帰ってきて、アンナさん side アンナ その3
私はベッドの上で口を開いたまま、生き物のようにうごめく天井のしみを眺めていた。
空気が喉にへばりつき、歪な呼吸音だけが耳に届く。
悠久とも思える時の中で、水を飲みたいと言う欲求だけが、私の内面を占めていた。
扉のしまる男が聞こえる。
数人の足音が近づいてくる。
誰でもいいから、水をくれ。
私は口を動かして、息を漏らした。
「コレハ、エンザイ。コレハ、エンザイ」
声が耳に届いた。
そ御声は、聞き覚えのあるもので……そう、タナカ様のもの。
精霊様のご友人であり、私が使えるべき主であるタナカ様。
私の主。私の、私の……。
私は体をよじって、ベッドの上に腕を立てた。そして痙攣する腕に力を込めて起き上がろうとして、そのままベッドから転落した。
石の床に体をぶつけ、呼吸ができずに嗚咽する。
しかしそれでも、体を丸めて柵の方を見る。三人分の足が見え、必死に首をもたげると、そこにはそっぽを向いて立たれるタナカ様と、それを挟む二人のダークエルフの女が見えた。
私はそこで力尽き、顎を床にぶつけた。目線だけを前にきると、うつるのはタナカ様の御足だけ。
呼びかけるために口を動かしても、出てくるのは音ではなく息のみであった。
私は再び、腕を立てて上体を起こそうとして、失敗する。そのまま地面を這いつくばり、タナカ様の方へと体を向けた。
「コレハ、エンザイ。コレハ、エンザイ」
タナカ様の御声が聞こえる。
私は柵の前までたどり着き、鉄格子をつかんだ。そして最後の力を振り絞り、両肘を立てて体を起こす。
そして再びタナカ様の御顔を見やった。
その時、再び扉の開く音が聞こえて、一人の足音が近づいてきた。
「貴様が、うちの娘をたぶらかした、タナカかー!」
顔を真っ赤にした父が叫びながら現れ、タナカ様につかみかかった。
「貴様のせいでうちのアンナは……」
「コレハ、エンザイ。コレハ、エンザイ」
胸ぐらをつかんできた父に対して、タナカ様は平然とそう返された。
「え、冤罪だと……」
怒りで顔をゆがませた父が、大きく右腕を振りかぶる。
私は声にならない叫びをあげた。止めろ。タナカ様に手を出すな。
しかし、父がタナカ様を傷つけることはなかった。
なぜなら父が腕を振りおろそうとしたその時、タナカ様が思いっきり父の鼻頭に頭突きをかまされたからである。
鼻から血をふきだしながら、顔を歪めて後ろに倒れ込む父。
それを見て、タナカ様を取り押さえようとつかみかかる二人の女。
しかしそれよりも早く、タナカ様の両手首に砂塵が巻き起こり、それが球の形となって二人の鳩尾に命中した。
顔色一つ変えず佇むタナカ様の手元に、二人を吹き飛ばした土色の球が戻ってくる。
一方吹き飛ばされた二人の方は、伸びており気を失っていた。
「な、何故だ……。どうして魔桜石をはめていない!?」
尻をついた父が、鼻を押さえながら驚嘆の声を上げる。
父には目もくれず、タナカ様が私の方を向かれた。
私はタナカ様にじっと見つめられ、胸が高鳴った。
ああ、我が主様。
タナカ様が私の元へと、一歩ずつ近づいてきてくださる。
二つの土色の球が、タナカ様の右手に集まり、剣のような細長い形状に変わる。
そして牢屋の前までやってこられたタナカ様は、右手に持ったその土色の剣を二度ふるわれた。
まるでバターのように斜めにずれ落ちる、鉄格子。
私はタナカ様の凛々しい立ち姿に、ただ見惚れていた。
「なんだい、この状況は」
その時、地下牢にハスキーな声が響いた。
私がとっさに声のした方を向くと、そこには地下牢の扉を開けて立つ、我が母、ミルフォード・ライカ・フォン・ダクス・シューベルトの姿があった。
その後ろには、オリヴィアと共に、クロエの姿もある。
「ただの商人だと思っていたが、どうやらそうでもないみたいだね……」
呟く母の目は鋭く、強い殺気を放っていた。
と、その時、鉄格子の下を握っていた私の手に、強烈な痛みが走った。
「うぐっ!」
握っていた鉄格子の方を見ると、両手が地面に転がっていた。
