第10話 婚約のネックレス
強盗事件から2年が経ち、オレとライラは12歳になった。
「んーっ、平和がイチバン……」
オレは教室で午後の穏やかな空気を吸い込み、そう呟く。
オレとライラは今、ときどき街に出て職業訓練を受けている。
12歳になった子どもたちは、孤児院を出て進学するか就職する。
一般的には、就職するのが大半だ。
進学する子どももいないわけではないが、よほど優秀じゃない限り、難しい。
オレとライラも、週に何度か街に出ては、アルバイトをしている。
そして小遣い程度のおカネを貰っている。
オレは無駄遣いをしないように、せっせと貯めていた。
孤児院を卒業した後に、少しでも足しにしておきたい。
「ビートくん……」
静寂を破って、オレの知っている声がオレの名前を呼ぶ。
相手が誰なのかは分かっていたが、オレは振り返る。
そこにいたのは、ライラだった。
12歳になって、ライラはますます魅力的になっていた。
曲線美は、もうほとんど大人のそれで、胸も2年前よりかなり大きくなっている。
Dカップはありそうだ。
「ライラか、どうした?」
「うん、あのね……」
「また勉強を見てほしいのか?」
オレがからかうように尋ねるが、ライラは答えない。
ライラは顔を紅くして、尻尾を犬のように振りながら黙っている。
あぁ、これはまた抱き着いてくるぞ。
しぐさから、オレはライラの動きがすぐに分かった。
しかし、オレの予想は外れた。
「……ゴメン、やっぱなんでもない!」
ライラはそう云うと、教室から逃げるように出ていく。
結局、何がしたかったのか、オレには分からなかった。
その日の夜。
オレは食堂でライラの姿を見つけ、隣に座った。
「ライラ」
「あっ、ビートくん!」
ライラはオレに気づくと、大急ぎで夕食を口に詰め込んでいく。
そんなに急いで食べると、喉に詰まるぞ。
オレが心配しながら見ていると、ライラは口の中に詰め込んだものを、紅茶で飲み下した。
「ごっ、ごちそうさまっ!」
そして再び逃げるように、食堂を出ていく。
「ライラ……?」
いったい、オレが何をしたというのか?
オレは1人、悩みながら夕食を口に運んだ。
最近になって、ライラがオレの前から逃げるようになった。
これまでは、オレにものすごくべったりだったのに。
オレが、何かライラの嫌がるようなことをしただろうか?
全くといっていいほど、オレには覚えがない。
考えれば考えるほど、ますますライラの行動の意味が分からなくなっていく。
「ライラ……いったいどうしたっていうんだよ……?」
オレはライラから距離を置かれているように感じて、落ち込んだ。
昼食が終わった後、ボンヤリしているときに、オレはふと気がついた。
もしかしたら、ライラには誰か好きな人ができたのか?
そう思うと、オレはとてつもなく嫌な気持ちになった。
ライラが、他の男に夢中になっている。
そう考えるだけで、オレは吐き気まで覚えた。
昼飯を、もう一度見てしまいそうだ。
「ライラ……ライラ……」
この感情を、一言で云い現わすのなら、それは――。
「どうしたの、ビートくん」
「おわっ、ハズク先生!?」
オレの頭の上で、優しい声がして、オレはすぐに相手が誰なのか当てる。
ハズク先生が優しい表情で、オレを見下ろしていた。
「何か悩んでいるの?」
「いや、悩んでは――」
「もしかして、ライラちゃんのことかしら?」
オレは心臓が口から飛び出るかと思うほど、驚いた。
バレてた。
ハズク先生には、全てがバレてた。
「な……なな……なんで分かったんですか?」
「ビートくん、顔に書いてあるわよ」
ハズク先生はそう云うと、オレの隣に腰掛ける。
「ビートくんは、ライラちゃんのことが好きなんですね」
「そっ、そんな!」
オレは顔から火が出そうになる。
全身が熱くなり、汗が噴き出る。
あぁ、口で否定する前に身体が正々堂々と『そうです! はい! YES!』と大声で主張しやがった。
「恥ずかしいことじゃないですよ。誰かを好きになることは、とても素敵なことです」
「で、でも、ライラは俺のことを――」
嫌いなんじゃないですか?
そう云おうとしたオレの言葉は、ハズク先生の言葉で打ち砕かれた。
「ビートくん、前に『女の子は今の年頃、色々と難しいのよ』って、教えなかった?」
「……確かに、教えてもらいました」
その言葉は、オレもしっかり記憶していた。
「そのときに、もう1つ大切なことを教えたけど、覚えていますか?」
「えーと……」
思い出せない。
それ以外に、何か教えてもらっただろうか?
