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事件のくくりに その1

 俺はミーヤ宅の居間でテーブルの椅子に一人腰けて、水を飲みながらぼぅっとしていた。

 今は午前の時間帯で、ミーヤは買い物に出かけている。



 本当なら俺もついて行きたかったのであるけれど、商人ギルドの件が片付いていない今、外に出るのは危険すぎる。それになにやら同時に起こっていたアンナさん絡みの件に関しても、全容が良く分かっていない。



 精霊達によれば一族の内輪もめとのことらしいけれど、それと俺に何の関係があるのだろうか。もしくは商人ギルドの件とアンナさんの件は、何らかの形で絡み合っているのかもしれない。



 なんにせよ身内から命を狙われるなんて、俺にはまったく理由が想像できなかった。



 まあ、精霊のおかげでアンナさんの件は終息したらしいので、あとはとりあえずアンナさんの帰還が確定するまでは隠れていれば大丈夫だと思う。

 しかし、俺には一つ気がかりがあった。



(ただ、明日は就活の一次試験があるんだよなぁ……)



 そのことを思い出したのは、昨日の夜であった。というかそれまで完全に忘れていたとは、どれだけ気持ちに余裕がなかったのであろう。



 はぁ、とため息をはく。

 明日行われるのは、ある中小企業の筆記試験。

 こんな状況で就職活動の心配なんてしている場合ではないのかもしれないけれど、とりあえずどうやってアンナさんの帰還をしればよいのだろう……。



 そんなことを考えていた丁度その時、後ろから扉が開く音が聞こえてきた。

 振り向く俺。



「ただいま戻りました、タナカさん」



 玄関の扉を開いたのは、買い物に出かけていたミーヤだった。



 俺は玄関の方を向いて、目を丸くして固まってしまった。

 驚いた理由は、ミーヤの帰宅が想定外に早かったからではない。ミーヤの後ろに、真剣な面持ちで立つアンナさんの姿があったからである。



「お、お帰りなさい……え、アンナさんが、どうしてここに?」

「えっと、買い物に向かう途中でアンナさんに会って、それで買い物を中断して戻ってきたんです」



 事態を飲み込めないでいる俺に、ミーヤがそのように説明してくれた。

 と、その時アンナさんがミーヤの肩を叩いた。



「ミーヤ、申し訳ないのだけれど、ほんの少しだけ外してもらえはしないだろうか」



 振り向いたミーヤに対して、アンナさんは真っすぐとそう述べた。

 その面持ちを見てか、ゆっくりと頷くミーヤ。それからこちらに振り返って、「少し外させてもらいますね」とミーヤは俺に向かって言った。

 


 ミーヤが出て行った扉の前で、俺を真っすぐと見つめるアンナさん。その口は固く結ばれ、目は悲しみに満ちていた。

 バタンと音がなって、扉が閉まった。

 部屋に二人取り残され、見つめ合う。



 俺はアンナさんの真剣な雰囲気に、思わず息をのんだ。

 一体昨日までのアンナさんに何があったのか、俺は断片的にしか知らない。

 しかし俺はアンナさんが昨日までとても辛い目にあい、そして一度命まで落としていることを精霊から聞いている。



 きっと想像できないほどに、苦しんだのだろう。

 俺は何と話しかけていいのか、悩んだ。



「お帰りなさい、アンナさん」



 俺の口から出たのは、とりあえずそんな言葉だった。

 するとアンナさんがすっと俺の方へと近づいてきて、少し前で立ち止まった。そして肩膝を床について、頭を深く下げた。



「タナカ様、申し訳ございません……」



 アンナさんは声を震わせてそう言った。

 彼女の表情はうかがえないけれど、床にぽたりとしずくがこぼれる。

 俺は何についての謝罪か分からず、焦った。



「え、ど、どうしたんですか?」

「私は、タナカ様に隠し事をしておりました……」



 俺はそれを聞いて少し驚いた。実直を絵にかいたようなアンナさんが隠し事をするなど信じられなかったのである。



「シュヴァリエの称号を持つ者は、たとえ何人であっても精霊様やその御加護を持つ方以外に仕えることは許されておりません。私はその事実をタナカ様に隠したまま、お傍に仕えておりました」



 それは俺にとって思ってもみない言葉だった。

 しかし同時に、それでどうして身内から命を奪われるようなことになるのか、俺にはやはり理解できない。



「精霊様にタナカ様の警護を託されたその幸せに酔いしれ、傲慢にも誰よりもお傍でお仕えしたいと願ってしまいました。そしてそのことが両親や弟にばれて、そのせいでタナカ様に多大なご迷惑をおかけしてしまいました……」

