第133話 裁判
シャイロックとの裁判は、翌日に行われることが決定した。
もしもこれで負けてしまったら、大変なことになってしまう。
ナズナは性奴隷として娼館に売られてしまい、ナズナに加担したオレたちにも何らかの制裁が来るかもしれない。
いや、今はそんなことを気にしている場合ではない。
裁判には、弁護人が必要だ。
裁判をより公平なものとするため、訴えられた側は弁護人を立てなくてはならない。
しかし、その弁護人はすぐには見つからない。
おまけに費用が高額になることもある。高額な費用を提示された場合、オレたちは旅を中断するか、別の場所から借金しなくてはならなくなってしまう。
オレたちは、弁護人をどうするかで、喫茶店で緊急会議を行うことになった。
「ビートくん、弁護人になってくれる人なんているの?」
「思い当たる人が……いないなぁ」
オレは記憶を巡らせるが、まさにこの人、という人がいない。
弁護人になるのは誰でもいいというわけではない。
大きく分けて、職業弁護人と私選弁護人という2種類がある。
職業弁護人は、職業として弁護人をしている人だ。
高額な報酬を提示されることが多いが、裁判経験があってかなり強い味方になってくれる。おカネを用意できる人は、職業弁護人に依頼するのが一般的だ。
対して私選弁護人は、裁判経験の無い人や依頼者の知人友人などがなることが多い。費用があまり必要ないのに対して、裁判ではあまり役に立たないこともある。
できれば職業弁護人を雇いたい。
相手は悪徳高利貸しのシャイロックだ。裁判経験はたっぷりあるだろう。とても私選弁護人では太刀打ちできそうにない。
ここはなんとしても、職業弁護人に力になって欲しい。
だが、職業弁護人の知り合いはいないし、依頼できるおカネもない。
「どうしよう……いきなり弁護人という分厚い壁にぶちあたった」
「ビートくん、わたしたちがナズナちゃんの弁護人になることはできない?」
「できなくはないけど……ライラ、裁判を受けた経験は?」
「あるわけないよ。ビートくんは?」
「オレも同じだ。……というか、ずっと一緒だったんだから、訊くまでも無かったな」
オレはそう云い、肩を落とす。
オレたちは、裁判とは無縁の生活を送ってきた。何か問題を起こすことも無かったし、問題に首を突っ込んでいくようなことも無かった。誰かから恨みを買うようなこともしていない。あるとすれば列車強盗を撃退したことくらいだが、撃退した列車強盗のほとんどは今は檻の中だ。
そのとき、オレたちのテーブルに1人の女性が現れた。
ウエイトレスが、注文を取りに来たのだろう。
そうだ、ここいらで何か注文して、リフレッシュしてからもう1回最初から考え直そう。
ここいらで、コーヒーブレイクといくか!
「あっ、ウエイトレスさ――ん!?」
ウエイトレスかと思って声をかけたが、違った。
黒いスーツのような衣服に身を包んだ、キャリアウーマンという言葉が似合いそうな妙齢の女性だった。手にしている黒い大きなカバンには、何か重要なものが入っているようで、小さな南京錠が取り付けられている。
突如として現れた謎の女性は、オレたちを見つめている。
相手に意見を許さないようなその瞳に、オレは若干の恐怖を覚えた。
「あ……あの、どちら様ですか……?」
オレが控えめな声で尋ねると、妙齢の女性は口を開いた。
「……お腹が、空いた」
そう云うと、突然女性のお腹がグルグルと鳴った。
その直後、女性はオレたちの前にカバンを下ろし、その場にしゃがみ込む。
「お願い! 何か食事を奢って! もう3日間、何も食べてないのぉ……!」
「は、はぁ!?」
「お願い! なんでもいいわ! できれば麺類が……!」
「わ、わかった、わかったよ!」
オレはそう云うと、急いでウエイトレスを呼んだ。やってきたウエイトレスにオレが注文を出している間に、ライラとナズナがしゃがみこんだ女性をイスに座らせ、カバンを移動させる。
一体、突如として現れたこの女性は何なんだ!?
