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ダークエルフのシュヴァリエ side アリーナ

「アリーナ指揮官、裏口も押さえました。いつでも突撃可能です」

「はーい」



 街の路地裏の壁にもたれかかりながら、私は自警団の隊員の報告を受取った。

 全く魔王討伐の日から街の治安を守る騎士団は大忙しで、食料は馬鹿高いわ、給料は下がるわでたまったものではない。まあ、その魔王討伐に私達騎士団も関わっていたのだから、文句なんて口が裂けても言えないけれど。



 私は角からちらりと、奥にある一件の倉庫の様子をうかがった。情報によると、そこには先日強盗を働いた犯罪集団が潜伏しているらしい。

 倉庫の戸は閉まっており、物音はなにもしない。待ち伏せの可能性もありそうである。



「よし、突撃部隊は突撃。待ち伏せの可能性もあるから気をつけて。あ、アンナとクロエはここで待機ね」

「何故だ」

「そうです。私とアンナお姉さまの力を合わせれば、こそ泥の一匹や二匹、一瞬で片づけてみせます!」



 私の言葉に、すぐ後ろにいたアンナとその妹のクロエが眉をひそめて私をにらんだ。

 自警団員達が、そんな私たちの横を通り過ぎて敵のアジトへと突撃してゆく。



「いや、だって待ち伏せされてるかもしれないし」

「そんなもの、私の剣で打ち破ってみせる」

「お姉さまの言う通りです。アリーナさんは私のお姉さまの剣を見くびっていらっしゃるんですか?」



 私はため息をはいた。

 大きな物音がする。自警団員が倉庫の扉を無理矢理開けたのだろう。



 確かに、アンナが待ち伏せ程度でどうにかなるとは思えない。しかしアンナは、私と違って本物の貴族様なのである。こんなつまらないことで怪我でもさせたら、私の首がとぶかもしれない。せっかく対魔法部隊に入れたのに、それだけは勘弁してほしい。



「あのね、何度も言っていると思うけれど、アンナやクロエは貴族様でしょ。だから万が一にでもこんな名誉も何もない場所で死なれたら、私が困るの」

「……何度も言っていると思うが、精霊様に仕え、精霊様の力を悪用する物を討つ。それこそが私の名誉だ」

「お姉さまのおっしゃるとおりです!」



 男達の怒号が倉庫の方から聞こえてくる。

 事前の情報では弱いながらも魔法を使えるものが一人いるという話だった。



「だめです。隊長からここの指揮権は私に一任されているんだから、従ってよね。それにクロエはまだ騎士みならいなんだから、なおさら駄目です」



「むぅ……」



 私の言葉に、アンナは不満げに口をとがらせた。そしてその後ろではクロエが頬を膨らませて私を睨んでいる。十四歳で小柄なクロエがそんなことをしても、子供が駄々をこねているようにしか見えなかった。



「了承した……」



 アンナはしぶしぶながらも、引き下がってくれた。



 それから、私と一緒に倉庫の様子を伺うアンナ。



(本当にこの精霊狂信者みたいなところがなければねぇ……)



 私は角から倉庫の様子をうかがいながらそう思った。

 アンナは貴族にもかかわらず身分の差など気にせず平民あがりの私と仲よくしてくれ、同じ隊員だからということで対等に接してくれるようにと頼んでくるような女性である。ただダークエルフだからということもあるのかもしれないけれど精霊への信仰心が強すぎるあまり、時々こうして面倒になるのである。



 そしてアンナの妹であるクロエ。彼女も貴族にしては素直な良い子だと思うけれど、ただ姉のクロエをあまりに愛し過ぎているきらいがある。僅か十四歳にもかかわらず、姉を追って騎士団に押し掛けてくるほどに。



(まあ、さすがシューベルト家の令嬢なだけあって、クロエも剣と魔法の腕は流石なんだけれどねぇ……)



 そうでなければ、いくら見習いとはいえ騎士団に入ることなどできはしない。



 そのとき、倉庫の屋根を突き破り一人の男が上空へと飛び出した。倉庫の上で立ち止まり下を見下ろしたその男は、右手に大きな袋を抱えている。おそらくあの袋の中に奪った物が入っているのだろう。



