第139話 塔の街
リルベンを後にしたオレとライラは、次の停車駅がある街のバベルに向かっていた。
バベルとリルベンの間はそれほど離れているわけではなく、午後を過ぎた辺りからバベルの街が見えてきた。
「ビートくん、あれは何かしら!?」
ライラがバベルの方角を見て、叫んだ。
ライラの視線の先を見たオレは、ライラが叫んだ理由を悟った。
バベルの街の中心部に、巨大な塔が立っているのが見える。円柱がそのまま直立したような塔は、バベルの街の隅々だけでなく、オレたちが乗っているアークティク・ターン号まで見えそうだ。
「あれが有名な『バベルの塔』か」
「バベルの塔って何?」
「バベルの街を象徴する建物のこと。世界中の不思議な光景を絵にしてまとめた本に書いてあったんだ」
オレはかつてグレーザー孤児院で読んだ本の内容を思い出していた。世界中の景色をイラストにして収録した『世界の景色』という本の中に、バベルの塔の絵が載っていた。背の高い塔は、バベルの街の象徴でもあり、同時に治安維持の役目を担っていると描かれていた。その不思議な塔がある街は、オレの記憶にいつまでも残っていた。
そして今、その街が目の前に迫ってきている。
「あの塔がある街に行ける日が来るなんて、思いもしなかった」
オレの心は、久々に踊っていた。
センチュリーボーイが汽笛を鳴らし、バベルの街に向かってアークティク・ターン号を導いていった。
バベルの駅に入ったアークティク・ターン号はスピードを落とし、やがて停車する。
すぐにドアが開き、乗客たちは次々に降りて行った。駅員がプラカードを掲げ、24時間停車することを案内している。
どこの駅に行っても変わらない、見慣れた光景がここでも広がっていた。
「ビートくん、降りよう!」
「ああ、行こう!」
オレとライラは、貴重品など一部の荷物を持って列車から降りた。また夜には列車に戻ってきて列車で寝ることになっている。荷物は必要最小限で良い。
駅を出ると、駅前のメインストリートは塔に向かって一直線に伸びていた。このまままっすぐ進んで行けば、迷うことなく塔まで辿り着けるようになっているはずだ。
オレは懐中時計を取り出した。
現在の時刻は、14時ジャスト。
時刻を確かめると、オレは塔の位置を確かめる。
塔までの正確な距離は分からないが、そんなに遠くは無いはずだ。
行って帰って来ても、そんなに遅くなることは無いだろう。
「あの塔まで行ってみない?」
オレが尋ねると、ライラはすぐに頷いた。
「うん! ビートくんの行きたい場所は、わたしの行きたい場所!」
ライラはそう云って、オレの腕に抱きついてくる。
くそう、なんてかわいい嫁なんだ。
「よし、行こうか」
「うん!」
オレはライラと共に、メインストリートを歩き出す。
向かうのは、バベルの街の中心部にそびえたつ、あの巨大な塔だ。
巨大な塔の近くまで辿り着いたオレたちは、塔を見上げた。
天にまで届きそうなほど高い塔は、西大陸で見た巨人族の大きさをはるかに上回っていた。
「なんて高いんだ……」
「上の方なんて、よく見えないよぉ……」
オレとライラは上の方を見ようとするが、首が痛くなるだけだった。
「あなたたちは、何をしているのですか?」
突然、後ろから声がした。
見上げていた首を戻して振り返ると、オレたちの後ろにバベルの住人らしき男が1人立っていた。
「あっ、いや、ただ……すごく高い塔だなぁって、見ていただけです」
「さようですか」
とりあえず、男は納得してくれたようだ。
「この塔って、何のためにあるんですか?」
「街の警備のためですよ」
男はそう答えた。
街の警備のためとは、つまるところ治安維持目的ということになる。どうやら、オレがグレーザー孤児院で読んだ本の内容に、間違いは無かったみたいだ。
「もっと詳しく、教えていただけませんか?」
「えぇ、いいですよ!」
訊かれたのが嬉しかったのか、男は急に饒舌になって話しはじめた。
「この塔は、正式名称は『守護の塔』といいます。かつて戦いがよく起きていた時代には、守護の塔から街の四方を監視して敵の進行をいち早く察知していました。戦いがあまり起きなくなった平和な時代になってからも、守護の塔は残り続けました。それは我々バベルの住民が、塔が持つ役割をちゃんと理解していたからなんです」
