ロリータコンプレックス side アンナ
side アンナ
「あの、ミーヤさん」
オリバー殿の店での試食会が終わり各々が次の支度をする中、タナカ様は真っ先にミーヤに話しかけられた。
給仕のお手伝いをしていたミーヤを、タナカ様が席から立ち上がって呼びとめられた形である。
私はタナカ様から少し離れた斜め後ろで、じっと控える。どこかそわそわとしていらっしゃるタナカ様の様子を見ていると、心がざわつく。
ミーヤの告白をタナカ様がお受けになったと聞いてから、その激しさは増すばかりであった。
「はい、何でしょう」
微笑みを浮かべながらタナカ様を見上げるミーヤ。
ミーヤはタナカ様からネックレスを頂いたというが、どんなものなのだろう。ふと、そんなことを思った。
「え、えっと……その、ミーヤさん。次の休日、時間空いていませんか?」
「はい、大丈夫ですよ」
タナカ様が尋ねられ、ミーヤが答えた。
「なら、その……買い物に行きませんか?」
タナカ様はそう仰った。
それなら、私がシューベルト家御用達の店を紹介できる。
私は一歩、二歩とタナカ様に歩み寄った。
「タナカ様、それでしたらぜひとも店の紹介は私にお任せ下さい。一流の店を紹介させていただきましょう!」
どんなものを御所望でも、必ず用意させましょう。私はそう心の中で宣言した。
タナカ様とミーヤがこちらを向く。
しかし私を見るタナカ様は一度目を瞬かせ、それから目線を下に切られた。
「ありがとうございます。でも、その、それはちょっと……その、ミーヤさんと、二人で行きたい用事でありまして……」
そう言って曖昧に笑い、頬を掻かれるタナカ様。その顔はわずかに熱を帯びていらっしゃった。
(二人で、ということは私はついて行けない……)
また、心がぐらついた。
大きな動揺が胸中に広がる。
「そ、そうですか。出過ぎたまねをいたしました……」
私は何を焦っているのだろう。自分でもよく分からない。
私はタナカ様の騎士。騎士なのだ。
「買い物って何を買うんですか?」
ミーヤがタナカ様に尋ねた。
「それは、えーっと、洋服とか、小物とか……その一緒に色んな所を回りたいなって……」
「え、それって……は、はい」
タナカ様がミーヤに説明し、それを受けてミーヤは顔を赤らめて頷いた。
そんなミーヤを見て、タナカ様は更に頬を緩ませられた。その顔はとても嬉しそうで、幸せそうに見えた。
「あ、あの、タナカ様!」
私は叫んでいた。
タナカ様とミーヤが少し驚いた様子でこちらを振り返る。
私はタナカ様の騎士だ。
だから誰よりも、タナカ様のお傍に使えたい。
タナカ様の、一番頼られる存在でありたい。
だから……
「その……」
だから……私も……。
「お待たせして申し訳ございませんでした」
その時、背後から女の低い声が響いた。
それによって私は、はっと現実に引き戻される。一体私は今、何を言おうとしていたのだろう……。
呆然とする私の横に、母の長身が並んだ。
「タナカ様、こちらの魔亀車の準備も整いました」
笑顔で述べる母。肩越しに振り返ると、母の後ろに弟のノアも立っていた。
「あ、了解しました」
そう仰るタナカ様。それからタナカ様は再度、私に目を向けられた。
「それで、アンナさん。何でしょうか?」
「い、いえ。何でもございません。失礼しました!」
私はそう言って慌てて頭を下げた。
そうだった。
私達はこれからタナカ様の秘密を伝えるために、タナカ様のお住まいに戻るところであった。
重要な任務が残っているのに、気を乱していてはいけない。
幸い、タナカ様に訝しく思われることはなかった。
タナカ様がミーヤに別れの言葉をかけられた後、クロエを含めた私達五人は店を後にする。
店の外に出た私はタナカ様を魔亀車にエスコートし、自らは御者の横に乗った。
そして母と弟、クロエの乗った魔亀車を引き連れて、来た道を戻っていくのであった。
――
タナカ様の住居の前に戻ってきた。
魔亀車が停車してから、私はすばやく横に回って扉を引く。
タナカ様が降りられてから扉を閉めて、私は後ろに控えた。
「ここが私の家です」
タナカ様が母と弟とクロエにそのように紹介され、私達三人を案内して下さった。
タナカ様が玄関の鍵をあけられ、私が扉を引く。
最後にあがらせていただいた私が扉を閉めたその時、扉の外で風が吹く音が聞こえだした。
音を遮る、風の魔法である。
「ほう、これは……すばらしい調度品の数々ですね」