注文を終えたオレが尋ねようとしたが、女性はぐったりとしていて、とても話しかけられるような状況ではなかった。
しばらくして、オレが注文したものが運ばれてきた。
紅茶が4つと、クォーツマリンの麺料理として名高い、レッドホットシュリンプヌードルだ。
運ばれてきた麺料理を見た女性は、目の色を変えた。
目の前にレッドホットシュリンプヌードルが置かれると、女性はすぐに箸を使ってヌードルを食べ始める。ものすごい勢いでヌードルを食べ進めていく女性に、オレたちは呆気にとられてしまう。
ものの5分と掛からずに丼を空にした女性は、食後の紅茶を飲んでようやく落ち着きを取り戻した。
「ありがとう。すっかり御馳走になってしまって、申し訳ないわ」
落ち着いた女性は、オレたちにお礼を云う。
「あの、あなたは……?」
「ごめんなさいね。3日前から何も食べていなかったから、ついはしたないところを見せてしまったわ」
「いや、そうじゃなくて……名前とか、教えてくれませんか?」
「あら、いやだ。あたしったら、まだ自己紹介もしていなかったわね」
女性は額に浮かんでいた汗をハンカチで拭うと、口を開いた。
「あたしはミエ・エルクスギス。さすらいの職業弁護人よ。麺食いの魔女の2つ名を持っているわ」
ミエと名乗った女性がそう自己紹介し、オレたちも自己紹介をする。
麺食いの魔女って、もしかして面食いと麺食いをかけているのか?
あんまりおもしろくないダジャレだな。
オレがそんなくだらないことを考えていると、ライラが目を見開いてミエに尋ねた。
「あの! 先程、職業弁護人と云いました!?」
「えぇ。あたしは職業弁護人をしているの。裁判経験も豊富だし、しばらくはクォーツマリンに滞在する予定だから、何かあれば相談に乗るわ」
「是非、相談したいことがあるんです!!」
ライラがそう云って、ナズナのことを紹介し、オレたちが悩んでいることを話し始めた。
ミエは、ライラの話を頷きながら訊き、ライラが全てを話し終えるまで何も云わずただ聞いていた。
「……なるほどね。それで、あたしにナズナさんの弁護人を依頼したいの?」
全てを話し終えたライラに、ミエが訊く。
ライラは頷き、オレも頷いた。
それを見たミエが、ナズナに目を向ける。
「ナズナさん、いくつか聞いてもいいかしら?」
「は、はい……」
「まず1つ目……」
ミエとナズナの間で、一問一答形式で質疑応答が始まる。病院で受けるカウンセリングのようで、オレたちは黙ったままミエとナズナのやり取りを聞いていた。
「それじゃあ、最後の質問よ。ちょっと答えにくいかもしれないけど、ちゃんと正直に答えてね」
「わかりました。どんなことでも答えます!」
「ナズナさん、あなたは今現在、処女かしら?」
「……えっ?」
いきなり処女かどうかを問われ、ナズナは頬を紅く染める。
そして訊かれたわけでもないのに、ライラまで頬を紅く染めていた。
「そ……それは……その……」
「ちゃんと答えて! これが1番大切な事なの! 裁判では、これでナズナさんの運命が左右されるわ!」
どうしてそれが1番大切な事なのだろうか?
オレには分からなかったが、裁判で有利に働くか否かを左右する大切な事らしい。
「……しょ……処女です……」
今にも泣き出しそうなほどに顔を紅くしながら、ナズナが答える。
すると、ミエの表情に笑みが浮かんだ。
「ナズナさん、ありがとう! これなら、確実に勝てるわ!」
「ほ、本当ですか!?」
「えぇ。あのシャイロックを、みんなで叩き潰してやりましょう! この麺食いの魔女に、任せてくれないかしら?」
「は、はい! よろしくお願いします!」
ナズナが頭を下げ、ミエは頷く。