男が得意げに述べる話を、オレたちはその場で訊いていた。
しかしライラはあまり興味が無かったのか、少しだけ退屈そうな表情をしている。
「塔には今でも、塔守という人が居て、街の全てを見守ってくれているんです!」
「とうしゅ、ですか?」
「はい。しかし、塔守に出会うのは難しいんですよ」
男の言葉に、オレは首をかしげた。
「出会うのが難しい? もしかして1日中、塔守は塔の中で暮らしているんですか?」
「さすがにそれはありませんが、生活スタイルはそれに近いです。それに彼らは我々一般人とは少々異なる言葉を使うんですよ。だから意思疎通が少し大変なんです」
「へぇ……どんな人なのか気になるなぁ」
「運が良ければ、稀に塔守の方から会いに来てくれることもあります。でも、あまり期待しないでくださいね」
男はそう云って、オレたちの前から去って行った。
「……はぁ、やっと長い話が終わったぁ」
ライラが大きくため息をついた。
「この塔には、塔守っていう人がいるのか。会ってみたいなあ」
「でも、塔守に会うのは難しいって、さっきの人云ってなかった?」
「うん。それにオレたちが使っている言葉とは、少し異なる言葉を使うらしい。会うのは難しいかもしれないな」
「ビートくん、そろそろ列車に帰らない?」
ライラからそう云われ、オレは頷いた。
これ以上、この場所に留まっていても何も起こりそうにない。街の人から、この塔がどういうものなのか知れただけでも、収穫はあった。
ライラがふてくされないうちに、引き上げることにしよう。
「そうだな。ライラ、列車に戻ろう――」
ギイイッ――。
オレがそう云いかけた時、塔の方からドアが開く音が聞こえてきた。
その音を聞いたオレたちは、塔の方を振り向かずにはいられなかった。
「こんにちは」
塔から出てきたのは、1人のランタンを持った男性だった。長く茶色いガウンを着て、ボロボロになった帽子を被っている。手には使い古されたトランペットを持っていた。見るからに、あまり綺麗な身なりではない。
しかし、さっきの男が云っていたような一般人とは少々異なる言語らしきものは使っていない。いや、もしかしたらまだオレたちが聞いていないだけなのかもしれない。
「あ、どうもこんにちは」
「こんにちは……」
オレたちが挨拶を返すと、男は頷いた。
ランタンを足元に置き、オレたちを見てくる。
「君達は、旅人のようだね。もしかして、さっきのアークティク・ターン号に乗っていたのかな?」
「そうですが……あなたは?」
「あぁ、紹介が遅れたな。私はベル。バベルの街にある守護の塔で、塔守をしている人族の男さ。君達は?」
オレとライラは、ベルと名乗った男に自己紹介した。
そして旅をしている理由を、簡単に説明する。
「……そうか。両親を探すために南大陸から北大陸まで旅をしているのか。それは大変なことだなぁ」
話を聞いたベルは、深く頷いた。
「あの、オレたちからも訊いていいですか?」
「もちろん。君達は、何が訊きたい?」
「塔守って、大変な仕事じゃないですか?」
オレは、塔守の仕事は大変な仕事じゃないのかと思っていた。
さっきの男から聞いただけでも、常に塔の中に居て街の全てを見守っているなんて、とてもオレには無理なことだとしか思えない。交代する人が居たとしても、常に見張り続けるのは厳しい。
もし自分が目を離したすきに何か起きてしまうと考えると、オレには塔守の仕事なんてできそうにない。
「あぁ、よく聞かれる質問だね」
ベルはそう云って微笑むと、口を開いた。
「確かに、塔守の仕事っていうのは楽じゃない。交代する人はもちろんいるが、基本的には24時間体制で町を見守らないといけない。それに昔ほどではないにしても、やっぱり何かが攻めてくるようなことがあったら大変だ。街の存亡に関わるからね。食事中であったとしても、何かが起きれば対応しないといけない。熟睡することも少ないから大変といえば大変だ」
ベルの言葉に、オレが想像していたようなことが全てつまっていた。
やっぱり、塔守というのは大変な仕事なんだ。
「――だけど、私はこの仕事に誇りを持っているんだ」
誇りを?
辞めたいとか思わないのだろうか?