部屋にあがった母は、辺りを見渡してそう呟いた。弟やクロエのノアも同じく含みのある顔で、部屋の家具などを見ている。
タナカ様のお部屋の内装は、その狭さも含めて家の外観と差が大きい。そこに三人とも少々驚いたのだろう。
「ありがとうございます。狭くて申し訳ありませんが、話はすぐに終わりますので」
部屋の隅に立たれたタナカ様は振り返り、我々の方に向かってそう仰った。
「いえいえ、とんでもない。それで、内密のお話とはな何なのでしょうか?」
御謙遜なされたタナカ様に対して、母が尋ねる。
「それは……私の正体についてです」
タナカ様の言葉を受け、一番扉の付近に立っていた私は思わずノアとクロエの後ろ姿を注視してしまった。
私がタナカ様に騎士の誓いを捧げようとしたことにあれほど憤慨した弟や妹は、タナカ様の話に何を思うのだろうか。ふと、そんなことを思った。
「正体ですか?」
「はい、実は私……ちょっと変わった境遇というか出身の人間でして」
頬を掻きながら御答えになるタナカ様。
「ほう。遠方の出身なのですね」
「ええ、まあ」
母の言葉に、タナカ様は頷かれた。
「ただ出身について、私の口から言っても中々信じずらいと思います。なので代わりにある方をお呼びしました」
タナカ様はそう仰り、テーブルの方を向かれた。
そして事前の打ち合わせ通りに、語りかけられた。
「精霊様、出てきてくださいませんか?」
タナカ様が精霊様をお呼びになられた。
私はその言葉を聞いて、即座にその場にかしずいた。
「どうもですー」
「「っ!」」
精霊様の御声が響く。
一呼吸遅れて、母と弟と妹の息をのむ音が聞こえる。視界の隅で彼等もまた跪くのが見えた。
精霊様が御降臨なされたのである。
「ダークエルフ達よ、面をあげるですー」
許しを得て顔をあげると、テーブルの上に一人の大精霊様がおられた。そしてそのテーブルの横で立っておられるタナカ様。
大精霊様は、続けてこう仰られた。
「お前達は、賢者の護衛を務めていたダークエルフの末裔です?」
「はっ! わたくしは賢者様の護衛役を務めさせていただいていたリーラ・シューベルトの末裔、ミルフォード・ライカ・フォン・ダクス・シューベルトにございます!」
「同じくミルフォード・ノア・フォン・ダクス・シューベルトにございます」
「同じくミルフォード・アンナ・フォン・ダクス・シューベルトにございます」
「同じく、ミルフォード・クロエ・フォン・ダクス・シューベルトにございます」
母に続き、三人とも名乗った。
すると精霊様は一度頷かれた。
「うむ、それではえーと……、アンナ・フォン・ダクス・シューベルト」
「はっ!」
「この者達に、事の説明をするです」
「畏まりました!」
事前の予定通り、精霊様は私に任せてくださった。
私は喜びに震えながら立ち上がり、タナカ様の側に立った。そして驚きで目を見開いている三人を見下ろして、言った。
「大精霊様とタナカ様に変わり、私が説明させていただきます。まずはこちらにおわせられるタナカ様ご本人とこの部屋には、大精霊様により精霊の加護が授けられております」
私がそう言った瞬間、三人はまさしく目をむいた。
「ばっ、バカな!」
そのような不敬な言葉を発したのはノアだった。
大精霊様やタナカ様の御前で、バカだと? 思わず怒りがわいた。
「口を慎め、ノア。貴様は大精霊様よりまかされた私の言葉を、否定すると言うのか?」
ノアよ。この前の拉致事件でお前が、私の精霊様における信仰心を内心でどのように思っているかはなんとなく分かった。
腹立たしくはあるが、肉親という関係故それも許そう。
しかし、いくら肉親でも大精霊様を侮辱することは絶対に揺るさん。
「い、いえっ。そのようなつもりはございません。不敬をお許しください!」
額に汗を浮かべて、面を下げる弟。
代わって口を開いたのは、今だ驚愕の色を隠せていない母だった。
「発言してもよろしいでしょうか?」
母が私を見上げてそう言った。
「なんでしょう」
「恐れながら。精霊の加護というものは、あの賢者様に大精霊様が授けられたという伝説の加護のことでしょうか」
「その通りです」
私は頷く。
母の瞳孔は開き、床にのびた右腕がかすかに震えていた。
「精霊の加護は、異世界からの来訪者にのみ与えられると聞いております。ということは、つまり……」
「ええ、その通りです」
私は再度頷いた。
「タナカ様は、賢者様と同郷の御方にございます。そしてこの場所は、私達の世界と異世界をつなぐ架け橋なのです」
