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異世界で飲食店を開こう side サキ

 今でも時々夢に出てくる。

 私の胸や下半身をまさぐる、あの気持ち悪い手の感触が。あの下卑た笑みが。



 その日、私は悪夢にうなされて目を覚ました。

 隣のベッドではお父さんがまだ眠っていた。

 私は呼吸を整え、ひっそりと寝室を抜けて一階へと降りる。

 そしていつものように厨房で、自分とお父さんの分の朝食を作り始めた。



 朝食と言っても、少しの野菜とひとかけらのお肉が入ったスープをお鍋で作るだけ。

 それでも少し前よりはましだった。前はお父さんの昼食のお弁当代だけでかつかつで、朝食を作る余裕なんてなかったのだから。

 これもミーヤちゃんがお金を恵んでくれたおかげだった。



(ミーヤちゃん……)



 ミーヤちゃんと私はもともと友達で、家も近いこともあり家族ぐるみで仲良くしていた。それにミーヤちゃんとそのお母さんのエミリーさんには、うちのお店で働いてもらっていた。



 しかし魔王討伐後、食材の高騰や客の減少により経営難に初めて経営難に陥った時、お父さんはミーヤちゃんとエミリーさんをくびにした。

 それからしばらくしてミーヤちゃんのお父さんが魔の森で亡くなったことを、冒険者になった父の口から聞かされた。

 そしてまたしばらくして、エミリーさんが失踪したことを、街中を駆けずりまわっていたミーヤちゃんの口から聞いた。



 私はミーヤちゃんとエミリーさんをくびにしてしまったことを、後ろめたく思っていた。

 お父さんのことを責めるつもりはない。しかたのなかったことだと思うし、結局その後しばらくして私達のお店は潰れてしまい、月々の借金返済さえも滞っているありまさまのだから。



 でも時々街でミーヤちゃんのやつれた姿を見かけると、やっぱり後ろめたい気持ちでいっぱいになった。

 だからミーヤちゃんが商人ギルドのことを私に尋ねてきた時、最近この街に引っ越してきた商人のお手伝いとして雇ってもらうことができたと聞いて私は心底嬉しかった。

 ミーヤちゃんは私に気を使ってちょっと言いにくそうにしていたけれど、私はきちんとおめでとうと言えた。

 そしたらミーヤちゃんも、ありがとうと答えてくれた。



 それから二日後、再びミーヤちゃんと街中でばったり会った時、私はその姿に驚いた。

 なんとミーヤちゃんが新しい服を着ていたのである。

 聞いてみると、なんと雇い主であるタナカさんに買ってもらったらしい。おまけに靴も新しいものを買ってもらっていた。



 うらやましい。

 私なんて水の入った重い桶を何往復もしても、一食の代金にもならないのに……。

 私は一瞬そう思ってしまった。



 しかしそれと同時に妙な胸騒ぎも覚えた。 

 だって普通に考えて、雇って間なしのただのお手伝いの少女に、新しい服と靴を与えるなんてあるだろうか。

 思い出されるのは、よく見る悪夢のこと。店がつぶれる前、野菜を割安で卸す代わりにと体を要求してきた店主のあの笑みが、はっきりと脳裏に浮かんだ。



 私がその胸騒ぎを口にしようかと迷っていたところ、ミーヤちゃんが足をとめた。

 そしていきなり金貨一枚もの大金を私にくれたのである。

 私は驚いた。そして更に信じられないことに、ミーヤちゃんはなんと給料として金貨五枚も貰ったと言うのである。



 一体どんな仕事をしているのと尋ねた私に対して、ミーヤちゃんは絵のモデルの仕事をしていると答えた。何でもタナカさんが高価な魔道具を使って、ミーヤちゃんの絵を描くらしい。