「風魔法か……。自分で飛べるとは、情報よりもやるわね」



 その男はにんまりと笑い、そして空いている片方の手を地上にかざした。すると突如発生した強風により倉庫の屋根がはがれ、倉庫の中に小さな竜巻が起こった。

 それから空を飛んで逃亡をはかる男。



(まあ、すぐに体力がなくなって飛べなくなるでしょう)



 待機させていた自警団員に追跡を命令しようと、私は後ろを振り返った。そこでアンナの顔を見て、私は悟った。



(あ、ダメだ)

 


 アンナは私の横を通り過ぎて、空を飛ぶ男と倉庫を結ぶ線の直線上にたった。そしてアンナは、剣を抜いた。



「アンナ!」

「大丈夫だ。殺しはしない」



 精霊を悪用する男を見て、アンナは完全にキレていた。もうこうなったらアンナは誰にも止められない。

 アンナは両手で構えて、剣を切っ先を遠ざかる男の方に向けた。



「精霊様、精霊様の力を悪用する不届き者に天罰を!」



 剣の周りを漆黒の霞が渦巻き、そしてそれが剣先で膨張して球となり、放たれた。人間よりも大きなその一撃は、男の背中に直撃した。



「ちょ、ちょっと、直撃したわよ!」



 落下してゆく男。



「大丈夫だ。威力はそれほど込めてはいない」



 アンナは剣を鞘に収めてそう言った。



「大丈夫って、あんた……」



 クロエは手を叩きながら、「お見事ですお姉さま!」とアンナに称賛を贈っている。

 私は二人に対してあきれながらも、自警団に男の回収に向かわせた。



 アンナの言葉通り、魔法使いの男は一応生きてはいた。ただし魔法が直撃したことと地面に落下したことにより、首とか体中の骨が折れていたけれど。おかげで私が治療魔法を使う羽目になってしまった。



 魔法使いの男には万が一目を覚ましても大丈夫なように、魔楼石でできた手錠をはめておいた。こうしておけば、目を覚ましても魔法を使われる心配はない。また、倉庫に残っていた残党もすぐに全員捕まえることができた。



 私は後の始末を自警団の退院達に任せて、アンナやクロエと一緒に南方騎士団の詰所に戻ることにした。



「全く、ほとんど死にかけだったわよ」



 魔亀車の引く箱の中で、私は隣に座るアンナに向かってそう言った。



「精霊様を愚弄した罰だ」



 アンナは全く反省したそぶりを見せずそう言った。

 向かいのクロエも、お姉さまの言うとおりだと言わんばかりに頷いている。



「その罰とやらで、私の昇進にまで悪影響が出たら困るのよ」

「アリーナはそればかりだな」

「当然よ、早く管理職になってやるんだから」

「管理職など何が面白いんだ?」



 アンナは心底分からないといった表情で私の方を見てきた。武闘派な女性が多いダークエルフらしい。



「……だって訓練が少ないし」

「おいおい」



 あきれた目で私を見てくるアンナ。



「……それに最近物騒な事件が増えてるし」

「そんなときこそ騎士団が前に出て働くべきだろう」



 仰るとおり。本当に私は何で騎士団に入ったんだろう。



「アンナは真面目だねー」

「普通だ」

「でもお姉さん的には、自警団に任せることも覚えて欲しいかなー。今回も別に私達がでてくる必要はなかったよね」



 アンナが魔法の絡んだどんな事件にでも首を突っ込みたがるせいで、私はいつもそのお目付役としてかり出される羽目になる。それに隊長や副隊長とかの上司も侯爵家の礼譲であるアンナには強くでることができない。



「うむ、それは……約束はできそうにないな」

「いや、自信満々に言わないでよ」


 

 思わず突っ込んでしまう。まあ、そのまっすぐな性格は嫌いではないし、むしろ好きなところではあるんだけれど。



「再び精霊を悪用する奴が現れれば、私は迷わずそいつに立ち向かってゆくだろう」



 アンナはそう言った。

 そしていつものように、クロエはアンナの言葉を称賛していた。



 そしてその宣言通り、一緒に騎士団の詰所に戻ったアンナは早速新たな面倒ごとに首を突っ込んだ。

 丁度被害者の男性が、被害を騎士団員に訴えている場面に遭遇してしまったのである。おまけにその容疑者が相手が魔法まで使ってきていることが私達の耳に入ってしまい、アンナの逆鱗に触れてしまったのである。