みずからの両腕の、魔桜石がはめられていはずの部分から先が、切り落とされたようになくなっていた。
「っぐぁぁぁぁ……!」
痛みに絶叫する私。血が手首の断面から噴き出てきた。
それと同時に隣で轟音が鳴り響いた。土煙がたちのぼり、粉塵が私にも降りかかる。
クロエや父の叫び声がその中から、届いてきた。
私は床に頬をつけ、痛みにうめいた。
耳鳴りがして、意識が遠のき始める。
繰り返される轟音も土煙も徐々に遠ざかってゆく。
その時、横たわった私の視界に、タナカ様の御足がうつった。
タナカ様の片方の靴先が私の腹下にねじこまれ、私は仰向けに転がされた。
私を真上から見下ろす、毅然としたタナカ様。しかしその御姿も、瞼が閉じてゆくにつれ、見えなくなってゆく。
その時、私の下の地面が隆起し始め、私の体が持ち上げられ始めた。
薄れゆく意識の中で、タナカ様の御顔に、近づいてゆく。
そしてタナカ様の胸先までのぼった所で私を支えていた地面が突如として消え、代わりに私の背中と太ももを支えたのはタナカ様であった。
タナカ様に抱きかかえられた私。
周りで、激しい音が鳴り響く。
私はタナカ様の瞳をじっと見つめ、幸せを感じながら瞳を閉じた。
そしてそのまま、私の意識に帳が落ちた。
暗闇の中、流れ込んでくる温かいものを感じた。
それはかつて、アリーナに治療魔法を施されたときに感じたものと同じであった。
体の隅々までいきわたるそれが渇きをいやし、そして私を浮上させた。
目を開けた時、前を見つめるタナカ様の御顔の先に、青い空が広がっていた。
強い浮遊感と、強い衝撃がタナカ様を通して伝わる。
慌てた私はあたりを見渡した。
そこは、見覚えのあるシューベルト家の庭であった。
「タ、タナカ様!」
私を抱えたタナカ様は、前を見つめたまま、ものすごい速さで庭を疾走されている。
まさか、タナカ様にこんなに体力があるとは、私としても意外だった。
「こ、これは、一体……」
私はそこで思い出した。
先ほどまで、屋敷の地下で、息も絶え絶えの状況であったことを。
そして、喉の渇きや疲労が消えていることに私は気付いた。
私は胸の前に持ってきた腕を、見た。
そこには、切り落とされたはずの私の両手があった。
手首に、魔桜石の腕輪はない。
(私のために……腕輪を外し、そして治療して下さったのですね……)
タナカ様の横顔を見つめながら、私は感謝感激で胸が膨らんだ。
と、その時、タナカ様が大きく進路を右にきられた。
大きく体が傾き、慌ててタナカ様の首元に手を回す。その時、先ほどまで私たちがいた場所を一瞬、闇が覆い尽くした。
「逃がしはしないよ!」
前方で轟音がなると共に、勇ましい声が後方より響く。
後ろを向くと、はるか離れた所に剣を片手に仁王立ちする母の姿があった。そしてその横にはオリヴィアが控え、さらには弓矢を構えたミルフォード家の者達の姿がずらりと並んでいる。
母の鬼気迫るその表情には、ためらいと言うものは一切見られない。母は間違いなく、私もろともタナカ様を殺す気である。
「タナカ様! 弓矢がとんできます!」
「放てぇ!」
私の言葉と、母の言葉はほぼ同時だった。
母の号令で放たれた数十の矢が、放射線を描いて飛んでくる。
その時、矢から私たちを守るように、後ろの地面が大きく盛り上がり、土の壁が視界全土に広がった。
私は再度、タナカ様の顔を見た。
タナカ様は涼しい顔のまま疾走しており、そして跳躍された。
体が空へと舞い上がる。
私はタナカ様に抱きかかえられたまま、空をとんでいた。
行く先に宙に浮かんだ土の足場が次々と現れ、タナカ様はその上をかけている。
下を見下ろすと、ミルフォード家の屋敷がはるか下にあった。
不意に訪れた、静かな時間。
私は様々な思いを抱えながら、タナカ様の横顔を見つめた。
「……タナカ様、私のせいで、こんなことになってしまい、申し訳ございません」
私の口から出たのは、感謝の言葉ではなく、謝罪の言葉だった。
しかしタナカ様は、私の方を一瞥もなさらない。無表情なその横顔に、私は不安を覚えた。
私が再度語りかけようとしたその時、再びタナカ様が大きく跳躍された。
