ネットアイドルミーヤ爆誕 and 初めての異世界訪問 side ミーヤ その1
階段の隙間から差し込む朝日がまぶしくて、私は目を覚ました。
路地裏で布一枚にくるまって寝ていた私は、上半身を起こした。周りには自分と同じように眠っている人達がいる。
私は寝ぼけた頭のまま昨日のことを思い出し、自分の体に目線を落とした。
私の体はまだ、きれいなままである。
昨日のタナカさんとの出会いは、きっと夢なんかじゃない。だってこんなにもはっきりと、タナカさんの顔を思い出せるのだから。
(でも……)
異邦人のタナカさんは、あまりに不思議な人すぎて今でも現実味が感じられなかった。おまけにそんなタナカさんの家の中は、見たこともない家具や調度品ばかり。一体何の素材でできているのかさえ、分からないようなものばかりでまるで別世界のようにさえ思えた。それこそ今日タナカさんの家を訪れてみると、もうそこにはなにもないのではないか、思ってしまうほどに。
私は起き上がり、まくら代わりにしていた服を身にまとった。
それから物陰に隠していた桶を手に取り、水を手に入れるため、共用の井戸に向かった。体と服を洗うのと、飲み水のためである。
井戸の場所に着くと、そこには見知った先約がいた。
釣瓶に繋がったロープを体重を使って必死に引っ張っているその子は、私の友達のサキちゃんであった。
「サキちゃん」
サキちゃんが釣瓶に入った水を桶に移しているとき、私は彼女に声をかけた。
「ミーヤちゃん……、ちょっと久しぶりだね」
「うん、そうだね」
サキちゃんは私を見て、ちょっと悲しそうな顔をした。彼女は私とお母さんが昔働いていた飲食店の看板娘で、よく一緒に遊んでいた。
そんな仲の良いサキちゃんが私を見てこんな顔をするようになったのは、私とお母さんが首になってからだった。
「……お母さんは、見つかった?」
お母さんがいなくなった時、私はサキちゃんの家にも探しにいった。だからサキちゃんは私のお母さんが失踪したことを知っている。
私は無言で首を横に振った。
「そう……、ごめんなさい、嫌なこと聞いて」
「ううん、いいの」
店を首になったあとも、私はサキちゃんとこのように井戸くみなどで何度か顔を合わせてはいたのだけれど、お母さんがいなくなってからは、私が家にこもっていたせいでずっとあっていなかった。そのせいなのか、更にサキちゃんとの距離が遠く感じる。
「……えっと、サキちゃんのお父さんとお母さんは元気?」
「……うん、一応」
サキちゃんの父親は自分の店がつぶれた後は、冒険者となった。
一方サキちゃんのお母さんは、お店の客のつてを使って近くの村で開墾の仕事をしているらしい。泊まり込みの仕事なんだと、サキちゃんは前に寂しそうに言っていた。
「……えっと、私、仕事の続きがあるから」
「う、うん」
サキちゃんは天秤棒に水がなみなみと入った桶を二つ通して、それを背中に担いだ。私より一つ年上で、少し身長も高いとはいえ、とてもつらそうでふらついていた。
サキちゃんは、ああやって水をくんで配ることで、手伝い料として僅かな賃金を貰っているらしい。お店のお客さんだった人たちに頼み込んで何件か、そういう約束をしてもらえたと言っていた。その他にもかつての取引先の人などを頼っては、毎日何か仕事がないか聞いて回っているらしい。
私は自分の桶をおいて、井戸のロープを引き始めた。
重たい。
でもサキちゃんは、これを何件もの水瓶をいっぱいするために、何往復もしている。
サキちゃんのお父さんもお母さんも、サキちゃん自身も、そこまでして必死に働いて、それでも食べるものが買えなくて困っている。
(いつになったら、終わるんだろう……)
まるで先の見えないこの不安は、どこまで続くのだろう。お父さんは昔、今だけの辛抱だと言っていたけれど、その今はいつまで続くのだろうか。
桶に水を汲み、水瓶をいっぱいにした私は、その水で口をうるおし、一息ついた。
タナカさんは、昨日と同じくらいの時間に今日も来てほしいと言っていた。なので日が一番のぼったくらいの時に向かおうと思う。
(お腹すいたな……)
椅子に座り、ぼうっと昨日のことを思い起こしていた。
(昨日食べたサンドウィッチ、おいしかったな……)
昨日食べたサンドウィッチの味が、まだ頭に残っていた。
タナカさんは、サンドウィッチを二つもくれたうえに、何も対価を求めなかった。でも、どうしてなのだろう。私に魅力を感じなかったから? でもそれなら、門前払いすれば済むだけの話である。
