胡椒を売ろう side ダンテ
「ふざけんじゃねぇぞ、てめぇ!」
商人ギルドのギルド長室で、俺はある貴族の使いである二人に対してブチ切れていた。
俺は一人の男の胸ぐらをつかんで、持ち上げた。
「お、おちついでください。こ、これは議会の決定ですので」
胸ぐらをつかまれた男が、必死にわめいている。
なにが、議会で決定したことだ、この野郎……。
「っくそ」
俺が手を離すと、そいつはテーブルの上に倒れ込んだ。
部屋から逃げてゆく二人。
俺はやり場のない怒りを必死に抑えながら、テーブルの上に置かれた書類を見下ろした。
孤児院の経営、それに関する議会の決定がその書面には書かれていた。
魔王討伐の後から、孤児の数が増加の一途をたどっていることは知っていた。また物価が上がりったことにより孤児院の運営がきびしくなって、ずっと前に援助を打ち切ったというのも聞いていた。
しかし……、
「まさか、商人ギルドに押し付けてくるとは……」
国は孤児院の経営を押し付けあった結果、民間に任せることに決めたらしい。そのため商人ギルドで出資と運営をしてくれる商人を探せとのお達しが下ったのである。
一応税の免除や孤児を従業員として働かせられるなど、商人への利点ものせてはあるが、今のこの不況で誰が孤児院など運営したがるだろう。法による規制により、孤児院の運営者は孤児を不当に追い出すことはできず、最低限の衣食住も補償しなければならない。つまり孤児院に携われば、孤児達が退所するか職を得るまですべての面倒をみなければならないのである。おまけに今まではあった国の補助も、ほぼほぼ打ち切られていた。
そしてそのお達しの最後の部分には、忌々しい次のような文章がある。
『なお、孤児院の出資先が定まるまでは、孤児院の運営は商人ギルドがとりおこなう』
つまり、貴族連中は孤児院をまるまる商人ギルドに押し付けたのである。
こんな書類、破り捨ててやりたい。しかし議会で決定されて上から下ってきた以上、そういうわけにもいかない。
歯に思いきり力がこもる。
(どうする、あの糞ギルド長になんとかできないか頼んで……いや、無理だ)
子爵であった親の七光りでギルド長についた糞デブは、商人ギルドがどうなろうがこれっぽっちも気にしやしないだろう。それどころか余計に話をややこしくしそうだ。糞デブは、今日もどこで油を売っているやら。まったくギルド長の件といい、孤児院の件といい、貴族連中は碌な事を考えない。
(どうする、こんな不良物件、維持だけでもどれだけかかるか……)
頭の中で計算する。答えはすぐに出た。
(無理だ。しかたない、誰かに押しつけるか……)
孤児達には悪いが、俺は善人ではない。上から押しつけられた荷物は、下に押しつけるに限る。
(しかし誰に押しつける……。適当な商人に押しつけたいが、あんな荷物なんて誰も受取ってくれるわけがない……)
部屋の中をぐるぐると回りながら、考える。
どのくらい考えていたのだろう。部屋の扉がノックされて、我に返った。
「入っていいぞ」
「し、失礼します」
手に容器を抱えて入ってきたのは、ギルド職員のマヤだった。いつも冷静なマヤが、妙に慌てている。
「どうかしたのか?」
「副ギルド長、あの、これを見てください」
そう言って差し出された容器には、大量の粉がのっていた。
俺はそれを見て驚いた。まさかと思い、容器を受け取って匂いをかぐ。間違いない、この匂いは……。
「もしかして、これ全部胡椒なのか!」
「はい二百グラム。それも非常に純度が高いです」
確かに、恐ろしい純度である。これほどの物はギルドに勤めてから初めて見た。
「この胡椒はどうしたんだ」
「それが、いましがた商人を新規登録をなされた方が、ギルドのほうに売りたいとおっしゃられておりまして……」
「なに? 今、新規登録と言ったか?」
「はい」
新規登録をしたということは、この街に来る以前はどこの街の商人ギルドにも属していなかった、もしくは属していたがそれを隠しているということである。
(それはきな臭いな……)
どこの商人ギルドにも属していなかったような男が、これほどの胡椒を大量に手に入れるなんてありえるだろうか。それにもし他の街のギルドに属していてそれを故意に隠していると言うことはつまり、何かやましいことがあると言っているに他ならない。
(これは普通に考えて、何か訳ありとしか思えないな……)
「副ギルド長、いかがいたしましょう……」
マヤが尋ねてくる。
マヤも怪しいと感じているから、俺に指示を仰ぎに来たのだろう。
商人ギルドではその品が盗品の可能性が高い場合には買い取りを拒否することがある。しかしそれは本当に怪しい場合に限り、基本的には誰からでも買い取りは行ってきた。
今回の件に関しても、胡椒が盗まれたなどと言う報告はどこからも来てはいない。
「その商人の名前は?」
「タナカと名乗っております」
タナカ……、聞き覚えは全くない。
「変なところはなかったか?」
「……えっと、失礼ですが、なんと言いますか、顔立ちからして変でした」
「顔立ち?」
「はい、恐らく異国の方なのだと思います」
なるほど、だとしたらこの胡椒もその異国で手に入れたという可能性も零ではなさそうだ。
「……あと、少々身なりの良くない少女を連れておりました」
「ふむ……」
小間使いだろうか。なんにせよ普通の商人なら体面を気にして、最低限相手を不快にさせない身なりをした従者を引き連れているものであるが。
「とりあえず、この部屋に通してくれ」
俺は直接会って、見極めることにした。
少ししてマヤが、そのタナカという商人を呼んできた。
マヤの後に部屋に入ってきたその男はひょろっとしており、髪は真っ黒でなるほどたしかに独特な顔立ちをしていた。
来ている服も少し風変わりである。
ソファに腰かけて待っていた俺は、立ちあがり笑顔で腕を差し出した。
「おお、あなたがこの胡椒を持ってきたというタナカさんですか。私は商人ギルドの副ギルド長のダンテというものです」
「あ、はい、よろしくお願いします」
タナカのことをじっと観察しながら、握手を交わす。
俺はすぐにある違和感を覚えた。
(なんだこいつ……、本当に商人か?)
