住む世界
こんな下手糞な話でも、目を通してくださる方がいることに感謝です
「はぁ……はぁ…………」
フォルトゥナは乱立する寂れた集合住宅の前で、息を整える。
「はぁ……げほっ! げほっ…………はぁ……やっぱり魔導書なんて使うんじゃなかった……」
腕輪の形状をした魔導書を苦々し気に見る。
魔術はフォルトゥナは得意だが、その源である魔力の技量はお世辞にもあるとはいえない。
おかげで単純な魔術でも魔力を無駄に消費してしまう。先程の戦闘で魔力も体力もゴッソリ持っていかれてしまった。
「ちっ……何だったのよ、あいつ……!」
奇怪な仮面をした気味が悪い笑みの青年。
だが、頭のいかれた奴らはムーンライトシティでは珍しくない。あの青年もその一人だったのだろう。
気がかりなのは、誰かと交信を、しかも思念術で行っていた可能性があることだ。
思念術は魔術の中でも特に技量を要し、並みの魔導士では満足に扱うことすらできない。仮面の青年はまだしも、その交信相手はおそらく相当な術者だ。だが、逆に思念術者は思念術に特化しすぎて、他の魔術は不得手であり、かつ身体能力が低い場合が多い。だから誰かと組んで行動するのが定石だ。仮面の青年がそれだったのだろう。
そしてその青年は死んだ。つまり当面は安全だということだ。
「おねぇちゃーん!」
自分を呼ぶあどけない声に、フォルトゥナは意識を戻される。
視線を向けると、団地の前で遊んでいた子供たちが走り寄ってくるところだった。
「おかえりなさい!」「あそぼうよ!」「みてみて、きれいなおはなみつけたのー」
口々に好き勝手に喋りだす子供たちに、フォルトゥナは苦笑する。
「ただいまー。仲良く遊んでた? ごめんだけど、お姉ちゃんちょっと疲れちゃったから、遊ぶのはまた今度ね」
「えー」
子供たちが口々に不満を並べる。
仕方ない、ちょっとだけ付き合ってやるか――そう子供たちに言おうとした時、突然背後から声をかけられる。
「フォルちゃん、ちょっと……」
振り返ると、天然パーマの女性――メイリスが立っていた。
「メイリスさん。どうしたんですか?」
深刻な雰囲気のメイリスを見て、怪訝な顔をするフォルトゥナ。
そして彼女の口から出た言葉を聞いた途端、フォルトゥナは弾かれたように走り出した。
団地の廊下を憤怒の形相で走り抜ける。
目指すは奥の一室。今にも壊れそうな扉を壁に叩き付けるように開け、部屋の中へと足を踏み入れた。
机を挟んで向かい合ったソファ。一方には、シスターであり、この集合住宅の管理人でもあるマザー・ヘレナ。そしてもう一方には、
「おやおや、クライアンレスさん。お久しぶりですな」
「ルドガー=サルファート……!!」
セイウチのような髭を生やした、小太りの男。
ムーンライトシティの治安維持機関『統治局』の部隊長の一人だ。
「この糞野郎――」
フォルトゥナが掴みかかろうとするが、隅に控えていたルドガーの部下に阻まれる。
「下賤な女め、何という口を!」
「まぁまぁ、待ちなさい」
ルドガーが部下を嗜め、紅茶をすする。
「我々が歓迎されていないのは重々承知、その理由も理解できる」
「じゃあさっさと帰りなさいよ。出口まで案内してあげるから」
「だがこちらも仕事でね。手ぶらで帰るわけには行かんのだよ」
ルドガーは視線をフォルトゥナからヘレナへと戻す。
「さて、マザー。話の続きだが――と言ってももう何度も申し上げているので十分承知だとは思いますがね――ここを取り壊させていただきたい」
「……エージェント・サルファート。何度言われようとその要求はのめません。ここはあの子たちの家なのです」
「孤児院、ですか。孤児院ねぇ……犯罪者育成所の間違いでは?」
嘲笑するルドガー。
再びフォルトゥナが食ってかかろうとする。が、
「フォルちゃん!」
フォルトゥナの後を追いかけてきたメイリスが、袖を引っ張って引き留める。
「駄目よ――」
「やれやれ、私は事実を言っているのだがね。エージェント・リンク」
フォルトゥナを阻んだ男とは別の、金髪をポニーテールにした青年が一歩前へ出る。
「はっ」
「説明して差し上げなさい」
「かしこまりました」
リンクが手にした報告書を読み上げる。
「この集合住宅出身の犯罪者数は増加の一途。昨年に至っては前年に比べて倍にも膨れ上がりました。窃盗などの軽犯罪は勿論、殺人などの重罪を起こした者も少なくありません。中にはレジスタンスに加わる不届き者もおり、先月のアクゼリュス監獄襲撃事件の容疑者グループも全てここの出身者であることが判明しております。以上です」
「ご苦労。いやぁ、これは由々しき問題ですぞ」
ルドガーがクックッと笑う。
「ただでさえセントラルとブラックスポットの溝は深いというのに……これ以上差別を助長させるようなことをして、他のコミュニティーやコロニーに何と仰るつもりですか」