オレとライラが首をかしげていると、ベルが微笑んだ。
「なかなか外出はできないけど、私がいないとみんなが困るんだ。なにしろ、街の治安維持の一翼を担っているからね」
ベルはそう云うと、足元に置いていたランタンを手にした。
「さて、私はこれから買い物をしに行く。君達も、なるべく早く帰った方がいい。すぐに夜になってしまうからね。あ、だけど塔の中は立ち入り禁止だから入らないでね」
空を見上げると、夕焼け空が広がっていた。
まるで空が燃えているように感じられるほど、夕焼け空は紅かった。
ベルはランタンを手に、オレたちの前から去って行った。
食堂車で夕食を済ませた後、オレたちは個室に戻った。
「ビートくん、明日はどうするの?」
「出発はお昼過ぎになるから、昼食は食堂車で食べるとして……それまではどうしようかなぁ」
オレは腕を組み、考える。
観光して行こうかと考えるも、バベルの街の一番の目玉である塔は今日行ってしまった。塔守のベルから色々と話を聞けたのは面白かったが、塔の中は立ち入り禁止だ。塔の中に入れるのなら、もう1回塔に行ってみたかったのだが。
「……特に思いつかない」
「ねぇビートくん、それなら夜更かししても、早く起きる必要はないっていうことよね?」
「どういうこと……?」
オレが首をかしげていると、ライラが俺に近づいてきた。
ライラはそのままオレに抱きついてくる。
「うおっ!?」
ライラはオレに抱きつき、ふがふがとオレの匂いを嗅ぎ始めた。
「いい匂い……落ち着く」
「ライラ……ちょっとぉ……!」
オレの心臓が、鼓動を加速させた。
体温が上昇し、汗が出てくる。
「シャワー浴びてからにしてくれないか?」
「ダメ! シャワー浴びたら、ビートくんの汗の匂いがとれちゃうから!」
「いやそれ、きっと臭いし……」
「そんなことないよ! いい匂いだよ!」
ライラはそう云って、オレを放してくれない。
オレは諦めて、ライラにされるがままになっていた。
そのとき、大音量のサイレンが聞こえてきた。
サイレンが鳴り響くと同時に、急にホームどころか駅全体が騒がしくなってくる。
「な、なに!?」
「何か起きたみたいだ!」
ライラがオレから離れ、自由が戻ったオレは、ソードオフを手にした。ショットシェルが装填されていることを確かめると、予備のショットシェルも手にし、ソードオフを隠し持つ。
「……ビートくん、ちょっと耳を澄ませて」
ライラがオレにそう云って、口を紡ぐ。
オレはライラに云われた通り、何も云わずに耳に全神経を集中させる。
しかし、聞こえてくるのはサイレンの音と、人々が騒ぐ声だけだ。
「ビートくん、気づいた?」
「何に?」
「このサイレン、駅から鳴っているわけじゃないみたい。駅の外から、聞こえてくるみたい」
オレは驚いたが、ライラの表情は真剣そのものだ。とてもふざけているようには見えない。
獣人族銀狼族のライラは、鼻が良いことは知っていたが、耳も良いみたいだ。どうやらオレはまだ、ライラの事を全ては知らなかったみたいだ。
しかし、今はそのことを気にしている場合ではない。
「ライラ、何か嫌な予感がする。ちょっと外に出てみてみよう!」
「うん!」
オレとライラは迷うことなく、個室から出て駅の外へと向かった。
「あぁ!」
「なんてこと!」
駅の外に出たオレとライラは、サイレンが鳴っている原因を直に目にすることになった。
オレたちの視線の先で、守護の塔が燃えていた。
守護の塔は窓という窓から火を吹きながら、火の粉を撒き散らしている。
遠くからでも、その様子がよく分かった。
メインストリートには野次馬が出ていて、守護の塔の方を見ている。
誰もが動こうとはせず、その場で守護の塔が燃えるのを眺めるだけであった。
「……ベルさん!」
オレは夕方に会った守護の塔の塔守、ベルさんのことを思い出した。
きっとベルさんは、まだあの守護の塔に居るはずだ!
「……くっ!」
「あっ、ビートくん! 待ってよ!」
走り出したオレを、ライラが後から追いかけてくる。
オレは人ごみを避けながら、塔に向かって走り続けた。
「火の勢いが強すぎる!」
「危ないから離れて!」
「もっと水を持ってこい! 全然足りないぞ!」
「早くしろよ! クソッタレ!!」
消火活動に当たっているのは、バベルの町の消防団だ。
燃え盛る守護の塔に近づこうとする野次馬を退け、ポンプを使って川から水を送り、希望の塔に向けて水を放っている。しかし火の勢いは弱まるどころか、むしろより激しく燃えていた。
「ハァ……ハァ……」
オレは野次馬を押しのけ、最前列に出た。
燃え盛る守護の塔からの熱が、オレの顔に当たる。燃える守護の塔に、これ以上はとても近づけない。
「ビートくん!」
オレの背後に、ライラが出てきた。
「もう、置いてかないで……って、あそこ!」
ライラが何かに気づき、守護の塔を指さす。
オレはその先を見て、目を疑った。
「ベルさん!!」
燃え盛る守護の塔の窓から、塔守のベルさんが身を乗り出していた。
もしかして、逃げ遅れたのだろうか?