「この依頼、引き受けたわ」
こうしてオレたちの弁護人が、決まった。
明日はいよいよ、裁判だ。
初めての裁判ということもあってか、オレたちの緊張は高まり、旅館に戻って温泉に浸かっても、なかなか緊張はほぐれなかった。
翌日。オレたちはクォーツマリンの裁判所へ足を踏み入れた。
裁判所の被告人側の席に、オレたちはナズナ、ミエと共に腰掛ける。
原告側に座ったのは、あのシャイロックだ。
そして傍聴人、陪審員、裁判官、裁判長が入廷してくる。
これで、役者が揃った。
「それではこれより、裁判を行う」
裁判長が宣言して、裁判が始まった。
「まず原告よ、なぜ告訴した?」
「その女狐が貸したおカネの利息を払わなかったからだ! 要求はその女狐、ナズナを娼館で性奴隷として働かせることだ! 以上!」
シャイロックは机をバンバンと叩きながら、告訴理由と要求を述べる。
「被告よ、何か申すことは?」
「あります」
ミエが立ち上がり、口を開いた。
「シャイロック、ナズナは借りようとはしましたが、最終的におカネは借りていません。借りていないのであれば、利息は発生しない。これは金融では当たり前の大原則です。シャイロックさん、今からでも告訴を取り下げた方がいいのではないでしょうか?」
「一時金を手渡しただろうが!」
「ですが、ナズナさんはその後すぐ、その場であなたに返却しています。しかもこの一時金は、借りる契約を結ぶ前に手渡しています。契約にはないおカネです。そこに利息は発生しません!」
「ふざけるな! 一時金だって1度は貸した! 利息は発生するはずだ!!」
ミエとシャイロックのやり取りが続いたが、シャイロックは全くといっていいほど譲らない。
すると、ミエがそれまで黙っていた陪審員に目を向ける。
「陪審員の皆さん、どう思われますか?」
「うーん……おカネは借りていないから、その分の利息はないことは確かだ。だけど、一時金は1度でも受け取ったのなら、利息は発生するんじゃないのかな? それなら、性奴隷として働かせるのもアリじゃないかな?」
陪審員の1人が云う。その言葉に、シャイロックは勝ち誇ったような笑みを見せた。
対してナズナは、表情を青くしていく。
あの陪審員、今までのやり取りをちゃんと聞いていたのか!?
オレは陪審員に向かってソードオフの銃口を向けたくなったが、できなかった。
裁判所に、武器は一切持ち込めないからだ。武器の持ち込みが許されているのは、裁判所直属の騎士だけだ。
「わかりました。それならば、性奴隷として娼館で働かせるという契約はアリだとしましょう」
「えぇっ!?」
ミエの言葉に、思わずナズナが声を上げる。その反応は当然だった。何のためにミエに弁護人を依頼したのか、オレも分からなくなりそうだった。
しかし、次の言葉で、その考えは即座に消え去った。
「しかしです、契約書には『性奴隷として娼館に売り飛ばす』とはありましたが『処女を失わせることに同意する』というものはありませんでした! だからこの契約書に描かれていることは全て無効です!」
その言葉に、ナズナの表情から不安の色が消えた。
オレとライラも顔を見合わせ、笑みをこぼす。
「そ、それではこれより、審議に入ります!」
両方の云い分を聞いた裁判長がそう宣言し、陪審員たちと審議に入った。
さぁ、これで丁と出るか半と出るか。
オレたちは息を呑んで、裁判長と陪審員の審議を見つめる。
しばらくして、陪審員全員が頷き、裁判長が2回、木づちを鳴らした。
「これより、判決を云い渡します! 被告の主張を認め、シャイロックの主張は却下! 被告は返済の義務を一切有していないものと認めます!」
裁判に、勝った!
