ロリータコンプレックス その2
自室のテーブルを挟んで、俺とミーヤは向かいあって座っていた。
「で、では、ミーヤさんとは清く正しい交際をさせていただくということにしまして」
「はい……」
お互いに目を合わすことすらままならなかった。
初めてのお見合いがあれば、こんな感じなのだろうか。
「それと、もちろん、その、愛人ではなく、恋人として……」
「は、はい」
『恋人』という言葉を発するだけで、耳が熱を持つ。
ともかく、付き合うのなら、ミーヤとは誠実に付き合いたい。
「で、では、今日はこれで失礼します」
ミーヤが少し慌てた様子で立ちあがった。
俺も「はい」と頷いて立ちあがり、ミーヤの後に立った。
「そ、それでは、タナカさん。また、午後によろしくお願いします」
「は、はい」
扉を開けて、玄関先で振り返ったミーヤが俺に向かって丁寧におじぎをした。
顔をあげたミーヤと目が合い、ぎこちなくも笑みをこぼす。ミーヤもピンクがかった頬を緩めて一瞬微笑んだ。
それから踵を返して、来た道を帰ってゆくミーヤ。
その背中を俺は熱に浮かされたまま、ぼーっと眺めていた。
「……あの、タナカ様」
その声で、俺は我に返った。
俺に声をかけたのは、玄関の扉を外から支えてくれていたアンナさんであった。
アンナさんは俺を見て、去りゆくミーヤの背中を振り返り、そして再び俺を見つめる。その顔には少しだけ不安のようなものがうかがえた。
「あの……、ミーヤとはどのようなお話をなされたのですか?」
「それは……」
アンナさんのその問いに対して、俺は言葉に詰まった。
思い出すだけでも顔が熱くなる。
俺が窮していると、アンナさんははっと頭を下げた。
「も、申し訳ありません。さしでがましいことを聞いてしまいました」
「い、いえ、大丈夫ですよ」
ミーヤのネックレスに答える宣言をアンナさんも聞いているのだから、気になって当然だろう。
結論を言うと、俺はミーヤと付き合うことに決めた。ロリコンといわれようが、あのミーヤの魅力にはあらがえなかった。もちろん愛人などではなく、恋人として大事にするつもりである。
「えっと、その、とりあえず……清く正しく、はい」
俺は俯き、頬をかきながらそう言った。
言いながら、なんというロリコン野郎なのだろうと思う。
でも、嬉しかったのだ。
「そ、そうですか……」
顔をあげると、同じく顔をあげていたアンナさんと目が合う。引かれただろうかと、胸が苦しくなる。
そして無言の間が生まれた。何かをつかもうとしてつかめないような、もどかしさが流れる。
気まずくて、俺は家の中に引っ込むことにした。
「それでは、また午後に」
そう言って、ドアノブに手をかける。そして扉を引こうとしたが、動かなかった。
見ると、扉の鍵の少し上あたりを、アンナさんの手がつかんでいた。
「……あの、タナカ様」
顔をあげると、アンナさんと目があった。
「その、私の母や弟、妹に、いつ秘密を打ち明けましょうか?」
アンナさんは唐突にそう言った。
「え? 何の事ですか?」
「タナカ様の秘密についてです。先日、私の母と弟、妹と、そして部下達に打ち明けてもよいと仰ってくださいました」
アンナさんの言葉を受けて、俺はようやく合点がいった。
確かに先日、俺はアンナさんに対して、俺の正体をアンナさんの母や弟や妹、そして部下達にばらすことを認めていた。
「部下達には納得させませた。しかし母や弟、妹には、タナカ様が賢者様と同じ異世界の存在で、精霊様達の加護を受けているなんて、とても私の言葉だけでは信じてもらえないかもしれません」
アンナさんが言う。
確かに、その通りかもしれないと思った。
「なので、タナカ様の御協力をお願いいたしたいのです」
「なるほど……」
俺はドアノブから手を離し、立ちつくしたまま考えた。
確かに、異世界からやってきたなんて人間だなんて証拠もなしに信じられるようなことではない。ただ、それはアンナさんどころか本人である俺が言ったところで、狂人であると思われるだけだろう。
だからここは、もっと疑いようのない証拠を提示する必要がある……。
俺はそこで、あることをひらめいた。
