現実での自分 その5
精霊という存在に初めてであったその日の夜、俺は自室で明日のセミナーの準備に追われていた。
「何しているですか?」
俺が机に座ってノートにペンを走らせていると、隣から声が聞こえた。驚いて横を見ると、そこには参考書を覗く数人の精霊達がいた。
「いたんですか」
先ほど急に消えた時もそうだけれど、神出鬼没でびっくりする。
精霊達はじっと参考書を上下逆向きからのぞきこんでいる。
「ああ、えーっとこれは、セミナーの準備です」
「セミナー?」
「なんですかそれ?」
精霊達が顔をあげてこちらを見た。
どのように説明すればいいのだろう。
「あー……宿題って分かります?」
「分かりますー。それを口実に女の子を部屋におびき寄せ、いやらしいことをするためのあれです」
「おおー、タナカもハレンチ委員長のスカート内にダイブするです?」
パチパチと拍手をしてくる精霊達。
何を言っているのだろう、彼等は。
「え、いや、まあ、宿題のとらえ方は置いておくとしても、ハレンチ委員長って何ですか?」
「マンガ、To Loveれ、のキャラですー」
「ハレンチが嫌いとか言いつつ、一番ムッツリなビッチですー」
ああ、なるほど。あの漫画の事を言っていたのか。というか、ワン○ースといい、ハン○ーハンターといい、よく知っているな。
「ちなみに、あれはケンイチの高校生時代が元になっているですー」
一人の精霊がそう言った。心なしか胸を張って、自慢げに見えた。
「は?」
俺は、思わず声を漏らした。
「え、あの、ケンイチさんの高校生時代とはどういうことですか?」
「そのままの意味です。To Loveれはケンイチの高校生時代をマンガかしたものだと、ケンイチが言っていました」
「ノンフィクションです」
「ドキュメンタリーです」
精霊達はそう言った。
「え? あの、To Loveれって、あのエロの限界に挑み続ける伝説のラブコメ漫画、To Loveれですよね?」
「はいです」
「主人公はリトの」
「ケンイチはさすがに本名はまずいから、偽名にしたと言っていたです」
「……その、ケンイチさんが自分で、To Loveれは自分の高校生時代の話だと言っていたんですか」
「そうです」
俺は何と言っていいのか分からなかった。Toloveれを熟読したことはないけれど、あの漫画がもしノンフィクションであるならば、その主人公は間違いなく周りの男の嫉妬で呪い殺されているだろう。
「ちなみにワン○ースは、ケンイチの前世の記憶だそうです。ケンイチはすごいですー」
「……」
ケンイチさんのことで大盛り上がりの精霊達。
一方、俺の中でケンイチさんの株は大暴落していた。
(いや、どう考えても嘘だろ)
口に出して言ってやろうかとも思ったけれど、盛り上がっている精霊達に水をさすのが忍びなかったのでやめた。
「タナカはどうして、女の子を呼ばないですか?」
精霊達が、こちらを見てそう言った。
純粋すぎる瞳で見つめられ、俺は言葉に詰まった。
「……よべるような子がいないので」
「押しかけの王女は?」
「ツンデレ妹は?」
「それもいないです」
「……タナカはラブコメの主人公とは違うですか」
俺の言葉に精霊達は、なんだがっかりという表情をしている。
「でも、宿題をしているということは、タナカは学生ですか?」
「まあ、一応……」
学生といえば学生である。
すると、精霊達はまたきらきらとした目をしだした。
なんだろう、また壮絶な勘違いをしているような気がする。
「では、ぜひ僕達もその学校に連れて行ってほしいです」
「え? 精霊さん達をですか!?」
精霊達は、はいと頷いた。
「いや、それは、ちょっと……」
「おねがいです」
「「「おねがいですー」」」
連れて行ってあげたい気持ちはあるのだけれど、ばれると色々とまずいことになる。
そのとき、ふとあることに気付いた。
「あれ、でも、精霊さん、日本に行ったことないんですか?」
「「「ないですー」」」
「でも、日本につながる扉はあったんですよね。それに今だって」
