『自浄プログラム』
放浪蟲が人襲う場面が本当はもっとあったんですが、あまりにも長くなりすぎたのでカットしました。おかげでグロシーンもカットされまくり、だいぶマイルドに。
『放浪蟲』。
それは六十年前、突如としてこの世界に現れた異形の存在。
大小、種類まで様々。共通するのは人・昆虫・機械が融合したような姿をし、人を食らうということ。
明確な意思を持たず、ただ這い回り、貪り食らう。魔力という最大の武器を手に入れた人類でさえ、その膨大な数の前にただ進攻を食い止めるので精一杯だった。現在はこの世界を覆う巨大な結界の外――いわゆる『砂海』――に追いやられており、結界の維持にさえ気を配れば脅威でない。
はずだった。
『月狂蟲』。
放浪蟲と同時期に突如として現れた異形の存在であり、人・昆虫・機械の融合態という見た目は放浪蟲と共通するが、異なる点は大きく三つ。
一つ、放浪蟲より人型に近いうえ、人の言葉を理解し、個としての意識が存在すること。故に同一個体は複数存在しない。
二つ、捕食方法。放浪蟲は人間と同じく餌を口から摂取するのに対し、月狂蟲は虚枝と呼ばれる肉体の一部を変化させた捕食器官で行う。この虚枝は月狂蟲の主な攻撃手段でもあり、その形状と性質によって四つの症例に分類される。
三つ――これが最も厄介なのだが――生息地が不明であり、突如として結界内部に出現、その際に多数の放浪蟲を引き連れて来ること。理由は不明だが、明確な意思を持たない放浪蟲が月狂蟲の命令に従っている節があること、そして単純に戦闘力の脅威の面からしても、月狂蟲は放浪蟲の上位種であると考えられている。
ここに記したことはほんの一部であり、発生から六十年経った現在でも詳細は不明である。
――――……
『自浄プログラムが発動する!!』
夜兎が悲鳴に等しい叫びをあげたのと同時刻。
シェインたちがいる集合住宅の屋上に発生した、渦巻くデータの嵐の中心に、それはいた。
キューブ状の物体が集まり、足の先から順に姿を成していく。
転送は数秒で完了した。
体長1.7メートルほど、成人男性と同サイズの漆黒の巨大な人面芋虫。胴体からはチューブやケーブルが本体を磔にしている十字の拘束具まで伸びている。
頭部の側面から無数の目玉が開き、ギョロギョロと蠢く。
――この下か。
月狂蟲の背後の空間が、バックリと大きく裂ける。
その中から這い出てくる無数の放浪蟲……。
「――デリート」
――――……
それは突然起こった。
フォルトゥナにとっては初めての体験だった。金属音が頭に響いたかと思うと、頭が割れるかのような激しい頭痛に襲われる。
視界がぐらりと揺らぎ、見えている世界が歪み、書き換わっていく。
「『浸食』……! 月狂蟲だ!」
誰かが怒号のような叫び声を上げる。
次いで建物のあちこちでまるで爆発したかのような悲鳴が次々と湧き上がっていく。
数秒で頭痛と金属音は引いていったが、それはより恐ろしく致命的なものの到来を意味していた。
「……くっ! 状況報告!」
頭痛から立ち直ったガルディアが自らの通信ゴーレムに叫ぶ。
『建物内部に放浪蟲が多数出現の模様! 不意を突かれ、こちらの被害は甚大でぎゃああああああああぁぁぁっっ!……………………』
断末魔の叫び。そして咀嚼音と共に通信が切れる。
「くそっ! 外部との連絡は!?」
「できません! 既に我々は閉じ込められました!」
窓に駆け寄り、外の様子を伺う。
目に飛び込んできたのは、弧を描くようにぐにゃりと歪んでいる向かいの建物。いや、外の世界全てがまるで何かに吸い込まれているかのように渦を描いている。不気味なグラデーションを発し、まるで異世界を想起させる。
これが月狂蟲が生み出すという結界か。
「うわぁ、お外が幻想的……」
隣でウルフが絶望しきった表情で外を眺めていた。
