第108話 オーバーヒート
アークティク・ターン号の先頭、センチュリーボーイの運転室で、機関助士がメーターを見て叫んだ。
「大変です!!」
ボイラーの温度を示す計器と、蒸気圧の強さを示す計器の針が、どんどん上がって行く。そしてイエローゾーンから、レッドゾーンへと針が動いていった。他に水温計や給水ポンプの圧力計、ボイラー圧力計などにも異常が発生していく。
「これは、まさか!」
機関士が青ざめた。
「オーバーヒートです!」
「くそう! まさかこんなにも早いとは!」
機関士が悪態をつくと、すぐに汽笛を鳴らした。
異常事態が発生したことを、列車全体に知らせるため、短い汽笛を5回連続して鳴らす。
「急いで非常用の罐に切り替えるんだ! 急げ!」
「はいっ!」
機関助士が敬礼し、作業を開始した。
アークティク・ターン号の車内では、汽笛を聞いた乗務員たちが慌ただしく動いていた。次の駅に緊急連絡を打ち、乗客からの問い合わせに対する答えを確認する。非番になっていた者までもが動員され、乗務員たちの間には緊張感が走っていた。
オレとライラは、展望車でのんびりしていた時に、汽笛が5回短く鳴り響いたのを耳にした。
1回だけ汽笛が鳴ることは、珍しくない。しかし、5回も鳴り響くことは今まで列車に乗って来たが、1度も聞いたことが無い。
さっきの連続した汽笛は、何だったのだろう?
「汽笛、なんだかおかしかったよね?」
「嫌な予感がするな……」
ライラの言葉に、オレは展望車から見える空を見て呟いた。
空には、まるでオレの気持ちを代弁するかのように、黒い雲が浮かんでいる。
今にも雨を降らせそうな雲を見つめていると、ブルカニロ車掌が駆けこんできた。
「ハァ……ハァ……!」
いきなり駆け込んできたことに驚き、オレたちはブルカニロ車掌を見る。
ブルカニロ車掌は肩で大きく息をしていて、額には汗を浮かべていた。
オレたちは顔を見合わせる。
嫌な予感が、的中した。
「車掌さん、何が起きたのですか!?」
オレはイスから立ち上がり、ブルカニロ車掌に効く。
またしても列車強盗だろうか!?
しかし、ブルカニロ車掌の口から発せられた答えは、予想外の物だった。
「機関車が、オーバーヒートを起こしました!!」
その答えに、オレは一瞬だけフリーズした。
オーバーヒート。
列車強盗や山賊の襲撃などしか頭の中に描いていなかったため、咄嗟の反応が遅れてしまった。
「お……オーバーヒートですか……?」
「ビートくん、オーバーヒートって何?」
ライラが不思議そうに首をかしげる。元レストランの店員だったライラは、オーバーヒートのことを知らなくてもおかしくは無い。
だが、オレは知っている。鉄道貨物組合で、その手の話はいくらか聞いたことがあった。
「えーと……オーバーヒートっていうのは、機関車で発生した熱があまりにも熱くなり過ぎちゃって、機関車が動かなくなっちゃうことだよ」
オレは過去の記憶を遡りながら、ライラに説明した。
馬車では、絶対に起こりえない現象だ。そもそも馬車は馬を使っていて、エンジンなんて無いからだ。
しかし、鉄道の機関車は機械だ。機械でなら、オーバーヒートは起こりえる。
「……えっ、じゃあアークティク・ターン号が駅以外の場所で停まっちゃうってこと!?」
「そうなるかも……しれない」
オレはそう答えて、外をチラッと見る。
今は知っている場所は、道路の真横だ。しかし、辺りには民家などはない。非常に見通しが良い。
こんな場所で停車してしまったら、潜んでいる列車強盗にとって格好の餌食だ。
それをなんとか払拭しようとしたのか、ブルカニロ車掌が再び口を開いた。
「現在、機関車は非常用のボイラーに切り替えて、ギアボックスに向けて運転を続けています」
「非常用のボイラー? そんなものがあるのですか?」
オレはブルカニロ車掌の言葉に、目を丸くする。
普通の鉄道で使われている蒸気機関車に、非常用のボイラーなどはない。
しかし、アークティク・ターン号を牽引する蒸気機関車、センチュリーボーイは違うらしい。4つの大陸を走破するため、特別に製造された機関車だと、グレーザー孤児院に居た頃にハズク先生の授業で学んだ。やっぱり、特別な機関車だけあって、普通の機関車ではないのかもしれない。
「はい。アークティク・ターン号を牽引する機関車、センチュリーボーイには通常走行で用いるメインのボイラーの他に、非常用のボイラーが搭載されています。メインのボイラーよりも出力は落ちますが、非常用のボイラーでも走行は可能です。しかし、あくまでも非常用なので、あまり長距離は走れません」
希望が湧き上がったが、すぐに消えそうになった。
非常用のボイラーでは、長距離は走れない。
もし、ギアボックスに到着する前に走れなくなってしまったら、今度こそ本当に終わりだ。
「それに、センチュリーボーイはオーバーホールが必要です。このまま走り続けた場合、センチュリーボーイがスクラップになってしまいます」
「じゃあ、ギアボックスまでは――」
「それだけは絶対にありません」
ライラの言葉を遮って、ブルカニロ車掌が云う。
「現在、列車はギアボックスから非常用のボイラーで走行可能な場所にいます。途中で停止してしまうことはあり得ません。もちろん、絶対にそうならないとは云い切れませんが、万が一の事態に備え、乗務員全員が全力を尽くしています」
ブルカニロ車掌はそう云うと、制帽を被りなおした。
「お客様には大変ご迷惑をお掛けしております」
そう云うと、次の車両に向かって行った。
オレたちは顔を見合わせて頷くと、列車の先頭に向かって走り出した。