「例えばですけれど、大精霊様達に私が精霊の加護を持っていることを証言してもらえれば、それは私が精霊の加護を持っている証拠になりますよね?」
おそらく、これ以上の証拠はないと自分でも思う。
「もちろんです」
アンナさんは力強く頷いた。
「なら証言してもらいましょう」
「可能なのですか!? 大精霊様は殆ど人前にその御姿を現しませんが」
アンナさんは目を瞬かせて驚いていた。
「まあ、やってみましょう。ちょっと家にあがってください」
俺は頷いて、アンナさんに手招きをした。
アンナさんに部屋にあがってもらい、扉の鍵を閉めてもらってから、俺は部屋全体に呼びかけてみた。
「精霊さん、いませんかー」
部屋の隅でアンナさんと横に並んで立ったまま、反応を待つ。
しかしながら、十秒ほど待っても、何も反応はなかった。
「どうやらいないみたいですね」
「そうですか……」
俺がそう言うと、アンナさんはちょっとがっかりした様子だった。
しかし精霊が部屋にいなかったとしても、俺にはもう一つ秘策があった。
「ちょっと待って下さいね」
俺はそう言って、レンジや炊飯器の置いてある棚の前に行き、一番下の引き出しを開いた。そしてそこから、お菓子『とんがり○ーン』の箱をとりだした。
興味深そうに俺の手にあるスナック菓子を見つめるアンナさんを横目に、俺は箱と中の袋を開ける。
そして、中の円錐型のお菓子を一つつまんで、口の中に放り込んだ。
おいしい。
「何食べているですかー」
「僕にもちょうだいですー」
「僕もー」
思った通り、下から声が聞こえてきた。
見下ろすと、足元に色とりどりの花弁を纏った大精霊達が群がっていた。
大精霊の登場に気付いたアンナさんが、慌てて膝をつけて頭を下げる。
俺は足元にしゃがみ、とんがりコー○のお菓子をたくさん掌に載せて大精霊達の前に差し出した。
以前彼ら大精霊は、俺がおいしいものを食べるときと外出するときは、自分たちに知らせるように部下の精霊達に言付けている、と言っていた。
それで今回も、現れたのだろう。
「大精霊さん」
夢中でとんがりコー○にかぶりついている、大精霊達に俺は話かける。
「あとでおいしいティラミスを御馳走するんで、ちょっと私が精霊の加護を持っていることをある人の前で証言してくれませんか?」
「任せるですー」
「やらいでかですー」
「おいしいですー」
楽々と丸めこむことができた。
それから俺はアンナさんと精霊と輪になり、いかにして精霊の加護のことを打ち明けるかの算段を付けはじめた。
――
傷つけたくないなんて言っている奴は、ただ自分が傷つきたくないだけである。
頭の中でロリコンに対する言い訳を重ね、気付けば昼過ぎの約束の時間の間際であった。あとやっぱりミーヤは死ぬほど可愛い。
俺は外出の準備のため、抱えていた頭をあげて席から立ち上がった。着替えをすませて、それから胡椒の入った麻袋をキッチンの下から取り出した。
予定としては、まず今月払い損ねていた孤児院の運営費を商人ギルドに支払って、それからオリバーさん宅でマヨネーズ料理の品評会を行う予定である。
準備を終えて異世界への扉をあけると、玄関先には魔亀車が一台停まっており、その乗り口の側にはアンナさんが直立していた。
オリバーさんの家への行き方はアンナさんが聞いており、また魔亀車で連れて行ってくれることになっていた。ミーヤは先に行って、オリバーさんのお手伝いをしてくれている。
「どうもです」
アンナさんが、間亀車の扉を開いてくれたので、俺はそう言って車内にあがった。車内は二人用だったけれど、他には誰も乗ることなく扉が閉められる。
アンナさんはどうするのだろうと思っていると、御者の横に座った。
「では、参ります」
アンナ一度振り返りそう言う。俺が頷くと、アンナさんの隣の御者が、魔亀を操る綱を引いた。
だいぶ見慣れてきた異世界の風景を眺めながら、ミーヤのことをまたちらりと考えた。
ミーヤは、一人でオリバーさんの家に行っているはずである。オリバーさんの娘であるサキちゃんとは仲が良いらしいから、今頃会話でもはずんでいるのだろうか。
ふと、ミーヤの笑顔がリフレインする。『私も、大好きです、タナカさん』、ミーヤのその言葉が俺の胸の中を灯していた。
