四話
この世界は人間と魔物が争っている。
でも、そんな事は私には全く関係のないことだった。
だって、私は限りなく不幸だったから。
私は人間の中で生まれた。普通、そこには父や母がいて愛情をかけて育ててくれるものなのだろう。普通であれば。そう、私には父も母もいなかった。私に物心がついた時は孤児院にいた。そしてすぐに理解した。私は歓迎されていないのだと。周りから常に忌避の目で見られていた。それは私を拾ったという道士様も同じだった。
その理由は簡単だ。私には周りと明らかに違う所があった。
髪の色である。私の髪は黒だった。周りにそんな人間はいない。大抵、金や茶だ。そのせいで私は忌避された。周りから白い目で見られ、迫害される日々。このころ私はまだ生きていられるだけで幸せだった。
だけど、そんな生活にも転機がやってくる、私はとある貴族に引き取られた。北の国の近くの町に家を持つ、お金持ち。
初めてこの大きな家に連れてこられてきた時は期待したものだ。
私はこの屋敷でいい生活ができる。今までのように蔑まれることもない。
もちろん、そんな訳はなかった。私は屋敷に着いてからすぐに鎖に繋がれた。困惑する私へと無慈悲な暴力。ひときしり殴り終わった後、私はメイド達に引きずられながら地下牢へと入れられた。これは後から知ったことだけれども、この屋敷の主人は近くを襲う魔物にストレスを感じていた。黒髪によって悪魔と呼ばれている私をいたぶる事で魔物に対する鬱憤を少しでも晴らすためだったらしい。
「この悪魔めっ! お前らのせいで俺達はっ……」
そんな私は毎日殴られ、蹴られ、口に出すのもおぞましいようなことを続けられた。鎖で繋がれ文字通り“飼育”される日々。私は何で生きているんだろう。こんな苦しみを味わうぐらいならいっそのこと死んでしまった方が……
何度もそう思った。でも私は死ぬことができなかった。常に監視され、苦しめられるために生き続ける日々。続く絶望の中で私はひたすら考えた。
どうして私は生まれてしまったのだろうかと。もう、怒りも恨みも、悲しみも失おうとしていたときだった。
普段とは違う地下まで聞こえてくる屋敷での喧噪。ぼうぼうと何かが燃えると音。うっすらと考える。一体何があっているんだろう。……でもどうせ私には関係ない事だ。
そう意識を手放し眠ろうとした時、
「何、この地下室は」
「気を付けてください、お嬢様。何があるか分かりません」
「大丈夫よ」
聞きなれない二つの声。地下の階段を降り、こちらへとやってくる。目の前までやってきた見たことのない二人は私を見てこういった。
「何なのこれは……同族にまでこんな事をするなんて人間は信じられない」
「ふむ……黒髪とは珍しいな。人間、名前をなんて言う」
私に尋ねられているのだろうか。悲鳴、それ以外の声を久々に発する声を必死に絞り出して答える。
「名前は……皆からは悪魔と」
「ふむ、悪魔か。ではお前は生きたいか?」
唐突に尋ねられる質問。例え、この先また苦しむことになろうとも、そんなの……答えは決まっていた。
「生きたい」
私の一言、その一言に満足そうに頷く。
「では、生かしてやろう。私に仕えるがいい」
「お嬢様? 屋敷に連れて行くつもりですか?」
「駄目か?」
「はぁ……仕方がないですね」
諦めたようにもう一人はため息をついて私の鎖を断ち切る。
今まで私が感じていた重みが無くなる。
「立てる?」
無理だった。もう、長い間自分ひとりで動いていない。私が声を発するよりも早く、お嬢様と呼ばれた人に軽々担ぎ上げられる。
「思ったよりも軽いな。さてこんな場所はさっさと去って帰るとしよう」
担がれ、外へと向かう。燃え盛る屋敷の中を歩いて行く。久しく見ることのできなかった外、もう見ることもできないと思っていた。燃え盛り、周りにある赤いものも気にならない。自然と涙がこぼれた。
「ど、どうしたのだ?」
私を担いでいるお嬢様と呼ばれた人が戸惑う。どうやら泣いていることに驚いているみたいだ。けれど言葉を発せそうになかった。
「きっと色々あるのですよ、人間には」
隣りにいるメイドがそう言ってくれた。
「まあ、詳しい事は屋敷で聞こう。では行くぞ」