(ただのお金持ちの、気まぐれなのかな……)
タナカさんの部屋には、見たこともない魔道具がたくさんあった。だからきっと、ものすごいお金持ちなのは間違いないと思う。それに最近街にやってきたと言っていた。
(タナカさんのもとに訪れたのが、たまたま私が初めてだったとか……)
不安で胸が苦しくなった。
(大丈夫、今日からタナカさんのもとで働かせてもらうんだ。頑張って働いて、役に立てばきっと首にならない……)
私は嫌な考えを、必死に振り払った。
それから日がのぼりきるまで、私は体を清めて服を洗った後はただやることもなく過ごした。しかしその間も私の頭の中から、タナカさんの事が離れることはなかった。
タナカさんはどんな仕事をしている人なのだろうとか、私はどんなことを手伝わされるのだろうとか、私にできる仕事なのだろうかとか。気が晴れるときはひと時もなかった。
やがて日が昇ったのを確認し、私は出掛ける準備をしてから、タナカさんの家に出向いた。
昨日と同じ道を歩いてゆくと、タナカさんの家は昨日と同じ所にきちんとあった。
玄関前に立った私は、不安と覚悟を胸にノックした。
「あの……、タナカさん、ミーヤです」
「はーい、今開けるのでちょっと待って下さい」
返事はすぐに帰ってきた。間違いない、昨日と同じ声だった。
ガチャリという音がして、扉が開くとそこにはタナカさんが立っていた。
「こんにちは、今日はその、よろしくお願いします」
タナカさんの恰好は昨日にもまして風変わりだった。鮮やかだけれど見たこともない生きものの絵が描かれた服を着ている。
タナカさんが、足をふくためのタオルを渡してくれたので、恐縮しながらも使わせてもらった。それから部屋に上がらしてもらい、促されるがまま椅子に座った。
「あの、今日はミーヤさんにやってほしいことがあるんです」
机を挟んで向き合うように座ったタナカさんは、早速切り出した。
(仕事の話だ)
なんでもまかせてください、そういう思いを込めて私は頷いた。
「まあ、とりあえずこれ、今日の昼食です」
タナカさんは机の上に置いてあった白い袋の中から、食べ物の入った透明なふたつきの容器と、細い紙袋に入った茶色い棒をとりだし、私の前に置いた。
食べ物の容器の中には、お米と、野菜、そして大きなお肉がいくつも入っていた。しばらく食べていなかったお肉を見て、喉がごくりとなった。
「あ、ありがとうございます。本当にありがとうございます」
お礼を言う。しかしそこで、食べるためのフォークがないことに気付いた。代わりにおかれているのは、よく分からない紙袋に入った棒。もしかして、これで食べるのだろうか。
「とりあえず、食べながらでも聞いてください」
「はい……、あの、この袋に入った棒はなんですか」
「割り箸ですけど……あ、もしかして箸って知らないですか?」
聞いたことがない。
「箸? すみません、見たことがないです……」
「ごめんごめん、えっと……フォークでいいですか?」
「あ、はい、お願いします」
タナカさんは棚からフォークを取り出し、私に手渡ししてくれた。それは貴族さまが使うような、金属のフォークだった。
昨日使っていたガラスのコップと言い、どれほどのお金持なのだろうか。
私はフォークを受け取り、食べ物の容器の透明な蓋を外した。そしてそのおいしそうなお肉をフォークで刺し、口に運んだ。
口いっぱいに、肉のうまみと香ばしい香りが広がった。
「おいしい……」
一体何のお肉なのだろうか。とっても柔らかくて、甘い。きっと一般には出回らない、珍しい魔物のお肉なのだろう。
「それでなんですけど」
「はい」
タナカさんが話しはじめたので、私はフォークをおいた。
そうだった。今はタナカさんとお仕事の話をしている最中であった。
「えっと今日はミーヤさんに街を案内してもらおうと思います」
「案内ですか?」
「はい、実は私は最近街にこしてきたので、あんまり街のことをよくしらないのです」
「なるほど……、それで案内ですか」
「はい、それで街の事がある程度わかれば、なにかこの街で商売でもできればなぁと……」
「商売をするんですか?」
もしかしてタナカさんは商人なのだろうか。そうだとすると、私にタナカさんのお手伝いが務まるだろうか。私は頭もよくないし、お金の管理もできない。
私は不安になった。
「あ、いや、予定であり未定です。上手くいくかわからないので、たぶんです……。それと、街の案内もしてもらいたいのですが、本日はその前に、あることをしてもらいたいです」