しかし、窓の位置は地上からかなり高い場所にある。
炎から逃げようとして窓から飛び降りても、あの高さからでは大ケガすることはもちろん、最悪の場合は死へ一直線だ。
下で大きな布を使って受け止める手もあるが、火の勢いが強くて守護の塔に近づけない。
「みんな逃げろ!!」
すると、ベルさんが叫んだ。
守護の塔が燃える音と、野次馬の雑踏で当たりは騒がしい。しかし、ベルさんの声はまるで間近で云われているのではと錯覚してしまいそうになるほど、はっきりと聞こえてきた。
いったいどれくらいの大きな声で、ベルさんは叫んでいるのだろうか?
「早く逃げるんだ! これは命令だ!」
ベルさんは燃える守護の塔から、避難命令を出す。
しかし、その命令に従う野次馬は居なかった。
どうして、ベルさんの命令に従えないんだよ!?
オレは野次馬を睨んだ。
すると、ベルさんは使い古したトランペットを吹いた。
ベルさんのトランペットが奏でる音色は、耳にした者に不快感を与えるような音だった。
「うぐうっ!」
「な、なんだこの音色は!?」
爽やかな音色しか聞いたことが無い野次馬は、守護の塔から次々に離れていく。
消防団さえ、そのトランペットの音色に耐えかねて、逃げ出した。
「ヤバいぞ! 守護の塔が!!」
消防団が離れた直後、守護の塔全体が炎に包まれた。
巨大な火柱と化した守護の塔。
もはやオレたちにできることは、燃える守護の塔を見つめることしか残されていなかった。
守護の塔からは、いつまでもトランペットの音色が聞こえつづけた。
そして夜が明ける頃に、守護の塔はやっと鎮火した。
守護の塔は、駆けつけた騎士団と消防団によって調査が行われた。
騎士団と消防団によって、守護の塔からはベルさんが使っていたとみられる遺品が発見された。
燃え残った帽子、割れたランタン、食器類……。
そして、熱で変形したトランペット。
「ベルさん……」
オレは運び出されたトランペットを見て、呟いた。
曲がりくねったトランペットには、燃えたときについたとしか思えないススがついていた。
最後の最後まで、人々に危機を伝え、安全な場所へ避難するよう命令し続けた人。
間違いなく、人の命を救った張本人。
それなのに、どうしてそんな人が……。
オレとライラは、心の中に湧き上がる悲しみを、どうすればいいのか分からなかった。ベルさんと会って話したのは、昨日が最初で最後。話した時間さえ、そう長くは無い。
「……くっ!」
オレはその場を離れた。
「ビートくん、待って!」
ライラが後からついてくる。
「どこに行くの!?」
「花を買ってくる!」
「わたしも行く!」
そう云ったライラの手を取り、オレたちは花屋に向かった。
そして花屋で花束を購入すると、オレたちはすぐに守護の塔の前にまで戻って来た。
オレとライラは、騎士団によって運び出されたトランペットの前に、そっと花束を備えた。
「ベルさん、ありがとうございました」
「どうか、安らかに……」
オレたちはそう云うと跪き、両手の指を組み合わせて祈りを捧げる。
その瞬間だけ、時が止まったように辺りが静かになった気がした。
オレたちが立ち去った後、バベルの街の人たちが次々に花をトランペットに手向けて祈りを捧げるようになったと、オレたちは昼頃に戻って来た乗客の会話から知った。
出発時刻が訪れた。
センチュリーボーイが汽笛を鳴らして、アークティク・ターン号発車の時を告げる。
そして客車のドアが閉まると、駅員の合図でアークティク・ターン号はゆっくりと動き出した。
アークティク・ターン号は、昨晩の守護の塔が燃えたことなど知らなかったかのように、駅を出発していった。
駅を出てしばらくしてから、オレたちはバベルの方を見る。
アークティク・ターン号の車窓からバベルを見てまず目に飛び込んできたのは、焼け焦げた守護の塔だった。
今のオレたちには、守護の塔がまるでベルさんの墓標に見えた。
こんなにも悲しい気持ちを抱えたまま、次の街に向かうのは初めてだった。
後ろ髪をひかれる思いをしながら、オレたちは守護の塔を見続ける。
そのとき、トランペットの音が聞こえてきた。
驚いたオレとライラは、守護の塔から目を離して、顔を見合わせる。
「ライラ、今の聞こえた!?」
「聞こえた! まさか……!」
オレたちはもう1度、守護の塔を見た。
トランペットの音は、守護の塔の方から聞こえたような気がした。
オレたちが確かに聞いたトランペットの音は、ベルさんからのメッセージだったのかもしれない。
「……ありがとう、ベルさん」
オレとライラはもう1度、守護の塔に向かって跪き、手の指を組んで祈りを捧げた。
バベルを離れて、アークティク・ターン号は次の街へと向かって走り続けた。
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