俺は玄関の扉の方を見た。別にケンイチさんや俺の許可を貰わなくたって、日本に行くことは可能なような気がするけれど。
しかし精霊達は、首を横に振った。
「僕達の世界の住人には日本への扉をくぐることはおろか、触ることや見ることさえできないんですー」
俺の目線の先を追って、精霊達は言った。
「え!? そうなんですか!」
「はいです」
「でも、じゃあ、扉からでなくとも、例えば窓からとかでも……」
俺は後ろの窓を指さした。
扉が見えないのなら、窓やベランダから出ればいいのではないか。安易にそう考えた俺であったけれど、精霊は首を横に振った。
「同じく見えないです。基本的に互いの世界の住人はもう片方の世界に干渉することはできないです。なので逆に日本の住人も異世界への扉をくぐることはできないです」
「でも、私は異世界に扉をくぐって行けますよ?」
「その理由は僕達にも不明です。ですが二つの世界がつながった際、その懸け橋となったこの部屋の中にいたタナカにも何らかの力が働いたと思われ」
なるほど。
「え、ということは、逆に日本の人も……私を除いては基本的に誰も異世界に行くことはできず、あの扉も見えないんですか?」
俺は異世界の扉を指さした。
「きっとそうです」
「へぇ、そうなんですか」
それはありがたい。それなら両親とか、この部屋に訪れた人に異世界の事がばれる可能性もない。
「え、でもそれだったら、どうやって学校まで行くつもりなんです?」
扉をくぐれないのなら、そもそも外に出られないと思うのだけれど。
「そこは問題ないです」
精霊達は立ち上がった。
「タナカの体を間借りさせてもらうです」
「間借り?」
「はいです。タナカの体に入って、感覚を共有するです。そうすればきっと扉は通れるです」
そんなことができるのかと、俺は驚いた。
「そんなことができるんですか」
「はいです」
「でも……ちょっと怖いですね」
自分の体の中に異物が入るというのは、何であれ怖い。
「大丈夫です―、腹もちもいいし、お通じにもいいですー」
「ダイエット食品ですか」
思わず突っ込んでしまった。というか、体に入るって口から入るつもりなのだろうか。
「体を共有するゆえ、僕達の魔力がタナカの体に循環するです」
「魔力が腸の調子を整えてくれえるです、便秘知らず―」
「今なら、おまけでもう一つこれもつけちゃうですー」
どこからか夕方の時も貰った木の実を取り出す精霊。
俺は木の実より魔力という言葉に引っかかった。
「え、魔力が体をめぐるんですか」
「はいです」
「それって使えないんですか?」
「当然使えるです」
さも当然のように頷く精霊達。
ならばなぜ魔法を使えることではなく、お通じにいいことを売りにしたのか。
「タナカは異能を使えないのですか?」
一人の精霊がきいてきた。
「使えませんが、というかなんで使えると思ったんですか?」
「タナカの周りはラブコメがないようなので、ではてっきりバトルものかと思いまして」
「ミステリですか? もしくはスポーツ物? タナカの周りは、どんなドラマがあるですか?」
何だろう。どうやら精霊達は、現実世界は漫画の中のようなことがありふれていると思っているらしい。間違いなくケンイチさんの影響であろう。
「いや、バルトものでも、ミステリでも、スポーツ物でもありませんが……異能ってなんですか? 魔法を違うんですか?」
「ケンイチは片方の目に直死の○眼という、万物の死をみるという異能を宿していたですー。かっこいいですー」
「……」
「そしてもう片方の目には万○鏡写輪眼という、すごく強い異能を宿していたです―。それもかっこいいですー」
その人もはや無敵ですね。
「だからただの精霊魔法が使えるというだけでは、セールスポイントとしては弱いかと思ったゆえ」
「そうですか。ちなみに魔法では何ができるんですか」
「それはその精霊の属性によるです、ちなみに僕は火の精霊なので、火の魔法が使えるようになるです」
「僕は水です―」