「あること、ですか……」
なんだろう、私にできることならいいのだけれど……。
「……いやぁ、実を言うと、そのミーヤさんにあげている、昼食代っていうのも、その、毎日だと安くないんですよね……」
タナカさんはそんなことを言った。
私は一瞬タナカさんが何の話をしているのか分からなかったけれど、言わんとしていることに気付き、顔から血が引くのが分かった。
つまりタナカさんはきっと、きちんと仕事をしないと雇うのを止める、と言っている。
「いや、大丈夫なんですよ、全然。でもその、ちょっと手伝ってほしいことがあるんですけど」
「はい、なんでもします!」
タナカさんに今見捨てられたら、今度こそ私は野たれ死ぬしかないだろう。だから、何が何でも頑張らなくては。
「そう? いやあの簡単なことですよ、ちょっとミーヤさんの姿を動画でとらしてもらうだけ」
「動画?」
聞きなれない言葉だった。
「動画っていうのは、まあようするになんていうか、動く絵みたいなものです」
「動く絵? 絵が動くんですが?」
自分の描いた絵が動くのを想像してみて、おもしろそうだなと思った。魔法だろうか。
「そう。動く絵を描く道具を私は持っているので、それを使ってミーヤさんの動く絵を書かしてもらって、たくさんの人に見せたいんです」
つまり、魔道具で私の動く絵を描きたいので私にモデルになってほしい、ということでいいのだろうか。なんだか拍子抜けした気分だった。タナカさんの口ぶりから、もっときつい仕事を言い渡されるのかと思ったのに。
それにしても、そんな聞いたこともない魔道具を持っているなんて、やっぱりタナカさんはものすごいお金持ちである。
「そんな魔道具があるんですね……、でもそれでどうやってお金を稼ぐんですか?」
私などをモデルにして、何の得があるのだろうか。
「まあそこは私に任せてください、いいですかね?」
私はよく分からないけれど、とりあえず頷いた。きっとタナカさんには、私も思いつかないようなすばらしい案があるのだろう。とりあえず今はあまり考えずに、タナカさんの役に立てるように仕事を覚えないと。
……そう思ったのに早速食後、タナカさんに私の分の片付けまでさせてしまった。
「ごめんなさい、タナカさん」
「いやいや、全然気にしないでください」
タナカさんはそう言ってにこやかにフォークと二人分のコップを流しで洗っている。
食べ物が入っていた蓋付きの食器は、なんとタナカさんがそのままゴミ箱に捨ててしまった。タナカさん曰く、あれは使い捨てのものらしい。
(ちょっとびっくりしたけれど、それも覚えないと。そして次からは後片付けは私がしなきゃ!)
私はタナカさんの様子を見て勝手を覚えながらそう誓った。
あと、とってを回せばお水がでる魔道具ってなんて便利なのでしょう。
そして洗い物も終わり、いよいよ動画という仕事が始まった。
「動画をとるためにはまず、ミーヤさんには身をきれいにしてもらい、ある服に着替えてもらう必要があります」
タナカさんはそう言って私を奥の部屋へと招いた。
その部屋は、一面が真っ白で統一された浴室だった。浴室つきの宿はいくつか知っているけれど、個人の家にある浴室をみるのは初めてだった。
つるつると滑る床の上に立った私は、タナカさんからシャワーというものを手渡された。
タナカさんに、これで体を洗って下さいと言われたけれど、そもそもシャワーとは何なのか分からない。その旨を伝えると、タナカさんはその使い方を丁寧に説明してくれた。
タナカさんが、シャワーとつながった出っ張りの部分をひねると、シャワーの先から水がわき出てきた。おまけにその水はとても温かかった。
なんと、シャワーとはお湯の出る魔道具だったのである。おまけにタナカさんにそのお湯で、体を洗うように勧められた。
お湯で体を洗うのなんていつ振りだろう。
誘惑に負けた私はタナカさんの好意に甘えて、シャワーを使わせてもらった。
お湯が垂れ流しになっているというもったいなさに戦慄しながらも、温かいお湯の出るシャワーは最高だった。気持ちいい。
なるべくすばやく全身を洗い流した私は、言われた通りに、シャンプーというもので頭と体を洗い、泡立ったそれをお湯で流した。それからお湯を止めて、浴室を出る。浴室の前の台の上には体をふくタオルの他に、タナカさんがぜひに着替えてほしいと言っていた、真っ黒な服がおかれていた。
(えっと、これを着ればいいの?)