機関車のすぐ後ろに連結されている、乗務員車。アークティク・ターン号の乗務員たちはここで寝泊まりして、業務を行っている。
オレたちは乗務員車の次に連結されている3等車のデッキにいた。
「すいませーん!」
オレがノックをすると、1人の車掌が出てきた。
「何かご用でございますか?」
「アークティク・ターン号がギアボックスに到着してから、どれくらいで出発できるようになるか知りたいんですが、分かりますか?」
オレたちが気になっていることは、それだった。
ギアボックスに到着したら、機関車の修理が必要になることはすでに分かっている。問題は、どれくらいの時間が掛かるかだ。正確な時間は今は求めていない。あくまでも目安となる時間が、オレたちは知りたかった。
一刻も早く北大陸のサンタグラードまで行きたいが、向かうためにはアークティク・ターン号に乗り続けるほかに手は無い。
「申し訳ありませんが、見当もつきません」
「正確な時間じゃなくていいんです。大まかな時間が分かれば――!」
「それすらも、私にはお答えいたしかねます」
車掌はそう云った。
「ど、どうしてですか!?」
「機関車を分解して調べないことには、修理可能な時間が分からないのです。ましてやオーバーヒートしたとなれば、最悪の場合、運行中止も考えられます」
運行中止。
オレとライラの頭の中が、その言葉で埋め尽くされていく。
運行中止になってしまったら、オレたちは別の手段で北大陸に向かうか、旅をギアボックスで終わるかになってしまう。
どちらとも、オレたちは認めたくなかった。
「そんな! 代わりの機関車は無いんですか!?」
ライラの言葉に、オレはハッとする。
ギアボックスには、鉄道の車庫だってある。そこに行けば、代わりにアークティク・ターン号を牽引する機関車だってあるはずだ。
「そうですよ! 別の機関車に切り替えて、運行できるはずです!」
「申し訳ありませんが、それも不可能です」
車掌は表情を暗くして答えた。
「なぜなら、アークティク・ターン号を牽引できるだけのパワーを持った機関車は、センチュリーボーイ以外に存在しないのです。もしくは貨物車と客車を切り離し、別々で目的地へ向かうことになりますが、全ての路線に影響が出てしまいます。それに、貨物車にはお客様からお預かりしている荷物も載せています。なので切り離して、運行を継続することは不可能です」
オレたちは、言葉を失う。
どうあがいても、機関車のオーバーホールが終わるまでは、ギアボックスに留まることになりそうだ。
予定が、大幅に狂ってしまうことが、予想できた。
オレとライラの北大陸への旅は、これで一時中断だ。
「それでは、私はこれにて……」
バタン。
乗務員車のドアが閉められた。
個室に戻ってきたオレたちを、レイラが出迎える。
「どうでした?」
「機関車がオーバーヒートを起こした。ギアボックスまでは行けるけど、機関車の修理が終わるまで、オレたちはギアボックスを出発できそうにない」
オレが答えると、レイラは尻尾と獣耳を力なく垂らした。
「それはお気の毒様です……」
「ありがとう、レイラちゃん。でも、わたしたちは諦めないよ」
ライラが、顔を上げた。
「ここで諦めるくらいなら、最初からしなかったほうがいいもの。それに、ギアボックスでは機関車が修理できるんだから、アークティク・ターン号だって、いつかはまた走り出せるわよ! わたしはお父さんとお母さんを見つけるまで、絶対に諦めないんだから!」
ライラの言葉に、オレも顔を上げる。
そうだ。確かにその通りだ。
オレとライラは、ライラの両親を探すというライラのグレーザー孤児院の頃からの夢を叶えるために、旅を続けてきた。共に働いておカネを貯め、南大陸のグレーザーからアークティク・ターン号で今日まで旅をしてきた。今ここで旅にピリオドを打ったら、今までのことが全て無駄だったことになる。
そんなことは、断じて認めたくない!
ライラの両親を見つけるまで、オレたちは立ち止まれないんだ。
両親を探すために、協力する。
オレはグレーザー孤児院で、ライラに婚約のネックレスを渡すとき、そう誓った。
その約束を反故にすることはできない。
「――ライラの云う通りだ。どんなことがあっても、ライラの両親を見つけるまで、オレは決して諦めないぞ!」
「ビートくん、違うわよ。オレだけじゃなくて、『オレたち』でしょ?」
「――そうだったな」
ライラからの指摘に、オレは笑顔で答える。
そうだ。オレだけじゃない。
オレとライラ。
この2人で、今まで頑張ってきたんだ。
「ビートさん、ライラさん。私も応援します。絶対に、諦めないでくださいね!」
レイラの励ましに、オレたちは頷いた。
ポォーッ! ポォーッ!!
汽笛が数回、鳴り響いた。
液が近いのかもしれない。
オレたちは窓に駆け寄り、窓を開けて前方を見た。
前方に、大きな街が見えてきた。工場に囲まれているようで、煙突からは煙が上がっている。街の中心部には巨大な穴のようなものがあり、大きく口を開けている。その穴を取り囲むようにして、工場や住宅がひしめき合っていた。
「見えたぞ! ギアボックスだ!」
オレが叫ぶ。
かつて授業で習った、東大陸最大の街にして、最大の工業都市。
それが目の前にある街、ギアボックス。
そこに向かって、アークティク・ターン号は走って行く。
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次回更新は、8月10日21時更新予定です!





