第136話 クォーツマリン出発
オレたちは「蒼の泉」に戻って来た。
裁判の後に、アーリーシュラインに行き、そこでまさかのナズナと再会。
なかなかに濃い1日だった。
「あぁ、疲れたぁ……!」
部屋に戻って来ると、オレよりも先にライラがカーペットの上に寝転がった。
まだ布団は敷かれていない。この後、オレたちが夕食と温泉を楽しんでいる間に、仲居さんがやってきて敷いてくれることになっているからだ。
「ビートくん、疲れたよぉ……」
「そうだな。でもきっと、温泉に入って美味しい料理を食べれば、疲れは取れるよ。それに明日は、正午にクォーツマリン出発だから、ゆっくり寝よう」
「うん、ビートくんと一緒に寝れば、きっと疲れなんて飛んでいくはず!」
それはどうだろうか。
オレは若干反応に困りながら、ライラの横に座る。
「ねぇ、ビートくん。青の泉って、どうして混浴が無いのかしら?」
「それは……この旅館の方針じゃないかな?」
「わたし、ビートくんと一緒に入りたかったから、混浴があってほしかった」
この旅館に泊まってから、ライラはそのことだけが不満らしかった。
「うーん、オレとしては混浴が無くて良かったと思ってるけどなぁ」
「どうして?」
「混浴だとさ、他の人とも一緒に入ることになるだろ? そうなると、必然的にライラの肌が……他の男の目に触れることになるじゃん? オレは、その……」
オレは身体が少しずつ熱くなっていくのを感じる。
しかし、オレの考えをちゃんと伝えないと、ライラは納得しないだろう。
「……ライラの肌が、他の男に見られるのって……あまりいい気はしないから……」
「ビートくん、わたしのことを思って……?」
「ライラの服装とか行動を縛る気はないんだ。ただ、ライラが他の男にじろじろ見られるのは……」
「ビートくん、ありがとう」
突然、ライラからそう云われ、オレは驚く。
ライラは起き上がり、オレの目をじっと見た。
「ビートくんの気持ち、よく分かったわ。そういうことなら、混浴は我慢できる。混浴は、また今度の楽しみに取っておくから!」
「ライラ……ありがとう」
オレはそう云って、ライラの頭を撫でた。
オレたちは夕食の前に、入浴を済ませることにした。
着替えの浴衣を持ち、温泉へと向かう。
「あれっ?」
ライラが突然、立ち止まった。
「ライラ、どうしたの?」
「あの温泉って、何かしら?」
ライラが指し示した先には、温泉への入り口らしきものがある。そういえば、温泉に行く途中に何度か見てはいたが、気にしたことは無かった。昨日までは、裁判の事で頭がいっぱいで、気にする余裕などなかった。
「温泉……なのかな?」
オレたちが首をかしげていると、従業員が通りかかった。
「お客様、いかがなされました?」
「あっ、すいません! あそこって、温泉ですか?」
オレが扉を指して問うと、従業員は頷いた。
「はい。あちらは混浴が可能なお風呂となっております」
「えっ、混浴って、本当ですか!?」
ライラの目が輝いた。
「はい。しかし、ご利用はご夫婦かご家族のお客様のみに限らせていただいております。また、持ち込めるものもタオルや歯磨きセットのみとなっております」
「是非、入りたいです!」
「えーと、お客様は……ご夫婦のお客様ですね」
従業員が、オレたちの婚姻のネックレスを確認して、頷いた。
「では、どうぞこちらへ」
そう云って、従業員がオレたちを入り口まで案内する。
「温泉は露天風呂ですが、外から見られる心配はありませんので、ご安心ください。また、使用中はこちらの札を、必ず扉に掛けて下さい」
従業員は、オレに一枚の木札を手渡した。木札には「使用中」と書かれている。
「これを扉に掛けないと、他のお客様が無人だと勘違いして入ってくることがございますので、十分お気を付け下さい」
「わかりました」
確かに、温泉に入っているときに他の人が入って来るのは勘弁願いたい。
お互いに気まずくなるだけならいいが、最悪トラブルに発展しかねない。
「それでは、ごゆっくりとお楽しみくださいませ」
従業員はそう云って、立ち去って行った。
すると、入れ替わるようにライラがやってくる。
「ビートくん、早く入ろう!」
「わかった、わかったよ!」
オレは扉に木札を掛けて、ライラと共に温泉に入って行った。
「わぁ、広い!」
ライラが混浴の温泉を見て云う。2人で入るには十分すぎる広さだ。
身体を洗ってから、オレたちは温泉に入った。
「くぁぁぁ~」
オレは温泉に浸かると、そんな声を出してしまう。
身体中から、疲れという疲れ全てが抜けていくような、そんな感じがした。
「ビートくん、すごい声出してたよ?」
「疲れが溜まっていたからかな? すごく気持ちいいや」
「それじゃあわたしも……んぁぁぁ~」
ライラも温泉に浸かると、オレと似たような声を出した。
「ライラも、疲れが溜まっていたみたいだな」
「そうみたい……すごく気持ちいいよ」
すると、ライラがオレに身体を寄せてきた。
お湯の中で、ライラの胸がオレの身体に食い込む。
「おぅっ!?」
「ビートくんと一緒に温泉に入れて、幸せ……」
ライラがオレに抱き着きながら、オレの身体にキスをしてきた。ライラの柔らかな唇が、オレの腕に触れる。
「あうう……」
オレは体温が一気に上昇していき、肌が紅くなっていくのを感じた。
このままでは、ゆでだこになってのぼせてしまう!