 その瞬間、胸騒ぎが確信に変わった。

 タナカさんという人は貴族か大商人なんかで、女の子を辱めてその様子を絵に描くようなのが好きな変態に違いない。

 そしてミーヤちゃんは、生きるためにそれを受け入れてしまったのだ。



 それなのに、そんなつらい思いをして稼いだお金の一部を私にくれようとしている。

 そのことに私は感極まってしまい、涙してしまった。



 しかし私のその考えは誤解だと、すぐにミーヤちゃんに言われてしまった。

 ミーヤちゃん曰く、そんな変な仕事はしていないし、それにタナカさんは私に特別な感情は持っていない、らしい。



 私はミーヤちゃんのその言葉をあまり信じれていない。だってそれなら、ただのお手伝いに金貨五枚も払うだろうか。

 でも、ミーヤちゃんの態度やタナカさんをかばうそぶりを見るに、そんなにひどいことはされていないのは本当なのだろう。

 むしろ新しい服や靴、それに金貨五枚も与えてくれるのだから、ものすごく大切にされているのかもしれない。



 うらやましい。

 私はまたそう思ってしまった。



 ニ階から階段で下りてくる足音が聞こえて、物思いにふけっていた私は我に返った。



「おはよう、サキ」

「おはよう、お父さん」



 厨房にやってきたのは、私のお父さんだった。

 私にほほ笑むお父さんは、料理人だったころに比べてだいぶ痩せ細っている。それに今はなれない冒険者の仕事をやっているので、お父さんの体には生傷が絶えなかった。



「……」



 そんなお父さんを見ていると今でも後悔してしまう。

 あの時、店主からの体の要求を拒絶しなければ、私がお父さんに泣きつかなければ、今も家族みんなで料理屋を経営できていたのだろうかと。



 そして今でも思ってしまう。

 もし、私が頭を下げて体も心も全てを差し出せば、あの店主は私たち家族を救ってくれるだろうかと。

 けれどそれは、決してお父さんの前で言ってはならない。お父さんはあの日以来、私を守るためにとても神経質になっているから。



「ああ、おいしそうなスープだ」

「……うん」



 私達は厨房のテーブルに椅子を並べて、朝食を食べる。お父さんも、この朝食のための金貨を、ミーヤちゃんがどうやって稼いできたかは私から聞いて知っている。

 お父さんにミーヤちゃんから貰った金貨を見せた時は、ものすごく驚いてこの金貨をどうしたのかと問い詰められた。



「……」

「……」



 寂しい。



 お母さんに会いたい。



 朝食を食べ終えた後は、お父さんに弁当を渡して、私は先に仕事に出かけた。

 今日も水を汲んで、それで少しでも家計の足しにしなければならない。

 出かけしな、お父さんはいつものように「何か嫌なことをされたら必ず言うんだぞ」と何度も念押しをしてきた。



 私は井戸で水を二つの桶にくみ、それを天秤棒に通して両肩で支えて取引先の家まで歩いた。そして空になった桶を持ってまた井戸まで戻り、また水を汲む。

 そんなことを何十往復もした。

 今日は運よく、一度も転ばずに済んだ。



 それから私はお店の取引先だった人などを中心に、仕事を求めて回った。

 運が良い時は他の雑務を任せてもらえる時もあるのだけれど、今日は間が悪くて駄目だった。

 結局、水くみ以外には何も仕事がなくて、昼過ぎには私はやることを失ってしまった。



 お腹をすかして家の傍を歩いていたその時、後ろから私を呼ぶ声が聞こえた。

 振り返ってみると、ミーヤちゃんが走って駆け寄ってきていた。



「サキちゃん、よかった、見つかった!」



 ミーヤちゃんはどうやら私を探していたらしい。少し息が上がっていた。



「どうしたの、ミーヤちゃん。そんなに慌てて……」

「うん、ちょっとどうしてもサキちゃんに伝えたいことがあって探してたの! 今時間いいかな!?」

「え、うん、いいけれど……」



 どうしたんだろう。ミーヤちゃんがすごく興奮している。



「あのね、タナカさんが、サキちゃんのお父さんを料理人として雇いたいんだって! それで、タナカさんの故郷の味を広めてね! それで、サキちゃんのお店でだして、それで……」

「ちょ、ちょっと落ち着いて、ミーヤちゃん!」



 私は慌ててミーヤちゃんにストップをかけた。

 ミーヤちゃんに一度、深呼吸をしてもらった。



「ご、ごめんなさい……」

「ううん、いいけれど。それで、どうしたの?」



 私が尋ねると、ミーヤちゃんは顔中に笑顔を浮かべた。



「あのね、今日タナカさんが料理をできる人を探していたから、私サキちゃんのお父さんのことを紹介したんだ。そしたらタナカさん、サキちゃんのお父さんの事雇ってくれるって!」