商人はなめられたら終わりで、付け込まれて足元を見られる。だから俺の知る商人たちはいつ何時でも堂々としているものだった。なのにこのタナカという男は必要以上にへこへこと頭を下げ、卑屈に見える。
「ま、どうぞ」
俺がソファを勧めると、タナカはへこへこと頭を下げながら腰掛けた。
お茶をだしたマヤにもへこへこへこへこしている。これから高級品の取引を行おうとしているものの態度ではない。しかし同時に、何か後ろ暗いことがあるものの目ではなかった。
(……演技ではない。別に何かやましいことを隠しているわけでもなさそうだ。だとすると、本当に新規の商人なのか)
俺は混乱した。
自分の豊富な経験が、この男は白だと述べている。しかしそれではこの胡椒はどうやって手に入れたのだと、理性が異を唱えていた。
「いやぁ、これはすばらしい純度の胡椒ですな」
商人に対して仕入れ先を尋ねるのは褒められたことではないが、俺は尋ねることにした。
「ちなみにタナカさんは、どこでこの胡椒を手に入れられたので?」
じっと相手の目を見る。
タナカはすぐに目をそらした。
「えっと、その、旅の途中で少々……」
タナカの言葉はたどたどしい。
……まあ、別に商人が自分の商品の仕入れ先を秘匿することは決して珍しいことではない。
「……なるほど」
しかし、そうなると問題はこの胡椒の取り扱いである。
俺は少し考えて、買い取ることを決めた。直感に従ったのと、なりよりこれほどの一品を見逃すなどもったいなさ過ぎると思ったからである。
「たしか、今日はこの胡椒を売ってもらえるとか」
「はい、買っていただきたいです」
「それはりがたい限りです。では、早速。取引に入ってもよろしですか?」
「はい、お願いいたします」
俺は容器につまれた胡椒を見た。
これほどの純度の胡椒が二百グラム。金貨二十枚くらいからが、勝負であろう。
「そうですな、この胡椒なら金貨十五枚でいかがでしょう?」
俺はまず軽いジャブを放った。
商人ギルドとはいえいくらなんでも安すぎる値段に、相手は反撃してくるだろう。そこからが商人としての闘いである。
「はい。それでよろしくお願いいたします」
しかし予想に反して、決着がそこでついてしまった。相手のタナカが頷いてしまったからである。
「……え?」
思わず声を出してしまった。
「えっと、何か?」
タナカは心配そうな顔をして俺を見ている。俺は慌てて表情を取り繕った。
(こいつ物の価値すら分からない阿呆なのか)
俺はこの男がどうやってこの胡椒を手に入れたのか、ますますよく分からなくなってきた。
「……いえ、失礼しました。なんでもありません、では取引は成立と言うことで。早速契約書と金貨を持ってきましょう」
俺は契約書と金貨を持ってくるために、ギルド長室を出た。
(本当によく分からない男だな。ただまあ、おかげで儲けることはできた)
俺は契約書と金貨を用意しながら、タナカのことについて考えていた。
(何か裏がありそうだと思ったが……あれは、もしかしたらただのカモかもしれんな)
だとするならば、カモれるうちに最大限カモるべき。
例えば奴がまだあの胡椒を持っているのなら商人ギルドで買い取りたいところではある。
どうしようかと考えていたその時、俺の脳にある素晴らしいアイデアが浮かんだ。
(そうだ! 孤児院をあいつになすりつけてやろう!)