嬉しかった。女性からああもはっきりとした好意を向けられたのは初めてだった。
相手はまだ日本なら中学生に在籍しているような年齢の女子に言われたにもかかわらず、今でも思い出してみもだえしそうになる。
あのミーヤの告白の後、俺は完全にのぼせ上ってしまい、言葉もたじたじになってしまった。
それでもなけなしの勇気を振り絞って、なんとか応えられた自分を褒めてあげたい。
(恋人か……)
どうやら俺は異世界で初めての恋人ができたようである。
しかも相手はミーヤという、超絶可愛い女の子である。ミーヤと手をつないである自分の姿を想像して、思わず顔がにやけた。
(デートとかで、一緒に買い物とかいくのかなぁ)
俺の頭の中で、色んな妄想が膨らんでいった。
そんなことをしていると、いつのまにか最初の目的の場所についてしまった。
魔亀車がゆっくりと停まり、俺は俯けていた顔を上げた。窓から商人ギルドの看板が見える。
アンナさんに扉を開けてもらって車を降り、それから二人で商人ギルドの戸を叩いた。
中に入り受付を見渡すと、見知った顔のエルフの女性を見つけた。マヤさんである。
俺が受付のマヤさんの方に歩いてゆくと、向こうもこちらに気付いた。
その時、俺を見るマヤさんの目が何故かぎょっと見開かれた。
「こんにちは」
俺は受付の前で挨拶をした。
「タ……タ……タナカさん」
「えっと、支払いが遅れていた今月分の孤児院の運営費を支払いに来ました」
俺は怪訝に思いつつも、胡椒の入った袋をレジの上に置いた。
マヤさんの視線は一度その袋の方に落ちたが、すぐに俺の方に向いた。表情は共驚愕に染まったままである。
「あ、あの、タナカさん。御無事でしたか……」
「はい?」
マヤさんが俺を見つめて、そう言った。
「数日前、ギルド長との一件がここで起こって……」
「ああ、それですか。何とかなりました。ご迷惑をおかけしました」
俺がそう言って笑顔を見せても、マヤさんの顔は固まったまま。
まだ混乱が収まっていない様子である。
俺はポケットからギルドカードをとりだし、マヤさんに差し出した。
「……あの、確か運営費を払うときは何か手続きがあったんですよね」
「あ、は、はい。失礼しました」
マヤさんは慌てた様子でカードを受け取り、一度後ろに下がった。
それから奥の壁際で何か立ちつくしていたが、何をしているのかまでは見えなかった。
少しして、マヤさんが戻ってきた。
その顔はまだ、何やらせわしない。
「お、お支払いを確認しました」
「ありがとうございます」
(あれ、でもマヤさん。胡椒の中味を確認していないけれど、いいのかな?)
俺は少し疑問に思いつつも、差し出されたカードを受け取った。
そして引き返そうとした時、マヤさんに声をかけられた。
「あ、あの」
「はい」
横を向きかけていた体を、再度マヤさんの方に向ける。
「えっと、タナカさん。一つ聞いてもよろしいでしょうか」
「ええ」
マヤさんの額に一筋の汗が流れていた。
「……ギルド長の一件の数日後、侯爵家シューベルト家をなのるダークエルフの方々が大勢押しかけてきまして、ギルド長の行方を追っていたのですが……」
「……ああ、それですか」
俺はマヤさんが何の事を言っているのか理解した。
おそらくギルド長を捕えるためにやってきた、アンナさんのお母さんの手の者だろう。実際に、ギルド長はそのライカさんによって引き連れてこられたわけだし。
俺はどうしようか少し考えて、ここは謝っておくことを選択した。日本人的世渡り術である。
「えっと、あの人達は私の知り合いでして、すみません。そちらもご迷惑をおかけしました」
そう言って軽く頭を下げた。
マヤさんは、ただ茫然と俺を見つめている。
「……あ、あの」
「はい?」
「あの人達は、その、本当の侯爵家の方々ですよね」
「ええ、もちろん」
「なら、ここ数日ギルド長の姿が見えないのは……」
「あー、それは……」
ライカさんの馬車に引きずり込まれるギルド長の姿を思い出した。
俺はまた、日本人的な曖昧な笑みを浮かべた。
マヤさんの顔が見て分かるほどに、青くなった。