私がはっきりとそう言った。
その一言は、まるで静寂な森に響き渡った言霊のように響いた。
瞳孔を開き切った母の口角が、ゆっくりとあがってゆく。そして口を開いて、まるで窒息寸前のような声にならない声をもらした。
母の目線がテーブルの上の大精霊様に向けられた。
「その通り、タナカは僕達の友達ですー。それとこの部屋のことも保障するですー」
大精霊様は頷いて、そう仰られた。
その一言で、母の震えが止まった。目を見開いたまま、固まっている。
「アンナよー」
「はっ!」
大精霊様に御声をかけていただき、私は体を横に向けた。
「これでもう役目は果たしたはずですー。あとは任せるです」
「はっ! お任せ下さいませ」
精霊様の命を受け、私は深々と頭を下げた。
数秒してから頭をあげると、テーブルの上に大精霊様の御姿はなくなっていた。
精霊様から任された命を遂行せんと、私は再度母と弟と妹の方を向く。
「三人に大精霊様からの命を言い渡します」
目を見開いてこちらを見上げる二人に、私は告げた。
精霊様の命と聞いて、ようやく口を結んで聞く姿勢を取り戻した。
「タナカ様が賢者様と同郷であることや、精霊の加護を授かっていることは、何人にも言ってはなりません。これは私達だけの秘密です」
「「「ははっ!」」」
二人は深く頭を下げた。
これにて、精霊様の命はおしまいである。
「……以上です。これがタナカ様が御二人にお伝えしようとしていた秘密です」
私がそう告げると、沈黙が訪れた。まるで張り詰めていたものがそのまま停滞して固まったかのようである。
無理もない。まさか賢者様と同郷の存在がこの世界に御降臨なされるなど、これほどの奇跡は二つとないだろう。
茫然としている弟と妹。
そしてその横で母は再び体を震わせていた。口元からは抑えきれない笑みが漏れ、鼻息も荒くなっている。その次の瞬間、感情を爆発させた。
「タナカ様!」
母が腰を浮かせてタナカ様の前ににじり寄ったのである。
母は跪き、タナカ様を見上げてしゃべりだした。
「御身の真の御姿を知らなかったとはいえ、今までの不遜な態度、誠に申し訳ございませんでした!」
「い、いや、大丈夫ですよ。そんなに謝らなくても」
母ににじり寄られ、タナカ様が困っていらっしゃる。
「わ、私も、今までの態度、まことに申し訳ありませんでした」
クロエもまた、タナカ様の前に出て、頭を床にこすりつける。
それを見て、私はすかさず間に口を挟んだ。
「お母様、クロエ、タナカ様は心の大きなお方です。なので今までのことは……」
「今後はいつ何時でも、御用のときは私にいいつけてください。私がタナカ様の剣となりましょう!」
母は私の言葉など聞く耳も持たず、タナカ様に向かってそう言う。
私は少々、母の態度を不快に感じた。タナカ様の騎士は私である。
そこに、ようやく立ち直ったらしいノアが口を挟んだ。
「ところで、タナカ様は何故今になって、この秘密を我々に打ち明けて下さったのです?」
ノアは落ちついた口調で、タナカ様に向かってそう尋ねた。
タナカ様の視線が、母から弟の方へと移行する。
「え、ああ。それは先日、私が秘密にしていたせいで色々あったので……」
「なるほど。姉さんが、騎士の誓いなどを口走った理由もよく分かりましたよ」
ノアは頷いて苦笑を浮かべた。
そうかノアよ、分かってくれたか。ならばもう一つ大切な事実を教えておこう。
「私はもうすでにタナカ様に、騎士の誓いをたてております」
ノアに向かって、私はそう言った。正確には、弟と母に向かって言ってやった。
苦笑を浮かべたまま小さく頷いているノアに対して、母が目を大きくして私を見た。
「なに? それは本当かアンナ?」
「ええ、もちろん」
大精霊様に誓って、私はタナカ様の騎士である。
「ちなみにタナカ様、この秘密は我々の他にあと誰が知っていますか?」
睨みあう私と母の横で、弟がタナカ様にそう尋ねた。その表情は真剣である。
「ええっと、他にはアンナさんの部下の人達だけだと思います」
「そうですか……」
なにやら跪いたまま俯いて考え込むノア。
「えっと、とりあえず色々聞きたいことがあると思いますので、座って話しあいませんか?」
そんなノアを見て、タナカ様は椅子を勧められた。
それから我々はテーブルを囲んで、話し合いをすることとなった。
席に座った弟が主となり、向かいの席のタナカ様に色々と尋ねる。
