六話
薄暗い部屋の中、ぺらりぺらりと紙をこする音だけが響く。そこは見わたす限りに並ぶ棚、そしてそこには収まりきらないとばかりに本があふれている。
本の海の中に一つだけある少し、古臭い机。
そこで一人のメイドが本を読んでいた。開かれている本の隣には幾重もの山。薄暗い部屋の中で机に向かい、真摯に本を読むメイドの姿は明らかにこの場にあっているものではない。
メイドはやっと今の一冊を読み終えたのか本を閉じ、ため息をつく。
「ふぅ……」
それもつかの間、新たな本を手にして文字を追いかける。もうこうしてどれだけの時間が立ったかとシエルは考える。
珍しく、お嬢様はおろかそれ以外の誰もいない時間。ただ、今はそんな事を考えている場合ではなかったと気を取り直し、再び手の中の文字へと目を向けた。
元はお嬢様の一言からだった。
「シエルは人間の文字は読めるよな?」
不意に尋ねられたこの言葉。なんで今更そんな事を再び確認するのだろうかと疑問に思いながらも答える。
「はい、勿論。しばらく使っていないですが問題ないと思います」
そう、しばらくの間私は人間の文字、文章を読んでいない。それもそのはずで、魔物と人間では言葉が異なるのだ。
ん、言葉が異なるというのはちょっと違った。言葉は一緒だけれども書き記す文字は全くの別物だった。私が初めてここに来たときに驚いたことの一つに入る。
それからお嬢様やグラウディアさんに教えられながら必死に覚えたのも今では懐かしい思い出だ。
勿論、その際にお嬢様は私が人間の文字も理解しているという事を知っているはずだった。
「魔物に人間の文字が読める者が少ないという事は知っているだろう?」
その言葉に頷く。それも勿論知っている。だれがわざわざ敵対するものの言葉を覚えようとするか。そうでなくとも教える人がいるわけもない。
「だからな……」
そう言ってお嬢様に連れていかれたのはこれほどまでに、と本で埋め尽くされた地下室だった。
どうやら人間から得た本はすべてここに持ち運ばれているらしい。
「読む者がいないのだ。だからシエル、暇な時でいいからここで本を読んでもらえないか?」
との事だった。お嬢様としては自分が内容を把握していないものが屋敷に眠っているのが気に食わないのだろう。読む暇もないのだろうし。又は魔物に利のあることが書かれていないかとでも思っているのかも。
お嬢様に頼まれればいくらお嬢様の傍を離れるとはいえ、張り切らない訳がない。私は二つ返事で話を受け入れた。
しかし……本を読むのは自分が思うよりもかなり楽しいものだった。自分では思いつかないような話、そして聞いたことも見たこともないような物が書いてある。
ただ、大抵の本はただの物語であり、残る僅かな物も図鑑や辞書と言ったものばかりだった。
お嬢様の望んていたような話はなさそうだ。そんな事を期待していたかもしれないお嬢様には少し悪いけど私にとって今まで手に取ったことのない、本を読むという事は面白いものだった。
その中でも気になる話をいくつか見つける。それは魔物と人間が、しかも龍と人間が番になるお話。
物語の中の人間は白い鱗を持った龍と世界を回り、幾重もの苦難に襲われながらも、果てには神を打ち倒して二人神になったという不思議なお話。その続きはなく、それから幸せに暮らしました、と締めくくられてた。
私とお嬢様もそんな風になれるかなぁ。少しそんな事を考えてしまう。だめだ、だめだ。私はあくまでメイドなんだし、主人とそんな事を望むのは無礼だ。
いや、でも……戦いが終わったあとなら……一人夢想していると、コツコツと聞こえる階段を降りる音。聞こえてすぐに声がかかった。
「シエルいる? もう夕食の時間よ。上がってきなさい」
「あ、はい! すぐ行きます!」
気付かないうちに結構時間がたっていたようだった。グラウディアさんの声に慌てながら本を片付けて上へと上がっていった。
もう既に普段夕食を食べる時間は過ぎていた。お嬢様に謝るもお嬢様は特に怒ってはいないようだった。いつもと同じように一緒に食事を頂く。
食事の最中も私の頭を占めるのはあの本の事だった。龍と人間の物語。それはそことはかとなく本当の話ではないかと思ってしまう。いや、そう思いたいだけなのかもしれない。だって、それが本当であるというのならば……
「どうした、シエル?」
「す、すいません。なんでもないです」
考え事に夢中で手が止まっていた。お嬢様が不安そうに、心配そうに尋ねるのに咄嗟に返す。
けれど先ほどの話はそう簡単に私の頭から離れるようなものでもなく、時折、また手が止まるのだった。
それから、いつも通りお風呂に入り就寝の準備をする。
「お嬢様、明日はどうするのですか?」
「そうだな、明日も執務になるだろうな」
心の中で少し喜ぶ。ということ私はまたあの本の続きを読むことができるということだ。正直結末が気になってしょうがなかった。
そんな様子の私にお嬢様がポツリと呟くように、悲しげに呟いた。
「シエル……どうしたんだ? 何かあったのか?」
「えっ?」
ふと突然かけられるお嬢様の言葉。それはいつものようなお嬢様ではなくか細く力ない声だった。
「私の傍にいるのは嫌か……?」
「えっ、えっ?」
私は戸惑うばかり。なぜそんな事を尋ねるのかが不思議でしょうがなかった。
「今日はずっと上の空で……明日も……わ、私から離れるというのに不満も言わないではないか」
確かにそうだ、私がお嬢様と離れる時に不満を抱かない時はない。それが今では嬉々としているのだからお嬢様がそう思うのもおかしい事ではない。
寧ろそれが当たり前とも言えるかもしれない。
ただ、一つ分からないのがそれでお嬢様がこんなにも不安そうにしていることだけれども。
「お嬢様、そんな事はありません。ただ……本を読んでいた時に面白いものを見つけまして……」
私はその本を説明する。人間と龍が番になる話。
「で、では決して私の傍にいるのが嫌になったという訳ではないのだな!?」
焦ったようにまくし立てるお嬢様に私は落ち着いて答える。
「はい、勿論です。私がお嬢様を嫌いになることなんてありえません」
その小さな体を抱きしめながら言う。普段の凛とした姿とは違った弱気な可愛らしい姿。
それは私にとってとても幸せなものだった。
後日……
「お嬢様、入りますよ?」
「ああ」
「失礼します……って、シエル?」
「ええと……お嬢様がここで本を読めと」
あの薄暗い地下室ではなく、執務室のお嬢様の膝の上にのり、一緒に本を読むシエルの姿があった。
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