三話
とある日の昼下がり、屋敷の一室に一人の少女と一人の女性がいる。
片方はゴシックロリータ服に包まれた黒い角の生えた少女。
そしてその少女の口へと食べ物を運ぶ女性……と言うには少し幼いメイド。白を基調としたふんわりとした服に可愛らしいフリルが沢山ついている。
「ねえ、シエル。いつも思うんだけどわざわざ私が食べさせてもらう必要はあるの?」
お箸によってつままれた料理……それを一口で食べれるサイズに切り分け、口へと運ぶ。運び終えた後、メイドは答える。
「勿論です! お嬢様とイチャイチャできるまたとない機会……ではなくて、これしきの事でお嬢様の手を煩わせるにはいきません!」
本音がだだもれであるが、お嬢様はそれに対して何とも無いように返事をする。
「そう、じゃあお願いね」
「はい!」
返事に意気揚々と答え、手際よく口へと食べ物を運んでいく。
それに対してお嬢様も何とも無いように口へと差し出された食べ物を美味しく頬張る。
その様子を後ろで見ていたグラウディアという、シエルより更に昔からお嬢様に仕えているメイドは呆れながら、
「お嬢様も満更じゃないですか……」
そんなもう一人のメイドの呟きに気付くこともなく、メイドとお嬢様は二人だけの世界へと浸っていた。
魔物と人間が争うこの世界。その魔物の一角を治めている四龍の一柱、炎龍アグニとその炎龍に拾われた黒髪の人間。
この世界の中心にある町、そこから北東の草原、そして更に北東に山を越えた先にある屋敷、そこに二人はいた。
突然で今更ではあるけど私の自己紹介をしようと思います。私はシエル・ネフリティスと言います。
この名前は私の雇い主? ご主人様? まあ、今私がその可愛らしい口へとお食事を運んでいる当人、お嬢様がつけてくれた名前です。私はある時からお嬢様に拾われて、お仕えしています。本来人間である私が魔物で、そしてその頂点にいる龍に仕える事など本来ないのだけれども数奇な運命を辿ってこうしているのです。
そしてその私が仕えているお嬢様について紹介します。
魔物を統べる四龍の一柱である、炎龍アグニ・ネフリティス。それが私のお仕えしているお嬢様です。紅の美しい短髪にくりっとした可愛らしい赤い瞳。一目見ると幼い少女にしか見えない外見ですが、これでも私よりも随分と長い間生きているというのだから驚きです。
「さて、そろそろいこうか」
「はい、畏まりました」
料理を食べ終えたお嬢様の口を拭き、部屋を後にするお嬢様の後ろに付き添います。魔物を統べる中の一人、と言うだけあって私とお嬢様が住むこの屋敷にも沢山の魔物が住んでいます。
「どうも、アグニ様」
「ああ」
一つ目の巨人や、炎精霊と短い挨拶をかわしすれ違います。幼い頃はその人とはかけ離れた異形の姿に毎日怯えてお嬢様の後ろにしがみついていたものですが今では違います。
臆することなく、会釈し何事もなかったように歩きます。もう、私も随分と慣れたものです。
「お嬢様、では私はこれで。シエル、あとはよろしくね」
「は、はいっ!」
私と一緒に隣を歩いていたグラウディアさんが離れて行く。紹介を忘れていました。
お嬢様の元を離れて行くのはこの屋敷のメイド長であるグラウディアさんです。お嬢様と同じような色の紅の艶やかな長髪。高身長でいつでも落ち着いた様子はとても大人びて見えます。私が初めてこの屋敷に来たときも随分とお世話になりました。
普段はお嬢様とずっと一緒にいますが、メイド長として他の仕事もあるようでしばしば離れます。
そう考えると私の仕事はお嬢様の傍に仕えるだけで、それ程することもありません。
随分楽なように感じ、グラウディアさんに他の事もさせてくださいと頼んだこともあるのですが、
「シエルはお嬢様の傍にいることが一番大切なのよ」
と、それだけ言われて聞き入れて貰えませんでした。