「逃がさないって言っているだろう!」
新たな土の足場に着地なさり、立ち止まるタナカ様。
その行く手に、風魔法で宙に浮いた母が立ちふさがった。
それに続いて、風魔法部隊の女たちが次々と飛来して、私たちをとり囲んでゆく。
その数は十を超えていた。
「お母様……」
私は母を睨んだ。
母は闇魔法だけでなく、風魔法に加えて、雷魔法まで高いレベルで使いこなす。その多彩さは、シューベルト家の歴史を振り返っても、類を見ないほどであった。
敵に回せば、これほど厄介な相手はいなかった。
「アンナ、貴様の死刑は確定した。シュヴァリエの誇りを怪我したその罪、死を持って償え!」
鋭い眼光と共に、剣をかざす母。
私も反射的に手を前にかざした。魔力栓を緩め、体内に魔力を満たす。
しかし魔法を発動させる直前、ある人物が私と母の間に割り込んできた。
「お、お待ち下さい、お母様、お姉様!」
それはクロエであった。
風魔法が得意ではないはずのクロエが、剣も抜かないまま丸腰で割って入ってきたのである。
「そこをどけ! クロエ!」
「い、いやです。お願いですお母様、剣を収めてください! お姉さまはあのタナカという男に操られているだけなのです!」
声を荒げる母に対して、クロエが言い返す。
「戯言を……。精神異常は確認済みだと、昨日も述べたはずだ」
「そ、それは、な、何かの間違いなのです」
クロエがこちらを振り向いた。
その顔は悲痛で、今にも泣きそうだった。
「お姉様、お願いです。その男にだまされているだけだと仰ってください……。そうしないと、お姉様……私は……」
「……」
苦渋の表情で、懇願をするクロエ。
それを見て、私は口をつぐんだ。それから、タナカ様の御顔を見上げた。
タナカ様は、ただ前を見つめていらっしゃる。
私は決意した。私は再びクロエの方を向き、そして答えた。
「私はタナカ様の騎士として生きる」
私のその言葉に、クロエが目を見開いた。
クロエだけではない。母を除く風魔法部隊の面々も、ざわついた。
「これは誰に操られて言わされている言葉でもない……。私自身の言葉だ……まあ、もっとも今はまだ願望であるが」
「そ、そんなの……」
「嘘ではない」
クロエは言葉を無くして、立ちつくす。
そんなクロエに対して、私は更に言葉を発した。
「クロエ、私に剣を向けろ。私はシューベルト家にとっての逆族だ」
「……」
「そうでなければ……元シューベルト家の女として、私はお前を軽蔑する」
「そんな……」
私を見るクロエの瞳から、一筋のしずくがこぼれる。
そしてクロエは顔を隠すように俯いた。
「いつのまにやら、ずいぶんと元気になっているじゃないか」
妹越しに、母が言葉を発した。
「……アンナ、今まで瀕死だったはずなのに、どうなっている?」
訝しむ母。
「……どうやら、お前も中々に多才らしいね。しかし、これだけの人数に囲まれた状況、どうするつもりだい?」
母はタナカ様に目線をそらして、にやりと口端を持ち上げた。
確かにタナカ様は、とても多彩である。しかし精霊の加護を持つタナカ様のお力を、母は見くびっている。
この程度の状況など、タナカ様にとっては窮地ですらない。
ただ、空中戦においてはお荷物になるしかない自分が、非常にもどかしかった。
とその時、大きな地響きが聞こえてきた。
下を向くと、なんと地上が砂塵に覆い尽くされ、全く見えなくなっていた。
もうもうとたち昇る粉塵。
揺れは、不明瞭なあの中から起こっている。
その時、粉塵を突き破り、地上から五本指を持つ土の巨塊が飛び出してきた。
それは全員を優に飲み込むほどの大きさで、ここにいる全員をのみ込まんとする勢いで迫りくる。
「上昇して離脱!」
母の風魔法をのせた叫びが耳に届く。ちらりと前を向くと、母を含む風魔法部隊がクロエを抱えて、上へと離脱する瞬間が目に入った。
下から迫りくる濁流。
それに目を奪われる。それに飲み込まれる瞬間、私は体を強張らせた。
そして、視界が土に覆われた。
轟音をとどろかせながら、昇りゆく濁流。