 もうそうなるとアンナは誰に求められず、副団長の命令により目付役として私も一緒にかり出されることがいつの間にか決まっていた。



 騎士団の詰所に戻って、数時間の出来事であった。



「アンナ、自警団に任せることも覚えて欲しいって、さっき言ったところだよ? 今回のなんて、特に私達が出てくる必要なんてないと思うけれど」



 本日二度目の現場に向かう魔亀車の中で、私はアンナに対して言った。



「しかし、精霊様のお力をそのようなことに利用することが、絶対に許せないのだ。そのような輩を討つために私はこの対魔法部隊に来たのだ」



 アンナは力強い口調でそう言った。

 前に隊長や副隊長から聞いた話によると、アンナは近衛騎士団への入団を蹴って、南方騎士団にやってきたらしい。前線で犯罪者を直接捕らえることに、何よりもこだわりを持っているのだろう。



「……分かった。でも、今回は相手に大けがを追わせないでね」

「善処する」



 そんなことを話しているうちに、現場についた。通りの端に魔亀車を止めて、私とアンナは降りた。続いてクロエも降りる。

 それから私達は被害者の男の元へと近づいていった。



「ここがそうなのですか」



 私は一件の建物を見ながら、被害者の男へと尋ねた。

 事前に聞いた話によると、被害者はここの家主であり、なんでも他人に家を乗っ取られたとのことらしい。



「はい。その私はここしばらくよその街に仕事に出ていたのですが、帰ってきたらいつのまにか誰かが住んでいまして」



 家主の男性が答えた。



「ふむ、それでどうして魔法攻撃を受けたのですか?」

「それは、鍵が閉まっていて入れなかったので、こじ開けようとしたのです」

「鍵穴を壊そうとしたら魔法で襲撃を受けたと」

「はい」



 頷いた家主の男性を見て、私はふとあることを思った。



「あなたは鍵を持っていなかったのですか?」



 鍵を持っていたのなら、わざわざ鍵穴を壊す必要などないはず。

 私が質問すると、家主の男性はしぶい表情を作った。



「……お恥ずかしいことですが、どうやら出かける際に落としてしまったようでして」

「落とした?」



 私が聞き返し、家主の男性が頷く。



「はい。帰ってきた時にそれに気付きまして。だからやむなく壊そうとしたのです」

「なるほど」 



 だいたいの事情はつかめてきた。



「鍵穴を壊そうとして攻撃を受けた時、相手の姿は見ていないんですよね」

「はい、近づいたら暴風に襲われ、吹き飛ばされてしまいまして」

「相手は一人ですか?」

「えっと、近所の住人の情報によれば、少女がよく訪れることもあるそうですが、住んでいるのは一人の様です」



 聞いた話から考えると、その単独犯はおそらく風魔法の使い手なのだろう。それに相手の姿も見えないことも加えると、結構な手練の可能性も捨てきれない。

 私は妙な違和感をこの事件に感じていた。ただの幼稚な不法占拠とは何か違う様な気がした。



「とりあえず、今相手が中にいるか確認する必要がありますね」

「それは、私がおこなおう」



 私の言葉に、アンナが応えた。



「却下で」

「なぜだ」

「だから怪我なんてされたら困るし」

「……私は騎士だ。それに相手が一人なら魔法使いでも必ず対処できる」



 アンナが私を睨んだ。



「……分かったわよ。でもあくまでも穏便にね。けんか腰にならないでよ」




 アンナは頷いて、その建物の玄関前に立った。そしてノックした。

 すると意外にも、中から男性の声で返事が返ってきた。



「失礼する。私はフロイト南方騎士団対魔法自警第二部隊のシュヴァリエ、ミルフォード・アンナ・フォン・ダクス・シューベルトである。この扉を今すぐ開けろ」



 アンナが扉越しに言う。非常に高圧的だった。

 数秒、間が空いた。



「……開けるつもりがないのなら」

「あ、いや、今開けます!」