オレが答えを出せないでいると、ハズク先生が口を開いた。
「正解は『心配しなくても大丈夫』ということ。ライラちゃんも、何か悩んでいるみたいだけど、心配しなくても大丈夫よ」
「でも、オレどうしても気になって――」
心配しなくても大丈夫。
簡単にハズク先生は云うが、オレには難しいことだった。
すると再び、ハズク先生が口を開いた。
「ビートくんは、ライラちゃんのことを信じていないの?」
「えっ……?」
突然、オレはビンタを食らったり、冷水をぶっかけられたような気持ちになる。
信じていない。
その言葉に、オレは思考能力の全てを奪われたような気がした。
「ビートくん、よく覚えておいて。誰かに対して『心配しなくても大丈夫』と思うことは、それだけ相手を『信じている』ことなんです。誰かに対して心配ばかりしていることは、相手を『信じていない』のと同じですよ」
ハズク先生はそう云うと、立ち上がった。
「……ビートくん、ライラちゃんのことを信じているのでしたら、まずは自分から行動しないと何も始まりませんよ」
その言葉を残し、ハズク先生は執務室の方に向かって行った。
信じているのなら、自分から行動しないと何も始まらない……。
「……そうか!」
オレは駆け出した。
ライラのことを、オレは信じている。
だったら、オレがやるべくことは1つしかない。
休日。
オレは今まで貯めておいたおカネを使い、装飾品店でネックレスを買った。
もちろん、普通のネックレスではない。
オレが購入したのは『婚約のネックレス』というものだ。
婚約のネックレスは、男性が女性に求婚するときに贈るものだ。一般的なネックレスとは少し違い、チョーカーに少し近い作りになっている。
オレが購入したのは、婚約のネックレスの中でも、最も安くて簡素な作りのものだ。
他のものは思ったよりも高く、とてもじゃないが買えなかった。
最も安いものでも、これまでに貯めてきたおカネのほとんどが飛んでしまった。
オレが渡す相手は、もちろん1人しかいない。
オレはそれを手に孤児院へと戻る。
自分の思いに気づいた時から、こうすればよかったんだ。
オレは孤児院の中を駆け回り、ライラを探す。
談話室、教室、女子部屋、食堂――。
しかし、ライラはどこにもいない。
さすがにトイレだけは調べられなかった。
よく一緒に居た女の子にも聞いたが、見ていないという。
「どこにいるんだよ、ライラ……」
何かを必死に探しているときに限って、見つからなかったりする。
オレはそれを今、痛感させられていた。
ふと、窓の外に目をやった瞬間、オレは立ち止まった。
まだあそこは、見ていない。
オレは孤児院の建物から出た。
「ライラ……!」
「あっ、ビートくん……」
ライラが、いた。
夜に夢を聞いた、あのベンチにライラは腰掛けていた。
「……隣、いい?」
「……うん」
オレの問いかけに、ライラは頷く。
ライラの隣に腰掛けると、ライラは顔を紅くした。おまけに尻尾まで、激しく振れている。
「ライラ、どうしてオレの前から逃げるようなことを?」
「……ゴメンね。そう見えちゃうよね」
ライラは謝る。
「実はずっと、ビートくんにわたしの気持ちを伝えようとしていたの。でも、いざ伝えようとすると、恥ずかしくなって云えなくて……」
そういうことだったのか。
ライラはオレを避けていたわけじゃなかった。
恥ずかしくなって、それに耐えきれずに走り去っていたんだ。
オレは、嫌われたり、ライラが他の男を好きになっていたわけではないと知り、安心する。
――いや、安心している場合じゃない。
オレがちゃんとライラに自分の気持ちを伝えていれば、こんな思い違いをする必要は無かったんだ。
ライラが恥ずかしさに耐えきれず、オレを避けるような行動をすることもなかった。
オレがはっきりさせなかったのが、原因じゃないか!
婚約のネックレスを入れた箱を、ポケットの中で握りしめ、オレは自分の思いを伝えるため、口を開く。
「ライラ、オレ実は――」
「うん、分かっている」
ライラの言葉に遮られ、オレは驚いてライラを見る。
ライラは嬉しそうな、だけどどこか寂しげな表情でオレを見つめてくる。
「わたしのことが、好きなんでしょ?」
「――!!」
完全に、セリフを奪われた。
オレは顔を真っ赤にしながら、頷く。
それを確認したライラは、笑顔になる。
「……やっぱり。すごく嬉しいよ」
「え……?」
「だってわたしも、ビートくんのことが好きだから」
「んなっ!?」
予想だにしていなかった、ライラからの告白。
しかもライラが、オレのことを好きだったなんて!
まるで夢のような展開だ!
「ほ……本当か?」
「うん。ビートくんのことが『好き』で『愛している』の。その気持ちは、きっと誰にも負けない。ビートくんが望むことなら、どんなことだってしてあげたい。ううん、むしろしたい。わたしは、ビートくんにいつまでも尽くしたい。そう思っている」
オレは叫びそうな気持ちになる。
今までで、これほど嬉しかったことは他にない。
ハズク先生、ライラのことを信じてよかったです。
「でも……」
ライラはうつむいた。
舞い上がっていたオレは、そのことに気づかなかった。
「だからこそ、わたしはビートくんと一緒にいられない。いや、いちゃダメなの」
「……えっ?」
再び、オレは冷水をぶっかけられた気分になった。
そしてあやうく、ライラに渡す婚約のネックレスを、その場に落としてしまいそうになった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!