全方位を覆うその流れの中でできた中州のような閉空間に、私たちは取り残されていた。
その時、タナカ様が駆けだされた。
視界は土に覆われて全く効かない。しかし私達が取り残された閉空間は、タナカ様の歩みと共にうつりゆく。故に、視界を埋め尽くす土の濁流がタナカ様の行く手を阻むことはなかった。
次の瞬間、視界が開けて、前方に青空が広がった。
外へと飛び出されるタナカ様。
「逃がすか!」
土の浮島の上を疾駆するタナカ様。
その背後より、母の声が聞こえる。
私が後ろを振り向と、飛来する闇魔法を防ぐように、土の障壁が背後に広がった。
爆裂音が響く。
私達の横を、母や他の風魔法部隊が高速で通り過ぎてゆく。
更に彼女たちを遅れて追随する、土の奔流。
やはり、速度では土魔法では風魔法に及んでいなかった。
「タナカ様! 土魔法だけでは空中戦では不利です! ここは私たちも風魔法で対抗するのが得策かと!」
私はタナカ様に進言した。
すると突然、タナカ様は立ち止まった。
その目線は前に固定されている。
前を向くと、風魔法部隊が旋回しており、そして前方から一斉に急接近してきた。
剣を抜いた彼女達が迫る。
私はとっさに手をかざして、闇魔法を発動させた。
しかし、彼女達は上に軌道を変えて私の攻撃をかわす。
そして、そのまま襲いかかってきた。
上空より彼女達の剣が降り注がんとしたその時、間一髪のところでタナカ様の土魔法がそれを防いだ。
私たちの頭上を覆い隠した土壁。そのいたるところから、剣先が飛び出していた。
「「「精霊よ!」」」
その瞬間、暴風が上空で巻き起こり、私たちを覆っていた土壁を吹き飛ばした。
防御壁が飛び散り、開けた視界。
風魔法部隊の面々の合間より、母が肉薄していた。
目の前で振るわれる一筋の剣。
それがタナカ様の頭上から降り注がんとしたまさにその時、上を向いたタナカ様が頬を膨らませて、そして御口より勢いよく土砂を噴出させた。
「ぐっ!」
タナカ様の御口より現れし濁流が、母の剣をその腕ごと押し飛ばそうとする。
しかしその瞬間、母は剣を手放し、体を風に載せて逆回転させた。
卓越した風魔法の技術を持つ母だからこそできた、攻め手の切り替え。
振りかぶられた母の拳が、上からタナカ様の額をとらえた。
その瞬間、私の体はタナカ様の腕からほおりだされ、宙を舞った。
視界がぐるりと一回転する間、不得手な風魔法を発動させて体のバランスをとる。
なんとか体を制止して、タナカ様のお姿を探した。
見つけた。
右斜め下、土の浮島を利用して移動しつつも、母や風魔法部隊の猛攻にさらされているタナカ様の御姿があった。
「タナカ様!」
私はその時、今すぐに助太刀しなければという思いに駆られていた。
故に左上空より急接近する一つの影に気付くのが遅れた。
影に気付いて見上げた時、目と鼻の先に剣を前に構えて肉薄するクロエの姿があった。
涙で瞳を赤くはらし、歯を食いしばったクロエ。その表情は刹那の間に、はっきりと私の脳裏に焼きついた。
そしてクロエの剣が、私の左胸を貫いた。
クロエのその勢いが全て、私の左胸にのしかかる。
私はその瞬間、ふっと全身の力が抜けて、ただクロエに押し流された。
視界が急に暗転してゆく。
「ごめんなさい、お姉様……。もう、こうするしか、こうするしか……。私もあとでいきますから……」
遠くで、クロエのすすり泣く声が聞こえた。
左胸が熱い。
(早く、タナカ様の元へ……)
意識が真っ黒に塗りつぶされ、そして私は眠りについた。
―――
気付いた時、そこは暗闇だった。
どこまでも続く暗闇。音も匂いも何もないただただ広い空間を、体も持たず漂う。
その時、急に暗闇が熱を持ち始めた。
温かい。とても落ち着く暖かさだった。
その温かさに癒されていると、どこか遠くから声が聞こえてきた。
私は声の方へと、必死にもがき進んでゆく。
すると無明の中に一筋の明かりが見えた。
私はその明りの方へと、もがき……
「早く起きろです」
目を開くと、そこには青空が広がっていた。
苦しくて、何度も息を吸う。
(一体ここは……私は何を……)