マザーは何も言わない。反論できるはずがない。全て事実だからだ。
フォルトゥナは唇を噛みしめる。
「マザー。我々は貴方の勝手に、長い間目を瞑ってきました。……しかし、孤児院ごっこはもう終わりです」
立ち上がったルドガーが、小動物をいたぶるような目でマザーを見下ろす。
「しばらく我々は滞在します。その間にお返事をお聞かせください……あぁそうそう、私の寝首をかこうなどと考えないでくださいよ? 腕に自信のある部下を大勢連れてきていますので。私達だって手荒な真似はしたくないのですから」
――――……
〝ウィルス〟〝異常値〟〝変則値〟 『検索』
【第三コロニー】『正常』
【第四コロニー】『スキャン開始――…………』
――――……
フォルトゥナは腸が煮えくり返る感情を何とか抑えようと努力しながら、自室へ向かっていた。
ついに来てしまった。ルドガーは今までも武力を話の節々にちらつかせることはあったが、それでも実際に目に見える形で示してきたことはなかった。だが今回は大勢の部下を連れてきた。向こうも本気だということだ。勝ち目などあるはずがない。
だが、フォルトゥナが何よりも気に入らなかったのが――
「待て!」
後ろから声が追いかけてくる。無視して早足で階段を登り続ける。
「待ってくれ! おい――フォル!」
足を止める。懐かしい声で、懐かしい呼ばれ方に。
しばらく背を向けたまま沈黙。
フォルトゥナが口を開きかけ――出かかった言葉を止める。そして振り返り、階下の男を見下ろした。先ほど、報告書を手にこの孤児院出身者がどれだけ脅威かのたまった金髪の青年。
「……何? バートリー捜査官」
顔馴染みの、『元』友人を。
「……リンクでいい。以前のように――」
「統治局の方にそんな、恐れ多くてできませんわ。ねぇ?」
冷ややかな声にリンクの視線が床に落ちる。
「まだ、許してくれないのか……」
哀愁漂うその姿が、ますますフォルトゥナの癪に触った。
「今更こんなごみ溜めに何の用なの?」
「統治局としての仕事だ。君が思っているような理由じゃないんだ。最近この辺りで『ピエロ』や【HIVEMIND】といった月狂蟲ドーリィーが目撃されていて――」
「そんなのただの建前でしょう!? 本当の目的は私たちに睨みをきかせるため!」
フォルトゥナは感情を爆発させた。
「そんなにここを壊したいわけ!? あぁそうか! ここは第四コロニーの入り口だったんだぁ! ここを足掛かりにごみ溜めとそこに巣食う蛆虫どもを浄化できるもんねぇ!!」
「聞いてくれ! 君たちが思っているほど悪い話じゃないんだ!」
リンクが悲痛な声で反論する。
「ブラックスポットの住人の多くがなぜ犯罪に走ると思う? 環境のせいだ! 貧困などの問題を解決するためには今のままじゃ駄目なんだ! 我々が介入しないと――」
「私たちは自分たちで生きていける! 憐みや施しなんて反吐が出るわ!」
「それじゃ何も変わらない! それにここも壊すんではなく、建て替えるんだ! もっと広くてもっときれいな住まいになる! 建て替えの間は別のところで住んでもらうことになるけど……工事が完了すれば元通りにここでまた住める!」
「その約束を守る保証は!? セントラルの連中の言うことなんて信用できると思う!?」
リンクが口ごもる。
「ねぇ、リンク……あんたの言う『ここ』ってどこなの? 『ここ』は……この孤児院は私たちが暮らしてきた思い出そのものなのよ……行き場を失って流れ着いて、そして暮らしてきた。場所は同じでも、新しくできたそれには思い出なんかないのよ……!」
「分かっている! 分かっているさ! だが――」
「嘘よ! もうあんたは違う世界の人間よ!」
「何を言ってるんだ! 俺だってこの孤児院で暮らしてたんだぞ! 今だってここは俺の家だ! 君と同じだ!」
「私とあんたはもう同じじゃない! あの日、あんたがここから出て行った時から……!」
リンクがショックを受けたように固まる。
「裏切り者……っ!!」
フォルトゥナは背を向けると残りの階段を駆け上がる。
呼び止めるリンクの声が遠ざかる。でも聞こえる。確かに聞こえてくる。
無我夢中で廊下を走り、自分の部屋に飛び込むと、叩き付けるように扉を閉める。
息を切らしながら座り込む。リンクの声はもう聞こえない。
ふと、自分の手を見ると、握りしめた時に爪が食い込んだせいか、血が出ていた。
「…………痛い……」
フラフラと立ち上がると、倒れるようにベッドに仰向けになる。
いつもの無機質な天井が、今日はより一層冷たく自分を見下ろしている気がした。
――――……
〝変則値〟『検知』
〝異常値〟『特定』
【フォルトゥナ=クライアンレス】 《データと照合》
『不一致』
『消去』『消去』『消去』『消去』『消去』『消去』
〝最善手思考中………………パターン45〟『決定』
『連絡』
次話はグロ要素入るかもです