「え、そ、それ、本当!?」



 私は驚いた。



「うん、タナカさんの故郷の料理をお店でだしたいんだって! だからそのためならお店の出資金も出すって言ってくれているから、サキちゃんまたお店を始められるよ!」

「……」



 ミーヤちゃんは私の手をとり、今にも跳びあがらんばかりである。

 しかし私は突然降ってきたようなおいしい話に、事態をのみこめずにいた。



「あれ? どうしたのサキちゃん?」



 ミーヤちゃんが私の顔を見て、尋ねた。



「……タナカさんがそう言ったの?」

「うん! それにサキちゃんも従業員として雇ってくれるって言ってたよ!」

「……」

「えっと……もしかして、話したら駄目だった?」



 不安そうな表情をするミーヤちゃん。

 私は慌てて笑顔を取り繕った。



「ううん、そんなことないよ。ありがとう、またお店を始められるなんて夢みたい」



 私がそう言うと、ミーヤちゃんの顔がほころんだ。



「私もまたお手伝いできたら、昔みたいに一緒に働けるね!」

「うん、そうだね。それで、その……タナカさんはお父さんを雇うための条件みたいなのは何か言ってた?」

「え? うーん、特に何も、故郷の料理を出したいくらいしか言っていなかったような……」

「そっか」

「サキちゃんのお父さんさえよければ、明日にでも私がタナカさんに紹介できるよ?」

「……本当に? なら、お願いしてもいいかな。お父さんには私から言っておくから」



 私は決意した。きっとこれが最後のチャンスだ。



「うん、もちろん、じゃあ明日の昼前に、サキちゃんの家に迎えに行ってもいい?」

「うん、ありがとう。ごめんね、わざわざ」



 そうして、私達は別れた。



 その日の夜、真っ暗な中で私は一階のお店のテーブルに座ってお父さんの帰りを待っていた。

 テーブルの上で拳を握りしめる。

 怖くはない。またミーヤちゃんと一緒に働ける。

 私の頭に様々な思いが現れては消えていった。



 しばらくして、お父さんが帰ってきた。

 扉が開いて、入ってくる一つの影。上半身に甲冑を纏い、手には大きな盾を携えている。



「ただいま……」

「おかえりお父さん」



 お父さんの声から、濃い疲労の色が感じられた。

 私は立ちあがり、お父さんの元へと駆け寄っていく。

 そして傍まで寄ると、暗闇の中で、お父さんの顔に大きな傷があるのが見えた。



「お、お父さん。その傷、大丈夫?」

「ああ、大丈夫だ。悪い、でもちょっと顔をふくものを持ってきてもらえるかな」



 お父さんはそう言って、近くのテーブルの椅子にどっさりと腰を下ろした。そして身につけている装備を外して、床に下ろした。



「分かった、今持ってくるね」



 私は言われた通り、厨房に行って布巾を手に取った。そして水でぬらして、それをお父さんの元へと届けた。



 お父さんは私から布巾を受け取り、それで顔をふいている。そして目をつぶって、長い長い溜息を吐いた。

 張り詰めていたものすべてをようやく吐き出したお父さんは、布巾をテーブルの上に置き、椅子の背もたれにもたれてぐったりとしている。

 私は、そっとお父さんの向かいの椅子に座った。



「あ、あの、お父さん、一ついいかな……」



 私は意を決して切り出した。



「ん? なんだ?」



 お父さんが目を開けて、聞いてくる。



「えっとね、その……」



 どうしよう、どこから伝えよう。



「今日、またミーヤちゃんと会ったんだ」



 ピクリと、お父さんの眉が動いた。

 一瞬だけ、お父さんの表情が険しいものに変わった。



「……そうか、ミーヤちゃんは元気だったか?」

「うん、すごく元気そうだったよ」

「そうか、それは良かった」



 お父さんは頬を緩めた。



「それでなんだけれど……」



 私はテーブルの下で、両手の指をからめた。



「ミーヤちゃんが言っていたんだけれど、タナカさんがお父さんのことを料理人として雇ってくれるって……」



 私がそう言った瞬間、お父さんの顔色が変わった。目を大きく見開き、肘をテーブルについて身を乗り出した。



「何、本当かそれは!?」

「うん、それにこのお店の出資金も援助してくれるって……」



 お父さんは、信じられないというような表情をしている。

 私だってそれだけ聞けば、あまりにも都合のよすぎる話だと思う。



「タナカって……確かサキが昨日言っていた、ミーヤちゃんを大金で雇ったという……」

「えっと、うん……そのタナカさん」

「で、でもなんで、そもそもどうしてそのタナカはうちのことを……」

「ミーヤちゃんが、私達の事をタナカさんに紹介してくれたんだって」



 それを聞いて、お父さんは固まった。

 そして私は、そんなお父さんの手をとった。



「ねえお父さん、このタナカさんからの援助の話、受けよう?」

「……その、タナカはどうして雇ってくれるんだ?」

「特には……、タナカさんの故郷の料理をだしたいんだって」



「大丈夫だよ。タナカさんは、自分の故郷の料理をだしたいだけみたいだよ……」

「……そうだな」



 お父さんが神妙な面持ちで、言葉をつぶやく。

 私はそれを見て、そこで一度深呼吸を挟んだ。

 そしてお父さんの目を真っすぐと見て、言った。



「だから、援助を受けよう?」



 お父さんが私を抱きしめる。

 私はお父さんの胸の中で、ゆっくりと目をつむった。

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