幻想的、か。確かにこの非現実的で無秩序な光景は、ある種のそういった感覚を他人事のように抱いてしまう。
「くそっ、駄目か……」
背後で舌打ちするシェインにダメもとで尋ねてみる。
「アンタの仲間に助けを――」
「無理ですね。通信ゴーレムはおろか、思念花さえ妨害されています。それにたとえ連絡が取れたとしても、月狂蟲が作り出す結界は、外部からは決して破壊できないまさに鉄の牢獄ですよ」
シェインは相変わらず笑みを作っているが、額際に汗を光らせるほど神経を尖らせているのが目に見えて分かり、先程までの余裕は一切感じられない。それがこの事態の深刻さを如実に表していた。
月狂蟲と放浪蟲、やつらはそれほどまでに脅威なのだ。
「隊長、いかがなさいますか?」
部下の一人が切羽詰まった声でガルディアに指示を仰ぐ。
「元凶となった月狂蟲を討たねば、この世界からは出られないが……応援を見込めない以上、我々のみでどうにかするしかあるまい。建物内部に待機させていた部下で生き残っている者と合流し、やつを討伐する。お前の魔術で月狂蟲と放浪蟲、そして生き残りの数と位置を確認してくれ」
「分かりました」
その部下が自らの魔導書を起動させようとし――大量に血を吐いた。
「……はびぇ?」
彼の口から尖った棒が飛び出していた。
全員が突然の事態に対処するもない。口から棒が突き出したまま彼の体が上に持ち上がっていく。
彼の背後、月光の当たっていない闇から異形が這い出てくる。その姿に息を呑んだ。
マネキンが二体組み合わさり、まるで蜘蛛のように八本の手足でゆっくりと地面を這っているのだ。だがさらに二本、節のある長い虫の脚が胴体から生えており、そのうちの一本が統治局の局員を後頭部から串刺しにしているのだ。
「だ、だじゅげで……」
命乞いも空しく、彼の体は背後の闇に放り投げられる。
地面に落ちて肉が潰れる音、悲鳴、喰い散らかす不快な――
「マズい! 一匹だけじゃない、後ろにまだいるぞ!」
シェインが叫ぶと同時に、闇から何十もの人面が浮かび上がり、一斉に飛びかかってきた。
床を、壁を、天井を、不快な音を立てながら死が這い迫ってくる。
「あっ……」
眼前に放浪蟲が一匹落ちてくる。
二つあるマネキンの顔の一つと目が合う。
心臓目がけて蟲の足が――
「フォル!」
それが両断される。
体勢を崩した放浪蟲を蹴り飛ばし、リンクが庇う様に前に立ち塞がった。
「助けを頼んだつもりはないわよ!」
「そう聞こえた気がしたよ!」
リンクが袖から伸ばした仕込みナイフで放浪蟲の攻撃を捌いていく。だがいくら攻撃すれど、放浪蟲は少しの間怯むのみだ。その間にも新たな放浪蟲が仲間を押し退けて襲い来る。
フォルトゥナも霧幻を手に応戦するが、キリがない。
足を斬られた放浪蟲も起き上がり、再び向かってきた。
これでは燃費の悪い自分の魔力が底をつくのも時間の問題だ。
「隊長!」
リンクが叫ぶ。
「私は彼女を地下へ!」
「あぁ、分かった!」
ガルディアの大剣に魔力が収束し、振り下ろすと共に開放。直線状の放浪蟲をまとめて吹き飛ばす。
リンクはフォルトゥナの腕を掴むと、ガルディアが作り出した道を一気に走り抜けた。
「地下へ向かうって!?」
リンクに連れられ廊下へと飛び出し、そのまま階下へと足を進めるフォルトゥナが尋ねる。
道中でも住人を襲う放浪蟲たちが視界に入る。
「放浪蟲は月光の当たらない場所では活動が鈍くなる!」
悲鳴にかき消されないよう、リンクも大声で返答する。
「ほんの僅かだがな! だがそのせいか、地下区域で奴らの目撃例はないんだ!」
この建物には隣のマンションへ抜けるための地下道がある。夜間、マザー達の目を盗んで外へ抜け出す時に、フォルトゥナもよくお世話になっている。