あまりの天才すぎる考えに、俺は興奮した。
俺は書類と金貨を手に意気揚々とギルド長室に戻り、ソファに座った。
「金貨十五枚です、おたしかめください」
タナカの前に金貨を並べる。
「それから、こちらが契約書です。ここに印をお願いします」
印を押すタナカ。よし、これでこの胡椒は商人ギルドのものである。
(だが、本番はここからだ)
俺は笑顔の裏で、ひそかに気合を入れた。
「……時にタナカさんは、これからこの街で商売をするつもりで?」
あくまで自然を装う。
「ええ、まあ、そのように考えているんですが……」
頷くタナカ。
「旅の途中と先ほどおっしゃいましたが、これまではどこで商売をなされていたのですか?」
「いえ、……旅をしながら一人でぶらぶらと小さな村々で、その、やっておりました」
「……なるほど、ちなみに商売のつてなどは?」
「い、いえ、特には……」
よし、攻めるならここだ。
「……ほお、それではもしや、店舗や従業員や従業員もまだ?」
「ええ、まあ、どうしようかなと、思っているところです」
今だ。
「ほう、それは運が良い!」
俺は笑顔のまま、わざと大きな声を出した。タナカのような小心者相手では、これが一番効果的だからである。そして次に体をテーブルに乗り出し、さらに押す。
「いや、タナカさんは本当に運がよろしい。実はいま新たに商人登録された方に、店舗と従業員を無料で貸し出しているサービスを行っているんですよ」
一応、貸し出しは、無料である。
「え、無料ですか?」
いとも簡単にタナカはえさに喰いついた。
「はい、そうでございます。新規の商人様にはなるべく商売の敷居を低くしたほうが、この街の経済も潤うというものですから」
タナカはなるほどと頷いている。
(こいつ、どれだけ阿保なんだ……)
もはやあきれてしまう。
「もちろん無料ですので、立地条件は最高とはいきません。しかし店の立地条件が気に入らない場合は、店舗は別に自分で契約して、そこで従業員を働かすこともできます。しかも、従業員はもともとその店舗で働いていたもの達です。きっとタナカ様の助けになるでしょう」
相手が乗り気になってきたところで、相手に考える余裕を与えないように更に煽る。
「ただ、このサービスは非常に人気でして、いつもはすぐに予約でいっぱいになってしまうんですが……、今日は運良く一つだけ空きがあるんです」
「本当ですか!」
「はい。どうです、タナカさま。今を逃すともう間に合いませんよ。せっかくの幸運ですし、このサービスを利用してみませんか?」
「はい、是非お願いします」
「では早速、合意の確認のため、こちらにサインをお願いいたします」
俺は糞貴族の使いが持ってきた孤児院の契約書を、タナカの前に置いた。
ろくに文面に目も通さずに印を押すタナカを見ながら、俺は笑いをこらえるのに必死だった。
「いやぁ、これからもタナカさんとは良きおつきあをお願いいたします」
「はい、こちらこそ」
書類の一部を受け取り、もう一部をタナカに渡した。
タナカは俺の言葉を真に受けて、嬉しそうに笑顔を浮かべている。阿保だ。救いようのない阿保がいる。
「店舗や従業員に関する細かい相談などは、一度その店舗の管理人となさってください」
「分かりました。ちなみにどこに行けば会えますか」
「その店舗の敷地におります。管理者にはタナカさんのことを今日中に伝えておきますので、明日以降訪ねていただければ」
「ありがとうございます」
「いえいえ、本日はお時間を割いていただきありがとうございました」
タナカは最後までご機嫌な様子で、ギルド長室を出ていった。
俺はその後、マヤをギルド長室に呼んだ。
「副ギルド長、ご機嫌ですね。どうかしたんですか?」
部屋に入ってきて開口一番、マヤが尋ねてきた。
「いや、胡椒を格安で手に入れられてな。おまけにあのタナカには不良在庫まで引き取ってもらった」
本当にいいことずくめだった。
「そうなんですか、ちなみに、その不良在庫というのは?」
俺は手に持っていた書類を、マヤに見せてやった。
文面に目を通したマヤの表情が、固まった。
俺の方を半目で見てくる。よせよ、そんな目で見られると照れるじゃないか。
「……副ギルド長、控え目にいって最低なことしましたね……」
「そりゃどうも。俺って天才だろ」
ただ俺は上から渡された荷物を下に渡しただけだ。
「マヤ。お前にはあの孤児院の経理係になってもらう」
「……孤児院に出資した商人が、孤児院経営の経理に携われないなんてひどすぎません?」
「それが、上の決定だ」
孤児院に出資した商人が好きにできるのは商売の部分のみで、孤児院経営は商人ギルドが行う。孤児院を商人の私物化させないための手段なのだろう。
「マヤ、孤児院で使うものは全て商人ギルドを通せ」
そうすれば、不良在庫を引き取ってもらっただけでなく、更に商人ギルドに利益が生まれる。
「……もし、タナカさんが孤児院を経営できなくなったらどうするんですか」
「その場合は身ぐるみを全部はいで、ひそかに殺せばいい。そうすればうちとしても言い訳が立つ。孤児院の出資者の行方は、只今捜索中ですってな。そうすればタナカの死亡が確認されるまでは、あの孤児院はタナカのものだ」
俺は自分でも自分があくどい笑みを浮かべていることを感じていた。
「……給料、上乗せしてくださいね」
「奴がきちんと、運営費を払えば上乗せしてやるよ」
俺がそう言うと、マヤはじと目を向けてきた。
そんな目をされても、ないものは出せないのは当然である。
俺は最高の笑顔を、マヤに向けてやった。
マヤはそんな俺を見て、あきらめの表情を浮かべた。