「もしかして、昨日家の前でうろついていたダークエルフの人達は」

「……おそらくは弟の手の者でしょう。母の命令により、タナカ様に尋問をするつもりだったようです。申し訳ございません、全て私の欲が招いた事態にございます」



 そう言って、アンナさんは深々と頭を地面にこすりつけた。

 そんなアンナさんを見て、俺は戸惑いながらも口を開いた。



「あの、聞いてもいいですか?」

「はっ、何なりと」

「えっとアンナさんが連れ去られたのは、私が騎士団に孤児への暴行容疑で連行されたことと、全くの無関係なのですか?」

「はい、その通りです。そちらの件に関しましては、ただ今早急に手を打っております。容疑はもうすでに取り消させておりますし、すぐに黒幕も確保できましょう」



 俺は、息をのんだ。



「……じゃあ、アンナさんが拉致されて一族の仲間からひどい目にあわされたのは、単純に私に仕えようとしたことが原因なのですか?」

「……その通りです。正確には弟に、私がタナカ様に騎士の誓いを捧げようとしていたことが露呈したのが原因です。ですが、それは決してそれはタナカ様のせいではございません! 未熟な私が招いたことにございます」



 なんなんだそれは。

 アンナさんの言葉を聞いて湧き上がってきた感情、それは理解しがたいものに対する憤りであった。

 どうしてそんなことで、一族が仲間の命を奪うまでするのか。そう思わずにはいられなかった。



 ……でもそれはきっと、何も知らない部外者の勝手な考えにすぎないのであろう。



「そうですか……。でも、もう事態は解決したんですよね」



 俺の問いに対して、アンナさんは「もちろんです。全ては大精霊様の御力です」と答えた。

 それを聞いてほっとする。

 ただ、アンナさんの言葉には続きがあった。



「故に、後は私が責任をとるのみです」



 アンナさんはそう言って腰に刺さった剣をさやごと取り外し、両手で俺に差しだしてきた。

 涙で赤くなった瞳で、真っ直ぐと俺を見据えるアンナさん。



「……本来ならば自ら腹を切って責任をとるべきでしょう。しかし、この命はタナカ様が大精霊様の御力を借りてまで助けてくださったもの。故に私は自ら命を絶つということは、タナカ様への更なる裏切りに他なりません。ですからどうか、この剣で私を罰してください」



 アンナさんの表情は真剣で、力強かった。

 その強固な意志を秘めた瞳に見据えられ、俺は悲しくて胸が苦しくなった。

 どうしてそこまで真っ直ぐに生きるのか、俺には分からなかった。



 アンナさんが差し出した剣を両手で受取る。アンナさんが手を放すと、ずしりとした重さが伝わった。

 剣なんて初めて持った。まして人を切ったことなんてあるはずがないし、できるはずもない。

 本当なら嫌だとこんな剣など放り捨ててしまいたいけれど、アンナさんの視線がそれを許してくれない。



 故に俺は悩み、アンナさんも納得してくれる解決法を模索した。

 そして思いついた方法は、前から心の片隅で考え躊躇っていたことであった。



 未だに躊躇する気持ちは大きい。

 しかし自分のために命まで落としてくれたアンナさんの手前、もう逃げ道はなかった。



「アンナさん……もう事態が解決したのなら、私に仕えていても文句を言う人はいなくなったということですよね?」

「は、はい……。それは、その通りにございます」

「なら……確か、騎士が主君に剣に捧げるときって、どうするんでしたっけ?」



 昔、何かのアニメでそのようなシーンを見た覚えがあった。確か主君になる人が跪いた騎士の肩を、剣で軽く叩いていたような気がする。



 俺の言葉に対して、アンナさんは声もなく目を大きくした。



「アンナさんはもうすでに罰は受けたじゃないのですか。向こうで傷ついて、命さえ一度落としてしまったことを精霊さんからきいています。それにまだアンナさんは私の騎士ではないので、裏切りも何もないですよ」