「待って! マザーやメイリスさん、子供たちを連れてかないと!」
「彼女たちは既に地下道に避難させた! 君を襲撃した賊との戦闘に巻き込まれぬようにとの措置だったが、こういう形で吉と出るとはな。運が良ければ、浸食よりも前に隣の建物に移れているかもしれない!」
それを聞いてフォルトゥナは安堵の息を吐き出すと共に、リンクへの感謝の言葉が飛び出しそうになって慌てて口をつぐんだ。
一階は地獄絵図だった。そこかしこに臓物と肉片と血痕が飛び散り、リンクと同じ白のローブを羽織った死体が廊下の先まで行列を作っている。
「くそっ……!」
吐き気を必死に耐えるフォルトゥナの隣で、リンクが仲間の死体で彩られた凄惨な光景に唇を噛みしめている。
「リン……バートリー捜査官」
フォルトゥナが遠慮がちに、先へ進むことを促す。
地下道へ降りるための階段は、南端の廊下に設置されている。幸いにも放浪蟲の姿は見えない。
「……あぁ、そうだな。急ごう」
死体を避けながら階段へと走り抜ける。
その時、視界の端で死体が一瞬、大きく動いた。
「えっ……?」
見間違いかと思って振り返った瞬間、フォルトゥナの足元の死体が破裂した。
血の噴水が噴き上がる。
死体の内部から、大量の小さな放浪蟲――部屋で襲ってきた蜘蛛のような放浪蟲を超小型にしたような――が這い出し、床に広がっていく。文字通り、蜘蛛の子を散らすかのように。
まるで産声をあげるかのように頭を上げ、一匹一匹が奇声を発する。
あの放浪蟲が死体に卵を産み付けたのか。まさか、周囲に臓物や肉片が飛び散っていたのは、このため――?
「フォル! 上だ!」
子放浪蟲を対処するリンクの叫びに、咄嗟に体が反応した。
天井から落下してきた親の放浪蟲の首を、霧幻で斬り落とした。
残った首が耳障りな絶叫をあげ、放浪蟲がのたうち回る。
「ざまぁみろ!」
わらわらと寄ってくる子供の放浪蟲を足で踏みつぶしながら、フォルトゥナが吐き捨てる。
だが、頭部を一つ失った放浪蟲は信じられない行動に出た。
死体の一つに近付くと、首を脊椎ごと引き抜いたのだ。そしてそれを自身の切断面に突き刺す。
その途端、放浪蟲は奇声をピタッと収めた。新たに補充された首は髪が抜け落ち、急速に禿げ上がっていく。そして体色も含め、全てが斬り落とされる前の姿へと同化していく。
「……なに、それ……? ふざけんなって…………」
あまりに無茶苦茶すぎて、もう乾いた笑いしか出てこない。
放浪蟲の目がギョロッとこちらを向き、槍のような足が目前に迫る。
「おっと、危ない」
だがその軌道を、フォルトゥナとの間に割って入った仮面の男が逸らした。
「イルニス!?」
「イグニスです。あれ……イルニスだったかな? まぁどっちでもいいか」
シェインが訳の分からないことを呟く。その足元では顔面蒼白なウルフが『おうち帰りたい』などとネガティブ全開で転がっていた。
「隊長たちはどうした……!?」
リンクの問いかけに、シェインが肩を竦める。
「さすがは腐っても統治局、無数の放浪蟲相手に持ちこたえてますよムカつくことに。それよりもあなた達は早く地下へ」
放浪蟲の奇声に引き寄せられたのか、廊下は成体の放浪蟲で埋め尽くされ始めている。
「ここは僕達二人が引き受けます」
「あれ? もしかしてその居残って戦うメンツに俺入ってる?」
「不本意だが……恩に着る」
「おい、ちょっと。ねぇ、マジで?」
シェインとウルフを残し、フォルトゥナ達は地下道への階段を駆け下りた。
――――……
シェインは地下へと消えていくフォルトゥナの背中に視線を向けていた。
夜兎の発言からするに、この月狂蟲の襲撃はフォルトゥナを狙って行われたものだ。
赤舌が外に漏れては不都合な情報を奪い返しに殺し屋を送り込み、中身を見た可能性のあるフォルトゥナが始末される。それが彼女の『脅威』であると踏んでいたが……。