たちまち姿が変わっていく。先程の人とは違う姿、それは龍だった。赤い鱗に包まれた深紅の龍。
『ディア、そいつを頼む』
「はい、お嬢様」
私を担ぎ上げ、メイドと共に背に乗る。ぐおん、と大きな翼の音と共に離れて行く大地。高く飛ぶ空、それは私の初めて見るものだった。
それからしばらくの間背に乗り、降り立った先、そこは沢山の魔物が住む屋敷だった。私が長い間いた屋敷よりも随分と大きい屋敷。そこで沢山の魔物達が笑いながら話し合っている。
「アグニ様? どうしたんですかその人間は。献上品?」
一つ目の巨人が話しかけてくる。怖くて思わず、お嬢様の後ろに隠れる。その様子におかしそうに笑うお嬢様。
「違うな。将来の召使かな」
「はぁ」
よく分からないと言った具合に首を傾げる。その一つ目の巨人を置いて、屋敷の中へと入っていく。出会うすべての魔物が挨拶をしてくる。どうやら私がしがみついているお嬢様とやらは相当偉い人みたいだ。そのお嬢様は私をみて、
「そう怯えるな。見た目と違って気のいいものばかりだぞ」
と言っていたけれども、そんな事言っても私には怖かった。
「さて、取りあえずは服か」
私の着ていたものはお世辞にもいいとは言えなかった。かろうじて体を隠す程度の布きれと言った方がいいものだ。元の白い色は無くなり、薄汚れところどころに私の血がついていた。
「そうですね、お嬢様の昔ので大丈夫でしょう」
ずっとお嬢様と一緒にいるメイドがそう言った時だった。ぐぅ~という間抜けた音。私のお腹の音だった。顔を合わせて笑うお嬢様とメイド。
「まずはご飯だな。ディア、頼む」
「畏まりました」
私はそれが少し恥ずかしくて顔を伏せた。
私の前に並ぶ料理。まだ湯気が立っており、それは暖かい事を示していた。
「では、頂くとしよう」
お嬢様の目の前にも同じ料理が並んでいた。それを口に運び、喉を通っていく。私は呆然とその様子を見つめていた。
「どうした? 食べないのか?」
その言葉に首を傾げる。これは私が食べていいのだろうか。いや、そんな訳はないだろう。私は奴隷なのだ。きっとこの屋敷でも前と同じだ。
「ふむ、ディア」
「はい」
お嬢様の後ろにと立っていたメイドが私の隣へと座り、料理を口に運ぶ。私の意思に反して私の本能はそれを欲していた。思わず口を開いて受け入れてしまう。
何度か咀嚼し飲み込む。初めての口にする温かな料理。今までの残飯とすら呼べない、家畜に与えるようなご飯とは違う“人”としての食べ物。
「あ、あれ?」
滲む視界。ぼたぼたと零れ落ちる涙。
何度拭ってもそれは止まることは無い。
「ゆっくりでいいんですよ」
メイドが優しくそう言ってくれる。私は涙をこぼしながらゆっくりとその料理を食べ終えた。
「ご馳走様」
「ご、ごちそうさまでした……」
手を合わせ、挨拶をする。食べ終わるまでお嬢様は待っていてくれたみたいだった。食べるのに夢中だった私は全く気付かなかったけれども。
「さて、今日はもう疲れているだろうし眠るとしようか」
「どうしましょうか。取りあえず客間を使いますか?」
「いや、しばらくの間私の所で寝させよう。不安だろうしな」
「畏まりました」
連れられて入った部屋、恐らくお嬢様の部屋だ。女の子らしい可愛い部屋だった。
「色々あって大変だとは思うが、全ては明日からだ。今日は体を休めるとしよう」
「は、はい」
呆然と入口に立つ私を呼び寄せる。ベットの上で横になるお嬢様を隣でぼんやりと見つめる。
「どうした? 入ってこい」
「……えっ?」
「寝ないのか?」
首を傾げ私を待つ。私なんかが入っていいのだろうか。
「あーもー、じれったい!!」
しびれを切らしたお嬢様に私は担ぎ上げられベットへと運ばれた。柔らかな羽毛。私が今まで寝ていた硬くて冷たい床とは違った暖かく柔らかい。その感触に私はまた涙がこぼれた。もう今日何度泣いたか分からない。
そっと抱きしめられるお嬢様の暖かさを感じながら私は誓った。私の命が続く限りこの人に仕えよう。
この人はきっと私を幸せにしてくれる、そう確かに感じたのだった。
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