 アンナが剣に手をかけると、扉の内側から男性の慌てたような声が聞こえてきた。

 そしてがちゃがちゃと音がしてから扉が開き、中から異国風の顔立ちをした一人の男が出てきた。



「こ、こんばんわ」



 アンナを見て頭を下げたその男性は、明らかに私達を見て萎縮していた。とても強力な魔法使いには見えない。



「……貴様、名は何と言う」

「あ、タナカと言います」



 タナカというらしいその男は、へこへこと頭を下げている。本当にこんな男が不法占拠をして、更に魔法で襲撃なんてしたのだろうか。



「貴様、聞いた話によるとこの家の持ち主が留守なのをいいことに、勝手にここに住んでいるらしいな」



 アンナがそう尋ねた。するとタナカは心底驚いたような表情をした。



「え? いや、ここは私が……」



 何か言いかけたタナカであったけれど、途中で固まった。そしてその顔色がみるみる悪くなってゆく。顔が雄弁に犯罪を自供していた。



「……違いないようだな。それに聞いたぞ。貴様、昼ごろに一度この部屋に訪れた家主を精霊魔法で追い返したそうではないか」

「い、いや、そ、それは……」



 アンナの声のボルテージが上がってゆく。直感的に私はやばいと思った。



「神聖なる精霊様のお力を、このような悪事に利用するとは……神が許してもこのミルフォード・アンナ・フォン・ダクス・シューベルトが許さんぞ!」

「ちょっと、アンナ!」



 案の定、剣を抜くアンナ。威嚇だとしてもやり過ぎである。

 私や周りの隊員が諫めようとしたそのとき、突風が私達を襲った。



「くっ!」



 私や自警隊員は吹き飛ばされないように、身を低くした。玄関前から吹き荒れた突風の直撃を受けたアンナが、私の足下に転がる。扉の方を見ると、タナカは部屋の床に倒れ込んでいる。

 私は驚いた。まさか今の状況でいきなり魔法を使ってくるとは思わなかった。



「貴様、一度ならず二度までも精霊魔法を悪用するとは! その行い、万死に値する!」



 立ち上がったアンナはそう叫んだ。タナカはなにやら言っている。



「精霊様、この不届きものに天罰を!」



 アンナはその剣先をタナカへと向けた。そしていつもの闇魔法が……発動しなかった。



「なっ! 魔力が満ちない!」



 アンナの言葉に私は驚いた。魔力が満ちないなんて、あるはずがない。一体何が起こっているのだろう。



「ええい、なら剣の錆にしてくれるまで!」



 アンナが叫び、腰の剣に手をかける。魔法だけでなく、剣技においても天才的な才を持つアンナ。その一撃が繰り出されようとしたその時、突如タナカの前に漆黒の霞が広がった。それはアンナが得意とする、闇魔法であった。



「闇魔法だと!」



 踏み込んだアンナに対して、襲いかかる霞。

 霞は剣ごと、アンナの体を飲み込んだ。



「ぐっ!」

「アンナ!」

「お姉さま!」



 私とクロエは叫んだ。自警団がアンナを助けるため部屋に突撃しようとした瞬間、再び突風が吹き荒れ男達を吹き飛ばした。そして開いていた扉が独りでに閉まった。



「アンナ!」

 


 再び叫ぶ。しかしその建物の周りには暴風が吹き荒れており、これでは声すら届かないであろう。

 立ち上がった自警団と共に、私は剣を構えた。横でクロエも同じく剣を抜いている。



(まさか、アンナの一撃を受けきるとは……)



 それに魔法を二系統も使えるなんて、全くもって予想外であった。

 とりあえずあの風を破って部屋に入らなければアンナの身が危ない。

 私は水魔法を発動するため、精霊に祈りを捧げた。



「……精霊よ」



 精霊に魔力を貸してくれるように祈る。しかし、いつもなら満ちるはずの力が全く何も感じられなかった。私は驚いたけれど、もう一度試みた。



「……精霊よ、私に魔力を」



 しかし一度目と変わらず、魔力が感じられなかった。アンナの言うとおり、魔力が満ちない。



(一体何が起こっているの!)