傍聴席から拍手が上がり、オレとライラは抱き合う。その隣で、ミエとナズナも抱き合っていた。ナズナは涙を流しながら喜んでいる。
ふと原告側の席を見ると、シャイロックが納得のいかない表情でオレたちを睨みつけていた。
「ふ、不服だ! 娼館で性奴隷として働かせることがダメだと!? ならば利息の支払いだけでも要求する!」
「それはできません。シャイロックさんは、ナズナさんを娼館で性奴隷として働いてもらう代わりとして、利息を要求する権利を放棄しています。なので認められません」
裁判長がキッパリと云った。
シャイロックは苦虫をかみつぶした表情になる。確かにシャイロックは昨日、裁判に訴えることを宣言する時に「利息などいらん!」と云い放っていた。それはオレもしっかりと聞いている。
もう、シャイロックは利息も要求できないし、ナズナを性奴隷として娼館で働かせることもできない。
「くそう! せっかく娼館にいい奴隷として直接売って儲けられるはずだったのに! これで全て台無し……しまった!」
「シャイロック、今の話はどういうことだ!?」
シャイロックの言葉に、傍聴人たちが口を揃えて問う。
今度はシャイロックが、顔を青ざめ始める。
「奴隷として売買する時は、奴隷商館を通すのが決まりだ! 今の話では、直接娼館に売ると話していたな!?」
「そ、それは……」
「オレ、今の話、ちゃんと聞いていたぞ」
オレはそう云うと、傍聴人たちに証言した。
その後、シャイロックは、ナズナを奴隷商館を通してではなく、娼館に直接売ろうとしていたことを認めた。
傍聴人たちは激怒した。奴隷は奴隷商館を通して取引するのが、ルールだからだ。
シャイロックにはさらに判決が加わった。
全財産没収と、クォーツマリンからの追放処分だった。
判決を云い渡された時の、シャイロックの絶望した表情は、今でも忘れられない。
いい気味だ。高利貸しをするだけならまだしも、法外な利息で債権者を追い詰めるようなことをしてきたからだ。
これまでの行いの全てについて、報いを受ける時が来たんだ。
オレたちは、清々しい気分で裁判所を後にした。
「本当に、ありがとうございました!!」
ナズナが、ミエとオレたちにお礼を云う。
「皆さんが居なければ、きっと私は性奴隷にされていました! 感謝してもしきれません!」
「いや、オレたちは……なぁ?」
「そうね。わたしたちよりも、ミエさんが一番よく働いたと思うの」
オレとライラがそう云い、ミエを見る。
ミエは先ほどまでと変わらず、澄ました顔をしている。
それにしても、今回の報酬はいくらになるんだろう?
「あの、ミエさん……代金の方は――」
「ナズナさん、代金は要らないわ」
「――えっ、いいんですか!?」
ナズナが目を丸くして聞き、オレたちも驚いて耳を疑った。
代金を求めないなんて、あり得なかった。
職業弁護人といえば、高額の報酬を引き換えに裁判を有利に導く役割を担う。高額の報酬がなければ、動かない人がほとんどだ。
「お代はいいの。でも、その代わりに――」
ミエが、飲食店街の方に目を向ける。
「麺料理が食べたいから、奢ってもらえるかしら?」
「はい! もちろんです!!」
ナズナはすぐに、財布を取り出した。
その後、一緒にお昼を食べることにしたオレたちは、ナズナとミエに同行した。
そしてそこで、ミエが麺料理を次々に平らげていくのを目の当たりにした。
ミエはあっという間に10人分の麺料理を平らげ、さらに追加で大盛りの麺料理を注文し、デザートまで平らげた。どうやったら、あの細い体に入って行くのか、オレとライラはどうしても理解できなかった。
最初は穏やかな表情だったナズナも、10人分を平らげるのを見て顔をひきつらせていた。
最終的にナズナは、自分の分を別として10人分プラスアルファの食事代を支払うことになってしまった。
面食いの魔女の2つ名は、伊達じゃないことを思い知らされた瞬間だった。
「あぁ、そうそう、いいことを教えてあげる!」
食堂を出たオレたちに、ミエが云った。
「クォーツマリンの街外れに、アーリーシュラインという宗教施設があるわ。美しい所だから、是非行ってみるといいわ。オススメよ」
「あ、はい……」
「それじゃ、またお会いしましょうね」
大量の麺料理を平らげたミエは、足取り軽やかに去っていく。あれだけ食べたのに、スキップができるなんて、いったいどういう身体をしているのだろう?
オレたちが疑問に思っていると、ナズナがやってきた。
「ビートさんにライラさんも、ありがとうございました!」
「ナズナちゃん、無事に結婚式を挙げて幸せになってね」
「はい! お2人からも幸運を分けてもらったと思って、必ず幸せになります! 本当に、ありがとうございました!」
ナズナは深々と頭を下げ、オレたちの元を去って行った。
ナズナの姿が見えなくなると、オレたちはこれからどうしようかと、考え始める。
「ビートくん、これからどうする? 旅館に戻る?」
「いや、アーリーシュラインに行ってみようかと思ってるけど、どう?」
「うん! ビートくんの行くところが、わたしの行くところ!」
ライラはそう云って、オレの腕に抱きついてくる。
外でやると恥ずかしいが、まぁいいか。
オレとライラは、アーリーシュラインに向かって歩き出した。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
感想、誤字脱字、ご指摘、評価等お待ちしております!
次回更新は、9月4日21時更新予定です!
活動報告を書きました!
コメントへの返信は、活動報告で行っております!