私はタナカ様のお傍に立ち、母とクロエは二人の間でベッドに腰掛けていた。
弟は様々な事をタナカ様に尋ねた。この世界にやってきた経緯、この部屋のこと、異世界を渡る方法、そしてタナカ様のこれからの野望などを。
私はタナカ様が少々言葉に困られたときなど、僭越ながら説明を補足させていただいた。
「つまり、私達の世界へと通じる扉を見ることを出来る異世界の人は、おそらくタナカ様だけであると」
「ええ」
ノアが尋ね、タナカ様が頷かれる。
「では精霊様がタナカ様のことを秘密にするように仰ったのは何故なのでしょうか?」
「それは、私がそうしてくれるように頼んだからです」
ノアの質問に、タナカ様はそのように答えられた。
それは私も初耳だった。
「ふむ……ということは、目立たぬようにしているのはタナカ様の御意志であると?」
「ええ」
肯定するタナカ様。
タナカ様はあまり金や権力と言うものに頓着されない。短い間ではあるが傍につかえさせていただいた私は、そのように感じていた。故に目立たぬようにしているのも、権力に目をつけられないためなのだろうと思っている。
私はそんなタナカ様の無欲さも、とても尊敬していた。
「そうですか。それは素晴らしい御考えだと思います」
ノアはそう言って、微笑みを浮かべた。
察するに、おそらく本心からそう言ったのであろう。
そしてそのノアの横で、母が頬をピクリと痙攣させたのを私は見逃さなかった。
「ほう、それはどういうことなのだ? ノア」
母が弟にかみついた。表には出していないけれど、母から怒気を感じる。おそらく母は本心では、タナカ様の威光を全世界にとどろかせたいのであろう。
そんな母を弟は一瞥し、それからため息を吐いた。
「恐れながらタナカ様は、ガリアやルービニアという隣国のことを御存じでしょうか?」
ノアはタナカ様にそう尋ねた。
それに対して、首を横に振られるタナカ様。
「それらの国は、実は我が国と昔からあまり仲が良くないのですが……」
「畜生にもおとる屑どもなのです、奴らは」
ニ国について説明しようとしたノアの横から、母が口を挟んだ。
あまりにも口汚い。しかし正直私も、それらの国々の為政者に対する印象は悪かった。
「それらの国では政治をつかさどるものが、賢者様を悪魔などと侮辱しています。残念なことに賢者様の御威光を、恩知らずにもそれらの国は忘れてしまったのです」
そう。母の言うとおり、かの国々は賢者様に対する信仰を忘れてしまっている。
それどころかあまつさえ奴らは、賢者様を悪魔などと呼んでいるのである。
「あの、どうして賢者様を悪魔だなんてその国は呼ぶんですか?」
私がふつふつと怒りを湧きあがらせていると、タナカ様が不思議そうに尋ねられた。
「根も葉もない戯言にございます」
タナカ様の質問に、母はそう答えた。
「ガリアやルービニアという国々は、賢者様が御隠れになった時に起こった反乱によりできた国々なのです。反乱の中心に立ったのは、賢者様の命を狙った不届きものの女達の子孫や血縁などでした。それらの者達が、ガリアやルービニアという国々の中枢にいるのです」
「そ、そうなんですか」
拳をきつく握りしめる母を見て、こくこくと頷かれるタナカ様。
もしや同郷の賢者様を否定されてお怒りになられるかもと予想したけれど、全くそんなことはなかった。
タナカ様は少し、ひきつったような笑みを浮かべられている。
そこで、弟が咳ばらいをした。
「話を戻させてもらいます。ともかくお母様は仰った理由により、それらニ国の中枢には賢者という言葉に過剰反応を示すものも少なくないのです。故に下手にタナカ様が賢者様と同郷で同じ力をお持ちであるなどと言えば、戦争になりかねません」
「なるほど」
タナカ様はノアの言葉を聞いて、深く頷いておられた。
私もノアのいうことには納得できた。ただでさえ魔王討伐後の天変地異により、それらの国々と我が国の間では緊張状態が高まっているときく。
私としても、両国の市民の血が流れるのは避けたかった。
「ふん、何を弱気な。戦争でタナカ様の御力を思い知らせてやればよいのです」
母は不満げにそう言った。
「……まあ、もちろんタナカ様がそれをお望みならば、それに従うより他はありませんが」
母の言葉を受け、ノアはそう言ってタナカ様を見つめる。
するとタナカ様は、顔を青白くして首をぶんぶんと横に振った。
「いやいやいや、戦争はごめんなさい」
タナカ様はそう仰られ、私は内心ほっとした。