しかし、オレは温泉から出られなかった。
ライラが抱き着いているため、行動が制限されていたからだ。
温泉を楽しんだオレたちは、マッサージも受けた。
前回、マッサージを受けたときは、兎族のマッサージ師に酷い目に遭わされたが、今回はそんなことはなかった。マッサージ師はオレにもライラにも変わらぬマッサージを施してくれ、オレたちの身体はとても軽くなった。
その後、夕食を食べてから部屋に戻ったオレたちは、ゆっくりと眠ることにした。
いつもならオレを求めてくるライラも、今日は疲れ切っていたのか、オレと一緒の布団にもぐりこむと、すぐに眠ってしまった。
「ちょっと寂しいような気もするけど……まぁいいか」
オレは電気を消すと、布団にもぐりこんだ。
出発の日の朝が来た。
起きたオレとライラは、朝風呂を楽しんだ後、朝食を食べながら予定の再確認をした。
「ライラ、今日の正午にアークティク・ターン号がクォーツマリン駅を出発する。そしてここから駅までは歩いて10分だ。チェックアウトは午前10時まで。さて、どうする?」
「午前10時にチェックアウトしたら、まずはアークティク・ターン号に荷物を置いて、それから必要なものの買い出しに行く!」
「その通り! さすがライラ!」
オレは食べていたパンを置き、ライラの頭を撫でる。
風呂上りだからか、撫で心地がいつもよりいいような気がした。
「えへへ、ビートくぅん……」
ライラは尻尾を振りながら喜んだ。
その後、オレたちは予定通り午前10時にチェックアウトした後、すぐにクォーツマリン駅に停車中のアークティク・ターン号の個室へと戻った。
「さて、必要なものは……」
「えーと……携帯食料と水、それにこれ!」
ライラが、ピンク色の液体が入ったビンを出す。
それはまだ余裕があるから、いらないんじゃないかと思ったが、ライラは譲らなかった。
「これがどうしても必要!」
「わかった、じゃあ、それも追加で……」
ライラからの要求には、どうしても甘くなってしまう。
こうして買うものが決まったオレたちは、財布を手に駅の近くにある商店や路上で商売をしている行商人を回って買い物をした。
しかし、この後オレたちに重大なトラブルが発生することを、この時はまだ知らなかった。
「あっ、ビートくん!!」
「どうしたの?」
「こ、ここ見て!」
個室に戻って来たライラが、自分の衣服の一部を指さした。
オレが指さす先を見ると、ライラの服の一部が破れていた。
しかも、かなり大きめだった。
「あちゃあ……破れてるな」
オレはチラッと、懐中時計を見る。アークティク・ターン号出発まで、あと30分しかない。
一番近い服屋は、ここから5分は掛かる距離にある。だが、女性が衣服を選ぶときは長い時間悩む傾向にある。そしてそれは、ライラも例外ではない。20~30分はどうしても掛かってしまう。
とても服を選んで、戻って来る時間の余裕は無い。
「どうしよう……これじゃあ、着れないよ」
「仕方がない。縫うのも難しそうだし、別の服に着替えるしかないか……」
「でも、そうなると替えの服が少なくなっちゃう……洗濯の回数が増えて、服が早く傷んじゃうのは……」
「うーん……」
オレは腕を組み、何かいい解決策が無いか考え始める。
こういう時、工場で量産されている衣服があると便利なんだけどなぁ。
例えば、メイド服のような……。
ん? メイド?