混乱していると、顔の横を何かが叩いた。
「やっと起きたかです」
声のする方へ顔をやると、そこにはなんと青色の花弁を身に纏った小人の姿があった。
それは伝承の中や、この前にタナカ様の家で拝見した、大精霊様の御姿であった。
「だ、大精霊様っ!」
私は慌てて体を動かした。
やけに重い体を起こした一瞬、すぐ近くで膝から崩れ落ちているクロエの姿が目に入った。しかしそれは無視して、大精霊様の前で跪き深く頭を下げた。
一体何故大精霊様がいるのか、そもそも私は何をしていたのか、などの疑問が脳裏を駆け巡る。
「全く、タナカからの要請とはいえ、死者の蘇生というのは面倒です」
頭上より、大精霊様の声が降り注ぐ。
その声は、あまり機嫌がよろしくなさそうであった。
「大体お前には、タナカを現実世界の煩わしさから守るようにと言いつけたはずです。なのに、お前が面倒事を起こしてどうするですか」
「も、申し訳ございません」
謝りながら、私は必死に記憶をたどった。
そして、ようやく思い出してきた。
(私はタナカ様と共に逃げようとして、そして……)
クロエに刺された瞬間。その時の記憶が、よみがえった。
(そうだ、タナカ様はご無事なのか!?)
もしタナカ様に万が一の事があれば、私は……。
焦燥が胸を覆い尽くした。
「お、恐れながら大精霊様、一つ質問させていただいてもよろしいでしょうか」
私は恐る恐る口を開いた。
「何です?」
「タナカ様はご無事であられますでしょうか?」
「あー、全然無事です」
大精霊様の御言葉を聞いて、私は胸をなでおろした。
(そうか、きっと大精霊様が場を収めてくださったのだな……)
きっとそうに違いないと、私は納得した。
そしてほっとする一方で、自分のふがいなさを悔いた。
「顔を上げるです」
「はっ!」
私は顔を少し前に向けた。
「お前たちも、顔を上げるです」
大精霊様が後ろを向かれて、そう仰られた。
私も前を向くと、砂に埋もれた通りの中で、シューベルト家の者達がずらりと平伏して並んでいた。
それも当然である。なぜなら大精霊様が御降臨なされたのだから。
大精霊様の御言葉で皆が顔を上げる。大精霊様の一番近くに、母の顔があった。
「お前はこのダークエルフの一族です?」
大精霊様が、母に向かって尋ねられた。
「はっ! 仰せの通りにございます!」
「では、何故、このダークエルフの邪魔をしたです?」
私を指さす大精霊様。
「それは……我が娘が、精霊様に捧げる忠義を忘れ、別の者に心奪われようとしていたからにございます!」
「……面倒くさいです」
最後の一言は、大精霊様は呟くように仰られた。
「とりあえず、これからは絶対にこのダークエルフの邪魔はしてはならんです。このダークエルフには、僕達から直々にある任務を任せているです」
「……はっ! 了解いたしました」
一瞬母が、私の方を見やった。
隠そうとも、その嫉妬の感情は手に取るように分かった。
「あと、僕が言ったことは絶対に他言無用です。もちろんこのダークエルフが使えているタナカのことも秘密です。他の者にも厳命するです」
「ははっ!」
「では僕はこれから用がある故」
精霊様はお言葉を残された後、歩いて路地裏の方へと歩きだされた。
しかしその途中、大精霊様がこちらを振り返られた。
「そうだ、お前」
「はっ!」
大精霊様に呼ばれ、私は返事をした。
「どうしても必要だと思った場合、僕達の事やタナカの関係を他者に伝えることを許すです。ただし、相手にも秘密厳守を確約させるです」
大精霊様のその言葉に、私は驚いた。
「よ、よろしいのですか?」
「許すです。というか、こんなことが起こっては面倒です。まったく、人間社会と言うのはやってられないです」
精霊様はそう仰られてから背を向け、歩いていかれた。
大精霊様の御姿が見えなくなった後、私は立ち上がった。
そして辺りを見渡すと、母を含む皆が興奮気味な面持ちで私を見つめている。
そんな中、ふと嗚咽をもらす声がすぐ傍から聞こえてきた。
そちらに目をやると、そこには崩れ落ちた状態のままのクロエの姿があった。




