それじゃなかったか?」
元気よく答えたライラに、オレはそう指摘して笑う。
ヨルデムの街を歩いていた時とは違って、すっかり元気が戻っていた。
しかし、事態は急変した。
「キャーッ!」
「き、切り裂き魔だ! 切り裂き魔が出た!!」
男女の悲鳴が聞こえ、オレたちは心臓が飛び上がった。
駅の中にいた人たちが、悲鳴が聞こえたほうへと動き出す。きっとそのまま、野次馬になるのだろう。
「えっ!?」
「ビートくん、今のって!?」
まさか、ジャック・リッパーが!?
オレは身体中にアドレナリンが流れるのを感じて、そっとソードオフに手を伸ばす。
「ビートくん!」
そのとき、ライラが叫んだ。
「どうしたの?」
「血の臭いがする……」
ライラが鼻をすんすんとさせながら、そう告げる。
オレには分からなかったが、ライラはどうやら血の臭いを感じ取ったようだ。
さすがは銀狼族だ。鼻は他の狼系や犬系の獣人族と同じように、よく効く。
「それも切られた人からじゃない。別の人から漂ってる……」
「本当!? それは誰から!?」
「えーと……あの人!」
ライラはそう叫び、1人の男を指さした。
そこにいたのは、どこにでもいそうな冴えない男だった。
とても血の臭いを漂わせているようには見えない。
本当に、あの男から血の臭いがするのか?
ほかの人と間違えているんじゃないのか?
そんな考えは、オレの中には浮かんでこなかった。
ライラはこういうときに、嘘や冗談を云ったりしたことは、1度だって無かったからだ。
「待ちなさい!」
「あっ、ライラ!」
オレが動き出すよりも早く、ライラが動き出した。
ライラ、1人で行動しないって約束したじゃないか!
「ちょっと、待ちなさい!」
ライラが男の手を取ろうとするが、男はヒョイとライラの手をかわした。
「えっ……?」
ライラが振り返ると、男は右手を振り上げていた。
その手は、血の付いたナイフを握りしめている。
「ライラ! 危ない!!」
その瞬間、ライラに向かってナイフが振り下ろされた。
――ガキィン!!
「……えっ?」
「あっぶねー!」
オレが叫ぶ。
オレは、ライラと男の間に立っていた。振り下ろされたナイフは、オレのソードオフの銃身に当たって弾かれた。
間一髪、オレにもライラにも、ナイフの刃は一切当たらなかった。
「ライラ! 1人で行動しないって、約束しただろう!?」
「ごめんね……ビートくん」
「謝罪は後で聞くから、まずはこいつをなんとかするぞ!」
オレはナイフを弾き返したソードオフの銃口を、男に向けた。
「お前、ジャック・リッパーだな!?」
「……いかにも。この僕がジャック・リッパーさ」
男はさえない表情をひどく歪ませて笑う。
「ジャック・リッパー! 大人しくしろ!」
「嫌だと云ったら……?」
「このソードオフで、お前を撃つ!」
もちろん、これは威嚇のつもりだった。
駅の中で、ソードオフを撃つことはできない。日致死性のショットシェルを装填しているのなら話は別だが、今このソードオフには、散弾が入っている。周りには関係のない一般人が大勢いる。そんな中で散弾が装填されあソードオフを撃ったら、流れ弾でケガ人が出ることは避けられない。最悪の場合には、死人だって出ることもある。だから威嚇だけだ。
それを悟ったのか、ジャック・リッパーはニヤリと笑った。
「おらっ!」
「わっ!」
ジャック・リッパーがいきなり、ナイフを投げつけてきた。
オレはライラをかばいながら、ナイフをよける。幸いにも、ナイフは命中することなくオレたちの頭上を通り過ぎて行った。
「止まれっ! 止まらないと撃つぞ!!」
オレはソードオフを向けて再度警告するが、ジャック・リッパーは聞く耳を持たない。
おまけに、距離を取られてしまった。ソードオフを撃ったとしても、もう散弾の射程圏外に出ている。
くそっ、せっかく切り裂き魔のジャック・リッパーを見つけたのに!
このまま逃して、また新たな被害者を出してしまうのか!
オレが悔しさを噛みしめていると、逃げるジャック・リッパーに1人の老人が飛び掛かった。
「うわっ!?」
突如として飛び掛かってきた老人を避けられず、ジャック・リッパーはその場に倒れる。
「何があったんだ……?」
「ビートくん、行ってみよう!」
ライラの言葉に、オレは頷いて立ち上がった。
駆け寄ると、そこには意外な人物がいた。
「もう逃げられんぞ!」
ジャック・リッパーに飛び掛かった老人は、ガルだった。
そしてなんと、ガルは左手でジャック・リッパーを抑え、右手にはリボルバーを握っている。
あんなに武器を忌み嫌っていた人が、どうしてリボルバーを!?
「どけっ! ジジイ!」
「大人しくお縄になるんじゃ!」
ガルはそう云って、鉄道騎士団が駆けつけてくるまで、ジャック・リッパーにリボルバーを突きつけたまま動かなかった。
ジャック・リッパーが鉄道騎士団に連行されていくのを見届けると、ガルがオレたちに気が付いて近づいてきた。
「昨日の2人か……」
「ガルさん、どうして武器を……?」
「ワシは、考えを改めたのじゃ」
ガルはそう云って、リボルバーを取り出した。
黒光りするリボルバーは新品らしく、まだ売った形跡はない。しかし、回転式弾倉の中にはちゃんと弾丸が収められていた。
「昨日、お主が酔っ払いの男を追い払った後に云った、あの言葉じゃ。武器は使う者によって、神の道具ともなれば悪魔の道具ともなる。悪人を懲らしめるために、武器は必要不可欠だと、お主から教えられたのじゃ」
「オレから……?」
「そうじゃ。若い者から大切なことを教えられるとは、世の中何が起こるか分らんのぅ」
ガルはリボルバーを、腰のホルスターに戻した。
「ワシに大切なことを教えてくれて、本当にありがとう」
ガルは笑顔でオレたちに頭を下げ、3等車に戻っていった。
それを見送ってから、オレたちは顔を見合わせる。
「……人って、あんなに簡単に変わるのかな?」
「でも、プンプン怒っていた時よりも、ずっといい表情してたように見えたよ。ビートくん、そう思わない?」
「確かに……いい笑顔だったな」
なんだか、ものすごくいい気持ちだ。
久しぶりにいい気持になったオレたちは、そのまま駅のレストランに入り、そこで夕食を食べた。
グリルチキンが、いつもよりも美味しく感じられたような気がした。
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