「……そうだ!」
「ビートくん、どうしたの!?」
オレは手を叩き、ライラに目を向ける。
「メイヤに、服を一時的に借りるのはどうだろう?」
「わたしはいいけど、メイヤちゃんがいいと云ってくれなきゃダメじゃない?」
「聞いてみるだけ、訊いてみよう」
オレはすぐに、ライラを連れてミッシェル・クラウド家の特等車へと向かった。
「もちろんいいですわ! ライラ様がお困りなら、どんなことでも協力します!」
メイヤはすぐに、OKを出してくれた。
「メイヤちゃん、ありがとう!」
「少々お待ちください。私の予備の衣服を持ってまいります!」
メイヤはそう云うと、特等車の中に姿を消す。
しばらくして戻って来たが、持って来た衣服を見たオレとライラは、目を見張った。
「ライラ様には、こちらのサイズがぴったりではないかと思います」
「ま、待って! これ、メイド服じゃない!?」
メイヤが持って来たのは、白いエプロンがついた黒いワンピースの衣服。
紛れもなくメイド服だった。
「あら、サイズが違いました?」
「そうじゃなくて、普通の衣服って無いの?」
「申し訳ありません。私が持っているのは、仕事用のメイド服以外には、寝間着くらいしかないんです」
メイヤが申し訳なさそうに云った。
「でも、ライラ様ならとってもお似合いだと思います!」
「恥ずかしくて、着るのはちょっと……」
ライラが顔を紅くしながら、戸惑う。
「ライラ、このままだと破れた服のまま、新しい服を買うまで過ごさないといけなくなるよ?」
「うう……」
「オレは、ライラが破れた服を着たままで歩いてほしくは無いんだけど……」
「……うう、わかりましたぁ」
ライラはそう云うと、メイヤから予備のメイド服を借り受けた。
個室に戻って来ると、早速着替えるのかと思ったが、違った。
ライラは鏡を見ながら、自分の身体にメイド服を重ね合わせる。
「……やっぱり恥ずかしいよ!」
赤面しながら、目を瞑るライラ。
しかしこのまま、破れた服のままで過ごさせるわけにもいかない。
妻が破れた服を着て歩いていたら、オレがどう見られるか。
ロクに稼ぎが無いだとか、虐待しているだとか見られかねない。
ここはどうしても、ライラには破れていない衣服である、メイヤから借り受けたメイド服に袖を通してもらわないと困る!
オレはそっと、ライラの隣に立った。
「ビートくん、やっぱりわたしにはメイド服なんて、似合わないよね?」
「そうかなぁ……? オレは良く似合っていると思うけど?」
「えっ……?」
同意してくれるものと思っていたようで、ライラは目を丸くしていた。
よし、ちょっと押してみるか。
「ライラ、着てみてよ」
「えぇっ!? で、でも……」
「恥ずかしがること無いから。着てみてよ、きっとかわいい」
「そ……そんなこと……」
「いいや、かわいい。ライラとずっと一緒に過ごしてきたオレが云うんだから、間違いない」
「で、でも……」
「オレ、ライラがメイド服を着た姿、見てみたい」
最後にちょっぴり、オレの本音が漏れた。
云ってから、ドン引きされるのではないかと少し不安になった。
しかし、その一言が思わぬ効果を生み出した。
「……ビートくんがそう云うなら……着てみる」
ライラは顔を真っ赤にしながら、そう云って来ている衣服を脱ぎ始めた。
そしてすぐに、オレがすぐ隣に居ることに気づく。
「ビートくん、ちょっとだけ向こう向いてて!」
「わかった」
オレはライラの言葉に従い、ライラが居る方向とは逆方向を向いた。
その間、ライラが着替える音が聞こえてきた。
「おまたせ。もういいよ」
ライラの言葉でオレが視線を元に戻すと、そこにはメイド服に身を包んだライラがいた。
オレはすっかり変わった妻の姿に、目が釘付けになる。
メイド服とライラの白銀の髪、獣耳と尻尾が調和してライラの可愛さを倍増させているようだった。
「ど、どう? ビートくん?」
「か、かわいい……すごくかわいい!」
オレはお世辞なく、心底からそう思っていた。
「ほ、本当……!?」
「かわいいよ! こんなに可愛くなるなんて、思ってもみなかった!」
「そ、そう……!? よかったぁ……!」
ライラの表情から恥じらいが消え、笑顔が戻って来る。
その笑顔がまた、いつもよりもかわいく見えた。
「ありがとうライラ、すごくかわいいよ!」
「ビートくんのおかげよ。メイヤちゃんに衣服を借りると云わなかったら、きっと今のわたしは居ないから」
ライラはそう云って、オレのすぐ目の前まで歩いてきた。
「ビートくん、わたしからのお礼ね」
「お、お礼……?」
お礼ってなんだろう?
もしかしてキスか?
オレがそんなことを考えていると、ライラがスカートの裾を軽く持ち上げた。
「ご主人様、銀狼族メイドのライラです。精いっぱい、ご主人様にご奉仕いたします」
ライラが笑顔を向け、そう云った。
オレはあまりの衝撃に、気を失いそうになった。
今度、ライラの衣服を買う時に、メイド服も一着必ず買おう。
そして時々、ライラに着てもらおう。
オレはそう決意した。
正午になると、センチュリーボーイが出発時刻を告げる汽笛を鳴らした。
そしてアークティク・ターン号は、ゆっくりとクォーツマリン駅のホームから出て、再びレールの上を走って行く。
やがてクォーツマリンを出て、地平線まで続く海岸線を、アークティク・ターン号は走り始める。
その先には、グレートタイガーフィールドが広がっていた。
第10章~東大陸編中編~完
第11章へつづく
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9月20日追伸
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現在、急きょ新しいPCを発注しましたが、手元に届いて使えるようになるのは10月ごろになってしまう予定です。
それまでは外出用として購入したsurface GOを通して更新をする予定です。
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