私としてもいつでもお嬢様のおそばにいられるとはとても嬉しいのですが、少し不安になります。
一度だけお嬢様に尋ねた時は少し不機嫌そうに、そして寂しそうに、
「なんだ、お前は私の傍にいるのが嫌なのか?」
と言われてしまいました。滅相もない。私としてもお嬢様の傍にいられることは幸せです。それ以来そのことについては尋ねたことはありません。
私もお嬢様の寂しそうな顔を見たいわけではないのですから。
そんなお嬢様に付き従い、今向かっているのは応接室とでもいうのでしょうか。
まるで一国の王様が座っているような豪華な部屋です。まあ、魔物の王と言ってもいいような存在ですから間違ってはいないかもしれません。
ただ、違いがあると言えば普通、王様の周りには護衛の兵士が沢山いるものですが、この部屋には私とお嬢様以外はいません。
人とは違い魔物は、弱い者には王は務まらないものであり、自分の身を守れないようなものはいらないのです。この豪華な部屋の椅子にお嬢様は座り、その左後ろで私は控えます。
今日はずっとこのままです。
お嬢様の元へと挨拶へやってくる魔物達、皆がかしずいて畏まった挨拶をします。それに対して適当な返事を返していきます。
この時、私は特にする事がありません。お嬢様とやってきた魔物がお話をしているのを見守るだけです。しばらくの間お嬢様とやってきた魔物との会話が続き一段落が着いた頃でした。
突然お嬢様が椅子から立ち上がり、
「シエル、疲れただろう。座れ」
そんな事を言いだした。
「えーと……そこにですか?」
「そうだ」
お嬢様が指差すのは今までお嬢様が座っていた椅子。この部屋にこれでもかと言うほど存在を主張している、王にしか座ることのできないはずの椅子だ。
お嬢様以外が座る事があればたちまちお嬢様に焼き尽くされてしまうであろうその椅子。
そこにお嬢様は座れと言っているのだ。
「いや、でも……ほら、お嬢様はどうするんですか? まだ、謁見者もいるでしょうし」
「私なら問題ない」
いやいや、何が問題ないというのだろうか。これからお嬢様に立たせている訳にもいかないし。それから数分の説得の後、結局無理やり座らされてしまいました。
座ると同時に少し沈み込む体。見た目以上にふわふわとした背もたれ。
お嬢様が座るための椅子と言うだけあってかなりのものです。
「さてと……」
「ふぇっ!?」
思わず間抜けな声が出る。
それも仕方がない、お嬢様が私の膝の上へと座ってきたのです。
感じるお嬢様の柔らかな温もり、密着する肌、鼻をくすぐる紅の髪。否応なしにテンションがあがってしまいます。
って、そうじゃなくて、
「何をしているんですかお嬢様!」
「ん、何か問題があるか?」
「大ありです!! ひょっとしてこのまま謁見を続けるつもりですか!?」
「そのつもりだが」
さらっと何とも無いように無茶を言う。
わざわざ威厳を示すためにこのような豪華な部屋で豪華な椅子があるというのにそこにいる主がメイドの膝の上に座っていたら威厳も糞もあったものじゃない。
それに……このまま私も生殺しのままはかなりつらいものがあります。
「ほら、次の者が来たようだぞ。大人しくしていろ」
「いやいやいや!」
私が止める暇もなく、扉がノックされ、開いてしまった。入ってきた方が一瞬だけ驚いた様子を見せ、その後は今までと同じようにかしずき、畏まった挨拶を続けた。私には分かる、きっとこの方の頭の中は疑問に埋め尽くされていることだろう。でも、決して主に対して尋ねるような不敬をすることは無い。
うう、私としては物凄く突っ込んでほしいのだけれども。
結局、お嬢様の体がすぐ目の前、密着しているというのに手を出せない状況は謁見が終わるまで続いたのでした。その後やってきたグラウディアさんに私とお嬢様が説教されたのは言うまでもなくでした……