「僕は風―」
なるほど、それぞれに属性があり、それに準ずるものが使えるようである。
また見た感じ、火なら赤といった風に、属性と身に纏った花弁の色が対応しているようだった。
「……あの、未来予知とか、幸運を引き寄せるとか、そう言った能力はありませんかね?」
「ないですー」
そうですか。それは残念です。
「というか、そもそもどうやって私の体に入るんですか?」
流石に口から入るとかは嫌なのだけれど。
俺がそう言うと、火の精霊が俺の前に出てきて、人差し指を向けてきた。
「タナカも僕の人差し指に人差し指を合わせてほしいです」
俺は戸惑ったものの、とりあえず言われた通りに人差し指を火の精霊の小さな人差し指に合わせた。
すると人差し指がつながった部分が一瞬光を放ち、何かが指から体の中に流れ込んできた。
俺は驚いて、手をひっこめた。体の中に流れ込んできたそれは、体中にめぐり、熱を持っている。
まるで体の中に新たな道が出来て、そこを何かが駆け巡っているようだった。
『こんな感じです―』
いきなり、頭の中に声が響いた。驚いてあたりを見渡すけれど、どこから声が聞こえているのか分からない。
「え、どういうことですか!?」
『今、タナカの体の中から直接話しかけてるです』
再び、声が頭の中に直接響いた。声の特徴は精霊のものだった。
「えっと、精霊さんですか?」
『はいです』
俺は驚いた。本当に火の精霊が俺の中に入ってしまったようである。
「えっと、体の中をめぐる、この感覚は何ですか?」
『それはきっと魔力です。初めは驚くかもしれないですけれど、すぐになれるです』
「これが魔力ですか……」
俺は掌に意識を集中してみた。掌に力を込めるように、魔力を掌に集中させる。
『魔法を使うにはイメージが大切ですが……一朝一夕でできるものではないです。なのでやりたいことをイメージしてくれれば、僕が代わりにその魔法を行うです。例えば手を前に出して炎を出すことをイメージしてほしいです』
俺は言われた通り、掌を上にして手を前に出して、そして炎の球をだすことをイメージした。
すると本当に、掌の上に赤い火の球がでた。
掌の上でめらめらと燃えるそれを見て感動していると、火の玉が姿を変えて形を持ち、火の精霊の姿になった。
「まあ、こんな感じです」
俺の掌の上で火の精霊はそう言った。いつのまにか俺の中から魔力が消えていた。
火の精霊はテーブルの上に降りて、他の精霊と一緒に俺を見上げる。
「どうです? この魔法があれば、バトルものの世界でも通行人AからクラスメイトAくらいのモブキャラには転身できるです?」
「主人公の友人キャラも夢ではないです」
「主人公のおこぼれのラッキースケベも望めるかも」
俺は悩んだ。精霊が体の中に入るというのは、ちょっと怖い。しかし魔法が使えるという魅力は大きかった。
「……えっと、精霊さん達が体の中に入っても、体を乗っ取られるということはないんですよね」
「そんなことしないですー」
「誓うです―」
口々に言う精霊達。
「私が魔法を使いたいときは、力を貸してくれますか?」
「いつでも貸すですー」
アピールのつもりなのか、精霊達はぶんぶんと手を振っている。
「日本に行ってもあんまり勝手な行動は控えてくれますか?」
「もちろんですー。というか僕たちは日本では、タナカの体の外から出られないはずですー」
「異なる世界の住人故、単独での存在はできないはずですー」
精霊達はそう言った。
なるほど。どうやら『互いの世界の住人はもう片方の世界に干渉することはできない』という制約は、異世界への扉を通った後も続くらしい。
「……なら、契約は成立ですね」
納得した俺は頷いてそう言った。
「「「やったですー」」」
喜んで踊り始める精霊達。
(でも、現実の日本をみて、彼らが失望しなければいいけれど……)
俺はそんな精霊達を見て、少し不安になった。
それから俺は再び、セミナーの準備に戻った。
ちなみにそれが終わって眠りにつけたのは、朝の四時頃であった。