「あ、あの、タナカさんは、そのシューベルト家の方々と、知り合いなのですか?」
「ええ、まあ。というか、こちらのアンナさんもその侯爵家の御令嬢ですよ」
そう言えばアンナさんと一緒に商人ギルドに来たのはこれが初めてだな、と思いつつ俺は後ろを振り返った。
後ろに立っていたアンナさんが、ぺこりと頭を下げる。
俺が再び前を向くと、マヤさんの顔色は青を通りこして白になっていた。
「ど、どうしたんですか、マヤさん。大丈夫ですか?」
「……」
返事はない。
どうしたものかと戸惑っていると、ぱっと右手をつかまれた。
マヤさんがカウンターに身を乗り出し、俺の右掌を両手で包み込むように握っていた。
「タ、タナカさん!」
マヤさんの顔が目の前に迫る。俺はどきりとした。
綺麗な女性の匂いにどぎまぎするのと、そしてマヤさんの形相が鬼気迫っていて恐ろしかった。
「こ、この後少しお時間ございますか!?」
「きさま、何をしている!」
マヤさんがそう叫んだのと、アンナさんがずいと前に身を乗り出したのはほぼ同時だった。
前と横で叫ばれ、焦る俺。
ぱっとマヤさんの手が、俺の手から離れた。
「す、すみません」
アンナさんに対してマヤさんは頭を下げる。
睨むアンナさん。
俺は両社の顔を見比べつつ、躊躇いがちに口を開いた。
「えっと、ごめんなさい。この後はちょっと予定が入っていまして、今からは無理です」
今からオリバーさんの家に行かなければならない。
「何か、用事ですか?」
俺はそう尋ねた。
「そ、それは……」
マヤさんの目線が、俺とアンナさんの間を行き来する。
しかしマヤさんは結局何も答えなかった。ちらちらと俺の方を見ている。
そのまま、沈黙だけが流れた。
もしかして、俺が何か発言すべきなのだろうか。
俺は悩んだ。
しかし言葉を探しても見つからず、結局口から出たのは
「えっと、それでは今日はこの辺で失礼します」
という言葉だった。
用事もないのならいいだろう、ということで踵を返して歩き出す。
申し訳ないが俺には女性を楽しませるようなトークスキルはないのである。
「ま、待って下さい!」
しかし、またもマヤさんに引きとめられた。
訝しく思いながらも振り返ると、マヤさんは手を合わせて笑顔を作っていた。
なんともかたい、不自然な笑顔だった。
「あ、あのですね、タナカさん」
「はい」
「そのですね、私はあのクソデブギルド長途は無関係なんです」
「は?」
「それに孤児院の件は副ギルド長の案でして、私はタナカさんを騙すつもりなんて全くなかったんですよ?」
俺はマヤさんが何の事を言っているのかよく分からなかった。
しかし、マヤさんの独白は続く。
「むしろ私はとめたんですよ。そんな詐欺みたいなことはするべきでないと。でも副ギルド長に言われて……」
詐欺? 詐欺とは何だろう……。
考える俺に対して、大きな反応を見せたのはアンナさんだった。
「ほう……その話、良く聞かせてもらえませんか?」
体を翻していたアンナさんが、マヤさんの方に完全に向き直った。
俺からはアンナさんの表情は見えない。マヤさんはそんなアンナさんの方を見て、しまったという風に手を口にあてた。
俺はその時、ようやくマヤさんが何を言っているかに気付いた。
「ああ。詐欺って、商人ギルドの運営費の話ですか」
おそらく、最初孤児院の運営費のことを隠して無料と言って契約させた件だろう。たしかに詐欺である。
俺の言葉に反応して、アンナさんがこちらを向いた。
笑顔なのに何故か、怒気がたち昇っているのが見えた。
「タナカ様は、こいつに詐欺をはたらかれたのですか?」
「あ、いや……」
「ち、違うんです! 私は被害者なんです!」
何と答えたものかと悩んでいると、マヤさんが半泣きでそう言った。
「そうですか」
アンナさんが俺の方を向いたまま言う。
「タナカ様、今はあまり時間がありません。オリバー殿の家に今は向かいましょう」
「あ、はい」
アンナさんの言葉に、俺は頷いた。
「この者から話は、後で私がじっくりと聞きますので」
アンナさんは最後、そう言い放った。
それを聞いた時のマヤさんの表情は、まるでこの世の地獄を見たかのようであった。