「ダメ、魔法が発動できない!」

「わ、私もです! どうして!?」



 私は叫んだ。横を見ると、どうやらクロエも同じく魔法が発動できないようである。

 私達の言葉に、自警団の男達も驚いたような表情をした。

 どうなっているのか全く分からないけれど、これもタナカの仕業なのだろうか。そう考えると、背筋がゾッとした。



「どういたしますか、指揮官」



 一人の男が私に指示を仰いでくる。しかし私には打つ手が見つけられなかった。生身で近づけば暴風に阻まれて吹き飛ばされる。魔法も何らかの方法によって阻害されており使うことができない。



「……相手が一人なら使い続けていれば魔力はじきにつきるはず、周りの風が弱まったら突撃します」



 私はそう答えることしかできなかった。

 私達は剣を構えて、風が弱まるのを待った。しかしそんな私達をあざ笑うかのように、風は弱まることなく吹き荒れている。



 私が歯がゆい思いをしばらくしていると、突然風がぴたりとやんだ。



 そして男達が突撃しようかとしたその時、扉が開いて、中からアンナが出てきた。



「アンナ!」

「お姉さま!」



 私はほっとした。

 見たところ怪我はなく、表情もむしろ晴れやかなように見えた。アンナはゆっくりと扉を閉めて、こちらに振り返った。



「おまえ達、その剣を収めろ」



 アンナは建物を取り囲む自警団員達に対して、剣を収めろと言い出した。



「早く収めないか。それとこの家から離れろ」



 訝しがる男達に対して、語気を強めるアンナ。思わず男達も剣を収めて数歩下がった。



「ちょっと、大丈夫!? 一体どうしたの!?」

「本当です。お姉さま一体どうなされたのですか!?」



 私とクロエは剣を収めてアンナに近寄った。間近でその顔や体を確認してみるけれど、どこも怪我などは見当たらない。



「私は大丈夫だ。それより、ここの家主はどこに行った?」



 アンナはあたりを見渡している。



「そんなことより、中で一体……あいつは」



 私はアンナと扉を見比べた。



「あいつ?」



 アンナの全身から怒気が立ち上った。



「……タナカ様だ」



 アンナは私を睨んで、そう言った。



「へ?」

「アリーナ、友人として一度目は許す。しかし二度と私の前でタナカ様のことをあいつなどと呼ぶな、いいな」



 アンナの鋭い眼光が私を射貫いた。何の冗談だと言いたいところだけれど、アンナはこんな冗談をいう人物ではないことは私がよく知っている。

 私だけでなくクロエや周りの自警団員も何事だという表情をしていた。



「それより、ここの家主はどこだ」



 アンナが再び周りに尋ねた。一人の自警団員が魔亀車の裏に隠れていた家主の男性を、アンナの前に連れてきた。



「貴様がここの家主であったな」

「はい、そうでございます」



 アンナは家主の男性の全身をじろりと眺めた。



「ふむ、ならよこせ」

「……は、はい?」



 アンナの言葉に、家主の男性が聞き返した。



「この土地とこの建物の権利書をよこせと言っている、従わないのであれば」

「ちょ、ちょっと、アンナ待ちなさい!」



 剣を抜いたアンナを見て、私は慌てて止めに入った。



「何考えてるのよアンナ! この土地と建物はもともとこの人の物なのよ!」

「ふむ……」



 私の言葉を受け、少し考えるアンナ。剣をさやに戻した。



「ならば、言い値で買い取ってやろう。それでいいな」

「は、はい」



 アンナの脅しにひるんだのか、家主の男性は壊れたように何度も頷いた。



「よし、なら後で家の者を送らせる。貴様は早く土地と建物の権利書を用意せよ」



 家主の男性は逃げるように下がっていった。



「ちょっと、本当にどうしたの、アンナ?」

「どうしたとは、どういう意味だ?」



 私の質問に対して、アンナは質問で返した。



「どういう意味って、あなた今普通じゃないわよ」

「そうか? ……それはきっと、騎士の誓いを捧げたいと思える主に出会えた幸せで私は今舞い上がっているのだろう」



 アンナはうっとりとした表情で、そう言った。

 一方その言葉を聞いた私は戦慄した。シュヴァリエの称号を持つアンナにとって、『騎士の誓い』というものがどういう意味を持っているのか、分からない私ではない。



(精神を操られている……)