なぜ月狂蟲が彼女を狙うのか。まるで接点も理由もない。だが、赤舌の四人に偽の指令を送るなど回りくどい行動を起こした節さえある。捕食行為が目的ではない。戯れでもない。自分の存在を隠してただの一個人でしかない彼女を消そうという、明確な意図、純粋な悪意。
もう一つ気になるのは、夜兎がまるで月狂蟲と放浪蟲の登場を予期していたかのようだったことだ。
『見付かった』とも言っていた。誰に見付かったのかは知らないが、それが『パージ』なるものを発動させ、月狂蟲と放浪蟲を出現させたというのか。
つまり、月狂蟲を操る何者かがいるということになる。
いや、馬鹿々々しい。そんなはずはない、なぜなら――
「厄日だ、本当に厄日だ……」
隣でウルフが人生の終わりのような顔で呟いている。
「なんでこうなった……あいつらに殺させて、俺はただそれを見ているだけ、あとは帰って酒飲んで女とイチャコラして今日一日を終えるはずだったのに……」
「そんな悲観的になることないですよ。ウルフさん、不死身なんでしょ?」
「いやいや、あれは魔術のおかげだし、不死身で何でもねぇよ! てか、それを言えば、てめぇこそ不死身なんだろ!? ちゃんと聞いてたぜ、刺しても焼かれても死ななかったんだってな?」
「あなたと同じでタネも仕掛けもちゃんとありますよ」
足元の死体が握っていた剣を拾う。
今はこれで我慢する他ない。『見られている』というのなら、尚更だ。
「放浪蟲を相手にしたことは?」
「四回。どれも他の奴が撃ち漏らした余りをサシでやっただけだ。正直、多勢に無勢すぎて勝てる気がしねぇが……ツいてねぇ我が人生の最期が化け物の餌じゃあ、あの世で胡坐かいてやがるクソ兄貴への土産話にもならねぇ」
「そうですね、じゃあ派手にやりましょうか」
二人が構えると共に、放浪蟲の大群が襲い掛かってくる――
――――……
フォルトゥナ達は長い階段を降りきると、指先に灯した魔力の光を頼りに地下道を進んでいく。
上の狂騒が嘘のように、冷たく静まり返っている。
リンクの言う通り、ここには放浪蟲は発生していないようだ。
角を曲がると、奥にこちらに背を向けて人影が立っているのが目に入った。
「マザー!」
あの後ろ姿は間違いない。よく見ればメイリスや子供達も皆いる。
マザーたちは隣の建物に移ることは叶わなかったようだ。だがここにいれば安全だ。
ホッとして、駆け寄ろうとするが
「……ダめよ……」
マザーの声に立ち止まる。
様子がおかしい。
「えっ……?」
「ダ、メダメ……」
まるでさび付いた機械のように、ギシギシと音を立てながら首が振り返る。
「来ちゃア……ダめぇ…………!」
ひん曲がった顎、飛び出さんばかりに膨張した右の眼球、突き出された舌。
マザーだけでない。メイリスも子供達も皆、顔面が醜悪に歪まされている。
「逃、ゲ……! 逃……」
言葉を失うフォルトゥナとリンクの前で、マザーの首が百八十度回転し、捩じ切れた。
首と胴体が地面に崩れ落ちる。まるで陶器のように粉々に砕け散り、血の代わりに赤いビーズが床に散乱した。
「いやあああああああああああああああぁぁぁぁぁっっっ……!」
半狂乱になって絶叫するフォルトゥナ。
その胸を、前方の闇から伸びてきた何かが貫いた。
「えっ……?」
ズボッという気の抜けた音。引き抜かれた傷口から血が吹き出し、視界がぐらりと揺らぐ。
「っ!? フォルトゥナ!」
リンクが崩れ落ちそうになる彼女の体を抱きかかえ、角まで退避した。
一体誰が攻撃を? 放浪蟲?
違う。
フォルトゥナは胸を貫かれる瞬間、確かに見ていた。
人型の漆黒巨大な人面の芋虫がまるで彫像のように聳え立ち、自分を串刺しにしたのを。
次回、頑張れリンク。死ぬなリンク!