 我ながら、なんと臭い台詞を吐いているのだろう。

 俺はただの凡人である。こんな若い女性にかしずかれるような器では決してない。

 しかし、真っ直ぐなアンナさんに向き合う今だけは、少しでも格好をつけなければ。

 涙を流すアンナさんを見ながら、俺は肩を張った。



 それから俺は、アンナさんの騎士の誓いを受取った。



 全てが終った後、俺は自分の部屋に戻りたいとアンナさんに述べ、それをアンナさんは快諾してくれた。

 玄関の扉を開けると、扉の外に立っていたミーヤと目が合った。



「お話はもういいのですか?」

「あ、はい。ありがとうございます」

「ありがとう、ミーヤ」



 何も聞かずに席を外してくれていたミーヤに礼を述べる俺と、アンナさん。



「アンナさんが事態を収束してくれたみたいなので、私は今から家に戻ろうと思います」



 俺の言葉を聞いたミーヤは目を丸くして、それから顔を輝かせた。



「本当ですか! 商人ギルドの件を解決してくれたんですね!」



 ミーヤはそう言って、アンナさんの顔を見上げた。



「……ああ、その件も大丈夫だ。私の仲間が処理に当たっている」

「ありがとうございます、アンナさん」



 ミーヤがアンナさんの手を取る。



「本当に、私にはどうすることもできなくて……」

「何を言っている。私の方こそ私が不在の間にタナカ様を支えてくれて、ありがとう」

「いや本当に、私もミーヤさんが家に匿ってくれたおかげでとても助かりました」



 一瞬暗い表情になったミーヤに対して、アンナさんと俺がお礼を述べる。

 本当に、ミーヤには感謝してもしきれない。あとで何かお礼をしよう。



 するとミーヤは微笑みを浮かべてくれた。



「ありがとうございます。そうだ! でしたら、事件が解決したことをサキちゃんの家族にも知らせてきてもいいですか? タナカさんが不在時の時、とても心配していましたので……」

「え……あ! そうですね」



 情けないことに俺はミーヤに言われて初めて、オリバーさん達のことを思い出した。日本の料理を振る舞って貰う約束をしていたのに、色々と事情があったとはいえ、すっぽかしてしまったことになる。

 後で謝らなければ。



「すみません……。ちょっと伝えてきて貰ってもいいですか」

「はい! 分かりました」



 そう言ってミーヤはぺこりと頭を下げ、それから去って行った。

 俺はアンナさんと共に、ミーヤとは反対向きに歩き出した。



(そうか……。俺がいない間に、色々と迷惑をかけたんだな……)



 オリバーさんだけではない。内職を手伝ってくれている孤児院の子供達や、日本の業者にも迷惑をかけていた。謝罪の電話を入れなければ。

 俺は少しブルーな気持ちになった。



「どうかなさいましたか? タナカ様」



 横に立つアンナさんが俺の様子を見て心配してきた。



「あ、いや、なんでもないです。では、行きますか」



 嫌なことは頭から追い出して、俺は歩き出した。

 斜め前を歩くアンナさん。その横姿をちらりと見て、そういえばアンナさんと二人きりで街を歩くのは初めてだな、ということを俺は思った。



「そういえば、アンナさんって何歳なんですか?」



 俺は少し考えて、思いついた疑問を尋ねた。

 アンナさんが俺の方を向く。その顔は大人びていつつも、力に溢れている。



「十八です」

「え、未成年なんですね」



 予想以上に若くて、俺は驚いた。

 しかし俺の言葉に対して、アンナさんが不思議な顔をする。



「? 成人はしておりますが?」

「え? でも十八歳なんですよね?」

「はい……もしかしてタナカ様の住むところでは成人は十五歳ではないのですか?」



 アンナさんの言葉を受けて、俺はようやく理解がいった。そして驚いた。



「ああ、ここでは成人が十五歳なんですか」

「はい」

「そうなんですか。私のところでは二十歳でした」

「そうなのですね」



 頷くアンナさん。



 しかし、十八歳とは若い。

 日本ならまだアンナさんは女子高生ということになる。



 ふと、騎士の誓いの時のことを思い出した。

 預かった剣で俺がアンナさんの肩を叩いた後、アンナさんは俺の靴先に口づけをした。



「……タナカ様」



 俺が色々と考えていると、前を向いたアンナさんがおもむろに口を開いた。



「タナカ様の一番の騎士にしていただいて、この世で一番の幸せ者にございます。それにくらべれば、家族に命を狙われ傷つけられたことなど何でもございません。私は……この世で一番も幸せ者です」



 そう述べるアンナさんの横顔は僅かに綻んでいた。



 それから俺たちは二人で歩きながら、ここ数日のことについて様々な話をした。

 特にアンナさんの話は誘拐された経緯に始まり、誘拐中の出来事に及んだ。



「そうなんですか……。それでそうだ、大精霊さんが事態を終息させた時のことなんですけれど……」

「タナカ様」



 アンナさんの話で、精霊が事態を収束させた時のことについて俺が尋ねようとすると、アンナさんは言葉を挟んだ。



「その話はこのような人通りのある場所では危険です。それと私のそのことで一つタナカ様にお伝えしなければならないことがありますので、部屋についてからお伝えしてもよろしいでしょうか?」



 アンナさんの面持ちを見て、俺は頷いた。



 それからしばらく歩いて、ようやく俺の家の近辺までやってきた。

 遠目に玄関前が見える距離まで来たとき、俺は自室前に多数の人だかりが出来ていることに気づいた。

 目を細めてみると、集まっている人達は皆肌が黒いダークエルフの女性のように見える。それに加えて、その女性達の後ろには数台の魔亀車が停まっていた。



 俺はもしかしたら、アンナさんの部下達だろうかと思った。



「あれは……」



 アンナさんがその女性達の方を見て、目を大きくした。

 


「アンナさんの部下の人達ですか?」

「いえ……あれは」



 アンナさんが俺の方を向く。

 そして口を開いた。



「私の母と、その部下です」

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