 私は確信した。

 アンナが扉から出てきて急に変わったのは、精神を操られている証拠であろう。

 まさか風魔法や闇魔法の他に、精神を操る魔法まで操り自分をアンナの主と思い込ませるとは、タナカとはなんと恐ろしい男なのだろう。



 クロエの方を見ると、彼女は顔を真っ青にしていた。

 自分の愛しい姉が他人に奪われて、放心しているようである。



(私の治療魔法では、怪我は治せても精神状態までは直せない……)



 口惜しかった。



「それと、アリーナ。後は私がここに残るから、他の全員引き連れて帰ってくれないか」

「え、どうして?」

「私が事態の収拾を任されたのだ。私は今より騎士団を辞職し、これからタナカ様の護衛として動く」



 胸を張るアンナ。

 私はぞっとした。



「ダメよ、アンナ」



 精神を操られているアンナをここに残してゆくなんてあり得ない。



「……ダメとは、何故だ」



 アンナはむっとした表情をした。

 私は、アンナに操られていることを伝えようかとして、思いとどまった。



(……ここでタナカという男に操られていると言っても、きっとアンナを怒らせてしまうだけ)



 タナカを仕えるべき主と認識させられている以上、もし私がタナカを悪く言えばアンナは烈火のごとく怒り手がつけられなくなるだろう。だから私が打つべき手はただ一つ。



(なんとかして、アンナを気絶させて騎士団の詰所に連れて帰る)



「……さすがに全員返してはアンナが帰るときに困るでしょう。だからクロエを含めて数名は残してゆくわ」



 私はアンナの警戒心を解くためにそう言った。



「……それもそうか。ではそのように頼む」

「了解。では撤収を始めます!」



 納得するアンナ。

 私は撤収の準備をしていると見せかけて、クロエと数名の自警団員をアンナからは見えない魔亀車の影によびこんだ。



「いい、今アンナはタナカという男に操られている。だからあなた達はここに残って貰って、隙を見てアンナを気絶させて回収して。いい、アンナの無事を何よりも第一優先に。タナカを捕らえる必要はないから」



 私がそう言うと、クロエと自警団員は重々しく頷いた。操られているとはいえ、アンナは一流の武人である。そのアンナの隙を見て気絶させるというのは、とても至難の業であろう。

 魔亀車の影から出てアンナの方を見ると、アンナのそばに一人の亜人間の少女が立っていた。アンナがなにやらその亜人間の少女に話し掛けている。



「アンナ、その子はどなた?」

「ん? 自称、タナカ様の部下らしい」

「自称じゃありません!」



 二人の傍に行ってみると、亜人間の少女はなにやらアンナに対してご立腹な様子であった。きっと何かアンナが言ったのであろう。



「ならタナカ様の部下をやめてくれないか?」

「何でですか!」

「私が一番になりたいからだ」

「嫌ですよ……」



 アンナの言い分に、亜人間の少女もげんなりしていた。



「金なら出すぞ?」

「だから嫌ですって!」

「まぁ、まぁ、アンナ、落ち着いて」



 私はアンナと亜人間の少女の間に割って入った。

 少し不満そうなアンナ。



「それより、撤退はまだなのか? もう出られるだろう?」

「……そうね、今から出るわ」



 本当は撤退の準備中にアンナを気絶させたかったのだけれど、アンナの警戒心を強めるわけにはいかない。私達は少し離れたところに潜伏して、ここは部下に任せるしかなさそうである。



 私はここに残るクロエと数名の自警団に私達の潜伏先をこっそりと伝えて、撤退を始めた。まああくまで撤退のふりであり、実際は少し離れたところの陰に潜んだ。



(アンナ無事でいて……)



 私はアンナが無事に帰ってくることを、祈るような思いで待っていた。

 


 長い長い時間が過ぎて、意識を失ったアンナがクロエと自警団員に担がれて戻ってきたとき、私は心の底から安堵した。そして目を覚ましても大丈夫なように魔楼石でできたた手錠と足かせで拘束してから、騎士団の詰所に戻った。



 詰所に戻った後は、目を覚まして暴れるのを男数人がかりで押さえつけて、アンナには数時間にも及ぶ精神異常の検査を受けてもらった。



 結果、精神状態は正常と判明して、私はアンナにどやされた。

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