折りたたまれたそれを広げてみると、どうみてもタナカさんのもので、自分にはあわない。おまけに上の服だけで下の服がない。
私は戸惑ったものの、とりあえず着てみることにした。体を布でふいたのち、それを着てみる。服が大きいので、一応太ももあたりまでは隠れた。
隠れはしたのだけれど、やはり下を履いていないというは少し恥ずかしかった。
私はすこしためらったけれど、トイレの戸をたたいた。
「あ、あの、着替えました。でも、これ……」
「大丈夫、大丈夫」
タナカさんがそんなことを言いながら、戸をあけてでてきた。そしてじっと上の服一枚の私を眺め、満足そうにタナカさんは頷いた。
「完璧です」
「でも、これ、大きいです。それに……」
「いえ、完璧です。それでいいんです。それでは早速撮影に移りましょう」
タナカさんはそう言って、なにやら準備を始めた。ベッドの前で三脚を組み立て、その三脚の上になにやらよく分からない黒くて四角いものを設置している。あれが動く絵をとるという魔道具なのだろうか。
あと『サツエイ』という単語も聞きなれなかった。
魔道具の一部をじっと凝視して、三脚の方向の調整をしているタナカさん。その表情は真剣そのものだった。
(そうだ、これは仕事だ……)
恥ずかしいなど言っている場合ではない。ここでちゃんと、タナカさんの役に立てるのだということを証明しないと。
「ミーヤさんはとりあえずベッドのこのへんに腰掛けてください」
「はい」
言われた通り、ベッドに座る。お尻がベッドに沈んだ。
「とりあえず一度練習をしてみましょう」
「えっと、私は何をすればいいんですか?」
「私の質問に答えてくれれば大丈夫です」
タナカさんはそう言って、棚から何かをとりだした。
「えっと、私がここにミーヤさんへの質問を書くので、ミーヤさんはそれにこたえてください」
タナカさんの言葉に、私はどきっとした。私は、文字が読めない。
「あ、あの、すみません、私文字は読めないです……」
私は申し訳なさと、役に立てないことへの恐怖で、苦しくなった。
おそるおそるタナカさんの表情をうかがう。しかし特段タナカさんは怒っているようにはみえなかった。
「では、普通に私が声を出して読みます。本番では声は出さないので、なるべく覚えてください」
「は、はい、頑張ります」
今度こそ頑張ろうと、私は意気込んだ。
「ではいきます。お名前を、教えてください」
「えっと、ミーヤと言います」
「趣味はなんですか」
「お料理が得意です」
「とっても、かわいいですね」
「あ、ありがとうございます」
「それに、その猫耳としっぽ素敵ですね」
「あ、ありがとう、ございます?」
えっと猫耳って何だろう。たぶん私の耳の事を言っているのかな?
「その猫耳としっぽ、近くで見てみてもいいですか」
「あ、はい、いいですよ」
タナカさんが三脚の上の魔道具を持って、近づいてくる。そしてその魔道具ごしに、私の猫耳を近くから凝視し始めた。
なんだかタナカさんの目を見ているのが恥ずかしくて、私はうつむいてしまった。
「次は尻尾が見たいので、たって後ろを向いてもらってもいいですか」
「は、はい」
言われた通りに立ちあがり、後ろを向く。お尻のあたりに感じるタナカさんの視線がむずむずとした。
「ミーヤさん、このときは、両手で服の裾をつかんで、あと尻尾は少し揺らせたりできますか」
「はい」
(尻尾なんて揺らしてどうするのだろう……)
何故こんなことをするのだろうと思いながらも、私はタナカさんの言いつけどおりにした。
「ありがとうございます、もうこちらを向いて座ってもらっても大丈夫です」
タナカさんのほうを向き、ベッドに腰掛ける。
「この動画を見てくれている人にむかって、「みんな、よろしくお願いしますにゃ」と可愛く言って下さい」
「え……、えっと、み、みんな、よろしくお願いします、に、にゃ?」
「もう少しスムーズに、あと表情も柔らかくお願いします」
「よろしくお願いします、にゃ」
「よろしくお願いしますと、にゃの間に一拍置かないでください」
「よろしくおねがいしますにゃ」
「にゃの部分は気持ち、声を上げる感じで」
「よろしくおねがいしますにゃ」
「素晴らしいです、これで完成です」
満足そうに頷いているタナカさん。対して私は戸惑っていた。
(え? これだけ?)
ちょっとの間私は立ったり座ったりしていただけである。いつの間に動く絵を描いていたのだろう。それにやっぱり、こんなことして何になるのか不思議で仕方なかった。
「では、本番をいきましょう。口パクで先ほどと同じ質問をするので、同じように答えてください」
頷く私。絵なのに私がしゃべる理由もよく分からない。タナカさんに対する謎は深まるばかりだった。